純愛ラプソディ

昨年の緑丘プレ(大学出前講座)で、
弘前大学人文学部准教授の
羽渕一代先生の
「恋愛の社会学」という講座は
とても興味深いものがありました。

その中で、羽渕先生の
「純愛は年齢に依存しない」
という言葉にドキッとしました。
そして、なぜか
少し嬉しい気持ちになりました

先日、ちょっとした集まりがあって、
その話を持ち出したところ、
ある若い先生から、
最近、定年退職した先生が、
ストーカーになっている例が多い
との話がされました。

彼によると、その理由は、
これまで、真面目一筋、禁欲、厳格に
教育を行ってきた人間が、
そこから解放されたとき、
自分をコントロールし、
上手に異性と付き合うことが
できないのだそうです。

くわばら くわばら。


ところで、先日、
教員をリタイアした方が、
セカンドキャリアで、
ある仕事に就いたけれど、
「年下のヤツに頭を下げるのが嫌で辞めた」
ということを言われていました。

教員を退職した人にこのような方は
結構いると思います。

そして、そのメンタリティは、
先ほど述べた
「自分をコントロールし
上手に異性と付き合うことができない」
タイプと重なります。

彼らの特性を、
歯を食いしばりながら分析してみましょう。

①上から目線で一方的に「指導・注入」型の
 授業を行ってきたことによって染みついた
 自分中心の世界観。
 命令されることが嫌い。
 根拠なく自分が一番と思っている。
 女性や年下を蔑視する。

②生徒が「先生、先生」とすり寄ってくる
 経験をしているので、
 生徒はいつも自分に注目しているという、
 大いなる勘違いをしている。
 実際に、テストや入試などが
 無くなると同時にその「権利」は
 失われているのに、
 そのことに気づかない。(ある意味幸せ?)

③学校という、世の中の常識が通用しにくい
 閉じた世界にいるために培われた
 歪んだコミュニケーション。
 例えば、相手を立てる、人の話を聞くではなく、
 自慢話や、一方的に自分の話ばかりするなど。
 そして、ビジネスマンや、
 一般の主婦の方と話をはずませる
 ような話題や会話力に乏しい。

なんだか書いていて気持ち悪くなってきたぞ。
きっと自分にもそういう一面があるからですね。
同年代の皆さん、気をつけましょうね。


女性に対しても、いざ自分より
能力が優れていることがわかったり、
上司であったりすると、
とたんに嫌な顔をする男性もいます。


でも今や、
特に学校現場など教育のフィールドは
年功序列の世界ではないし、
男性優位の状況でもありません。

最近は、社会構成型の学習システムが
進展する中、授業において、
コーチングやカウンセリングのスキルが
必須なので、
一方的に、支配するような
上から目線の授業をしているようでは
最早務まらないのが現状です。

また、生徒との信頼関係や、
生徒への安心感を与えるという点では、
年配教師は、残念ながら、若い教師や
女性にかなわない部分もあります。

そういう状況を機敏に察知し、
若い人や女性、
あるいは他業種の方に
頭を下げて学ぶ姿勢がなければ、
我々のセカンドキャリアはないと
断言できます。

今、政界や産業界において
女性の登用が叫ばれますが、
教育現場でこそそれは必要ですし、
しかもそういうリソースは
いくらでも整っていると思います。

私は、期せずして、教育行政の仕事を
2年ほどしていましたが、
自分より年下の女性が上司でした。
中学高校では、先輩面していたのに、
年月を経て後輩が上司になってしまう
という逆転現象は民間では
もっと普通にありますよね。

その上司はとても有能で、
人柄も爽やかで、フレンドリーな方で、
私はとても尊敬していましたし、
教育行政というフィールドでは
私は初心者以外の
何者でもなかったので、
とにかく一生懸命教えを乞い、
ご指導いただきました。

一方、自分が取り組んでいる業務は、
役職に依存するものではなく、
自負もあり、堂々と提示してきたので、
不遜な言い方かもしれませんが、
きっと、その上司も私の取組みから
いろいろなことを学んだと思います。

こと「学び」においては、
それが役職とか職域とかに依存して、
一方的に「命令」「注入」の形で
行われるのではなく、
フラットな関係の中でこそ、
互いをリスペクトした、
より高次なレベルでの
「学びあい」が成立するはずです。
そうです。それは授業と同じです。

私は、ここ数年、授業づくりや
カリキュラム編成、キャリア教育、
などにおいて、様々な講師の方を
お呼びしてきましたが、
振り返ってみると、その多くは女性で、
かつ私より若い方がほとんどでした。
別に私はフェミニストではないので、
敢えて女性を選んだのではなく、
本質を語る人、生徒の視点でものを見る人、
尊敬すべき生き方と連動している人、
などの規準で人選していったら、
たまたまその方が女性であった
ということに過ぎません。

そして、そうやって
自分の目で選んだ方々は、
間違いなく生徒にアジャストして、
いい結果が引き出されています。

今、私には様々なジャンルでの
「師」が男女問わずおりますが、
彼らの殆どが自分より若く、
そして有能です。

そういう人とつながりを持ったり、
そう人たちに囲まれることは
幸せなことですね。
そのような方々が、
私のような存在も大切に思ってくれ、
真剣に接してくださるだけで、
感謝しなければなりません。


教育とは、自分を追い抜く生徒を
育てることである。
年月を経て、教え子や、
若い人たちに追い抜かれ、
時に先生と生徒の立場が逆転すること。

彼らを「我が師」として尊敬すること。
これは、むしろ、年をとることで
得る特権ではないかと思います。


「純愛」の話から遠のいてしまいました。

女性や、若い人に対して敬意を払い、
感謝し尊敬すること。
それが十分「純愛」。

そこから更に、
過度な「妄想」にエスカレートすると、
倒錯してストーカーになってしまう
かもしれないので要注意ですよ!

でも、それを心に秘めつつ、
社会に迷惑をかけずに生きる道も
老後の「純愛」の形なのかもしれませんが。

 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/656-65594182