PDCAサイクル

ここしばらく、つくば研修と同時進行で、
カリマネに関する記事を書き続けておりました。

今回も、カリマネのキーワードの1つである
PDCAサイクルについて思うところを書いてみたいと思います。

私は、学校現場にPDCAという言葉が入ってきたとき、
なんとなく違和感がありました。

PDCAってどんな凄い手法なのかと思ったら、
Plan(計画) Do(実行) Check(評価) Act(改善)
を繰り返すことで、学校経営などの事業計画を見直すというのですね。

そこで私が感じたのは、

「それは、ごく当たり前のことではないか」ということです。

さも何か新しいことのようにPDCAと謳うけれど、そんなことは
既に17世紀に書かれたデカルトの方法序説に始まり、
科学的な研究方法などはPDCAなんて言わなくても
そのようなサイクルで研究を進展させていっているわけです。

まあ、方法序説をもってくるまでもなく、日常でも普通に

「腹が減った」→「冷蔵庫の中を探す」 現状理解(C)
「卵とハムがあるのでハムエッグを作ろう」(P)
「フライパンに油を敷いて実際に行動に移す」(D)
「うまくできたか確認」(C)
「食べてみて、次からは野菜を添えてみようなどと考える」(A)

(非常にくだらない例ですみません)

だから、教育現場にPDCAサイクルが謳われるということは、
学校という場では、上から命令されるまま、
あるいは、前年度を踏襲して、などと、CやAがなされていない
という現状があるということなのだなあ、
としみじみ思ったものでした。

さて、そのような中、カリマネ研修の最終講義で、
大阪教育大学学長の長尾彰夫先生の
PDCAサイクルに関わる話には大いに膝を打ちました。

長尾先生の話を箇条書き的にまとめると以下の通りです。

〇 PDCAだろうがCAP-Doだろうがそれは、
  隣のおっさんもやっているあったり前のこと。
  つまり、これは万能薬などではなく、
  経験則に基づく物事を改善するための大原則である。
〇 逆にういと、絶えず実行し、失敗し、反省し、次に活かす
  という一般原則を超えるスペシャルなメソッドはないということ。
〇 問題はPDCAを理解することではなく、
  それをどう具体化するかが大切
〇 かつては教師には公的な権威、権力があり、
  理不尽と思っても子どもは学校・教師に従わざるを得なかった。
  しかし、今は、親、地域などのニーズを受け止めながら教育はすすめられる。
〇 学習指導要領を守るなど、リーガルマインドで教育は済んでいた時代から、
  今は「成果」を上げなければならない時代である。
〇 教師のプロフェッショナリズムとはコラボレイティブ。
  教師の専門職性とは協働して合意形成していく力を持っていること。
〇 協働性を持ち、PDCAによってカリキュラムマネジメントを
  集団的に行っていけるかどうかは、学校が学校でありうるか、
  教師が教師でありうるかという根幹を問う問題である。


言語化すると、ライブで感じた説得力が伝わりませんね。
とても納得できて、やる気が起きる講話でした。


今は、教師個人の力量の集積と、生徒の主体性にのみ依存する
学校は、最早、学校たり得ない。

だからといって、マネジメントの形式やノウハウを
どこからか持ってきて、適用させようとすることは、
カリマネではなく、
カリもの・ものマネに過ぎず、多忙感だけ助長される。

長くなってしまいましたが、長尾先生の講演から
私は、そんなことを感じました。

長文 お読みいただきありがとうございます。



 

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