リベラルアーツ

最近、高校教育においても
リベラルアーツという言葉を耳にします。

私は恥ずかしながら、
リベラルアーツについて、知識が乏しく
「文理融合」とか
「文系理系を超えた幅広い教養」
という程度の理解しかありませんでした。

ところで、先日、本校の3年生の大城さんが、
高校生文芸コンクールで
文部科学大臣賞を受賞した時に書かれていた
「受賞によせて」に次のような一文がありました。

「文芸作品とは、自然法則のようなもの
だと思うのです。
この世界に存在している
自然法則を解明しようという理学の姿勢は、
筆者が書き出した世界を紐解く
読者の姿勢と同じもののように感じるのです」


私はこれを読んでドキッとしました。
そして、もしかしたら、本校の目指すSSHや、
参加型授業のヒントになる言葉ではないか、
更にそれを、リベラルアーツという文脈で
まとめることができるのではないか、
などと思いました。

「受賞によせて」の文章はこちらの記事にあります→「文芸部授賞式

リベラルアーツの原義は
「人を自由にする学問」であり、
その起源は古代ギリシア、
プラトンにまで遡るといいます。

その原義を踏まえつつ述べるとすれば、
私は、リベラルアーツを
「哲学を持って生きるための素養」
としてみたいと思います。

ここで「哲学を持つ」とは、
事象を深く広く考え、他者との対話や、
省察によって価値観や批判力などを持つこと、
そしてそのことによって、
自分の人生を豊かに生き、
世界・社会に貢献する人間に
なることを意味する、
と捉えてみたいと思うのです。

例えば、古くから言われる「文武両道」は、
バランスよく物事を見る目を養い、
自分の価値観や、
人間関係までも形成していくという意味で、
まさにリベラルアーツではないかとも思います。

哲学を持って生きることは、
グローバル社会に生きる
人間の見識でもあると思います。

グローバル時代を生きる人間の
資質・能力として、
「グローバル人材育成会議」では、
以下のようなまとめがなされています。

① 語学力・コミュニケーション能力
② 主体性・協調性・柔軟性・チャレンジ精神など
③ 異文化理解と日本人としてのアイデンティティ

ここで、②③にあたる部分が、
哲学を持って生きるということであると思うし、
それはリベラルアーツによって育てられる
部分が大きいのではないかと思います。

「進路を早期決定すれば夢は叶う」として、
高校の早い段階で文系・理系に分類し、
大学入試にフォーカスした、
細分化された知識・技能を叩きこんでいく
授業を繰り返しても、
哲学は生まれないでしょう。
そもそも、哲学なき授業者による
哲学なき授業こそ問題です。

リベラルアーツを行うとき、
カリキュラム編成にメスを入れるだけではなく、
授業そのものの変革も
視野に入れるべきと思います。

つまり盛岡三高の「参加型授業」や、
全国の高校現場にも急速に広まりつつある
「アクティブラーニング」において、
リベラルアーツからの視点は重要です。

例えば、校種間接続型の授業や、
他教科とのコラボレーションなどの形態などが、
今後注目を浴びるのではないかと、
私は思っています。

そして、教師自身がフィロソフィーを持って
授業を行う視点が無い中での、
アクティブラーニングの推進は、
単に、メッソドやノウハウだけを
追い求めるものになってしまう
のではないかとも思います。


 

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