夢を持て

今日は滝沢中学校で進路講演会でした。
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しもまっちと呼んで下さいね。といったら、
皆さんから本当に
「しもまっちー」
という掛け声があり、びっくりしました。


さて、

このような、数校が集まってリレー型で行う
講演会を何度か経験する中で思ったことがある。

それは、このような講演会では、
必ず「進路を早期に決めること」
「夢を最後まで持ち続けること」
という話がなされることである。

生徒も、感想発表では
必ずと言っていいほど
「早く夢を持ちたい」とまとめる。

でも、私はその言葉にいつも疑問を抱く。
私は「夢を持て」とか
「就きたい仕事を早期に決めろ」
ということは絶対いわない。
すると、他人には、
それはどうも奇異に映るようである。

「夢を持て」
なんという漠然とした言葉。
そこはかとなく漂う無責任感を
感じるのは私だけだろうか。

「夢」の定義の問題もあるのだが、
そもそも上から目線で「夢を持て」
といわれる筋合いのものではないだろう。


夢を持てといわれて、
生徒は自分の
「数少ない経験の範囲の中で」
夢をとりあえず探す。

そうやって持った(持つことを強いられた)夢。

その実現のために頑張ることは、
正しい姿ではある。

では、その夢が叶わなかったらどうするのか。
後は、自己責任ではないはず。
夢を持てと言った教師の責任はどうなるのか。


そもそも、自分の夢を持ち続けろ、
といい続けた教師が、
センター試験が終わってから業者のSSを見て、
「君はこの大学なら判定がBになるからこっちを受けろ」
というのもよく見かける光景でもある。

例えば、夢を語るなら、
「夢を持て」と放り出すのではなく、
「夢を創りだそう」
「夢を形にしてみよう」ではどうだろうか。

もう一つ。
「夢を創り出しその夢を更新していこう」ちょっと変か・・・
では、
「どの場所にいても、自分の周りにある夢を見つけ出そう」
これならどうか。

進路指導で大切なことは、
夢が変化しても、自分の中で
ぶれない軸(価値観)を持つこと、
そして、夢破れても対応できる
方向感覚を持つことではないか。

これらは、キャリア・アンカー
(職業生活における錨のポジション)
とキャリア・アダプタビリティ
(変化への適応)と呼ばれる。


夢追いが、生徒に強迫観念を与え、
「夢の決め打ち」→「挫折して立ち直れない」
という方向に流れてしまっていたことが
これまでのキャリア教育の
失敗ではないかと私は思う。

賛否がありますね。

この話は、いつかきちんと
整理したいと思います。


 

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