第51回クリエイティヴサロン

だいぶ以前の話になりますが、
10月14日に東北文化学園大学で行われた
「日本創造学会第51回クリエイティヴサロン」
についてまとめてみたいと思います。

私は、

「育みたい生徒像に基づいた
学校ぐるみですすめるアクティブ・ラーニング」

というテーマで第一部の講演を
させていただきました。

創造学会講演01LT
(写真は参加者の多々良穣先生からいただきました)

事前にアナウンスしたアブストラクトは
以下の通りです。

我が国におけるアクティブ・ラーニングは
しばしば「ラーニングピラミッド」を伴って登場し、
「学習定着率を高めるスペシャルなメソッド」
という文脈で語られてきた面がある。

しかし、その後、様々な議論を経る中で、
アクティブ・ラーニングは、
単なる授業手法を越えて、
「生徒が主体的に学びに向かう状態として」
「アクティブラーナーを育てる組織論として」
「未来に生きる子ども達を送り出すための
教師の見識として」
リメイクされ語られていると考えている。
本講演では、それらに応じて、
「主体的・対話的で深い学び」
「カリキュラムマネジメント」
「教師のマインドセット」の3つの視点に立ち、
盛岡三高の「参加型授業」の取組や、
現在花巻北高校で行っている
「花高活性化プロジェクト」
の実践を紹介しながら
アクティブ・ラーニングを問い直したい。

教師が主体性を持ち、自らの言葉で語り、
自分たちの意思で創り、進める学校改革の
ヒントとなれば幸いである。



直前までいろいろな用務があって
なかなか講演資料を
作ることができませんでした。

仙台に出ける直前に作ったスライドです。

自己紹介創造学会

時間の節約のため、
自己紹介を10秒で行うためにつくりました。

講演の内容は、先日熊本で話した
子どもの主体化についてが中心でした。

教師は、キャッシーデビットソンや
マイケル・オズボーンの言葉を
判で押したように引き合いに出し、
社会のドラスティックな変化を語り、
だから生徒は変わらなければならない
と唱えます。

そして、子どもを学校教育の内側、
つまり、教師の掌の上で変えようとします。

でも、私が思うのは、そもそも子どもは
主体的な存在だったのではないか
ということです。

それが教育という「社会化」のフィルタによって、
「主体な」自分がどんどん潜在化して
しまっているのではないか
という気がするのです。

とすれば、教師は、生徒を変えようと、
過剰に足し算をするのではなく、
むしろそんな過剰な自分の鎧を脱ぐ、
引き算をすることが必要なのではないか。

つまり、子どもたちに
「知識や技能」と同様のやり方で
「主体性」までも叩き込もうとするのではなく、
そもそも既に持っている主体性を
「あるがままに」顕在化させるように、
教師のマインドや学校教育の在り様を
変えていくことが必要ではないか
といった話ですね。


さて、私の講演の後に行われた、
石井力重さん(アイデアプラント代表)の
ワークショップがとても面白かったのです。

そのワークの中で、
アイデアスケッチを描くという活動がありました。

漫画の描き方のショートレクチャを受けた後、

「主体的、対話的、深い学びを
達成するための方策を考える」

というテーマで、思いつくアイデアを
A4の紙に描き、それを共有し、
深めていくというものです。

ほんの数分の活動なので、
ざっくりとしか描けませんでしたが、
想像力・創造力がかきたてられ、
とても楽しい時間を過ごすことができました。

私のアイデアは下に示すようなものです
(星17個もらいました!)。

創造学会ワークLT

一応解説します。

「主体的で対話的で深い学び」を実践しようと、
アクティブなティーチャーたちが、
優れたコンテンツを開発し、
一生懸命授業を行います。

それは素晴らしいことでしょう。

でも、それをシャワーのように浴びせられる生徒は
結構タイヘンですね。

そこで、それぞれのコンテンツの充実から、
そのコンテンツ相互の繋がりを
コーディネートすることを考えるという提案です。

基本的に50分×6コマなどという
授業時間は固定しません。

例えば、月曜の1時間目は10分にして
マインドフルネスの時間にするとか、
ある日の数学は20分で
別の日はフィールドワークを入れるから
120分にするとか、
この日は化学と歴史の合教科で行う等々。

そういったことを教科間の連携を促しながら
学習者とともに創造していくというプランです。


ちなみに、石井さんのホームページに、
この日の様子が詳しく書かれております→★★


最後に、上にあげたようなことを書きながら
思ったことを以下に記しておきたいと思います。

今、私たち教師だけではなく
あらゆる人たちが教育を語っています。

いろいろな課題が出され、
そしてこうすればいいのではないかと
様々な提案がなされます。

もちろん、このように広く教育が語られることは
大変好ましい状況だと思います。

しかし、私たち教員は、
そういう意志と言葉を持っているだけではなく、
それを実体化するものでなければならないのです。

するとその時、
「学習指導要領の法的拘束性」、
学校の人的管理、物的管理、運営管理は
教育委員会が行うという「設置者管理主義」、
センター試験などの「大学入試への対応」、
あるいは「格差や貧困」
など多くの壁にぶち当たるのです。

それは「同僚や上司のマインドセットを書き換える」
「カリ・マネで組織を変える」などとは
また次元のことなる構造的な問題です。

だからそういった壁を避けて
「主体的で対話的で深い学び」を提供するという
教師個々の自助努力や、
責任の所在をすべて教師や
その集団の在り方に求めるなど、
教師の内側に向かっていくロジックだけでは、
実体化は果てしなく厳しいと思うのです。

そうなると、もはや公教育はアカンと見切りをつけて、
オルタナティブの方向で
パラダイスを築けばいいという
話しになってしまうのでしょうか。

でも、多くの教師は、
そんな火中でもがきながらも、火の粉を振り払い、
健気にその枠の中で工夫を凝らし、
目の前の子どもたちをハッピーにし、
彼らと喜びを分かち合っていこうとしているのです。

管理職の使命はそんな彼らに光を当て、
ダブルバインドにメスを入れる存在に
ならなければと思うこの頃ですが、
自身の無力を感じるばかりであります。

そのような中で、志を共にする仲間と語り、
支え合いながら光を見つけていきたいものですね。


 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/1498-1483fe3f