山登りをしながら教育を考えた

昨日は、久しぶりに
カミさんと山登りをしました。

家から車で10分もかからない場所にある、
東根山です。歩く距離は10kmほどで、
頂上付近は「七曲」という坂道があり、
それなりに険しい山ではあります。

ここ最近、いろいろな事が押し寄せ、
じっくりと自分の考えを整理し、
深化させる時間がありませんでした。

そういう意味で、この日は
心身をリフレッシュさせながら、
いろいろなことを考える
贅沢な一日を過ごしました。

山道上に、
たくさんの栗が落ちていました。
拾ったらこんなに!

20150920-02.jpg

2年前の紫波町の豪雨の爪痕が
まだ生々しく残っています。
先日の東日本豪雨での、
栃木・茨城・宮城などの被害は
これどころではないと思うと、
恐ろしい気持ちになり、
そして心が痛みました。

20150920-03.jpg


さて、登る途中、偶然、
知り合いのNさん家族にお会いしました。
彼らは、私たちと違って、
山道から脇に入って、
栗やキノコ(ボリメキ)を、
それはそれはたくさん採っていました。

私は、山道を歩き頂上に辿りついたとき、
ふと「登山と教育」について
こんな思いを巡らせていました。


私は与えられた山道を
素直にわき目もふらずに通って
頂上というゴールにたどり着いた。

頂上に着くということが目標だとすれば、
余計なことをせずに、
ひたすらペースを守って登り続けることは
効率のよいことではある。

辛くてもゴールが待っている。
だから頑張って歩きつづけろ、
それが正解だ、と。

ところが、Nさんたちは、
脇の山道に入って栗をとったり、
キノコを採ったり、景色を眺めたり、
時に走ったり。
そう。
オプションを楽しみながら登っている。
つまり、頂上に辿りつくことは目標だが、
その過程も楽しんでいるのである。

私の登山は、教育に例えると、
先生に導かれるまま、
与えられた教科書を網羅する勉強をして、
進路先というゴールを目指すことであろう。

それに対してNさんたちの場合は、
ときどき、ちょっと背伸びした学習をしたり、
課題研究をするなどといった
オプションを入れながら
学んでいくことなのだろう。

そして、両者の違いは、ゴール(頂上)での
ハーベスト(栗・キノコ)の違いに現れる。


久しぶりにリフレッシュするんだから、
そんな理屈っぽいことなんか考えるなよ、
という声が聞こえそうだ。

すみません。性分なもんで。

20150920-01.jpg


 

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