震災について思うこと

最近「共震」(相場英雄)や「想像ラジオ」(いとうせいこう)
などの本を読んで、震災について、また思いを巡らせた。

2年前の3月11日に私たちは震災を経験した。
そして、多くの人たちの支援を受け、人の愛や絆を感じた。

話は変わるが、カールセーガン原作の「コンタクト」という映画を
ご存知だろうか。
女性天文学者エリーが26光年先のベガ星雲から、ある信号をキャッチ
するところから物語は始まる。
その信号は

「ドンドン・ドンドンドン・ドンドンドンドンドン・
ドンドンドンドンドンドンドン・・・・」

と、2,3,5,7,11・・・と100までの素数回のパルスになっている
ことにエリーは気づく。

エリーは、遠くベガに住む知的生命体が地球に信号を送っている
と主張する。
なぜ知的生命体なら英語などの言語でメッセージを送らないのか、
と訝る他の科学者の質問に、エリーは次のように答える

「英語は地球に住む人の高々3割の共通語です。
しかし、数学は宇宙の共通言語なのです」
(Math. is only true universal language)

この話は、私が数学の授業開きををするときによく用いる話である。


話を戻す。

震災で、私たちは世界中から多くの支援を受けた。

例えばモンゴルの貧困地区に住む子供たちが、生活保護費の一カ月分
を支援した話や、コロンビアのトイレもない小学校に通う子供たちが、
日本の子供たちに絵を描いて送り、もし、自分たちのところに
避難してきたら、あたたかい食事をご馳走したいといっているなどの
話には心を打たれた。

日本文学研究科のドナルドキーンが「この震災で決意した」といって
日本人と共に、日本人のためにできることをしたいと、日本に帰化し
永住することを決めたという話にも感動した。
ドナルドキーンは当時88歳であった。

こんな話を聞くにつけ、宇宙の共通語は「数学」ではなく、
「愛」であり「絆」であったのだと思う。


でも、その一方、「怪しいお米セシウムさん」だの大文字送り火問題
など、東北に対する差別的発言や蔑視もあった。
また、被災地支援という名目で一発稼ごうというテレビのバラエティや
タレントなどの売名行為や、政治家が被災地で瓦礫をバックに写真だけ
撮って走り去っていく、視察という名のパフォーマンス的な行為も
鼻についた。

そんな中、私が県教委にいるとき、県が発行した「いわての復興教育」
プログラムという冊子に、盛岡三高の4回にわたる震災ボランティアの
実践事例が紹介されているのを目にした。
(今はそのボランティアは9回を数える)

その中で、ある三高生の感想にこんな言葉があった

「私達がしなければならないことは瓦礫の撤去のボランティアだけではない。
復興を考えることをしなければ」

私はこの言葉に出会い、立ち止まって、しばし考え込んでしまった。
「復興を考えることをする」とはどういうことだろう。

岩手の復興の担い手になるということは、有名大学を出ることや、
ましてや官僚になることでも、ない。
模試の偏差値に一喜一憂したり、テストのために勉強することでもない。

教育屋であるわれわれがなすべきことは何か。
それは、生徒に骨太の確かな学力を身につけること。
人権を尊重し、平和と民主主義、助け合いの精神の文化を創造する力
をつけること。
そのために、批判的に物事を見る力、論理的に説得する力、
学びへのこだわりをもち、学び続ける力をはぐくむこと。

盛岡三高は、参加型授業、普通科におけるSSH、SDプランなど、
まさに確かな学力を身につける先進的な試みを行い、
全国に発信している学校である。

それは、いろいろな苦労を乗り越えて築き上げた所産である。

我々はそれを決して放棄することなく、次代に継承していかなければ
ならないとしみじみ思う。




 

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