ハイパーメリトクラシーを乗り越えて

昨日の講演会の写真を、
取材をしていただいていた
柳原様より送っていただきました。
ありがとうございます。
599下町先生

024質問対応圧縮

質疑の中で、いわゆる「生きる力」が
参加型授業で身についたかどうかを、
どのように評価しているかという話が出ました。
更に、そもそも、アクティブになれない生徒もいる
(じっくり型とか)中で、
そういう「人間力」的な部分を評価することが
是なのかという疑問もありました。

評価にかかわる部分では、
まさに今我々が直面している問題で、
SSHの評価と併せて様々考えているところです。

私の個人的な考えとして、
会場では次のようなことをお話ししました。

まず、教育社会学者である本田由紀先生の
ハイパーメリトクラシーとの関わりです。

まず、メリトクラシ―とは、
能力主義・実績主義のことです。
((merit、「功績」)+(cracy「統治」))
ハイパーメリトクラシーは、その亜種、
あるいは発展形といわれるものです。

メリトクラシ―では、個人の知識や技能に関して、
試験などの公正で客観的な手続きによって
能力を測定し評価するのに対し、
ハイパーメリトクラシーは「生きる力」「人間力」
といった客観的に可視化しにくいものにまで
評価を行い、業績主義が及んでいくという
側面があります。

すると、その評価は、行う側の都合で、
「場面場面における個々人の実質的・機能的な
有用性に即して個々人を遇する」
(多元化する能力と日本社会/本田由紀)
ことにならざるを得ないというわけです。

私は、本田由紀先生のハイパーメリトクラシー論
にはとても共感を覚えます。

しかし、一方、目の前の子どもたちに直接関わる
立ち位置にいる我々教師は、
だからといって立ち止まるわけにはいかないのも事実です。

つまり、学校教育法で学力の3要素が定義され、
グローバル化はますます進んでいく中で、
たとえどんなにそれを批判する言葉を持っていたとしても、
否応なく、我々は、生徒の意欲・関心・態度や、
傾聴力、コミュニケーション育成力などを
評価していかなければならない立場でもあるわけです。
であるなら、それは生徒に安心と希望を与える
方向に進められるものでなければならないと思うのです。

社会の枠組みが変化し、
求める学力観が変わっていったとき、
しかし、授業は従前のままであれば、
ジェネリックスキルは家庭環境や経済力などに依存し、
ますます格差が広がっていくのではないかと思います。

岩手は、今年の高校1年生で授業料を
納入する義務のある生徒
(つまり家庭の収入が両親併せて900万円以上)
が全体の8%という現実があります。
(東京は30%以上)

だからこそ、ハイパーメリトクラシー化において、
生徒の「生きる力」なりジェネリックスキルなりを
評価するには、それを見るような授業に
変えていく必要があると私は思うのです。

今回のファシリテーターを務めた
河合塾の成田氏の
「ジェネリックスキルは授業によって創造できる」
という言葉に私は勇気づけられました。

二つ目は、参加型授業の評価の問題です。
私たちは「参加型授業」「アクティブラーニング」を学ぶ、
といった時、往々にして、
その手法、技術的ノウハウに目がいきがちです。

しかし、私は、「授業をアクティブに」
という出発点からではなく
「ゴール」をイメージして、そこから逆算して
授業づくりを行うという視点が大切であると思います。

1時間ごとの目標、単元ごとの目標、
教科全体の目標、そして、教科内容だけなく、
他の教科に転移する力、
卒業後も活かされる力などについて目標を立てること。

そして、その達成を評価する方法や規準を考えること。
その上に立って初めて、生徒につけさせたい力を
評価するような授業が構築されるのではないかと思います。

先日、岐阜大の田村先生より
パフォーマンス評価の話を伺って、
思わず「これだ!」と思いました。
生徒の「ふるまい」「パフォーマンス」を可視化し、
評価するために行う課題(パフォーマンス課題)
を取り入れた授業が、
本校が目指すべき参加型授業
といえるのではないかと最近思っているところです。


 

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