「2学年講演会⑥」

何だかんだで、
2学年の講演会シリーズ6回目となりました。
今回の内容が、この講演会で
一番伝えたかったことです。




6 知識とは何か

さて、次に「知識」とは何か、
そして知識を生み出すサイクルとは
どのようなものかについて、
特に、昨年読んで感銘を受けた
「学びとは何か」(今井むつみ/岩波新書)
という本に書いてあることを参考にしながら
私見を話していこうと思います。

(1) 知識って何だろう
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上の写真は、私とある人が指した
将棋の対局の一場面から取り出したものです。
皆さんはこれを1分間だけ眺めて、
それを盤面に再現できますか。

恐らく将棋を経験したことのない人は
できないでしょうね。

将棋ができる人でも、
駒の種類や動かし方を知っている程度では、
再現できないと思われます。

でも、今ここにいる、佐野先生ならば
恐らくちらっと見ただけで再現できると思います。

なぜなら、佐野先生は花巻北高校時代、
将棋部で全国3位に輝いた方だからです。

佐野先生できますか?
(「できる」との力強いこたえがありました)


では、この図ならどうでしょう。

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(これはさすがにできないとのことでした)


そうですよね。

いくら佐野先生でもこれは再現できませんよね。


最初の図と二番目の図は、
盤上にある駒の数は同数です。

それなのに、なぜ最初の図は再現可能で、
二番目の図は無理なのでしょうか。

目の前にある事象を記憶するということにおいては、
どちらも同じではないか
と思う人もいるかもしれませんね。

それなのに、佐野先生はなぜこの図をチラ見
しただけで再現できると確信したのでしょうか。
(先生から話を伺う。
序盤の定石であることなどの説明がなされた)


佐野先生は、定石といわれました。
つまり、数学で言う定理や公式のようなものですね。

先生は、その定石を、
誰かに教わったり本で学んだりしたかもしれませんが、
それだけではないですよね。

他者との対局を繰り返すことによって、
きっと、生きて働く知識として
身についたのではないかと思います。

ちなみに、佐野先生は、
次の1手は何だと思いますか?
(「先手の飛車先の歩を突く」とのこと)

なるほど。さすがですね。
この図を見ただけで、次の差し手は
先手だとわかったんですね。

ここで、重要なことがわかりました。

この局面は、それ自体が
唐突に登場したものではなくて、
初手からの流れの中で
生まれたものだということです。

つまり、時間とともに移りゆく流動的な図と
佐野先生は捉えていたわけです。

だから、過去や未来の図さえ
イメージできるんですね。

私は、そこに、知識を生み出していく過程
のヒントがあるように思います。

最初の図には過去から未来に向かうメッセージ、
つまりストーリーが隠れているんですね。

それに対して二番目の図は
何らストーリーを持たない
(ストーリーを作り得ない)
無意味な情報なんです。

私は「知識」とは、盤面の図という与えられた事実と、
その背景にあるストーリーが一体となって
頭の中に整理され、進化している状態
のことではないかと思います。

意味のない情報を記憶する、
あるいは意味を捨て去って
ある事象を鵜呑みにするということであれば、
できるだけ余計なことは
排除するべきと考えられますね。

例えば「sdjhutnsklm」などという
無意味材料を記憶する場合は、
「情報量はできるだけ少ない方がラク」
「ひたすら繰り返し暗唱するだけ」
という方向で考えてしまうと思われます。

でも、

「しもまっちはシューズとサングラスと時計と
パーカーを買った。」

という文を覚えるときはどうでしょう。

「しもまっちは
『イーハトーブマラソンに出場するために』
シューズとサングラスと時計とパーカーを買った。」

というような情報を付加し、
ストーリー性を持たせた方が、
なぜその商品を購入するのかの意味が
理解できるので
記憶として定着されやすいはずですね。

例えば、ある先生が、
最初の図を生徒に覚えさせようとして、
次に示すような指導をしたとします。

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分解して、徹底して繰り返す。
テストに出すよという脅しで覚えさせる。

すると、もしかしたら、
直近のテストでは再現できるかもしれません。

でも、それは、テストが終われば忘れてしまい、
生きて働くものにはなりませんよね。

今井氏は、このように
「知識=事実」ととらえるような
誤った理解を「知識のドゲルケバブモデル」
と呼んでいます。
ドゲルケバブとは、トルコ料理で、
肉片を集めた料理のことです。

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先生から教えられる「事実」を、
ドゲルケバブのようにひたすら
蓄積していくという知識観ですね。

我々が勉強しようとしていることは、
ねじり鉢巻きをして、
根性で「教師から教えられる事実」を
ひたすら暗記することなのでしょうか。

そうやって時間をかけてドネルケバブのように、
いっぱい頭の中に「事実の集合」を
詰め込むことが良い勉強なのでしょうか。

それが大学合格を勝ち取るための
勉強なのでしょうか。

これまで話したことを次のスライドでまとめてみます。

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知識とは、学校の授業で先生から教えられる
「事実」の集合ではなく、それらを得た生徒自身が、
これまで自分の中に持っていた事実と融合させ、
編み直していく過程であるということです。

つまり、その事実に潜む背景や、
事実どうしのつながりなどを含めたストーリーを
自分の中に創り上げていくことであり、
それが問題を解く力になっていくということです。

知識とは、随時構成され進化し続ける、
いわば生命体ともいうべきものなんです。

そのように、知識を進化させるためには、
教師からの教えを
ただ受動的に取り入れるのではなく、
自ら課題を設定したり、発信したり、
振り返りを行ったりという、
主体的で対話的な活動が必要ではないかと思います。

そして、そのような活動は、
興味関心を抱くこと、自分を俯瞰して見ること、
想像力を持つことといった、
学びに向かう姿勢によって増幅、
促進されていくと私は捉えています。




次回は「知を構成するスパイラル」です。

 

「2学年講演会⑤」

2学年講演会のまとめ、今回で5回目です。
5回で終了の予定でしたが、
分け方を細かくしたため、
あと2~3回続けたいと思います。

今回は「こなす」と「ひらく」という言葉に注目して、
課題への取組などについて話した部分です。




5 「こなす」学びと「拓く」学び

先ほど、夢と手段のところで紹介した植松努氏は、
「こなす人」と「ひらく人」の話をよくされます。

「こなす人」とは、与えられた最小限の課題、
ノルマをできるだけ引き延ばしてこなす人、
与えられるまで待つ人、
人からしてもらうことを望む人のことです。

一方、「ひらく人」とは、自ら考え行動し、
周囲の環境を変化させていく人のことです。

変化や新しいことを受け入れ、
世の中の理不尽に対して
批判的な目を持ち
行動していく人のことでもあります。

こなす人は結果として能力を失い、
人に迎合するだけの人生につながります。

ひらく人は能力が磨かれ、
地域や他人の気持ちを考えて行動できる
優しさが身につくと考えられます(図参照)。

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私は、学びについても、
「こなす人」と「ひらく人」
という見方をしてみたいと思います。

例えば皆さんが日々取り組んでいる
課題について考えてみましょう。

課題を、
「叱られるからしょうがなくやる」といった、
「こなす」という意識の人は、
課題を苦痛と捉えてしまいます。

すると、こなすこと自体が目的化し、
与えられること以上のことを
やろうとは思わないでしょう。

また、他者との比較や先生からの叱責などが
自分自身の行動原理になるため、
結局自分というものがなくなり、
他者に迎合する生き方に
つながるのではないでしょうか。

これでは苦痛が増し、
自己肯定感が薄れる
負のサイクルに陥ってしまい、
能力が磨かれることはありませんね。

一方、「ひらく人」は、課題を、
自らが向上するチャンスと捉えます。
チャレンジし、成功体験によって自信を持ち、
失敗してもその経験を、
自分を高めるきっかけにすることができます。

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学びに向かう姿勢は、
人生に立ち向かうことと同じです。

ですから、課題に対しても、
ぜひ、「自分を向上させるチャンス」と
ポジティブに捉えることを
意識して欲しいと思います。




次回は、今回の講演の
クライマックスにあたる
「知識とは何か」のまとめです。


 

「生徒総会と万葉植物園」

今日は生徒総会でした。

20170509生徒総会

私の冒頭の挨拶は以下の通りです。




学校では、
「皆で協力しあって」
「一つになって」
ということが強調されますね。

それはとても大切なことです。

でも、そのことによって、
それぞれの人が持っている個性や、価値観、
自立性や創造性が
損なわれることがあってはいけないと思います。

単に、命令や強制、恫喝によって
一つの方向に従わせていく組織は、
決して知的な集団とは言えませんね。

そうではなく、そういった
それぞれがもっている個性や価値観、
得意技を認め合いながら、
でも、文化祭や体育祭などの学校行事や
応援活動などの場では、
全員で盛り上げていこうというムードが
自然発生的に作られたり、

リーダーになった人に対して、
その人を支援していこうという
輪をつくっていくとか、

頑張る人の気持ちに
応えようと思うような学校が、
知的な集団であると思います。

今、「知的」という言葉を出しました。

人事コンサルティング、
教育コンテンツ作成などに携わっている
安達裕哉さんと言う方がいらっしゃいます。

彼は「知的な人とそうでない人」の特徴を
5つの側面からまとめています。

それを紹介したいと思います。

1 異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、
そうでない人は異なる意見を
「自分への攻撃」とみなす。

2 自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。
また、それについて学ぼうする。
そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。
その結果、それを隠し学ばない。

3 人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには
自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。
そうでない人は、教えるためには
相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている。

4 知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。
そうでない人は、「何のために知識を得るのか」が
はっきりしなければ知識を得ようとしない上、
役に立たない知識を蔑視する。

5 人を批判するときの態度
知的な人は、
「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。
そうでない人は、
「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。


知的である、というのは単に頭が良い、
ということではありません。

自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、
人の苦しみや弱みを自分事としてとらえられる
優しさを持っているかということではないかと思います。

さて、花巻北高校は知的な集団でしょうか。
花巻北高校が知的な集団になるために、
そして知的集団であることを確認するために、
この生徒総会があるのかもしれませんね。

どうぞ、今日は活発な意見を出して、
学校をもり立てていってください。





今回の生徒総会で私が注目していたのは、
本校の万葉植物園の復興整備計画です。

昨年私が赴任して以来
その動向が気になっていました。

今回の生徒総会では、何人かの生徒から、

「万葉植物園の管理というが、花壇の整備、
つまり敷地内の美化活動に終わっているのではないか」

「万葉植物園は、万葉集にでてくる植物が
隠れている場所だったと聞いている。
そんな昔の姿を取り戻してくれることを期待している」

などといった意見がだされていました。

万葉植物園の復興整備はもちろん
生徒会執行部だけで行えるものではありません。

ではどうするのか。

そのヒントは、私は、昨年の
「マルカンプロジェクト」にあると考えています。

つまり、執行部がどれだけ組織の「外」に働きかけ、
ダイナミックな運動を展開できるかではないか。

生徒のため、花北のため、
今か今かとお呼びがかかるのを待っている人が
必ずいるはずだと私は思っています。

その存在に気づき、そして一歩踏み出す。

すると、もしかしたら大きな動きが
巻き起こっていくかもしれません。





 

2学年講演会③

前回に引き続いて、
「夢」について述べた部分をまとめます。

植松努氏が講演会でお話されている
「夢と手段」の話を引用させていただきました。

また、実際の講演では、
具体例として2人の方の生き方をあげましたが、
ここではそれをカットしています。




3 「夢」を持つことについて考える

では、このような時代の変化の中で、
皆さんは働くことについてどのようなビジョンや
夢を持っていけばよいのでしょう。

以前、ある生徒に
「あなたの夢は何ですか」と尋ねたら、
「岩手県立大学に入ること」と言われて
びっくりしたことがあります。

私が「なぜ?」と問いかけると、
「公務員になるため」という答えが返ってきました。

更に「なぜ公務員になりたいの?」と重ねると
「安定しているから」とのこと。

そして、それ以上の議論には進みませんでした。

実は今、岩手県立大学では、
入学してくる学生や親の多くが、
大学での専門的な学びのことより、
公務員になれるかばかり気にしていて、
大学の先生が困惑している
という話を聞いたことがあります。

もう一つ私の周りにあったエピソードを紹介します。
某県の某有名進学校に在籍しているA君が
後期試験でI大学に合格し、
3月に盛岡のアパートに引っ越しをしました。

私はそこで、合格祝いにと
電子レンジをプレゼントしました。

ところが、本人の様子がとても暗いのです。
そしてそこにいた母親が、
ため息交じりに10回以上も言っていたセリフが
「前期でT北大学を落ちてしまった」でした。

A君曰く、その高校では先生から
「I大は墓場だ」とまで言われたそうなんですね。

そして「T北大に入れなかったから、
I大に入って先生になるしかない」とこぼしました。

おいおい。先生なめんじゃねえぞ!

と私は突っ込みました(心の中で)。

A君の言動を責めるのは簡単です。
でも、彼のそういった思考のクセをつくったのは
学校であり親であるのではないか。
私は暗澹たる思いがしました。

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図のように、必死に受験勉強して進学校に入り、
そしてまた受験勉強して有名大学に合格し、
そこで就活して有名企業に就職する。

これが幸せな人生のモデルだ、
なんていう考えが未だに学校や親の
体質になっているのかもしれません。

そんなものはとっくの昔に崩壊している価値観なのに。

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皆さんは、小学校以来、学校生活の中で、
こんなふうに言われてきたかもしれません。

「辛くとも勉強を頑張って、
先生のいうことを一生懸命聞きなさい。
幸福とは努力した先の未来にある。
目標を達成した時、幸せになれる。
だから、今はつらくても、
目標に辿りつくまでは走り続けろ」

それは、自分に鞭を入れて、
嫌なことでも我慢強く頑張り続けるための
力になったのかもしれません。

でも、そのようなガンバリズムの嵐の中で、
立ち止まり、なぜを掘り下げたり、
自分の頭で考えることができなくなるならば、
先ほど話した、100歳まで生きて60年働く
キャリアを乗り越えていくことなんか
できないと思うのです。

きっと、A君は、
T北大学に合格することを「夢」として、
ひたすら頑張り続けたのでしょう。

そして夢が破れたとき、彼はどうなったか。

ただ落ち込むしかなかったとすれば
それはとても悲しいことです。

さて、ここで、植松電機専務の植松努氏の
「夢と手段」の話がとても興味深いので紹介します。

彼は、思いついた夢に
「プランB」があるかどうか考え、
プランBを思いつかない夢は、きっと手段であり、
その向こう側に本当にやりたいことがある、
と述べています。

例えば、ある人の夢が
「医者になりたい」だったとします。

すると、「医者になる」ことにプランBはありませんね。
つまりこれは手段だったのです。

じゃあ、なぜ医者になりたかったのかと
掘り下げて聞くと、
彼は「人の命を救いたい」と答えるかもしれません。

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すると、そこには、
「医療機器を開発する」などといった
「医者になる」以外にも多くのプランが
存在することがわかりますね。

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このように考えていくと、
自分の志望がかなわなくても、挫折から
しなやかに立ち向かえる力になると思います。

進路を決める上で大切なことは、
「What」ではなく「Why」で考えていくこと
ではないかと思います。

それが習慣化することで、夢が変化しても、
自分の中でぶれない軸(価値観)を持つことや、
夢破れても対応できる方向感覚を持つことに
つながるのではないかと思います。

これらは、キャリア・アンカー
(職業生活における錨のポジション)と
キャリア・アダプタビリティ(変化への適応)
と呼ばれるものです。




次回は、このような社会の変化の中で、
大学入試はどのうように変わるか、
それに対してどのような高校生活を
展望するかについてまとめていきます。


 

2学年講演会より②

前回に引き続いて、
2学年講演会のまとめです。

世の中の変化に伴って、
働き方はどのように変わるのか、
というテーマです。




2 働き方はどう変わる
(1)高度接続・知識基盤社会と共生国際社会

このような
「ウルトラスーパー超絶高齢化社会」
の到来とあわせて、
2つの重要な社会変革も記しておきます。

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一つは「高度接続社会・知識基盤社会」
といわれるものです。

これはAI(人工知能)の飛躍的な進展などによって、
生み出された新しい知識や価値が、
政治・経済・教育・文化等のあらゆる分野で
重要性を増していくという社会です。

もう一つは「共生国際社会」と名づけてみました。
人、モノ、情報、知識などが
国境を超えてつながっていく社会、
そして、異なる文化や価値を
相互に認め合う共生社会が
進んでいくということですね。

このような社会の変化は、
「太平洋戦争」や「産業革命」の時代よりも
もっと激しいものであるという人もいるようです。

(2) 2つの特徴的な流れ
こういった社会の枠組みが変わることによって、
働き方において次の2つの
大きな変化の波を指摘しておきたいと思います。

① 100年生きて60年働く時代がやってくる
医療技術の進歩もあり、ここにいる皆さんは
100歳以上まで生きる人が多いのではないでしょうか。

すると、高齢化・人口減少が進む中で、
高齢者だからといって
隠居している場合ではありませんね。

自分で自分を支えていかなければなりません。

60年働くということは、20歳から働き始めれば
80歳まで働くということです。

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(中原淳氏(東大)の提示された図を参考にした)

そうすると、例えば大学を卒業して、
ある会社に就職して、
そのままエスカレーターに乗るように
そこで60年間も勤めあげることは
あまり考えられませんね。

どこかでエスカレーターを乗り換える
ということが起きる可能性が十分あります。

あるいは、もしかしたら
一度に異なるいくつかのエスカレーターに
同時に乗るということもあるかもしれません。

➁ バウンダリーレス化が進む
バウンダリーとは境界線のことです。
これからの社会は、様々な境界線が
なくなってくると言われています。

例えば働き方については
「ICT技術によって時間と空間の境界がなくなる」
「性別や年齢の境界がなくなる」
「組織の内外の境界がなくなる」
「公私の垣根がなくなる」など。

学びで言えば
「文系理系の境界がなくなる」
「学校内と学校外の垣根がなくなる」

など、これまで線がひかれ、
囲まれていた中での話ですんでいたことが、
そうはいかなくなってくるということです。




次回は、そのような社会の中で、
夢を持つことについて記していきます。