イーハトーブマラソン2018

以前に遡る記事ですが、
4月22日にイーハトーブマラソン
走りました!

まあ、3kmではありますが^^

桜満開、天候にも恵まれ
最高のマラソン日和でした。

花巻市の市長さん、議長さんはじめ、
たくさんの方から声をかけられ
勇気りんりんで走り出しました。

s-0422イーハトーブマラソン03

s-0422イーハトーブマラソン02

途中からへろへろになってしまったけど、
完走できたし、
やり遂げた感があるのでよし、と。

役員で来られていた
陸上部の監督の川村先生に
動画を撮っていただきました。



動画の中でもアナウンスされていますが、
昨年に引き続き、花高応援団が、
最後の1人がゴールするまで
旗を振り続けてくれました。

黙々と旗を振り続ける彼らに
「頑張れ」とか声を出さないの?
と聞いたら、

「自分たちの声は
花高生を応援するために
できているんです」
と。

一瞬「うん?」と思いましたが、
彼はその後、こう続けるのです。

「だから、もし僕たちが
激励の声を出したとき、
特定の花高生を応援していると
思われないか、
そして、それぞれに
応援しようとしている人たちの声を
邪魔してしまうのではないか、
そう考えて、敢えて大きい声を出さずに
旗を振り続けることで
思いを伝えようと決めました。」

いやあ立派。

あくまでも主役はランナーであり、
そしてそのランナーを取り巻いて
物語をつくっている仲間たち。

「前に」でようという思いと
行動力を持ちながら、
それを内に秘め、自らの影を消し、
心から他者に思いをよせる。

なかなかできません。

また一つ生徒に教えられました。

s-0422イーハトーブマラソン05

s-0422イーハトーブマラソン06

 

「ペイント」の授業から

情報の授業も2週目に入りました。

アプリケーションソフトの
起動と終了ということで、
windowsに装備されている、
ペイントという
お絵かきソフトを扱いました。

ほんの数分間だけ行ったのですが、
皆上手に描きますね。

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しもまっちを描いてくれる生徒が多くて
ちょっと嬉しかったです。

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私は、まとめの中で、
オマケの話題として、
ペイントを用いた
ちょっとした裏技を
2つほど紹介しました。

一つは、モザイクをかける技法です。

ペイントに写真を貼りつけ、
モザイクをかけたいところを
「選択」します。

s-paint-02.jpg

次に「サイズ変更」を選び
縮小します(例5%)。

s-paint-03.jpg

その状態で、再び「サイズ変更」して、
今度はめっちゃ大きく拡大します
(例500%)。

s-paint-04.jpg

その後、画像を元の大きさに
ドラッグします。

s-paint-05.jpg


モザイクがかかりました。

これは、拡大縮小の不可逆性を
利用したアイデアです。

次の裏技は「足を長くする」テクニック。

まず、画像の上半身を切り取って、
ワードなどに貼り付けます。

次に下半身を切り取って、
上半身とつなげます。

もしワードに図を貼りつけた場合は、
「図形の折り返し」のプロパティを
「前面」にしておくと良いでしょう。

下半身部分の図を選択して、
下にドラッグすると・・・
見事、足長おじさんに変身!

s-情報ペイント裏技02

さて、ここからが本題です。

この裏技の話題を、
先日フェイスブックで紹介したところ、
香里ヌヴェール学院の
江藤由布先生から
こんなコメントをいただきました。

生徒たち、プリクラしてますが、
その仕組みを知る授業も
あったらいいですね。
さらには加工なしでも
自己肯定感を持てるような授業を。
下町さん如何でしょうか?


このコメントを見て、
私は雷にうたれたような
衝撃を受けました(少し大袈裟)。

私は情報の授業の中で、
様々な用語とその意味や、
PCの扱い方といった、
いわば「知識と技能」を
いかに効率的に
わかりやすく教えるかばかりに
腐心していたことに
気づかされたのです。

授業が、自動車教習所のような、
ライセンスをとるための場所だったり、
あるいは、資格試験を受けるための
準備をすることが
授業の意味であるならば、
それでもいいのかもしれません。

しかし、私たち高校教師が行う
「授業」とは
それだけではなかったはずです。

子どもたちが課題を見つけ
自ら考えること、
身近にあるものを取上げ、
答のないテーマを設定し、
共同で問題解決すること、
このような活動を仕掛けることが
教師の役割だったことに、
私は江藤さんから気づかされたのです。

そこで、早速昨日、
あるクラスで
プリクラの話題を振ってみました。

プリクラがどんどん
「盛りすぎ」になっている
日本の文化についてどう思うか。

あなたは、「盛り容認派」か「自然派」か?



という問いを立てて
グループで討議しました。

とても盛り上がりました。

「盛り派と自然派に分かれて
議論しようか」と言うと、

「やろう!」という声がありました。

時間の関係や、
私の準備が不十分だったこともあり、
数分間のディスカッションで終えましたが、
生徒達の心が
活発に動きだしていることが
とても良くわかりました。

最後に私が、

高校生は顔も考え方も
日々変化し続けるけれど、
良さも欠点も含めて、
ありのままの自分を好きになることが、
今を生きることではないかと思う。


というまとめをしたところ、
何とクラスから大きな拍手が起き
(特に男子が多かった)
びっくりしました。

私は、今回の授業で、
生徒たちの反応に正直驚きました。

こんなディスカッションより、
PCでお絵かきして遊んでいた方がよい、
と考える生徒が多いのではないか
と私は思っていたのです。

でも私が抱いていたのは、
生徒を馬鹿にするような
先入観だったことを思い知り、
恥じました。

生徒は本来
主体的に学びたいと思う存在なんだ。

私はあらためて実感したのです。

私は、江藤先生とのやりとりの後、
先生が実施するe-講座

「新しい情報モラル教育を創造しよう」
に申し込みました。

江藤先生はこの講座のポリシーを
以下のように語られています。

21世紀を生きる子どもたちに
必要な情報モラルとは何か?
学校で、家庭で、何をどう伝え、
新しいメディアと付き合っていくか?

規制ではなく利活用に向けて、
いま私たち大人に必要なことを
全国の仲間と一緒に学び、
自分軸を持った上で
創造していく講座です。


申込みページはこちらです→

情報を担当する者として、
大切な見識を、
先生の講座から学びたいと思います。

江藤先生ありがとうございました。


 

「情報」授業開き

本日いよいよ教科「情報」の授業が
スタートしました。

授業での活用を考えて、
授業の大ざっぱな内容を
時々ブログにあげていこうと思います。

ですので、以下、生徒向けの
記事になっております。

今日は自己紹介の時間でしたが、
それに先立ち、
「情報」で何を学ぶか
ということを簡単に触れました。

「情報」の授業で学ぶことは何でしょう。

きっと皆さんは
コンピュータの使い方を
学ぶ時間だと
思っているかもしれません。

確かに、それも一つです。

私は、この1年間、
「情報」の時間で
皆さんが学ぶことを、
次の図に示すような
3つの局面として捉えてみました。

情報0417-01

虹の中にあるのが、
いわば教科書に
書かれている事柄ですね。

皆さんは、コンピュータの扱い方、
情報モラル、コンピュータの仕組み、
ネットワークの基礎、
各種ソフトウェアの操作方法や活用
などについて学ぶことになるでしょう。

そして、その上で、
様々な作品をつくって
それを発表するという活動を
行うことになると思います。

でもね。

情報で学ぶことは
それだけではないのです。

どんな教科でも、
学校の教室で学ぶベースにあるのは、
個人のスキルアップと同時に、
他者との共同、
あるいは集団の中での
問題解決を通して、
よい人間関係をつくり、
安全で安心な学びの場を
皆でつくりあげていくことだと思うんです。

人は他者と協力しあうことで
強くなることができます。

クラスがただの群衆から、
互いに学びあう集団に
なっていくことで、
その集団にいる個々の知性が増幅され、
新しい何かを生み出す
パワフルな組織に
変革していくと私は考えます。

そして、虹の向こうに書いたのが、
この授業の最終的な目標です。

「自分」「モノ」「他者」との関わりや、
つながりを深め、
そしてその3者をバランスよく
ナビゲートしていくことで、

「質の高い人生を送ること」
「社会に貢献すること」


を実現していく。

これが花巻北高校の
「情報」科が目指す「人づくり」です。

※ この目標は、DeSeCoの
キーコンピテンシーの概念を参考に作成しました。



次に自己紹介の場面で
述べたことをまとめておきます。

あなたは、
自分は何者であるかについて、
どのように語りますか。

授業では下の板書の写真のような
3つのカテゴリに分けて説明しました。

情報0417-02LT

一つ目は、
「基本4情報」と言われるものです。

これは、個人の特定について
最も基本となる情報です。

住民票などに記されているものですね。

二つ目は、
自分がどのような属性を持っているか
という情報です。

例えばどの部活動に所属しているか、
出身中学校はどこか
といったものですね。

社会人では「肩書」なんかもそうですね。

でもですね。

特に大人の世界では、
往々にして「肩書」だけでしか
自分を語れない人がいます。

「肩書」によって自分を防御したり、
誇示したり、逆に卑下したり・・・
それはとても悲しいことですね。

私は先月退職して
「肩書」がなくなったとき、
自問しました。

「私は何者だろう」

これを突き詰めていったとき、
残ったのは

「自分は人を喜ばせることが
好きな人間だ」

「自分がわかって楽しかったことを
人に伝えることが大好きな人間だ」

ということでした。

なので、今ここにこうして
立っているのだと思います。

共に学びあい、
わかる喜びを共有したい、
これが今の私の思いです。

このような「情報」は
何と言えばいいのだろうかと
皆さんに問いかけたところ、

「個性」

という言葉が返ってきました。
なるほど。いいですね。

私はパーソナリティとか、
ちょっとロマンチックに
「This Is Me」なんてまとめてみました。

今日の自己紹介では、
この部分を強調しながら
「自分はどんな人間であるか」について
1人1分で自己紹介をしてもらいました。

1年B組では、それぞれの自己紹介後、
3人グループで内容を深め、
更にグループを変えて
対話する場面を設けました。

そして話し合う場合の
「グランドルール」として、

受信力(聴く力)の大切さについて
強調しましたね。

最後に、一人一言の
リフレクションシートを書いてもらいました。

いくつか皆さんの感想を紹介します。

「受信力も発信力も
クラスをつくることに
とても大切なことだとわかった!
みんなとたくさん話したいと思う」

「人と話を共有することで
気が楽になります。
誰かに楽しんでもらうことも、
私の幸せです」

「情報の授業は機械を扱うようなものだと
考えていましたが、
他者との協力や受信力の重要さを
学べて良かったです」

「自己紹介では基本4情報以外にも
自分を知ってもらうための情報が
大切なことを知ることができました」

「すごく楽しい授業だった。
これからの授業も楽しみです」

情報0417-03LT

これから毎時間、
皆さんが書いたことに
コメントしていくことで
双方向の対話ができればと思っています。

皆さんが笑顔になるような
授業を目指していきます!

これからも一緒に学びあいましょう。


 

「さゆりっちのイタコトークの前にひれ伏す」

先週の土曜日、
株式会社惣兵衛のCEOで、
食の陰陽師、フードセラピストでもある
畠山さゆりさんからお誘いを受け、
LAから来日された
カレンさんの観光案内に
同行させていただきました。

せきのっちことIBCの関野さん、
美しすぎるサイエンティストこと、
岩手大学の貴美さんという
心強いメンバーのおかげで、
とても楽しい一日を
過ごさせていただきました。


厳美渓での郭公団子

s-郭公だんご上

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(こちらはその動画です)



からの一関市弥栄にある
古民家レストランでのランチ。
(名前忘れた。鳥居があるところ)

s-DSC_1426.jpg

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からの猊鼻渓舟下り。

s-舟下り01

最高でしたね。

これはもうせきのっちの
人望と差配のおかげ!

長旅の運転もありがとうございました。

そして、さゆりっちと貴美先生の
流暢な英会話によって、
日本語がわからない
カレンさんも安心して
本当に心から岩手の旅を
楽しんでおられました。


私と言えば、何もできずに、
車内や観光地各所で繰り広げられる
爆笑トークにただただ
ゲラゲラ笑いながら
くっついていっただけであります。

いやもうね。
特にね。
爆裂するさゆりトークが
あまりにも凄すぎて、面白すぎて。

分析せずにはいられないっす。

というわけで、
そんな「さゆりトーク」について
少し記してみたいと思います。

私は、昨年から
ホットスプリングス市の方々と
お付き合いしたり、
また、最近はSPEAK UPに
足しげく通っているおかげで、
以前より数段英語を
聴きとれるようになったと思います。

ですが、相手に会わせて
対話していくことは
未だに難しいですね。

そんな対話力は、
英語の技能を高めることだけでは
乗り越えられない
「Something else」
があるのではないかと
最近私は感じております。

私の場合、相手の英語を聞いた後、
まず自分の頭の中で
相手に返す言葉を考え、
それが文法的にだいじょうぶか、
などと整理した上で
ようやく口に出すという手順を
どうしても踏んでしまいます。

これは「失敗を恐れる」という
守りの姿勢が要因として
あるようにも思います。

あるいは中学高校で学んできた
文法重視の英語教育の
弊害もあるのかもしれません。

そんなメンタリティによって
バイアスがかかり、
ヘジテイトしているうちに、
次の会話に流れてしまい、
チャンスを逸するのです。

ってこんなところで
横文字をたくさん並べてどうする。
往年の長嶋茂雄かよ。

ってこの一人突っ込み、
今度はナンシー関かよ。

ところがですね。

さゆりっちはですね。

そんな過程を踏まえることなく、
文法や構文などお構いなしに、
よどみなくどんどん話し出すのです。

それはまるで、
ロス在住のアメリカ人が
憑依したかのようにも思えます。

そして、初対面にもかかわらず、
まるで愛しき百年の友との
会話になっちゃっているんですね。

彼女は失敗を恐れることや、
自分の言動に保険をかけるような
「言い訳」を嫌います。

近現代の医学の知見によると、
脳は「頭」「心臓」「腸」の
3カ所に存在するらしいのですが、
私は「頭」だけで考えて、
然る後にそれを「口」から
出力してしまうのに対し、
彼女の場合は「頭」「心」「腹」
そして「口」が、
一体的に、循環的に作用しながら
(特に「腸」が優位かも)、
文字通り全身によって
表現活動をしているんですね。

つまり、英語で会話を楽しむことは、
英語4技能に秀でることによって
自動的に生み出されるものではなく、
失敗を恐れず前に踏み出す力や、
相手と一緒に楽しもうとする
共感力のようなものが
実は根っ子にあるのではないかという、
まあ、至極当然のことに
今さらながら気づいたわけであります。

それと、語るべき「内容」を持っていること、
つまりそれは「自分」が「ある」
ということでもあるかな、
などとも思ったのです。

そしてそのようなことが、頭ではなく、
腸をはじめとした全ての臓器の
リレーションによって
生み出されていくとするならば、
こと「学び」において鍛えるべきは、
頭だけではなく、腸などの臓器にこそ
フォーカスすべきだったのだ、
と目から鱗が落ちたわけであります。

さて、さゆりっちのイタコトークから、
ジャズ者の私は、
ジョニーグリフィン、ジョンコルトレーン、
チャーリーパーカーといった
3人の偉大なサックス奏者のことを
イメージしていました。

すみません。

以下ちょっとジャズ・スノッブ的
ノリになりますがご勘弁を。

私は、車中で、さゆりっちの
間断なく「にゅるにゅる」と湧き出る
トークを「練り歯磨き」と形容しました。

そしてそれは、他の追随を許さぬ
圧倒的スピード感を持ちつつも、
歌心あふれる演奏を行う
ジョニーグリフィンの
テナーサックスにも
例えられると思ったのです。

そして語りにスイッチが入ると、
言葉が空間を埋め尽くし、
あれれ、知らぬ間に

「Come on baby, light my fire!」
(Doors!)

などと歌になだれ込み、
またそれにカレンさんがめっちゃシンクロし、
二人で大合唱が始まるという状況が
何度も展開されるという(驚)。

もう何というか、
疾風怒濤、電光石火、豪放磊落、
愉快活発、七転八倒、
言語道断横断歩道
というまさに他の追随を許さぬ
イタコトークなのであります。

ここで私は更に開眼しました。

これはジョンコルトレーンの
「シーツオブサウンド」なのではないか。

シーツオブサウンド(敷き詰めた音)とは、
高速でフレーズを切れ目なく吹きまくる、
コルトレーンの類稀なる奏法のこと。

聴いている人は、そんな彼の演奏に驚き、
魅了され、このような
ネーミングがつけられたわけです。

そして、偉大なアルトサックス奏者といえば、
その演奏から「バード」と呼ばれた
チャーリーパーカーを
出さないわけにはいきません。

そうです。さゆりっちのイタコトークは
鳥のさえずりのようでもあります。

チャーリーパーカーといえば、
ナイトインチュニジアという曲の集録の
ワンテイク目で披露したブレイクが有名です。

ブレイクとは、テーマを演奏した後、
一時的にリズムと調性を
保留する状態のことで、
それを橋渡しにして、
次のインプロビゼイションへと
展開していきます。

バードは、「チュニジアの夜」という曲の
セッションのファーストテイクで
最高のブレイクを行ったのですが、
周囲の演奏家たちのプレイが
いただけなかったため、
ボツになってしまいました。

バードは、
もうこれ以上のブレイクはできない、
と嘆いたため、
後にこのブレイクの部分だけ
「フェイマスアルトブレイク」
という形でレコード化されるんですね。

フェイマスアルトブレイクはこちら(Youtube)
テーマ後約6秒です→★★

いけねえ。

熱く語っている場合じゃなかったですね。

さゆりトークの話しでした。

まるでバードのように
他者の追随を許さないさゆりトーク。

私はもう、ただただ腹を抱え、
膝を打ち、目から鱗を落としつつ、
憧れと、尊敬の念と、
もう敵わないとひれ伏す思いが
交錯するのです。

恐れ多くも、徒然なるままに、
さゆりっち分析を書き連ねてきましたが、
最後に頭に浮かんだのは
「スラムダンク」に登場する
陵南高校田岡監督のこの言葉。

「この田岡茂一41歳、
30余年のバスケ人生の中で
いろんなプレイヤーを見てきたが・・
桜木赤道・・やつはまるで
未知の生物のようだ」

さゆりっち、
60年生きてきた中で
いろんな人間を見てきたが、
やつはまるで
未来から来た未知の生物のようだ。


お会いする度に、
私はさゆりっちに魅了され
ノックアウトさせられ、
でもいつもその優しさに包まれ
エンパワーされるのです。


 

「数学教室」5月号

「数学教室」5月号が手元に届きました。

数学教室201805-05LT

先月号から
「数学を楽しむための『目』と『心』と『手』」
というタイトルで連載をしています。

数学教室201805-04LT

今回は、私が小学校4年生の時に
見つけたある定理の周辺について
書きました。

6ページの分量なのですが、
前置きの2ページ分を
以下に紹介します。




1 いろいろな「目」と「心」と「手」

前回は、数学を楽しく、
そして深く学ぶための
「目」と「心」と「手」について
お話ししました。

「目」とは、世界を切り開くための
数学的視点(見方・考え方)、
「心」とは、興味関心を持って
学びに向かい、
もっと深く学びたいと思う気持ち、
そして、その上で「手」が
解法スキルなどの
技能を身につけること
と定義してみました。

私は、この「目」「心」「手」という言葉を、
数学に限らず、
いろんな場面で使っています。

まず、それを
いくつか紹介したいと思います。

(1) グループワークのためのグランドルール

私は、グループワークを取り入れた
授業を行う際の冒頭に、
「グループワークを行うための目と心と手」
というテーマで
グランドルールを設定しています。

「手」はグループワークの手法などの
技術的なことですが、
「心」と「目」については
次のようにまとめています。

【グループワークを行うための3つの心】
① 自分の意見を主張するだけではなく、
 相手の話を引き出し、共感しあう場にしよう。

② グループ内でいい意見が出た場合、
 それを深め全員で共有しよう。

③ 失敗や、間違いを恐れず積極的に話そう。
 そして、それを気兼ねなく行える空気をつくろう。


上の3つのスローガンに込めた思いは
それぞれ「優しさを持つこと」
「当事者意識を持つこと」
「失敗から学び合うこと」です。

そして、これは、学習者に要求する
ルールだけではなく、
授業を行うものこそが
持たなければならない
マインドでもあると思います。

ここで述べた①②③を、
授業者の視点でまとめると
次のようになります。

① 教壇から降りて学習者と
 ひたすら対話する。

② 授業者が強引に
 本時のゴールに誘導しない。


次に、「目」は以下の3つにまとめています。

【グループワークを行うための3つの目】
① 鳥の目 
・今話していることが全体として
 どのように繋がっているかを、
 高いところから俯瞰してみること。
・見通すこと。一般化すること
 (ディダクティブな推論)。
 設計図を描くこと。

② 虫の目
・今中心となっている議論を
 深く掘り下げること。
・身の回りにあるものなどを
 例にあげてみる。
・具体的に考えること。
 帰納的に推論すること
 (インダクティブな推論)。
 試行錯誤すること。

③ 魚の目
・議論の流れを把握すること。
・相手の意見に共感、
 補強する意見を述べること。
 あるいは、反駁し、
 論点を明確にしていくこと。


(2) 深い学びを目指す授業

また、以前私は、
深いアクティブラーニングについて、
次のような図を
用いていたことがあります。

数学教室201805-01

ここでは、手と目と心ではなく、
脳(Brain)と手(Hands)と心( Mind)
としていました。

この3つがON状態(アクティブ)
であるとき、
主体的で深い学びが実現している
というモデルです。

今、この図をこんなカンジで
置き換えてみます。

数学教室201805-02

つまり、
「目」を「思考力・判断力・表現力」、
「心」を「学びに向かう姿」、
「手」を「知識・技能」という、
いわゆる学校教育法で
規定されているところの
「学力の3要素」を象徴するものとして
まとめてみることも
できるようにも思います。

(3) 「好き」と「わかる」と「できる」

最後にもう一つの「目」「心」「手」を
取り上げておきたいと思います。

それは、数学の授業が「わかる」ことを
「数学の目」、
テストなどの問題が「解ける」ことを
「数学の手」、
そして数学が「楽しい、面白い」
と思うことを「数学の心」
とするものです。
 
数学教室201805-03

私は、この「目」「心」「手」は、
その一つが強まれば、
他の2つも強まるような関係にあって、
互いに高められていくのが
本来の姿ではないかと思っています。

だから
「授業が楽しいから数学がわかり、
問題も解ける」とか、
「数学が解けるようになって、
数学が面白くなった」
といったつながりが生まれると思うのです。

一方、逆に
「授業がわからないのでできない。
だから数学は楽しくない」
という悪い循環も起こり得るわけです。

ところが、今、学校現場を見ると、
「数学は嫌いだけれど、
なぜかテストの点数は高い」
(表のGやCの場所)
というような傾向の生徒が
多く現れているように感じられます。

クラスの生徒たち全員が、
表のA~Hのどこにいるか、
その分布を調べるのは
大変興味深い試みであると思うのですが、
そこで生徒の特性がわかるというより、
むしろ授業を行う教師の佇まいが
浮き彫りにされるのではないか
と私は感じています。

数学的な余談、生徒との対話、
教具を用いて概念を見える化する、
実験・観察・アソビなどの
活動を取り入れる、
数学通信をつくる・・・

そういった「知的探求」を
時間の浪費と考え、
ぶっぱやく教科書を終え、
大量のプリントで追い込み、
ひたすら問題を解く技能を
叩きこむ授業。

あるいは、テストや提出物による
評価をモチベーションにした
管理型の授業。

そんな授業によって、
「できるけれど嫌い」
「テストの問題は解けるけれど
意味はわからない」
という生徒が生み出されているような
気がするのです。

そのような、教師のアプローチは、
子どもたちを「できる」ようにさせたい
という強い思いによるものであって、
だから、それは一つの生徒への
愛のカタチなのだという人もいます。

しかし、もし仮にそうだとしても、
そのことによって、
逆に数学を楽しむ「心」が奪われ、
自ら考えていこうとする「目」が
失われているのなら、
それは
「生徒のテストの結果をよくする」
ことよりずっと大きくて
深刻な問題であることに
教師は気づくべきです。




以下本題に入りますが
続きは「数学教室」で!