ドラッカーのマネジメントを教育論として読む

前回のブログでCSRのことを書いたので、今回はその流れで、
少し古いのですが、Peter F.Druckerの「マネジメント基本と原則」
について語りたいと思います。
以下は、2年前に県庁に赴任した時に私が「マネジメント」について
書いた書評です。教育論とかぶせてまとめてみたものです。


ドラッカーのマネジメントが未だブームだという。
なぜこうも猫も杓子もドラッカーなのか。
この本は企業経営コンサルティングのノウハウ本ではなく、
いわば組織の生態学について述べたものだ。
だから、多くの人間が様々な視点でこの本の内容を咀嚼し楽しんでいるのだろう。
であるならば、私も、この本を教育論、授業論のアナロジーとして
勝手読みをさせてもらい書評としたい。

「マネジメント」には冒頭からドキリとする言葉が書かれている。
それは、「企業とは営利組織ではない」である。利潤動機を前提にすると、
結局利潤追求のためには何をやっても正義となってしまう。
ドラッカーは「利潤動機は、的はずれであるだけでなく害を与えている」
「この観念ゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。
この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である」
と述べ、更に「利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている」と断じている。

 さて、ここで、例えば「企業」を「学校で行われる数学の授業」に、
「利益」を「数学教育の成果」に、「利潤追求」を「偏差値向上」に置き換えて考えてみる。
すると、上に述べたことは次のように読み替えることができる。

「数学の授業は、テストの成績を伸ばすためにある」という前提に立てば、
偏差値を上げるためには、何をやっても正義になる。
なぜなら、生徒は、人より偏差値を上げたいという動機で数学を学んでいるから。
しかし、それは「的はずれであるだけでなく害を与えている」
「この考えが、数学教育に対する誤解と、数学への根深い敵意を生じさせている」
「数学の学力を伸ばすことと、数学を通して人格を陶冶し社会貢献する
生徒を育成することは矛盾するとの通念を生む」という感じになる。

 では、ドラッカーは、企業の目的は何であると述べているか。
それは、『顧客を創造すること』である。企業は社会の機関であり、
企業の目的は社会の中にある。そのため、人々が自覚していないニーズを探し、
提供することで市場を生み出すということが書かれている。
「顧客のニーズに応える」のではなく「顧客(のニーズ)を創り出す」
というところがポイントである。例として、コピー機やコンピュータの欲求は、
それが手にはいるようになって初めて生まれたと示している。

 さて、これも教育に置き換えてみよう。「顧客のニーズに応える」は
「生徒のニーズに応える」ということになる。生徒が国公立大学に進学をしたい
というニーズを持っていれば、それに応え、センター試験でよい点を取るために
鍛えることは、そのニーズに応えることになるだろう。
しかし、中には、「数学や理科は嫌いだから、文系の大学を志望する」などという、
ある種後ろ向きなニーズもある。生徒の「好き」「嫌い」という価値観やニーズに
教師や学校が目線をあわせ、その流れに沿って必要な手助けをするのは一面大切
なことではあるが、生徒は子供であるが故に、未熟で幼稚な判断を行い、
結果として不本意な進路を選択する可能性もある。

 そこで、ドラッカーの言うように、「生徒のニーズに応える」ではなく
「生徒のニーズを創造する」という視点に立って考えてみる。
私たちが教育を行う場で、教師が、その学識や経験を基にした指導を行う中で、
生徒を啓発し、潜在している興味関心を引き出し、広い視野を持たせ、
「学び」に根ざした高い進路意識を持った生徒を創造することが、
教育の一つの使命であると考えられる。そして、そのような教育は、
個に依存するものではなく、教師集団の組織としての力量が問われる。
ドラッカーのマネジメントは、教育に携わる者へも多くの示唆を与えている。
 

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