昨日行った「情報」の授業が
なかなか面白かったので、
ブログにまとめてみようと思います。
今回の授業の前の時間、
ユビキタス社会についての
学習を行いました。
これは、コンピュータが小型化、
高性能化し、様々なモノや、
いたるところに情報技術が
取り入れられることによって、
快適な生活が実現されていく
という話です。
この授業を行った後、生徒たちの
振り返りシートを眺めていたら、
こんな記述に目が止まりました。
「便利になりすぎて自分たちを
追い詰めているかもしれない」
「コンピュータがどんどん小さくなっていき、
人間がコンピュータに管理される
時代が来るのかなと思った」
「コンピュータに支配されないよう
急激な成長、進化をさせず、
ゆっくりとその先について考えながら
モノをつくるべきだと思った」
「小型化し便利になるのは
人生でいろいろなことをするのに役立つが、
人間のあるべき能力を奪うと思った。」
快適で便利な社会になることは
必ずしも素直に喜べない
という視点での意見ですね。
私は、これらの意見を皆で深め、
共有していきたいと思いました。
そこで、昨日の授業で、
「快適であることは幸せであるか」という問いを立てて、
ディスカッションを行いました。
ペアやグループで話し合った後、
何人かの人に発表してもらったところ、
次のような意見が出されました。
■お年寄りとか、社会的な弱者の
人たちにとっては
快適さを求めることは大切で、
それが幸せにつながる。
しかし、私たちが快適すぎると知恵を失い、
いざという時に力を出せないかもしれない。
■快適すぎることで自分の実力を
発揮する場が失われる。
快適であることがあたりまえになっていくと、
そこに幸せを感じることができなくなる。
■障害がある人が幸せになるために
快適さを追求することは必要。
でも、私たちの経験した応援歌練習のように、
苦しさや辛さという快適ではないものを
乗り越えることで、達成感のような
幸せを感じることもある。
■快適であることが幸せであるとは限らない。
コンピュータが与える快適さには限界がある。
■幸せとは、自分で課題を見つけ、
それを解決しようと人生を切り開いて
いくことではないか。
ずっと快適なままだと幸せを感じない。
■ユビキタス社会ではなかった昔、
「快適」も「幸せ」も存在していた。
今、快適、幸せの定義が変わっている。
幸せとはコンピュータによって
もたらされるものだけではない。
■快適≠幸せである。
例えば、エアコンを使うと、
そこにあたっている人は快適で
幸せ感があるが、環境を害するといった、
他の人を不幸せにしているということもある。
自分だけとか、自分の親しい仲間だけが
快適になることで、多数の不幸を
作っているということも
考えなければならない。
■快適とは心地よいこと。それは幸せなこと。
快適を求めることは
人間の自然な考え方なので
いいことではないか。
人は、現在の快適さに満足せず、
さらにその上の幸せ、快適さを求めていく。
これは前向きな考えではないか。
■快適であるとは「ラクをする」
ということでもある。
そういう意味では昔の人は
快適ではなかったけれど幸せだった。
■皆からいっぱい意見が出たということは、
幸せも快適も個人によって
考え方が違うものだ。
答えを一つにしていく必要はない。
■「快適であることは幸せであるか」という問いは、
昔は貴族とか一部の特権的な人間が考えていた。
今はこういうことを広く一般的な問いとして
皆が考えていけるようになった。
これはネット社会の良さではないか。

正味25分程度のディスカッションでしたが、
こんなにも様々な意見がでることに
私は感心し、それこそ「幸せ」を感じました。
そして、私が抱いたその「幸せ」には
続きがありました。
授業の最後に、
いつもの振り返りを行ったのですが、
その言葉から皆の真剣さが
ビンビンと伝わってきたのです。
これは教師として最高の幸せですね。

そこで以下に、全員の振り返りを
紹介したいと思います。
原文のままです。
少し私のコメントもつけました。
まず、幸せは人それぞれの価値観によって
異なるという意見です。
■私も幸せの感じ方は人それぞれだと思う。
確かに快適なことは幸せだと思う。
でも、意見にもあったように、
一部の人が快適になることで、
他の誰かが快適じゃなくなる
場合もあると思う。
世界中誰もが幸せになるためには
「快適さ」ということが基準ではないと思った。「幸せの基準を快適さに求めない」これは卓見。
学校経営的にもアジャストしました。
■快適な社会になると自分が幸せだ
と思うことは増えると思うが、
自分から幸せを求めたり探究したりすることは
いずれなくなるのではと思った。
現状で満足する人と、まだ幸せだと思えない人とで
差が大きくなってしまうのではと思った。
■快適がどんなものなのか
よく分からないけれど、
幸せと感じるかどうかは個人の意見だと思う。
自分は本屋に行くと幸せに感じるが、
快適になるということは、本屋に行かなくても
本が手に入るということ。
これは確かに快適だが幸せには感じない。
やっぱり快適=幸せではないと思う。
■快適ってなんだろう。
快適って感じるかどうかも
人によって違うと思う。
快適って感じたらそれはその人にとって
幸せなんじゃないかと私は思う。
■幸せは人それぞれの
価値観の違いだと思う。
自分の心が豊かなのか狭いのかによって、
感じ方も違うと思った。「幸せは築くのではなく気づくこと」
という言葉が思い出されます。
■様々なものが進化して快適になる一方で、
それは幸せではなく、
ただのラクしたいだけなのではと感じた。
もちろん必要な人には必要でもある。
幸せとは快適ではなく、
人々の感じ方によって異なっていると感じた。
■幸せは人によって違うものだと思う。
都市部と比べて不便な生活を送っている私は、
都会の人たちは幸せだろうなと思うし、
快適な生活だけど欲求
(自然に囲まれた中で生活したい、など)
が満たされていない人は、
田舎で暮らしてみたいと思うし、幸せは、
その人の欲求が満たされるかどうかなので
人によって違うと思う。
■幸せの価値観とは人によって
必ず違うはずなので決めることはできない。次に、幸せと快楽はイコールではない
という意見です。
例えば、幸せは自らの感度を高めること、
あるいは苦難を乗り越える中で培われるもの、
といった、自分が成長するという視点ですね。
■小型化し便利になるのは役立つが、
人間のあるべき能力を奪うと思った、
という意見が本当にそのとおりだと思った。
快適なことで幸せを感じることも
あるかもしれないが、快適=幸せとは限らず、
快適過ぎることは自分でやり遂げることの
楽しさを奪ってしまうと思った。
コンピュータがないと
何もできない人間になってしまう。
■快適があたりまえになると、
自分の幸せの感度が下がっていくと思う。
私は「快適」よりも何かに全力で取り組んで
成し遂げる時の達成感を味わうことが
幸せだと感じた。全力で集中する(フロー状態)ことと、
やり遂げたという達成感を持つこと、
どちらも幸せをはかる指標かもしれませんね。
■快適であることは
あまり幸せではないと思った。
理由は、快適が当たり前になってしまうと
自分の力がちゃんと出せずに
幸せを感じなくなると思ったから。ありがたみを持たなくなるということですね。
人への感謝の気持ちが失せてくる
ことにもつながりそうです。
誰かに感謝する日々を送ることも
幸せの条件かもしれませんね。
■今日は快適な暮らしとは幸せか
ということについて話し合った。
快適とは幸せではなく
楽をしているだけだと思うので、
自分で課題を見つけ
乗り越えていくことが幸せだと思う。
■快適はすごく便利なことだし、
好きなことをできるからいいと思うけど、
人として成長することが幸せだと私は思うので、
快適は知識をたくわえられず、
成長がそこまでではないと思いました。
■昔の人はまだ便利な機械が少なかった分、
自分たちで探究して生活していたので、
知恵や技術が豊富だけど、現代の人は、
便利なものに頼ってしているので、
技術や知恵が少ないのだと思った。
だから幸せとは言い切れないと思った。
■幸せ≠快適という意見に共感した。次は、今回のディスカッション
全体についての感想とか、
俯瞰した意見です。
答えを一つに決めず、
多様な意見を認め合う
というスタンスも見られます。
■今回みんなの意見を聞いて
一人一人しっかりと考えを持っていて
なるほどと思うことがたくさんありました。
普段の生活でもこのような
意見の交換ができたらいいなと思った。様々な授業の中で、
このようなディスカッションをする
場があればいいですね。
■「快適であることは幸せだが、
快適過ぎると幸せを感じなくなる」
という意見が私の意見に近かったです。
答を一つに決めないということも
良いと思いました。
■快適が幸せだと感じるかという
感じ方にも個人差があり、
なるほどと思った。
■この問いに答えはなく、
一つの答を正しいと思ってしまうことは
危険であるという意見になるほどと思った。
■多種多様な意見がありとても面白かった。
快適であることが幸せだと思わないが、
他のいろんな意見を聞いてみたいと思った。
■YES,NOに関わらず自分の意見を持ち、
他人に押し付けることが
ないようにすることもまた大切だと思う。
■幸せというのは人によって異なり、
たくさんの意見が出て面白かった。
自分は快適な生活を送るための
エアコンなどにより、
世界全体の環境などにも影響があるので、
そのようなものの使い方については
注意していかなければならないと思った。
また「社会的弱者にとっては
快適で幸せなのではないか」
という様々な人の立場からの
意見を聞くことができた。
■いろんな快適があって
いろんな幸せがあることを
理解していきたいです。
■「幸せとは築くのではなく気づくこと」
今日はとても濃い内容のことを
みんなで考えられたと思います。
最後の、「それぞれ個人で意見は違う」
ということは、ほんとにそうだと思います。
この違いを人は受け入れる必要があると思う。
■この問を考えることによって、
自分たちは「快適に過ごすことができている
恵まれている人間だ」
ということに気づかされました。
快適であるのはすごくいいことだと
感じましたが、
幸せとはちょっと違うんじゃないかと
私は思いました。次に、ユニークな意見として、
言葉の定義について書いている人もいました。
■快適ということばの捉え方によって
違っているのだと思った。
使い方を選ぶことが大切だと思った。
■快適という文字の意味だけでいえば、
心地よいという意味なので
幸せではないのか。
快適過ぎて幸せじゃないという状態は
「快適」という文字では表せない。その他、様々な意見です。
■答えのない問いだったけど、
皆の考えが深いと思った。
快適にしてくれるコンピューターは
幸せの一つのパーツだと思った。「PCは幸せのパーツの一つ」
面白いですね。使わせてください。
■個人的だけど、
みんなと笑って一緒にいられて、
毎日平和に生きていられるだけで、
私は幸せだから、モノを手に入れるとか、
権利を手に入れるとか
そんなことがなくても、私は幸せです!!このポジティブな生き方、かっこいいですね。
まさに幸せとはかっこよく生きることかな。
■個人的には、車に乗ること、
スポーツをすること、いろいろなことには
デメリットが付いてくるので、
快適になることにデメリットを
うんぬんすることはナンセンスだと思う。これは深い考えだと思います。
つまりすべての物事には
陰と陽の部分がある。
快適さにも幸せも、そもそもが、
デメリットを内包しているものだ、
と私は受け取りました。
■僕は、快適で幸せな生活というのは、
永遠に続くものではなく、
一時的なものだと思うので、
そのひとときを楽しめれば
いいのではないかと思う。快適さと快楽について
あらたな視点が生まれそうですね。
■考えによっては幸せであったりなかったりで、
〇〇=幸せ、というのは
もはや洗脳に近いものだと分かった。
メディアが、「幸せ」を提起し、
それが押し売りされる。
そして多くの人々による
同調圧力によって
個性、多様性が失われる。
それは洗脳なのかもしれませんね。
■快適であることは
幸せであるかもしれないけれど、
裏には不幸があることも忘れないようにする。
■幸せというものは、現在進行形で
存在しないんだと思う。
今快適な人はその前に、
何らかの努力をしていた人で、
そのような人は
快適になっていることに気づかず、
更に努力をし続ける。
他人から見たら幸せでも
その人はまだ先を見ているわけで、
その先に辛いものがあったとき、
「ああ、あのころは幸せだったなあ」と
気づくものだと考える。
このようなことから、幸せとは、
つくるものではなく、できるもの、
あるのではなく、あったもの。
過去の過程を経て存在するものであり、
今幸せだと感じている人は、
過去の自分の記憶をよみがえらせて、
どの過程が幸せを決めていて、
それを達したとき幸せだと
いっているのだと思う。「幸せは、現在進行形で存在しない」
なかなか鋭い視点ですね。
なんとなくイチローとか、アスリートの
考えに近いかなと思いました。
■ニートとかってコンピュータとか家の中とかで
快適に暮らしているけれど、
それで幸せな人っていないと思うんです。
俺が思うのは、不幸と幸せの架け橋が
快適ではないかと思うんです。
図解入りでした。
これはもっと掘り下げてみたいテーマですね。
■みんなからいろんな意見が出たけれど、
僕は快適であることは幸せである
ということに少しくらいは
イコールになっていると思う。これって、ディスカッションの中で、
かき消されそうな意見かもしれませんね。
このつぶやきで多くの人は
立ち止まるかもしれません。
ちょっと長くなってしまいましたが、
以上、昨日の授業を振り返ってみました。
私は、この記事をまとめながら、
職員集団も、生徒たちを見習って、
職場でこのような議論をすることが
必要ではないかと強く思いました。
例えば、
学校(教師)にとって
「快適さ」と「幸せ」の違いは何か、
快適さを生み出す営みと、
幸せを生み出す営みは同じものか。など。
一昨年度から行ってきた
花高活性化プロジェクトは
そういう語りの場という意味もありました。
それは、本当に大切なことを
本当に大切なことにする営みです。
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