以下、#にて、私見を述べます。
■アクティブラーニングって今盛んに言っているけれど、
工夫を凝らして生徒を動かす授業は
昔からやってきたことではないか。
#はい、やる先生はやっていたし、やらない先生はやらなかった。
これは、意図的にもっとやって授業の質を上げましょうよ、という啓蒙であり、moovementなのだと思います。
反論(反発)の主旨がよくわかりません。
■双方向の授業という理想論もけっこうだか
大体そういう授業は教室の秩序が乱れて失敗する。
#下手な体育教師が水泳の授業で児童生徒を溺死させる可能性があるように、たしかに下手にALをやると秩序なるものが乱れるでしょう。だから腕を磨くことは前提だと思います。と、同時に、その「秩序」なるものの中味が気になります。シンナーを吸うのはナシだと思いますが、教師の説に異論を唱えるのはアリだと思います。よい授業をすれば、教室はカオスにならないと強く思います。
■グループワークに馴染めない生徒が
いる場合どうするのか。
#それも授業技術です。水を怖がる子供にどうやって水泳指導をするかと相似だと思います。
■そもそも、意欲や関心を評価するのは可能なのか。
それは傲慢な考えではないか。
#これも評価技術という教育技術だと思います。意欲・関心がある、ということは、どういうことか、という定義づけだと思います。
たしかに「関心を持てましたか」と記名式アンケートだと、成績を気にして本当のことは書かないでしょうから、そうではなく、プロとして、その授業、学期、年度単位でどう見ていくか、どうするか、ということだと思います。
■ペア学習やグループ学習をやっていれば
教科書が終われない。授業が遅れるのではないか。
#ひとつは、すべての学習課題をALでやるというわけではないと思います。
もうひとつは、予習復習を構造的に組み込むことは必要と思います(いくつかの要件を整えると反転授業などと言ったりもしますが)。
総学習量とその質がアップする分、学びは深まります。教室で教員が直接話をするということは、独学教材よりはるかに効果があるという幻想から抜けられるかが境目なのだと思います。
■アクティブラーニングだろうが、
一方的な授業であろうが、
要は学力がつけばいいのではないか。
#はい。ですので、ALは適材適所だと思います。ALの方が効果効率魅力的に学ばせることができる学習課題にのみALを用いるべきと思います。
気になるのはその「学力」の意味するところです。例えば自然現象や社会問題に興味や疑問を持ち洞察を深めるということも「学力」の範疇と思っていただければよいのですが、、。
■アクティブラーニングでは
大学入試に耐えうる学力が身につかない。
#論拠がほしいですね。
■ベネッセの「大学生の学習・生活実態調査」を見ると
「学生の自主性に任せる」より
「大学の教員が指導・支援する方がよい」が
15.3%(2008)から30.0%(2012)に増大。
大学では生徒に受け入れられていないのではないか。
#合コンの下手な仕切りのように、ALも教員の技術が拙いとかったるいだけです。代返も居眠りもできませんし。ですので、玉石混淆の結果をとらえてAL全体を評価するのはいかがなものかと思います。
■アクティブだけど気が散りやすい騒がしい教室より、
熟練の教員に指導を受けアイディアを
展開してもらいながら、
自分で静かに思慮にふけることのできる
環境の方が学びやすいという人もいる。
(参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)
#学習課題によると思います。「詩の鑑賞」と「第二次大戦の立場による意義の相異」は別の学習課題ですので、とるべき指導方略も違ってきて然るべきと思います。
そして、ALがすべて騒がしいわけではないと思います。また、すべての生徒が「熟練の教員」の授業を受けられるわけではありません。
矛盾するようですが、このmoovementは、経験年数にかかわらず、ALにおいて熟練化を進めよう、という意思もあると思っています。
■アクティブラーニングにおいても、
講義形式の授業で見られた
「学生の学びの質の格差」という課題は
解決しておらず、一方で、フリーライダーの出現や、
グループワークの非活性化、
思考と活動に乖離のあるアクティブラーニングの
状況が見られている。
(参考 ディープアクティブラーニング/松下佳代)
#これも教育技術の問題と思います。例えば向後先生(早稲田)や日向野先生(立教)は活性化やフリーライダーの問題に、実に緻密な方略をとられています。しかもその多くは、30年の修業を要さず、技術移転が可能なものです。つまり、工学といえます。
■現在の学校現場の体質から見ると、
学習指導要領で規定することで、
「主体的に学ぶことを叩きこむ」などといった、
画一的にアクティブラーニングが進められ、
教育現場の自立性・創造性が
減殺される危険性がある。
(参考 文部科学省コメント)
#「画一的に」学校に登校させている中で、ALはその方法論と適応範囲において、画一的とはいえないように思います。
ただ、かつて、総合学習においてその方法論までを国が提示できなかったために、結果としてイケてない授業が多かったことを聞くにあたり、ある程度の方法の例示やトレーニングのは必要と思います。
浅薄な私見におつきあいありがとうございました。