数学的帰納法とペアノの公理

一昨日、ある授業を覗いたら、
数学的帰納法の説明をしている
光景に出合いました。

その先生は、ドミノ倒しを例にあげて
説明していました。
ドミノが倒れるための条件、

①最初のドミノが倒れること(n=1のとき成り立つ)
②k番目のドミノが倒れればネクストの
ドミノも倒れる(n=kのとき成り立てば
n=k+1のときも成り立つ)

が、数学的帰納法と構造的に似ているので
わかりやすいですね。


今回は、数学的帰納法について、以前、
ある先生の授業の感想メモに書いたことを
以下に述べたいと思います。

人類は、その発展の過程の中で数を発見し、
数学を作り上げてきました。

そして、数学の発展に伴って、
数学的「無限」の概念を生み出し扱ってきました。

さて、では無限とは何か。
「無限にたくさんある」とはどういうことか。
例えば「奇数全体の集合」と
「三角形全体の集合」とは
どちらも無限に「ある」けれど、
その無限に違いはあるのか・・・・

ここでは、無限の概念として、
奇数全体の集合や、素数の集合のように
小さい順に並べて数えられる
集合の個数についての無限を考えます。

このような無限は
写像の考えを使って定義されます。

つまり、我々が一般的に使う
無限数列の項数などの「無限」とは
「自然数の集合と1対1に対応をつけられること」
と定義するわけです。

ならば、自然数の集合はどのように
定義されているかが問題になります。

自然数の定義の一つとして
「ペアノの公理」と呼ばれるものがあります。

これは、宇宙のどんな知的生命体でも
有する概念だろうといわれています。 

ジョディフォスター主演の
コンタクトという映画では、
次のような印象深いシーンがあります。 

天文学者のエリーはある日、
何光年も彼方の星雲(ベガ)から、
2、3、5、7、11、・・・
と素数回数が続くノイズをキャッチします。

驚いて、マスコミに
「これは知的生命体からの信号だ」と発表します。

多くの学者達は

「知的生命体ならなぜ、言語ではなく
そんな数の羅列を」

と否定的コメントを出します。
そのときエリーの言うセリフは

「英語は高々地球の30%の公用語だ。
しかし、数学は宇宙の公用語だ。
(Math is only true universal language!)

素数とは1と自分自身としか割り切れない数。
だから、この信号には意図がある」

というものです。

余談が長くなってしまいましたが、
ペアノの公理とは次のようなものです。

集合Aに対して
Ⅰ 最小の数「1」が存在する。
Ⅱ Aの任意の要素aに対し、
  その後続(a+1)が存在する。
Ⅲ 「1」はAのいかなる要素の後者でもない。
  (「1」より前の要素は存在しない)
Ⅳ Aの異なる要素は異なる後続を持つ。
Ⅴ 「1」がある性質を満たし、
  aがある性質を満たせば
  その後続もその性質を満たすとき、
  すべてのA内の要素はその性質を満たす。

以上の5つの条件を満たす集合を
「自然数の集合」と定義するわけです。

ここで、Ⅴを、数学的帰納法の原理といいます。

日常的に使われる「帰納法」というと、
ある現象について、特定の場面の観測や
実験などの経験によって、
一般法則を類推することですが、
数学的帰納法は「帰納法」という言葉があるけれど、
それとは異なり、全ての場合を、
もれなくある法則が成り立つことを調べ上げることです。

しかし、
無限に続く命題の列P1,P2,P3,・・・ があったとき、
それらが全て真であることをいうのは
どんなに時間があっても無理です。

そこで、まず1番目の命題P1を示した後、
「k番目の命題Pkが成り立てば
ネクストも成り立つ」というシステムを確立すれば、

「無限に続くすべての命題が
真であることを示したことにしよう!」

と高らかに宣言しようというわけなのです。

数学的帰納法の原理(=「自然数の定義そのもの」)
とは、実は人間という知的生命体の
根源的な認識であるかもしれません。

であるならば、私たちが生徒に教えるときは、
証明の書き方やノウハウだけでなく、
理念をきちんと考えさせることが
必要なのだなあと思うところです。


 

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