「ハンドボールクリニックと教育論」

昨日は午前中、花巻北高校の体育館で、
スペインでプレーするプロハンドボーラ―の
銘苅淳(めかる あつし)選手の
高校生対象のハンドボールクリニックが行われ、
私も見学をいたしました。

銘苅選手は、ハンドボール世界最高峰といわれる
ハンガリーリーグの2014年~2015年シーズンで
20試合120得点をあげ、
日本人初の得点王になった凄い人です。

プレーヤーとして活躍する傍ら、

「ハンドボールが、文化として、生活の一部になって
人生を豊かにするものとしてたくさんの人に
届きますように」

という思いを持って、ハンドボールの魅力を、
あらゆる場で精力的に
発信し続けている方でもあります。


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これは面白い!
愛知県の西真樹さん、みどりさん夫妻が
製作されたという立体作戦版です。
ゴールキーパーを極とした極座標で
位置関係を表示するわけですね。
数学の教材としても興味津々でした。


私は今回のクリニックに参加して、
いわゆる「学び」の本質について
多くのことを考えさせられました。

そうなんです。このクリニックは
ハンドボールの技術面の指導を超えて、
「主体的で対話的で深い」
学びの場でもあったのです。

だからこそ、私は彼の指導の様子を、
「教育論」「授業論」として受け止めていました。

そういう意味で、今回のクリニックは、
ハンドボールというジャンルにとらわれず、
多くの教師に観てもらいたい内容でもありました。

では以下に、私が授業論として感じたことを
いくつかまとめておきたいと思います。

【基礎・基本について】

最初の30分程は、
体幹を鍛える基礎トレーニングが行われました。

基礎ドリルというと往々にして、
ダッシュ100本とか、腕立て腹筋背筋とか、
局所的で「型どおり」の運動が中心になります。

選手は、指導者から与えられたそのようなメニューを、
歯を食いしばって黙々と「こなす」ことに
終始してしまいがちです。

まるで、「辛くて苦しいこと」自体が
基礎練習であるというコンセンサスが
指導者と選手の間に
できあがっているかのようにも思えます。

しかし、今回は、そのトレーニングの一つひとつに、
局所ではなく、複合的に
様々な筋力を鍛えるような
仕掛けが施されていました。

そして、何より、そのエクソサイズ自体が
面白さや楽しさを感じる内容だったことに
私はとても感心しました。

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心地よいリズム感とともに、
スピーディーに展開される
バラエティなエクソサイズの中で、
選手たちが生き生きと
楽しそうに活動する姿を見ながら、
私は、これを授業に置き換えて考えていました。

アクティブラーニングの話が現場に入ってきたとき、
こんな声をしばしば耳にしました。

「本校の生徒は、そんな授業の前に
まず基礎基本を身につける段階だ」

私は、

「じゃあそれならその基礎を身につける過程を
アクティブにできないか」

と問いかけました。

すると、

「うちの生徒は『できない』から、
板書をキチンとノートに書かせる習慣を
つけさせることが先決」

とか、

「そもそも授業とは黙々と基礎基本を
身につける場であって、
そんな賑やかしの授業をすると
収拾がつかなくなる」

などという答えが返ってきました。

つまりそこには、
「できない生徒」には主体的で自由な発想を
求めるような学びはむしろ害をなすこと、
そして、教師が一方向に語り、
それを生徒がひたすら受動するという学びを
是とするという発想が垣間見られます。

銘苅さんのトレーニングは、バラエティで、
それ自体が楽しく、選手のテンションが
どんどん高まっていきます。

また、基本的にペアによる活動なので、
自然と対話が生まれ、それがモチベーションに
つながっていくように感じられました。

感心したのは、
例えばメディソンボールを使ったエクソサイズでも、
全員が同じことをするのではなく、
自由な動きを意識的に入れることを
銘苅さんは強調されていることです。

つまり、言われたことをただ受動するのではなく、
そこに自分なりの創意工夫を入れていく
という自由度を与えているのですね。

私は銘苅さんの練習を見ながら、
基礎基本の中に「意欲」を生み出す仕掛け、
ペアワークなどによる対話的な活動、
自由度を与えること、
などといった主体的な学びを生み出す
指導者の力量について考えさせられました。

そして、そのように、
主体的に学びだすことによってこそ、
「基礎を行う」ことを自己目的化するのではなく、
広く応用されるための土台となる
本当の意味での「基礎力」が
培われていくのではないかと感じました。

【対話の重要性】

3対3のシチュエーションでのドリルの際、
意図がきちんと把握されず、
単に「形式的」な動きになっている選手がいました。

それを察知した銘苅さんは瞬時に、
わかっている選手が、
わかっていないと思われる人に
説明をするよう促します。

彼はこう言います。

「わかっていると思っていても、言語によって
人に説明できなければ
わかっていることにはなっていない。
人に説明をすることによって、
自分自身の理解も深めていく」

その結果、単に黙々と「こなす」練習から、
グループ内での対話が起こり、
練習の深まりが生まれていきました。

これはまさに、他者へ説明する活動が、
他者のためばかりではなく、
自分自身の深い理解に結びついていくという、
学びの本質を射ている話だと膝を打ちました。

【即時フィードバック】

銘苅さんは、多くを語りません。
語る内容はシンプルです。

しかし、その後の選手の活動をしっかり観察しています。

そして、選手の失敗事例を見つけた瞬間、
それを全体にシェアしながら個に返していきます。

また、ちょっとしたいいプレーに対して
「ナイスプレー」という評価を「瞬時」に返します。

凡百の教師は、生徒に活動をさせず、
ひたすら一方的に語り倒します。

そのような教師は良い指導者とはいえません。

良い指導者は、学習者のパフォーマンスを
注意深く観察します。

その中で、よい活動には
即時にフィードバックを与え、
また、失敗事例を材料にしながら
高い学びに学習者を導きます。

【自由というキーワード】

銘苅さんはとにかく「自由」という言葉を
盛んに語りかけていました。

「君たちには自由を与えている。」
「自由が与えられたことを楽しみなさい」
「自由によって責任も生まれている」

等々

例えば、3対3の攻防のドリルにおいて、
単にパターンを「こなす」ことを
目的化するのではないことを、
銘苅さんはこのように表現されます。

「ディフェンスが自由な発想で動きをつくることで、
オフェンスも自ら考え出し、
そこにアイデアが生まれる。」

つまりディフェンスとオフェンスの
両者の自由な発想によって、
新しい価値が生まれるということですね。

授業でいうならば、先生が話したことを
単純に鵜呑みにするのではなく、
そこから派生して自分で考えだすことが
いかに大切であるかということだと思います。

あるいは、他者との対話によって、
新しい気づきが生まれる
ということでもありましょう。

学力の3要素の中に
「思考・判断・表現」という観点があります。

それは、受け取った知識を、
自分の中で咀嚼し深めたり、
自由な発想でその枠を超えて、
更に新しい知識を編み直していく
過程でもあると思います。

【転移する学び・生きる力】

未だに多くの教師は、アクティブラーニングを、
学習定着率を効率的に高めるメソッドと
勘違いしています。

そして、その結果を模試の偏差値や
大学進学実績に求めようとしています。

アクティブラーニングとは
「主体的で対話的で深い学び」を実現すること。
そして、アクティブラーナーをつくることです。

アクティブラーナーとは、
「学び方」を会得した人間であり、
だからこそ、生涯にわたって学び続ける力、
学んだことを他の領域に転移させる力を
持った人だと思います。

銘苅さんは、最後に選手たちを集めて
こんなことを言いました。

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「ハンドボールをすることによって、
皆さんがハッピーになって欲しい。
そのためには、失敗を恐れずトライすること。

自由が与えられたら、その自由を
もっと楽しまなければだめです。

皆と一緒でいいですよ、
先生もっと教えてください、
何て言っているようでは全然だめですよ。

そして、自分をもっと高めるという
楽しさを身につけると、
それはハンドボールだけではなく、
他の世界にもつながっていきます。

だから、皆さんがハッピーになったら、
そのことによって、皆さんの周りの人間を
ハッピーにしていく。
そういう人になってください。」

ハンドボールという競技における
技能の向上に留まらず、学び続ける楽しさ、
そして、他者をハッピーにするという
大きな目標が語られ、
濃密な2時間が締めくくられました。
本当にあっという間の2時間でした。


今回のクリニックが始まる前に、
私は銘苅さんとほんの少しだけ
お話をさせていただきました。

でもそのほんの一瞬のうちに、
彼の逞しい身体だけでなく、人の心を掴み、
場の空気を変えてしまうオーラを強く感じました。

そして、身体だけではなく
頭がとても良い方であることも
瞬時に理解できました。

その頭の良さとは、
知識がいっぱいあるということよりも、
「学び方を熟知している」というイメージです。

だからこそ、あらゆることに、
彼の身につけた「学び方」が波及、転移され、
それが彼の生きる力、魅力として
体現されているのだと思いました。

銘苅さんありがとうございました。


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「私の本棚 ~数学が大好きになるこの一冊~」

図書館前の「私の本棚」
第2弾も私が担当させていただきました。

今回は「数学が好きになるこの一冊」と題して、
私の本棚にある本から
とりあえず何冊かを持ってきて陳列しました。

数学本01LT

数学本02LT

数学本03LT

それぞれの本のキャプションは以下の通りです

●「数学用語と記号物語」
●「授業を楽しくする数学用語の由来」
 (片野善一郎)

「正弦はなぜsinか」
「関数はなぜfunctionなのか」など、
数学用語に関する話題が豊富です。

そして、その語源や歴史的流れを知ることで、
その本質に迫ることができる内容になっています。

授業での話題や、生徒の疑問に答えるためにも、
教師必携の本でもあるかもしれません。

●「博士の愛した数式」(小川洋子)
80分しか記憶が持たない数学者「博士」と、
「私」と「ルート」のピュアで、知的で、
そして切ない愛の物語。

博士の愛した数式はご存知
e^(πi)+1=0 ですが、
このストーリー全体のモチーフとして
「完全数」を中心とした数論の面白さが
取り上げられています。

生徒に読ませたいし、この本を使って
授業を展開するのも面白いですね。

尚、著者と藤原正彦氏の対談集
「世にも美しい数学入門」もお薦め。

●「天地明察」(冲方丁)
江戸時代の天文学者(であり
碁打ちで数学オタク)の渋川春海の
生涯を描いた時代小説。

春海が全国を測量し、
日本の新しい暦法を策定するまでの過程が
見事に描かれています。
関孝和などの和算家も登場しますが、
あらためて、江戸時代の
日本の優れた知性に感動を覚えます。

和算がらみの小説では
「算法少女」(遠藤寛子)もお薦め。

●「赤いぼうし」(美しい数学シリーズ)
(画:安野光雅 文:野崎昭弘)

安野画伯は日本を代表する絵本作家ですが、
数学・科学にも造詣が深いですね。

私は学生時代「数学セミナー」(日本評論社)に
連載していた氏の「算私語録」の大ファンでした。

絵本とはいっても、友人である
野崎昭弘氏という格別の数学者との共著なので、
実は組合せ論や論理に関する
堂々たる数学書でもあります。
巻末に大人向けの解説もついています。

尚、安野氏の絵本では、
「はじめてであうすうがくの絵本1~3」もお薦め。

日本にはこんなに凄い絵本があるのに、
眠ってしまっているのは本当にもったいないですね。

●「数の悪魔」(H.M.Enzensberger 訳:丘沢静也)
数学の本は売れるといっても
たかが知れていますね。
でも、10数年前にこの本の初版が出たとき、
一般の小説などを凌いで
空前のベストセラーとなったのです。

子ども向けに書かれていますが、
数学に落ちこぼれた大人達が、
この本で数学の面白さや楽しさに
目覚めたという声も多かったようです。

数学教師としては、著者の講演を記録した
「数学者は城の中」も読みたいところです。

●「虚数の情緒」(吉田武)
「虚数の情緒」は、表紙に
「中学生からの全方位独学法」とあるように、
中学生の知識があれば
独学で読み進められる構成になっています。

1000ページにも及ぶその内容は
とても深いのですが、
わかりやすい記述と興味をそそる豊富な内容で
読者をぐいぐい引きつけます。

吉田氏の著書では「オイラーの贈物」も名著です。
私は昔、数学科を志望する生徒にすすめていました。

●「数学とは何か」
(R.Courant H.E.Robbuns 訳:I.Stewart 森口繁一)

数学の様々な分野の基本概念が
系統的に書かれています。
数学というと「解析」「線形代数」など分野ごとに、
独立に勉強することが多いですね。
確かにその中で、専門性は磨かれるのでしょうが、
横断的に数学を見渡すことができない
という欠点もあります。

この本は、古典から現代までの数学グラフィティとして、
高いところから数学全体を鳥瞰する本です。

「数学とは何か」に対する
答の輪郭が見えてくるかもしれません。

●「The Mathematical Experience」
(P.J.Davis&R.Hersh)

格調が高く、高校生には難解で
読み進むのが大変かもしれません。
でも、数学とは何かという命題に対して、
正面から大上段に振りかぶって攻めてくる、
ある意味崇高な哲学書でもあります。

各セクションのテーマも詩的で、
文章表現も美しいです。

人気ミステリイ作家(大学の助教授でもある)
森博嗣氏の「笑わない数学者」にも
エピグラフとして引用されています。

「数学の精選話題」や「教授と学習」など
興味をそそる話題も多いですよ。

●「UniversaL PatternS」
 (Martha Boles & Rochelle Newman)
●「Image of Infinity」
 (Ray Hemmings & Dick Tahta)
●「The Surface Plane」
 (Martha Boles & Rochelle Newman)

この3冊は、1992年にカナダで行われた
ICME7(国際数学教育者会議)の会場で
購入したものです。

見ているだけでインスピレーションが湧いてくる、
数学とアートの魅力満載の書です。

●「数学スナップショット」(H.Stainhaus 訳:遠山啓)
この本の初版は1957年なので60年前ですね。
でも、その着眼のユニークさ、
数学の美しさを追求するセンスは
今でも色褪せていません。

例えば、「立ち上がる正12面体」は
私の得意の授業ネタですが、
ルーツはこの本にあります。

尚、訳者の遠山啓の「数学入門(上下)」は
教師にも生徒にも読んでほしい本ですね。


●「フラクタル音楽」(Martin Gardner)
学生の頃、ガードナーの「数学ゲーム」の本を
貪り読んだ時代がありました。

この書は、その「数学ゲーム」からの抜粋版です。
私は、この本に出てくる
「褐色音楽」の話題にヒントを得て、
ハノイの塔の音階を作り、
私のホームページのオープニング曲にしています。

また、盛岡三高の教員時代に
「30個の立体パズル」を作って生徒に出題したところ、
数学の成績が良くなかった女子3人が
奇跡的に解き、大喜びして私に完成したパズルを
持ってきてくれたことがありました。

彼の本との出会いは
自分が数学教育の世界に進むきっかけに
なったようにも思います。

私の目指したワクワク数学の授業の
原点といってもいいかもしれません。

●「「無限」の考察」(足立恒雄・絵:上村奈央)
誰もが「無限」について
考える時があると思います。

無限は神秘で、不思議で、
そして魅力的な概念ですね。

本書は、この「無限」というシロモノを
解析、幾何、集合の3つの数学的視点から
分かりやすく解説してくれます。

書店で立ち読みしたとき、
添えられた絵がとてもステキだったので
思わず買ってしまいました。

この本を読んで、
数学はやっぱりセンスオブアートが
大切だなあと思い、授業の中に
積極的に絵を取り入れようと思うようになりました。

●「アキレスとカメ」(吉永良正・絵:大高郁子)
「「無限」の考察」と同様の装丁、
どちらも講談社からの出版です。
この書は、ゼノンの4つのパラドクスを
図解入りで分かりやすく取り上げています。

それは単なる論理の遊びを越えて、
哲学の世界を展望する読み物になっています。

数学は問題を解く技能を競う学問ではなく、
世界はどうなっているかを読み解くために、
問いを立て続けていく営み、
つまり哲学と言えます。

高校生の時代に、
哲学としての数学を味わって欲しいと思い、
この本をピックアップしました。

●「フラットランド」(Edwin Abbott Abbott ・Ian Stewart)
●「2次元より平らな世界」(Ian Stewart 訳:青木薫)

「フラットランド」は1884年に敢行された科学書。
幾何学に関する数学書であり、
また物理学の古典であり、
また社会を風刺する小説でもあります。

原典を読んだことはないのですが、
2002年にイアンスチュアートの注釈によって
リメイクされたものをピックアップしました。

そしてその後、その「フラットランド」の発展版として
「フラッターランド(2次元より平らな世界)」が登場します。

いやあ、この「フラッターランド」の
面白いこと面白いこと。
一気に読んで、あまりに面白くて友人に貸したら
未だに返ってこないという。

次元というくくりで、数学の全体像を
とても楽しく提示してくれるオススメの書です。

●「見える数学1」(西三サークル)
この本は、「西三サークル」という
愛知県の高校教師を中心とした
数学サークルの面々が開発し、
実践した手作りの教材を集めたものです。

教具や図解などのシェーマは
数学の概念を「見える化」します。

そしてモノを使って楽しく学ぶことで
数学に対する親近感を抱くことができます。

西三サークルの先生方の、
「数学ってこんなに楽しいんだよ」っていう思いが
ビンビンと伝わってくる本ですね。

●「ディオニシウスの耳」(湯川薫)
SF(サイエンスフィクション)はよく耳にしますが、
今はMF(マセマティカル・フィクション)
という言葉もあります。

私はかつて、工学博士の森博嗣の
「すべてがFになる」「笑わない数学者」
などのシリーズにハマり、
シリーズの作品を全部読みました。

本書は、理学博士でもある湯川薫氏の
サイエンスミステリーです。

モーツアルト暗号と呼ばれる楽曲や、
回転楕円体のトリックなど、
数学、物理、音楽の話題が
散りばめられています。
彼の「虚数の眼」も面白いです。

●「数学の不思議」(Calvin C.Clawson)
数学の面白さの一つは、
誰もが取りかかれるようなシンプルな問いの中に、
美しく、不思議で、深くて神秘な世界が
横たわっているということではないかと思います。

この「数学の不思議」は、そんなシンプルで、
知的好奇心をくすぐる数学のトピックスが
たくさん散りばめられています。

そして、それを楽しく味わっているうちに、
数学の世界がどのように進化発展していったかの
概観をイメージすることができると思います。

●「数学と論理をめぐる不思議な冒険」
(Joseph Mazur)

「論理」「無限」「現実」という3つの章立てによって、
数学の歴史的な興味深い話題を取り上げ、
物語的な構成によって、
数学とは何かということに焦点を当てています。

そこに、数学とは
理系の研究者のための学問ではなく、
広く賢い市民になるための教養として
広めていこうという著者の思いを感じます。

●「つながる高校数学」
(野崎昭弘・何森仁・伊藤潤一・下町壽男)

すみません。ちゃっかり拙著を入れました。
従来の教科書の見方、切り口を少し変えて、
高校数学の全体像を見渡そうという思いで作った本です。

それぞれの単元に「エクスカーション」を入れて、
発展的な内容を展望するような構成になっています。


●「フーリエの冒険」(ヒッポファミリークラブ)
ヒッポファミリークラブ(言語交流研究所)のメンバー、
数学についてほぼ素人の集まりが、
フーリエ級数を「自分たちの言葉」で
理解していく過程を一冊にまとめたものです。

このシリーズには他に
「量子力学の冒険」「DNAの冒険」があります。

まさに知の冒険という趣です。
この本から、主体的で対話的な学びが、
楽しさとともに、限界を突破する
強靱さを持つことを感じました。

●「話題源数学」(編集代表:吉田稔・飯島忠)
高校や大学の先生方が、数学の様々分野における
面白そうな話題を綴った教材集です。

ほぼ1~2ページに1話題というコンセプトなので、
とても読みやすいです。
授業でのワンポイントとして使うのもよし、
時々パラパラとページをめくって、
興味ある表題を見つけて眺めてみるもよし、
自由研究のネタ探しに使うもよし、
数学好きには手元に置いておきたい本ですね。

●「ニャロメの面白数学教室」(赤塚不二夫)
この本は、私が以前、
花巻北高校に勤めていたとき、
生徒からもらったものです。

「先生好きそうだから」

といって渡してくれました。
これは赤塚不二夫が
たくさんの数学の書物を参考にし、
2年以上かけて大マジメに取り組んだ
200ページもの作品です。
赤塚不二夫氏のあとがきには
次のように書かれています。

「最初、ぼくは驚きの連続でした。
なにしろ、ただの計算だけの世界だと思っていたのが、
完全な間違いだったからです。
冷たく見える数式の裏側には、
ショッキングなドラマが隠されていました。
何十人、何百人の大天才たちの驚くべき発想!
ゼロの発見と、マイナスの発見。確率の面白さ。
微分・積分の神秘。
どれをとっても興味がつきません。

何でこんなに面白く、スリルに富んだ数学の世界を、
ぼくらの先生は教えてくれなかったんだろう。
数式を書き並べ、
計算方法を教えてくれるだけだった授業を、
こんなに呪ったことはありません。」


まだまだ紹介したい本はありますが
取りあえず今回はこんなところで。


 

「心温まるエピソード」

6月10日に、地区PTA紫波支会の
総会と研修会が行われました。

今回は、私から1時間程
お話をさせていただきました。

まとめとして話したことの一部を
以下に記します。




最近、心温まる出来事があったので紹介します。

それは、こんな話です。

朝、学校に地域の
交通指導員と名のる方から電話が来ました。

電話を受けた生徒課長は
「生徒の自転車通行についての苦情だな」
と思ったそうです。

しばしば、自転車の並列走行などについての
ご指摘を地域の方からいただくことがあるからです。

でも、そうではなかったんです。

電話の声の主はこういいました。

「今朝、花巻北高校の生徒が、
私たち交通指導をしている3人に
手紙を渡してくれました。
その手紙には、これまで毎日、
子どもたちの交通指導をしてくれて
ありがとう、
優しく声をかけてくれてありがとう、
という感謝のメッセージが綴られていた」


そして、手紙と一緒に
お菓子もいただいたというのです。

その方は感激し、
学校にそのことを伝えたくて
矢も立てもたまらなくなり、
電話をかけてくださったのだそうです。

彼は、電話しながら、
感極まって号泣したそうです。

花巻北高校は、勉強でも部活動でも、
他者と競い自分を磨く場であります。

では、そのように互いに切磋琢磨する
究極の目標は何でしょう。

私は、人への優しさを持った
人間になるためだと思います。

自分が経験した悲しみや
苦しみを乗り越える中で、
他人の胸の痛みを
心の底から理解できること。

そんな優しさを持った暖かい人間に
なるということが、
学びや部活の目指す
大きなゴールではないかと思います。

そして、そういう優しさを持つことは、
世の中の理不尽や不条理に声をあげ、
立ち上がる強い人間として
生きることでもあると思います。


 

あなたは成仏できましたか?

6月8日に3学年PTAが行われました。
なはんプラザで研修会を行い、
その後、ホテルグランシェールに移動して
懇親会という、例年にない、
ガッツのある試みでした。
懇親会もとても楽しく、実り多き会でした。

高総体が終わり切り替えの時期を迎え、
3学年の保護者の皆さんの
気合を感じた一日でした。

冒頭の私の挨拶では、「切り替え」について
お話をさせていただきました。

以下に紹介します。




本日はお忙しい中お運びくださいまして
ありがとうございます。

3年生の特に運動部の生徒の多くは、
高総体を終えて、
ひとくぎりついたのではないかと思います。

だから、切り替えて
今度はしっかり勉強に向かいなさい、
ということを殆どの人はいうかもしれませんね。

でも、私はその前に、
「ひとくぎりつける」ということを
掘り下げてみたいと思います。

確かに、高総体は終わった。
だから時間的にはひとくぎりである。

しかし、そのとき、自分の心の中にも
「ひとくぎり感」があるかということです。

自分がやり遂げた感、
つまり心が成仏されているか
ということが問題です。

成仏されないまま、
「終わったんだから次に向かえ」と
外側にいる人間がいうのは
無責任なことのような気もします。

また、私としては、次に向かうのであれば、
その出だしのパワーを
最大にしていきたいと思うのです。

そのためには気持ちの整理、
心がすっきりと成仏されることが
必要ではないかと思うのです。

皆さんのお子さんは成仏されましたか?

先日、ここにいらっしゃる理事の
瀬川さんのフェイスブックの記事を見て、
とても感動しました。

娘さんの高校での部活が終了し、
東北大会へは行けなかったけれど、
これまでの未経験者で苦しんだ日々、
勉強との両立に頑張った日々について、
万感の思いで綴っていました。

そして、最後はこういう言葉で締めくくっていました。

「これからは大学受験に向けてまっしぐら。
文武両道で頑張ってきた2年は
決して無駄ではないはず。
志望校合格に向かって頑張れ!
でもまずは、好きなもん食べな」


私は、この記事を読みながら、
こうやって子どもが頑張ってきたことを認め、
激励し鼓舞しつつ、でもそれと同時に、

「好きなもん食べな」

という優しさにつつんであげる。

これが次に向かわせるパワー、
成仏させることにつながるのかなあと思いました。

そんな家族の愛に見守られた子どもたちは、
結果を云々する前に、
すでに紛れもない勝者であると私は思います。

なぜなら、そのような親の愛の力は、
単に競技の結果を左右することなどより、
ずっと大きなものを与え続けてくれるからです。

そして蛇足ですが、瀬川さんの記事を読むと、
成仏するべきは子どもだけではない、
親もなんだなあと思いました。

瀬川さんはこの記事を書きながら、きっと
自分の気持ちを整理しているんだなあ、と。

親の気持ちも成仏し、前に向かうためにも
この学年PTAの意義があるのかもしれません。


さて。

高総体ではアーチェリー部が
盛岡工業の団体30連覇を阻む
劇的な優勝を勝ち取りました。

剣道部の山口君は
他を寄せ付けない強さで個人優勝し、
インターハイ出場を決めました。

また、昨日の新聞報道にもありましたが、
放送部が高総文祭放送部門大会
兼NHK杯のラジオドキュメント部門で
最優秀賞を受賞する快挙を成し遂げました。

朗読部門の高橋美綺さんと
校内放送研究発表会の3部門で
全国に進むことが決定しています。

全国大会に進むものについては、
校門前に垂れ幕をかけておりますが、
今年度に入って現在、
10本もの数を数えることになりました。

そのような華々しい結果に
我々は注目しがちですが、
でも、一方で
本当に悔しい思いをした選手達もいるのです。

剣道部は女子が先月、8年ぶりで選抜大会を制し、
今回の高総体では
男女アベック優勝を狙っていたと思います。

本当に紙一重の戦いでした。

でも残念ながら勝利の女神はほほえみませんでした。
男子は大将戦に持ち込めず準優勝でした。

思えば、昨年度の高総体ハンドボール競技では、
決勝で不来方高校に
1点差に敗れたことも記憶に残っています。

私は考えます。

なぜ生徒達は部活動に熱中し、
そして学校としても部活動を重要視するのか。

それは、個人や学校の名誉のためではありません。
そんなことよりもっと大事なことがあるからです。

それは、部活動が
生きる力を身につける場だからです。

そして、それは失敗や負けるショックによって、
培われていくと私は思います。

潜在能力の氷山モデル
といわれるものがあります。

古来人間は、多くの能力を持っていましたが、
快適な環境の中にいる中で、
それを発揮する機会を失ってしまい、
それが潜在的なものとして
見えなくなったというものです。

そんな中、人間がショック受けたり、
厳しい環境に身を置く状況が生まれると、
水位が下がり、氷山が浮かび上がります。

つまり、そこに眠っていた潜在能力が
「いよいよ俺の出番だ」とばかりに
顕在化するというのです。

個人的な話で申し訳ありませんが、
私は先日3日間の断食を終えました。
昨年から4度目になります。

これは、自分の体に安全なレベルでの
ショックを与えることで、
眠っている能力を呼び覚ます
という意味もあるのだそうです。

私は断食によって、ある種の能力を
自覚したような気がしています。

話を部活動に戻します。

部活動は、いわば「負けるための練習」
をする場でもあると思います。

つまり、安全なる失敗体験を
積む場でもあるわけです。

生徒は失敗に学び、強くなる。

昨年、決勝で、1点差で涙を飲んだ
ハンドボール部の3年生8人は、
全員が国公立大学に合格しました。

それは、きっと、自分の中に眠っていた能力が、
負けたショックを自分で受け止め、
それを成仏させることで
開花していったと私は考えたいと思います。

バスケットボールのマイケルジョーダンは
こう言っています。

「何かを始めるのは怖いことではない。
怖いのは何も始めないことだ。」

失敗や負けることを恐れること、
失敗を回避するように生きる事で、
能力は衰退します。


子どもは基本的に、限界はないのです。
親や教師が限界を与え、
子どもの能力を見切ってしまうと、
子どもの成長は止まります。

子どもが自分の力で学びだせば、
限界を突破します。

私は、先日行われた吹奏楽部の定期演奏会で、
その演奏だけでなく、素晴らしいMC、ダンスや寸劇、
アンコールでの合唱等々の、
自分たちで創り上げたパフォーマンスを見て
そのことを確信しました。

つまり主体的な学びほど
強いものはないと思いました。

私たち大人は、
そんな生徒みんなが持っている能力を引き出し、
尖らせるために、
最高の環境を整えていかなければならないのです。

今日は教職員と保護者が
そんな気持ちを一つにする
決起集会にしていければと思います。

ご静聴ありがとうございます。


 

アーチェリー男子団体見事優勝!

先日、アーチェリー競技で
高総体団体優勝を決め、
見事インターハイ出場を決めた
本校の加藤太一君、阿部魁徒君、
村上涼君、入倉穣彦君の
4人の団体メンバーが
校長室を訪れてくれました。

6月5日の岩手日報にも
大きく報道されましたが、
1988年から続いていた盛岡工業高校の
30連覇を阻止する歴史的な勝利でした。

厳しい環境の中で、
よくぞこのような成果をあげたと思います。
大いに栄誉を讃えたいと思います。

この勝利は男女含めた部員全体、
指導してくださっているコーチの方々、
そして声援を送り続けてくれる保護者、
卒業生の力によるものではないかと思います。

おめでとう!

全国大会での更なる活躍を期待します。

アーチェリー団体01LT