道徳教育・観点別評価をポジティブに捉える

教育は、嫌でもその時代を反映するもの。
それゆえ、学習指導要領は
ほぼ10年に1度改訂される。

しかし、だからといって教育は、
時の為政者によって
決められたものを
子どもに押し付けるものではない。

例えば、今、道徳教育の必要性が
盛んに謳われているが、
それは特定のイデオロギーを押し付けたり、
逆に排除したりということではない。

そういう国家主義的な教育の結果が、
戦争や紛争であることは論を待たない。

さて、新指導要領の改訂の中ででてきた、
道徳教育、あるいは県で言われている
観点別評価などについて、
私は前向きにとらえようと思っている。
それは、3.11の震災経験によるところが大きい。

東日本大震災津波では、
本県は、世界中の多くの人々からの
温かい援助を受けた。

世界の公用語はてっきり「数学」
だと思っていた私だが、
実は「愛」であり「絆」であると感じたものだ。

でも、その一方で、被災地や東北を蔑視、
差別するような発言や行動も見られ、
やるせない思いをしたこともある。

政治家やタレントの、
どさくさまぎれの売名行為的
パフォーマンスも鼻についた。

このような中で考えたことは、
我々が教師であるならば、
震災に遭った人、
震災の傍観者である人に対し、
教育の側からの復興をすること、
つまりそれは、人権を尊重し、
平和と民主主義を守り、
助け合いの精神を発揮すること、

そして論理的に物事をとらえ、
健全な批判力養うこと・・・
などの必要性である。

大上段に振りかぶるわけではないが、
授業をすることは、
教師の単なる飯のタネではなく、
そういう崇高な使命を果たす役割を
担っているという自覚も、
時には想起する必要もあると思う。

そんな崇高な使命を果たすべき教師が、
自分の都合に合わせて、
問題演習やドリルばかりの授業を繰り返すとか、
課題の提出率に命をかけて
暴君のようにふるまうこととか、
模試の偏差値を脈拍数と心拍数に見立てた
授業でしが生徒をひっぱれないとか、

などという薄っぺらな姿勢では
教育からの復興支援なんて
果たせないのではないかと思う。

今我々に必要なのは、
例えば数学であれば、それを通して、
生徒に、物事を論理的に考え、判断し、
批判できる力を身につけさせること、
その教科の楽しさを伝えること、
生徒と向き合って、
彼らの創造性を高めるために、
授業の質を高める姿勢を持つこと、
などではないか。

だから、観点別評価でも、
授業における道徳教育についても、
そんな力をつけるためにあると、
ポジティブに捉えたい。

だって、教師が萎えていれば、
次世代を担う子ども達をつくりだす
なんてことはできないのだから。


 

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