教師の要件①

将来どんな仕事に就きたい? 
と聞くと、ときどき

「公務員になりたい」

という生徒がいる
私が「え?どんな公務員?」と聞くと

「市役所とか、県庁とか」という

「なぜそんなふうに思うの?」
と今度は動機を尋ねると

「安定しているし、家から通えるから」とのこと

また、同じ公務員でも教員になりたいという生徒もいる

「私、先生になりたいんです」
「ふーん。教えるのが好きなんだ。何の教科の先生?」
「いまのところそれは考えていないけど。
でも先生は地元から通えるし、職員室で楽しそうに
しているからいいかな、って思って」

このような生徒の声を聞くにつけ
キャリア教育の必要性を痛感する。
そして、教師の「見られ方」について、思わず考え込んでしまう。

話は変わるが、先日、PLAN・JAPANという組織から、
ネパールの子どもたちからの寄せ書きが描かれているハガキが送られた。
ngo1.jpg
ngo2.jpg


私は、教員になってから、夫婦で途上国の子どもたちを支援する
プロジェクトに参加してきた。
参加といっても、単に毎月の給料から幾ばくかを支援として
送金しているだけであるが。
でも、そんなささやかな活動でも、もう25年以上も続けているので、
金額的には、私たちにとっては、まあ相当額ではある。

私たちがなぜこのような活動を続けてきたか。
それは、慈善の気持ちからではない。

余談だが、19世紀のフランスが生んだ、夭折の天才数学者
ガロアは、こんなことを言っている。

「慈善だって?ぼくはそんな言葉は大嫌いだ!貧乏人や不幸な
人間を金持ちの善良な衝動によりすがらせ、金持ちに対する
貧乏人の闘争意識を殺ぎとるのが慈善だ。慈善は国家の神聖な
義務を、個人のムラ気に置き換えるものだ。」
(「ガロアの生涯」Leopold Infeld  訳 市井三郎)


慈善でなければ、では何か。
まさか、noblesse oblige(高貴なる者に伴う義務)
なんて偉そうなことを持ち出そうとも思わない。

私が、このようなNGOを行ってきた動機を、敢えてあげるとすれば、
格好をつけて言えば「全体への奉仕」「公共の精神」
という公務員倫理によるものと思う。

もう一つ付け加えれば、「子供のようなイノセントな思い」かもしれない。


少なくとも、教師を目指すという者であるならば、
その要件として、お金儲けを考えない、
自己犠牲的精神を持って全体に奉仕する、
子どもの目線を持ち続ける、などがあげられると思う。

それがなければ、教員になり、知識を子どもに伝達
できたとしても、教師にはなれない。

自分の取るに足らないNGO経験をあげつつ、
偉そうなことをいっていることにとても恥ずかしさを感じるが、
安直に「ラクそうだから」と教員を目指すという者に対して、
時には、教師も自分の生き方や倫理観を語ることも
許されるのではないかと思い、生意気にも述べた。



もっと書きたくなりましたが、長くなったので、
続きはまた明日ということで。

ときどきシリアスになります。失礼しました。

 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/77-ef1a00dd