マインドセットとAL

確かなICT技術をもって、
アクティブで斬新な発信を
続けておられる、
山口県立萩商工高等学校の先生である
松嶋渉さん。

彼は、私がリスペクトする
イノベーターの一人です。

そんな彼から、昨日の私のFBの記事に
「教師のマインドセットが改善されないまま
形だけやっても効果が少ない」
というコメントをいただき、
我が意を得たり、と膝を打ちました。

そこで、今日も、昨日の続きで、
宮城県の校長研修の内容から
マインドセットについての話を
とりあげたいと思います。

■基礎力のない生徒にはALはできない?
ALのような、教えあいや
協働型問題解決を行うような授業は、
高いレベルを生徒に求めるので、
基礎力のない生徒にはできない、
という声をしばしば聞きます。

「AL型授業を語る前に
まず教科書で基礎・基本を」、とか、
「基礎学力の低い生徒は、
板書をしっかりノートにとる、
いわれた課題を繰り返しこなす、
などという授業を行うしかない」
という教師もいます。

であれば、教科書を用いて基礎基本を教える場面を
AL型にできないか、と突っ込むと、
それは、理想論であって、実際の現場では無理、
という言葉が返ってきて、以下話が伸展しません。

それならば、
私はもっと理想を語ってみたいと思います。

今述べたようなALにつての考え方を、
図で表してみます。

基礎力がないとALできない01LT

生徒に、基礎・基本ができることで、
互いに話し合うような基盤が形成され、
そのような生徒達が準備されて、
ようやくAL型授業が行えるということなのですね。

すると、つまりALとは、
そのように「仕上がった」生徒達の前に、
教師が六方踏んで登場し、
パフォーマンスしてみせることなのでしょうか。

これは、あまりにも教師の都合による
考え方なのではないでしょうか。

厳しい言い方をすると、
そこには、生徒ではなく
教師が安全な場所に身を置きたい、
自分のペースで生徒をコントロールしたい、
という教師のメンタリティが感じられます。

そして、そもそも、
基礎・基本を身につけることからでしか、
「表現する力」や「他者と協働する態度」は
生まれないのでしょうか。

そう考えると、「学力と階層」(苅谷剛彦.2008)
「ハイパーメリトクラシー化」(本田由紀.2005)
などという言葉が思い浮かび、
滅入ってしまいます。

それでは、巷で言われるところの
「低学力層」の人間は、
ひたすら言われたことをやれ、
協働の学びなんて危険でもってのほか、
ということになってしまうではないですか。

今、ALは大学に進む生徒、
日本の未来を背負う子どものために
という文脈で語られることが多いですね。

私は、そうやって国の戦略として
ALが推進されるならば、
そこに大きな疑問と危機感を抱かざるを得ません。

高校からすぐに社会人になる生徒、
偏差値は低いかもしれないが、
日本を支えてくれる静かなマジョリティである
彼らにこそ良質のALを提供すべきだ
と私は強く思っています。

■ALでマインドセットを整える
そこで、先ほどの図の逆向きを
考えてみたいと思います。

基礎力がないとALができない02LT

つまり、AL型授業の役目は、
図に示すように、
生徒のマインドセットを形成すること、
でもあるとしたいと思います。

ここで、今、文科省の高大接続部会
などで言われている、

「主体性」「多様性」「協働性」

という言葉に注目したいと思います。

これらを、AL型授業で育てるということですが、
そこで問われるのは、
生徒の「主体性」「多様性」「協働性」、
生徒の「関心・意欲・態度」は、
AL型授業というパッケージ化された
一つの(魔法の)手法によって、
息を吹き込むことができるのだろうか
ということです。

私は、生徒に求めるのであれば、
同時に、教師の「主体性」「多様性」「協働性」、
教師の「関心・意欲・態度」、
つまり、教師のマインドセットが
非常に重要なのではないかと思います。

基礎力がないとALができない03LT


つまり、ALとは、AL型授業と
教師のマインドセットを
合併したものと考えたいのです。

あるいは、教師と生徒が、
学びの場の中でマインドセットを共有し、
醸成していくということも
あるのではないかとも思います。

基礎力がないとALができない04LT

■マインドセットは「不易」
私があちこちでALの講演会で
このような話をすると、

講演後、
「もう自分は教員やっていられない」
「大変な時代になった。
もう自分は身を引くしかない」

などという言葉を耳にすることがあります。

こういう話を伺うと、自分は
「上から目線だったよなあ」と
ひたすら自己嫌悪に陥ってしまいます。

でも、考えてみると、
確かに昔はマインドセットという言葉こそ
使わなかったけれど、
教師が学びの専門家として見識を持つことは、
ごく普通のことだったのではないでしょうか。

もちろん、時代が変わる中で、
その見識の中味も変容しているわけですが、
そういう心構えを持って教育にあたるというのは、
古今東西変わらぬ、むしろ教育の
「不易」の部分ではなかったのかと思うのです。

だから、ALをスケープゴートにして
教師がマインドセットを整えることから
距離を置くことはフェアではない。

そして、最後に、蛇足ながら。

ALの流行とともに、
マインドセットが抜け落ちて、
AL型授業だけが、はい回っていくことへの
懸念も表明しておきたいと思います。


 

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