「2014年やったことリスト」から思うひとつの学習論

2014年も終わろうとしています。
今年の初めに、私はこの1年間の目標を
100個書き綴るという
「2014年にやったことリスト」
というものを作成しました。

その記事はここ

なかなか100個はでてきませんが、
頑張って書きます。
ただ書き綴るのでは芸が無いので、
私は、楽しみながら1枚の絵の中に
書き入れるようにしました。

ポイントは、
すべて「~を達成しました!」などと、
過去形で書くことですね。

因みに、私は、
今日の大晦日の段階で、
100個の目標の65個を
達成することができました!

100個プロジェクト

達成できたものに
花丸シールをつけています。

これは、単に書き上げるという
「魔法の呪文」によって
願いが叶ったということではなく、
書き上げることで、
「やるべきこと」
「やりたいこと」
「やるべきだがやりたくないこと」
「やらなくてもいいことだが、やりたいこと」
「今の自分に欠けているもの」
などが明確に自覚・整理され、
自分の考え方や態度に変化が生じ、
それによってポジティブな行動、
生き方に繋がっていったからだと思います。

例えば、私は半年で15kg以上の
ダイエットに成功しましたが、
それは、何かスペシャルな
メソッドによるものではなく、
意識や考え方の変容があったことで、
行動が促されたということに尽きます。

さて、ここで、話を
「授業」「学習」「教育」
に転じてみます。

こうして1年間の目標や
計画を立ててみて思うのは、
学習とは、学習者自身が、
自己の内部の欠乏や欲求を
自覚することによって、
目標が設定され、考え方や態度が変化し、
そこで初めて行動に結びつく
ものではないかということです。

学習者が目標をもたない状態で、
教師が一方的に知識や技能を
注入する「授業」は、
それがたとえ、効率的であったり、
大量であったり、
繰り返し的であったとしても
(むしろそうであればあるほど)、
成果は手に入らないと思います。

なぜなら、学習とは、
考え方、態度の変容を促すものであって、
刺激に対する反応を
強制するものではないはずだからです。

であるならば、教師が行う授業は、
ことさらテストの点数に
反映されることを急ぐのではなく、
子ども・生徒に内発的な動機づけを与え、
彼らに
「自らを拡張・更新するチャンスを与える」
ことを主眼におくべきではないかと
私は思います。

そのためには、他者との対話、
協働での問題解決、
失敗を含めての体験や、
教具等による抽象概念のイメージづくり
などの活動を意識的に行うことが
教育の役割であり、
教師の仕事でもあると思うのです。

私は今年の12月、
山形大学で本校の参加型授業について、
上に述べたような視点で、話をしました。

我々は、授業や、
授業による成果を語る際、
未だに行動主義的な見方に
立ちすぎやしないか。
もっと、大きな視点で
人を育てるという見方に
立つべきではないかという考えを
私は今強く思っているところです。


 

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