宮城県高等学校・特別支援学校長研修

昨日は、宮城県総合教育センターで、
宮城県高等学校・特別支援学校長研修
が行われ、

「育てたい生徒像に基づいた
学校ぐるみで行うアクティブ・ラーニング」

という演題で2時間ほど講演をいたしました。

悉皆研修(全員対象の研修)
ではなかったのですが、
私学も併せて、80名を超える
宮城県内の校長先生が参加され、
ALに対する関心の高さを実感しました。

pptスライドを、資料として
配布しませんでしたので、
参加された先生方には
不便をかけてしまいました。

昨日、センターの所長が
私のブログを紹介されましたので、
参加された先生方で
このブログをご覧になっている方も
いるかもしれません。

そこで、昨日の内容を思い出しながら、
少しだけ説明したいと思います。

次のような流れでお話をしました。

CP.1 学校としてALに踏み出す前に
CP.2 ワーク 「生きる力」とは?
CP.3 ALと評価
CP.4 組織化のために
CP.5 盛岡三高の実践より
CP.6 動画で語るAL

この中の、冒頭のCP.1から
一部を取り上げたいと思います。

■ ALとキャリア教育は似ている?
ALとキャリア教育を概観すると、
その構造の類似性に気が付きます。
それは、例えば次のような部分です。

・どちらも定義が漠然として汎用性が低い。
 つまり、ある定型の手法が存在し、
 どの学校もそれに従って行っていけば
 うまくいくというものではない。
・何のために働くかを突き詰めて考えることが
 キャリア教育だとすれば、
 なんのために学ぶかを突き詰めて
 考えることがALともいえる。
・ALもキャリア教育も、成果が見えにくいため、
 目標設定を生徒の出口での実績
 という方向にしてしまいがち。
・ALもキャリア教育も、国や県教委の肝いりで
 トップダウンされている傾向がある。
・ALもキャリア教育も学校から仕事への
 トランジッション(移行)を目指すものである。

このことから、キャリア教育が学校現場で
どう位置付けられ、
活動が展開されているかを知ることで、
ALが今後どのように定着するかの展望が
見えてくるのではないかと思います。

今、キャリア教育が、
形だけの取組になっている学校も
多く見られることを考えれば、
ALについても同様のことが懸念されます。

形だけの取組を、
「例年通り」「前年踏襲」という
思考停止の状態で行われることは、
効果が期待できないだけでなく、
多忙化や疲弊感を生む温床にもなります。

学校現場では、ALもキャリア教育も、
あるいは、いじめ問題や教育の質向上の
取組にしても、
学校内部に横たわる問題を、
「学校外部の力」によってメスが入れられ、
トップダウンで進められる
という流れがあります。

実は、そういう他律的なシステムが、
特に公教育の、前年踏襲型で内向きの
教育活動に拍車をかけているとも思えます。

大切なのは、
自分たちの学校の実態を直視して、
自分事としてALを語り、
その輪郭を描いていくことではないかと思います。

盛岡三高の参加型授業が
他県からも高い評価を得るほど
軌道に乗ることができたのは、
それが未履修問題に端を発し
「生徒に時間を返す」という
三高改革に進んだという、
いわば、内発的な動機からの行動、
つまり「自分たちの意思でALを創る」
「自分たちの言葉でALを語る」という
ボトムアップのムーブメント
だったからではないかと思うのです。

ですから、ALの推進の機運が高まる今、
トップダウンに委ねるのではなく、
各学校が
「育てたい生徒像にもとづく学校ぐるみのAL」
を展開することが、
ドラスティックな社会の変化に対応する
未来型の教育を築く
一歩になるかもしれません。

■ 組織の構図
今、私が感じている学校組織、
あるいは全国の教師のALへのスタンスは
次の図のように4つあるように思います。

組織の構図LT

私は、今、Dに属している人たちと
全国的なネットワークで交流しています。
そんな彼らに、
「ALの目的は」という質問をすると、
次のような答えが返ってきます。

・主体的に学び続ける生徒を育てること
・アクティブラーナーをつくること
・生徒のマインドセットを整えるため
・社会と学校を結ぶため
・知識・技能だけではない学力をも評価するため
・一元的な価値観により序列化をするのではなく
 多様な価値観を認め、他者と共存するため
・グローバル社会・共生社会に生きるための
 マインドを身につけるため
・学校を安心と安全の学習の場にするため


一方、Aに属するグループ、
つまり、旧パラダイム型の先生方に、
ALについてのイメージを問うと、
だいたいこんな言葉が返ってきます。

・それはことさらALと騒ぎ立てなくても、
 昔からやっていることだ。
・ALのような賑やかしのような授業では
 学力が伸びない。
・そもそも授業は優れた先生が教え、
 それを生徒が真面目に静かに聴き、
 学ぶことである。
・ALは所詮一時的な流行である。
・基礎基本を身につけないとALはできない。
・教師はますます多忙化する。
・意欲や態度を評価するのは傲慢。
・学びは個のものであり、
 グループ活動は効果がない。
・ALを推進するものは教育の
 「流行」を求めている。
 私は「不易」を大切にする。


Dのグループは、生徒目線に立ち、
現在の教育に問題意識を持つ中で
未来型の教育を目指そうとしています。

一方、Aのグループは、生徒目線ではなく、
どちらかというと教師の都合や、
過去の資源を守る視点に
立っているように思います。

ポジショニングが相当違うわけですね。

それぞれの意見にコメントする前に、
私は、組織内にそのような二者が
存在していくことに
不安を覚えてしまいます。

それは、今後、「上から」ALが
推進されていく中で、
Dグループの教員がクローズアップされ、
結果としてAグループの集団が疎外されたり、
あるいは、対立が起こったりすれば、
そもそも学校として教育成果をあげることは
難しくなるのではないかと思うからです。

■ 未来型学校への発達段階
ここで、「未来型学校への発達段階」
という構図を考えてみました。

まず図①は、マネジメントが入っていない、
いわゆる昔の(古き良き?)学校です。

未来型授業の発達段階①LT

いろいろな教師が、個性に従って
様々な方向で生徒を指導します。
教師は「一国一城の主です」

確かに、学校における教育成果は、
生徒の能力や主体性と、
教師の個の力量に依存します。

しかし、学校とは社会的なものであり、
社会に対して成果をもたらすもの
とされている今、
このような教師の個の力量の集積
に頼る教育は限界があります。

私見ではありますが、このような組織では、
「学び」「授業」という面での
教師間の連携が薄く、
教師の授業は、
自分が高校時代に習った先生の手法や、
自分のパーソナリティを過信するような
教え込みが多く見られると思います。

次に図②です。

未来型授業の発達段階②LT

これは多くの進学校や
「文武両道」を標榜する学校に
見られるパターンです。

基本的に学校としての教育成果を
大学合格実績
(東北では国公立大合格者の実数が
モノサシになることが多い)
に求めているので、
それに向かうベクトルが働きます。

このような中、
生徒に過剰の課題を与えたり、
模試対策中心の学習、
教科書を早く終わって
問題演習を繰り返す授業が
行われがちになります。

また、部活動を生き甲斐とする
教員との対立もしばしば起こります。

このような中、実績が上がったとしても、
生徒は疲弊し、
学び続ける力を
殺いでしまうことも考えられます。

最後に示す図③は
未来型の組織と私は考えます。

未来型授業の発達段階③LT

大切なのは、教師個々の自立性・創造性を
損なわない方向でマネジメントが
行われているということです。

そして、教師同士が「学びのエキスパート」として、
教科を超えて繋がりあう関係が築かれます。

その中で、「学校が目指す生徒像」や
「社会にでるためのトランジッションの意識」
などを全体が共有し
教育活動を行うというものです。

盛岡三高は、歴代校長のリーダーシップと
リレーションによって、図②型の組織から
図③型に変化しようとしてきた、
ということが言えるのではないかと思います。

ここで、ボブ・スティルガー氏が用いる
2つのループという図を紹介します。

2つのループLT

青い曲線は旧パラダイム型の
授業の流れを示します。

今、そこに限界が見え始め、
下降を辿っています。
そのような中で、
行動を起こしている人たちが出始めています。

彼らは孤軍奮闘したり、
あるいは、学校を乗り越えて
繋がりを形成しているかもしれません。

そして、今まさに、
ALを基本装備とする
新しい学びのパラダイムが
後押しされています(赤い曲線)。

このような中で、
校長はどのような立ち位置で
マネジメントすればよいでしょうか。

そもそも、校長は旧パラダイムでの
「勝ち組」なので、
旧パラダイムに留まり続けようという
彼らの意思を理解できるはずです。

そして、一方、
ALを実践していこうという教員に
尊敬の念を持ち、彼らに敬意を示しながら、
しかし、形式に流れるだけの
「はい回るAL」や
「教材研究よりも教育方法に熱を上げる」
といった方向に流れないように、
支援することが必要です。

つまり、校長は、旧パラダイムと新パラダイムへの
橋を架けるポジションにいることが
必要ではないかと思うのです。


少々長くなってしまいました。
とりあえず今回はこんなところで。


最後に、まとめとして述べたことを
スライドで提示しておきたいと思います。

学びの質の転換のために校長が行うこと





 

コメント

このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/ 09/ 27( 日) 04: 59: 22| | # [ 編集 ]
 
コメントありがとうございます。というか、どこに回答すればよいかわからないので、とりあえずここにします。ご指摘のように、「はい回るAL」「教材研究より教育方法に熱を上げる」は確かにかぶります。「はい回る・・」は、総合的な学習時間が導入されたとき、活動という手段が目的化されているという批判が起こった際に、デューイの経験主義を例に引きながら「はい回る経験主義」という言葉がでてきたことを基にしているのだと思います。もちろん、私の造語ではなく、今巷でよくいわれているようです。私がその言葉を初めて聞いたのは、「逆向き設計論」の西岡加名恵先生(京大)からです。
http://eduview.jp/?p=1636
「活動あって学びなし」という言葉も昔からよく言われています。「はい回る・・」は先生の解釈でよろしいのではないでしょうか。
「教材研究より・・」は、授業スタイルなどの「活動」ではなく、教師の「マインド」という部分についてフォーカスしたかったので、敢えて併記した次第です。
2015/ 09/ 27( 日) 08: 22: 50| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 
下町先生、はじめてブログを拝見しました。
先生が講演なさった日、私は高校社会科の研究会で皆川先生のお話を拝聴していました。アクティブラーニングについて、とても考えさせられるお話でした。下町先生のお話は、校長対象のものだったようなので、当然私は聴けなかったのですが、ブログを拝見して少しだけ中身がわかり、ありがたく思っています。
宮城県は正直、ALが遅れています。私もブログでいう「B」あたりでしょうが、これから研究して生徒主体の授業を実践していきたいと思っています。
これからも、ブログを拝見させていただきます。よろしくお願いいたします。
2015/ 10/ 02( 金) 06: 25: 19| URL| マヤ夫# -[ 編集 ]
 
ご回答ありがとうございます。
ALを授業改善の一環の選択肢の一つとしてとして自分自身はもとより、学校にも広く普及できればとは考えております。
ただし、私は見よう見まねの素人ですので、悩みもそれなりにございます。他人と関わり合うことが難しい生徒への対応は無論、今の自分の手法では、結局のところ生徒自身に考えさせているようで、じつは自分の設定した結論へ誘導しているに過ぎないのではという恐れなど。さまざまな迷いや不安もあります。今後ともお話を伺うことができれば幸いです。よろしくお願いいたします。
2015/ 10/ 04( 日) 19: 45: 29| URL| 宇都宮 仁# hX8lVBDI[ 編集 ]
 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/ 10/ 09( 金) 14: 49: 39| | # [ 編集 ]
 
コメントありがとうございます。よろしかったら、動画等も入っているパワーポイントのスライドを送ります。
2015/ 10/ 10( 土) 17: 25: 34| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/ 10/ 11( 日) 07: 59: 29| | # [ 編集 ]
 
宮城県では11月25日に石巻西高校で講演を行う予定です。
2015/ 10/ 11( 日) 09: 31: 23| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/ 01/ 09( 土) 12: 00: 33| | # [ 編集 ]
 
了解です。どうぞお使いください。
2016/ 01/ 09( 土) 12: 35: 51| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 

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