「数学教室」5月号が届きました。

「数学という名の自由の翼」は
連載14回目となりました。
今回は、以前勤務していた学校での、
生徒とそのお父さんとのメールでの
やりとりを中心に
「微分とは何か」をテーマにしました。
書き出しはこんなカンジです。
最近、「ベクトル」という数学用語が
数学以外の会話の中で
耳にすることが多いですね。
例えば、
「考えるベクトルを同じにして頑張ろう」などと。
恐らく、ここで用いられる「ベクトル」とは、
単なる「方向」という意味なのかもしれませんが、
こうも頻繁に耳にすると、
数学を扱う者の端くれとしては
見過ごせません! \(`o´)/
「考えるベクトルを同じに」ということは、
考える方向だけでなく、
考える「大きさ」も同じにするということ?
では考える大きさとはなんだろう・・・
「考える」ことがベクトルならば、
それは和と実数倍という演算が
定義された世界だよね?
だとすればそれはどういう意味なのだろう・・・
まあ、いわゆるひとつの屁理屈なのですが。
でも、「ベクトル」という言葉は、
それが必ずしも数学で定義される概念と
合致しているとは限らないものの、
日常の中で市民権を得たタームとして、
ある意味社会の中で定着しているといえます。
ところが、微積分については、
言葉自体は社会の中で
広く認知されているにもかかわらず、
その意味や概念はきちんと理解されているとは
言い難いですね。
むしろ「難しくて嫌なもの」の代名詞として
使われることが多いと感じます。
例えば、
「そんな微分積分みたいな
わからんことを言わないで」とかなんとか。
余談ですが、昔、ある学習塾を紹介する
テレビ番組を見たことがあります。
「驚くべき○○塾の教育!」として、
小学校低学年で、既に微積分を
マスターしているとのふれこみでした。
そして、その画面に映った映像では、
小学生達が、ノートに向かって、
x^2→2x
x^3→3x^2
x^4→4x^3
・・・・・・・
と、真剣に、延々と書き記していく姿だった!
つまり、これをもって、
この小学生達を「微分がわかる!」
としていたわけです。(ため息)
おっといけねえ。そんな話を思い出して
疲れはてる前に本題に入りましょう。・・・・・・・・・・・
この続きは「数学教室」7月号を是非お読みください。
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