羽生選手の演技から

昨日の羽生結弦選手凄かったですね。

ゲストの松岡修造さんの

「羽生の高い表現力は
優れた技術によって生み出されている」

というような話に、
思わず膝を打ちました。

基礎となる技術なしに、
素晴らしい表現はない。

これは、学力に関しても同じだな、
という意味で膝を打ったのです。

今、「学力」とは、
生涯にわたり学び続ける基盤を培う
という文脈の下、次の3つの観点が
学力の要素として規定されています。

① 基礎基本となる知識や技能
② 知識や技能を活用して課題を解決
  していくための思考力・判断力・表現力
③ 主体的に学習に取り組む態度

ここで、これまでの知識偏重型教育への
警鐘という視点から、
①よりも②③に力点を置いた声が
高まっています。

私も、このブログなどで、
②③の育成の必要性について何度も
意見を述べています。

ただ、誤解のないように補足しておくと、
思考力・判断力・表現力など
課題を解決する力は、
基礎となる知識や技能という土台の上に
築かれることは至極当然のことだということです。

私は、「知識や技能を詰め込む」ことは、
悪いこととは思いません。

「知識や技能」は頭の中に整然と
「詰め込まれ」ていなければ、
思考したり判断したりするために、
そのリソースに適切に
アクセスできないと思うからです。

知識が詰め込まれることには罪はなく、
「詰め込み教育」と呼ばれる、
考える楽しみを奪うような
知識偏重教育が問題なわけですね。

確かに、知識技能の前提なしに、
言語活動やグループワークに飛びついて、
生徒をコントロールできない、
いわゆる「活動ありて学びなし」の
痛々しい授業はよく見かけます。

では、知識や技能が身につくのを待って、
然る後に思考させ表現させる
授業を行うべきなのでしょうか。

結局、「アクティブラーニング」や
「参加型授業」を嫌う先生方は、
知識・技能の基礎基本の「詰め込み」
が前提にあって、
その遥か先に
「知識を活用するような授業」がある
といいたいようなのです。
だから、今はまず、
余計なことを考えずに
言われたままに基礎を積み上げろ、と。

でもそんな彼らの授業を見て思うのは、
実は基礎基本を
一方的に講義すること以外の学びに
価値を見出していないのでは、
と思えてならないときもあります。

基礎基本の指導の中であっても、
思考させ、表現させながら
定着させる方法はいくらでも考えられます。

五官を使って知識・技能の習得と、
思考・表現を一体的に行う優れた授業は
本校の先生方の授業の中にも
たくさん見ることができます。

例えば、ディベートの授業は、
教室内で表現を競う場です。

しかし、その表現を生み出すために、
事前に、自ら問題意識を持ち、
相当な知識を、
あらゆる資料をひも解いて研究し、
仲間と議論を深めることで備えます。

つまり、表現の場が与えられるがゆえに
知識・技能を必死で身につけるという
モチベーションが生まれているわけで、
決して、知識・技能を身につけることが
最終目標ではないのです。

これは、まさに、
フィギュアスケートの世界と同じですね。

そういう意味でも、
本校にディベートを最初に取り入れた
先生の卓見に敬意を表します。


私たちは、思考させ、表現させる学びを
生徒に与えたいからこそ、
工夫を凝らして知識・技能の「詰め込み」
を行うのであって、
決して「詰め込み」を行うことだけが
本道ではないのです。
(もちろん知識を詰め込む過程だって、
楽しく展開できるのですが)

そこの理解に及んでいるかどうかが、
授業改善を行えるかどうかの
分岐点ではないかと思います。


 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/557-07e08795