「Zoomオンライン革命」

今世紀、私の中での最大の出来事の一つは、
田原真人さんとの出会いです。

現在、「能力」の定義の一つとして、
コンピテンシーという概念が
取り上げられているわけですが、
彼と出会った時、OECDのDeSeCo計画
(Definition and Selection
of Competencies Project)
が言っているキーコンピテンシーの意味が
わかったような気がしました。

2年前、田原さんからインタビューを受けたとき
「反転授業の本質は、
教師が教室で権威にならずに、
主体的な学習の支援に回ることにある。
教師が権威になると、
生徒が自分で考えるのを止めて、
教師から答を求めるようになるから」
という彼の言葉が印象に残っています。

そして彼が主宰する
「反転授業の研究」グループのポリシーも

「グループの中に権威を作らず、
全員の関係をオープンでフラットにすることで、
誰もがリーダーシップをとって
主体的に振る舞えるようにしていく
ということを目指している」
とのことでした。

さて、そんな彼が満を持して執筆した
「Zoomオンライン革命」が出版され、
先日私も手に入れました。

zoom01LT.jpg

この本はZoomという
優れたweb会議システムを紹介する内容ですが、
それは単なるノウハウ本ではありません。

彼はZoomというテクノロジーを介しながら、
教育の周辺に横たわる問題点に
鋭くメスを入れ、
そしてそれを改革しようと
全国各地で奮闘している人々に
スポットを当てています
(因みに昨年花巻北高校で行った
ハイブリッドワークショップも
取り上げていただきました)。

zoom02LT.jpg

彼は、
「思いを持って行動しようとしている人を、
エンパワーして尖らせる」
まさに未来型のリーダーシップを
発揮されている人物だと思います。

田原さんのことを書いたブログの記事は
多数あるのですが、
以下に3つほど紹介いたします。

「発信力より受信力」→
「神は宇宙という書物を・・」→
「真性粘菌のメッセージ」→





 

第51回クリエイティヴサロン

だいぶ以前の話になりますが、
10月14日に東北文化学園大学で行われた
「日本創造学会第51回クリエイティヴサロン」
についてまとめてみたいと思います。

私は、

「育みたい生徒像に基づいた
学校ぐるみですすめるアクティブ・ラーニング」

というテーマで第一部の講演を
させていただきました。

創造学会講演01LT
(写真は参加者の多々良穣先生からいただきました)

事前にアナウンスしたアブストラクトは
以下の通りです。

我が国におけるアクティブ・ラーニングは
しばしば「ラーニングピラミッド」を伴って登場し、
「学習定着率を高めるスペシャルなメソッド」
という文脈で語られてきた面がある。

しかし、その後、様々な議論を経る中で、
アクティブ・ラーニングは、
単なる授業手法を越えて、
「生徒が主体的に学びに向かう状態として」
「アクティブラーナーを育てる組織論として」
「未来に生きる子ども達を送り出すための
教師の見識として」
リメイクされ語られていると考えている。
本講演では、それらに応じて、
「主体的・対話的で深い学び」
「カリキュラムマネジメント」
「教師のマインドセット」の3つの視点に立ち、
盛岡三高の「参加型授業」の取組や、
現在花巻北高校で行っている
「花高活性化プロジェクト」
の実践を紹介しながら
アクティブ・ラーニングを問い直したい。

教師が主体性を持ち、自らの言葉で語り、
自分たちの意思で創り、進める学校改革の
ヒントとなれば幸いである。



直前までいろいろな用務があって
なかなか講演資料を
作ることができませんでした。

仙台に出ける直前に作ったスライドです。

自己紹介創造学会

時間の節約のため、
自己紹介を10秒で行うためにつくりました。

講演の内容は、先日熊本で話した
子どもの主体化についてが中心でした。

教師は、キャッシーデビットソンや
マイケル・オズボーンの言葉を
判で押したように引き合いに出し、
社会のドラスティックな変化を語り、
だから生徒は変わらなければならない
と唱えます。

そして、子どもを学校教育の内側、
つまり、教師の掌の上で変えようとします。

でも、私が思うのは、そもそも子どもは
主体的な存在だったのではないか
ということです。

それが教育という「社会化」のフィルタによって、
「主体な」自分がどんどん潜在化して
しまっているのではないか
という気がするのです。

とすれば、教師は、生徒を変えようと、
過剰に足し算をするのではなく、
むしろそんな過剰な自分の鎧を脱ぐ、
引き算をすることが必要なのではないか。

つまり、子どもたちに
「知識や技能」と同様のやり方で
「主体性」までも叩き込もうとするのではなく、
そもそも既に持っている主体性を
「あるがままに」顕在化させるように、
教師のマインドや学校教育の在り様を
変えていくことが必要ではないか
といった話ですね。


さて、私の講演の後に行われた、
石井力重さん(アイデアプラント代表)の
ワークショップがとても面白かったのです。

そのワークの中で、
アイデアスケッチを描くという活動がありました。

漫画の描き方のショートレクチャを受けた後、

「主体的、対話的、深い学びを
達成するための方策を考える」

というテーマで、思いつくアイデアを
A4の紙に描き、それを共有し、
深めていくというものです。

ほんの数分の活動なので、
ざっくりとしか描けませんでしたが、
想像力・創造力がかきたてられ、
とても楽しい時間を過ごすことができました。

私のアイデアは下に示すようなものです
(星17個もらいました!)。

創造学会ワークLT

一応解説します。

「主体的で対話的で深い学び」を実践しようと、
アクティブなティーチャーたちが、
優れたコンテンツを開発し、
一生懸命授業を行います。

それは素晴らしいことでしょう。

でも、それをシャワーのように浴びせられる生徒は
結構タイヘンですね。

そこで、それぞれのコンテンツの充実から、
そのコンテンツ相互の繋がりを
コーディネートすることを考えるという提案です。

基本的に50分×6コマなどという
授業時間は固定しません。

例えば、月曜の1時間目は10分にして
マインドフルネスの時間にするとか、
ある日の数学は20分で
別の日はフィールドワークを入れるから
120分にするとか、
この日は化学と歴史の合教科で行う等々。

そういったことを教科間の連携を促しながら
学習者とともに創造していくというプランです。


ちなみに、石井さんのホームページに、
この日の様子が詳しく書かれております→★★


最後に、上にあげたようなことを書きながら
思ったことを以下に記しておきたいと思います。

今、私たち教師だけではなく
あらゆる人たちが教育を語っています。

いろいろな課題が出され、
そしてこうすればいいのではないかと
様々な提案がなされます。

もちろん、このように広く教育が語られることは
大変好ましい状況だと思います。

しかし、私たち教員は、
そういう意志と言葉を持っているだけではなく、
それを実体化するものでなければならないのです。

するとその時、
「学習指導要領の法的拘束性」、
学校の人的管理、物的管理、運営管理は
教育委員会が行うという「設置者管理主義」、
センター試験などの「大学入試への対応」、
あるいは「格差や貧困」
など多くの壁にぶち当たるのです。

それは「同僚や上司のマインドセットを書き換える」
「カリ・マネで組織を変える」などとは
また次元のことなる構造的な問題です。

だからそういった壁を避けて
「主体的で対話的で深い学び」を提供するという
教師個々の自助努力や、
責任の所在をすべて教師や
その集団の在り方に求めるなど、
教師の内側に向かっていくロジックだけでは、
実体化は果てしなく厳しいと思うのです。

そうなると、もはや公教育はアカンと見切りをつけて、
オルタナティブの方向で
パラダイスを築けばいいという
話しになってしまうのでしょうか。

でも、多くの教師は、
そんな火中でもがきながらも、火の粉を振り払い、
健気にその枠の中で工夫を凝らし、
目の前の子どもたちをハッピーにし、
彼らと喜びを分かち合っていこうとしているのです。

管理職の使命はそんな彼らに光を当て、
ダブルバインドにメスを入れる存在に
ならなければと思うこの頃ですが、
自身の無力を感じるばかりであります。

そのような中で、志を共にする仲間と語り、
支え合いながら光を見つけていきたいものですね。


 

「内なる子ども・内なる大人の調和」~PTA研修会での講演~

もう一週間以上も前の話ですが、
19日に石鳥谷地区PTAの集まりがあり、
講演をいたしました。

話す内容が直前まで決まりませんでしたが、
最近あちこちで「主体化と社会化」
の話しをしているので、
それを保護者向けにリメイクして、

「内なる子ども・内なる大人の調和」

というテーマでお話ししました。

その内容を、週末にスライドにまとめて、
23日の月曜日に行われた
1学年PTAでまた講演を行いました。

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タイトルは

「子どもの『学力』を培うための学校と家庭の役割
~『内なる子ども』と『内なる大人』の調和~」

としました。

家庭における「過保護」「過干渉」などの問題は、
学校教育に見られる「一方向的叩き込み」
「教師の過剰なコントロール」という状況と
構造的に似ています。

つまり、保護者と教師は
子どもの学力を促進するための同志であり、
また一方、子どもの主体性をスポイルする
共犯関係にある者でもある
ということではないかと思います。

だからこそ、家庭と学校が目線をあわせて、
「学力を身につける」ことより
「学力を奪わない」教育を共に行っていくことが
必要ではないかというカンジでまとめました。

台風禍の中にもかかわらず、
150人を超える保護者の方が参加され、
熱心に聞いてくださいました。

ありがとうございました。

以下、スライドからいくつかを紹介いたします。

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1GPTAスライド04LT

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1GPTAスライド02LT

PTA資料1LT

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生徒総会での挨拶

昨日、生徒総会が行われました。
そのときの挨拶を以下にまとめておきます。





今、NHKスペシャル
「シリーズ人体~神秘の巨大ネットワーク~」
という番組が放映されています。

この中で、人体のメカニズムに関する
最新の知見が紹介されているのですが、
実に面白いですね。

私が興味を引いたのは、各臓器が独立して、
それぞれの役割を担うのではなく、
臓器が互いにおしゃべりしあうこと、
つまり、ネットワークを形成して
互いに直接情報をやり取りしながら、
生命活動を維持しているという部分です。

私がこれまで人体について
抱いていたイメージは、
すべての臓器の司令塔として脳があり、
その命令に従属して
臓器が働くというものでした。

最新科学は、そんな常識を
覆したというわけですね。

私は、このような、脳からの指令を
上位下達で受け取るのではなく、
それぞれが互いに関連しあい、補完しあい、
全体として一つの調和を保つ
という人体のメカニズムは、
生化学に留まらず、
まさに組織論として学ぶべきものが
あるのではないかと感じました。

ここで、生徒会活動を考えましょう。

生徒会執行部を
生徒会活動の脳(ブレーン)と例えるなら、
部活動や、委員会や、クラス、
これらは臓器であり、
そこに所属する生徒は細胞です。

かつては、執行部のリーダーシップとは、
優れた企画を練り上げ、
それを末端まで伝えていくことができる
能力だったのかもしれません。

でも現在は、そうではなく、
互いにネットワークを築き情報を交換しながら、
あるいは、弱くなった部分を補完しあい
互いに影響を与えあいながら、
学校全体を活性化していくことが、
本来の生徒会活動の姿ではないかと思っています。

私は二十数年前、
大野高校という学校で
バスケットボールの顧問をしていました。

当時、私が体育館に足を踏み入れると
部員から「ご苦労様です」
という声をかけられました。

あるとき私が、「ご苦労様」という言葉には
違和感があるなあ、と呟いたら、
選手たちが一生懸命考えてくれて、
「お疲れ様です」という言葉に変わりました。

すると、その挨拶がバレー部など
他の部に伝わりました。

そうしているうちに、いろんな場にそれが転移し、
今では大野高校のすべての生徒が、
「お疲れ様」の挨拶を互いに交しあう
学校になったんですね。

つまり、バスケット部の
ちょっとした自発的な活動が、
学校の文化や習慣を変えることにまで
つながっていったわけです。
 
今朝、校門で男子ハンドボール部の生徒が
挨拶運動をしながら
道路の清掃を行っていました。
聞くと自分たちで考えたとのことです。

今日のお昼は、放送部が
アナウンス活動に取り組んでいましたね。

美術部のシャッターアートや、
家庭クラブを中心に生まれている
万葉植物園復興の動きなど、
今、皆さんの自発的な活動が
とても多く見られます。

これらが、個の活動から、
つながりを生み出し全体に波及していくような
ダイナミックなものに転じていけば、
学校力が増していくのではないかと思います。

今日の生徒総会が、
そういったことを促進する場になることを
願って挨拶とします。

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センター100日前集会② 目に入れた文字への思い

昨日行われた、センター100日前集会での
ダルマの目入れの様子を紹介します。

今年は、各クラスの代表6名が、
それぞれダルマの目に漢字1文字を書き入れ、
その思いを述べる形で進行しました。

6人が書いた漢字は

「今」「優」「為」「強」「貫」「空」です。

その思いをまとめると以下の通りです。

●「今」
センターをあと100日後に控えた今、
過去への後悔や未来の不安もある。
その過去と未来の分岐点である「今」、
あらためて「今の自分」を問い直し、
「今を大切に」したい。


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●「優」
2つの思いを込めた。
①「優」とは「すぐれる」という意味がある。
 努力を積み重ね優秀な成績を収めたい。
②「優」には「やさしさ」という意味があり、
 また「うれい」という字が隠れている。
 私はこれまで挫折を経験し、
 悔しい思いもしてきた。
 そんな時、顧問や担任の先生などの
 優しさに救われた。

 「憂い」を「優しさ」よってささえてくれる
 周りの方々への感謝の気持ちを表したく
 この字を選んだ。


●「為」
為すとは目的意識を持って行動すること。
「為せばなる、為さねばならぬ何事も」の精神で、
何を為すべきか考え、
そしてやればできるという思いをもち進んでいきたい。


●「強」
私は「強い人」になりたい。
模試の結果が思わしくないとき、
心が折れそうになる。
そんなとき、それに負けない「強い心」を持ちたい。
そして、高校入学時に思っていた
大学進学への「強い思い」を
失わずに生きていきたい。

人は人、自分は自分。
自分のやるべきことをひたすらやり続けていく。


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●「貫」
部活動で学んだ、思いを貫き通し、
最後までやり抜く気持ちを、
これからのセンター試験に向けての勉強にも
活かしていきたい。

できない理由を探すのではなく、
できる可能性を見つけ出す。
追い込みのこの時期こそ、だれよりも頑張る。


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●「空」
仏教用語の「空(くう)」を選んだ。
存在にはその実体となるべきものはなく、
万物は相互に作用し合って存在する。
そして日々の積み重ねこそが、私の存在だ。

そういう思いから、強い決意をもって
一日一日を大切に生きていく。



皆さんの、強い決意や感謝の気持ちを、
皆のものとして共有することで、
増幅させていこうという思いが伝わりました。

この様子を見守っていた
後輩たちにもきっと伝わったはずです。

最後に学年長から強い励ましのメッセージと
1・2学年からエールがおくられました。

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3年生の皆さん、あらためてこれからの日々を
充実させていってください。