難関大講座の問題から

先日の難関大講座で扱った問題です。

東大2012 ベクトル

この問題を解く前に、
ポイントである

ベクトルの正規化

の意味について説明しました。

これは、「ベクトルを自分自身の大きさで割る」
ということなので、
「大きさを1に縮小(拡大)する変形」
と見ることができます。

向きの異なるベクトルを、同じ大きさに揃えることで、
様々な計算や分析がしやすくなります。
この変形を、「正規化」といいます。

さて、講義では、この問題を解く前に、
次のような例題を取り上げました。

ベクトルの正規化問題

皆さんはどのように解きますか。

一般的な解答は次のようなものでしょう。

ベクトルの正規化解法①

では、こんな解答はどうでしょう。

ベクトルの正規化解法②

解法①は、条件に適する公式にあてはめ、
演繹的に結論に向かう、
いわば正攻法的な解法です。
人によっては、解法②は
「裏ワザ」「邪道」などという人がいます。

でも、本当に②は邪道でしょうか。
私はそうは思いません。

穿った見方をすると、解法①は、
「解法パターン」を覚えて、頭で考えずに、
「手の運動」で解くという手法、
解法②は、式や条件の持つ「意味」に着目し、
「頭を使って」解くという手法とも言えます。

数学とは何か、と問うと、多くの教師は

「数学とはいくつかの前提となる条件から、
公式など既知の解法パターンを駆使して
演繹的に答えを導く作業である。
そこから論理的思考力を育てる。」

などという答えが返ってきます。
私はそれに異を唱える者ではありません。

しかし、そもそも問題解決とは、
第一原理から論理の連鎖によって
導くものとは限りません。
式の持つ意味を考えること、
前後の文脈や、全体を俯瞰することで、
あちこちに転がっている手がかりを拾い集め、
手繰り寄せること、
結論から逆に推論を重ね、
矛盾なく前提と結びつけること
などが言えると思います。

そして、今、センター試験は、
「問題解決」という方向に舵を切って
作題されていることにも注視する必要があります。

センター試験は、所詮穴埋め問題です。
しかし、無用とも思える長い誘導は、
「読解力と判断力を見るための有効な手続き」
と考えることもできるし、
裏技的手法で無節操に解けてしまう問題は、
「文脈から演繹するだけでなく、帰納的に考えたり、
仮説設定したり、逆方向から見たりするなどの
メタ認知的な力も数学」
と言っているような気がします。

つまり、問題を読解し、俯瞰する力を評価しよう
という意図がセンター試験の作題から感じられるのです。

大量にドリルを繰り返し、有り余るほどの
問題演習の時間を授業に宛ててもなお、
岩手県の数学のセンター試験の平均点が
全国最低なのはなぜでしょう。

それでも教師は、
「まだまだ勉強時間が足りないから」
「演習量が圧倒的に足りないから」と、
生徒の自己責任問題にするのでしょうか。

教師が、問題の意味を語ることや、
数学の楽しさや奥深さを語ることをせずに、
「パターン問題を例示⇒類題で確認⇒演習問題のドリル」
という活動を一方的に繰り返す授業を行い続ける限り、
今後の大学入試に太刀打ちできる力は
身につかないと私は懸念します。

まずは、指導する教師が
数学を楽しむことから始めませんか。


 

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