るんびにい美術館で感じたあること

昨日、本校を訪問したオクラホマの方々に
少しお付き合いをして、花巻市にある
「るんびにい美術館」を訪問しました。

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花巻北高校から車で5分ほどの所に、
こんな素敵なスポットがあるなんて!

感動しました。

るんびにい美術館とは、
知的障害や精神の障害を持つ作者が
創造した表現作品を展示するギャラリーです。

月替わりで、いろいろな作者の作品を
クローズアップした企画展を行っています。

因みに今月は富士子さんの企画展でした。

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また、カフェ、ベーカリー、そしてアトリエもあり、
作者の創作活動の様子を実際に参観したり、
彼らと交流することもできます。

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るんびにい美術館のホームページには、
次のように書かれています。

私たちの心は、沢山のものを区別します。
障害者と健常者。おとなとこども。男性と女性。
国、人種、人や動物や植物…。

この世界は、
無数のボーダー(境界)でできています。
もしも、すべてのボーダーを心から消し去って、
それらをただ一つのものとして
見ることができたなら。

もしそんなことができたなら、
世界はどんなふうに見えるのでしょうか。

もしかしたら、そこにはただ命の
輝きだけがあるのかもしれません。

私たちは、見る人が命を感じるような、
あらゆる表現物を紹介したいと考えています。

命は、あらゆる境界線を越えて広がっています。
アウトサイドもインサイドもありません。

障害者も、そうでない者も。

ボーダレス・アート。

私たちがご紹介しようとするものを、
気まぐれにそう呼んでみましょうか。

ボーダレスはなぜだか魅力的です。
それは、きっと愛とよく似ているのです。



私が8月に企画している
「しもまっちwith FRIENDS」のポリシーと
全く同じだなあと、深く共感しました。

私は、この美術館の副代表である、
アートディレクターの板垣さんとお話をしました。

本当に共感しまくりだったのですが、
その中で一つ気づいたことがありました。

それは、教職員の不祥事問題についてです。

そのことを以下にまとめてみたいと思います。


美術館に足を運んだ時、
管内にカメラの絵が描かれた
注意書きのシールが貼られていました。

「撮影禁止の貼り紙なんだな」
と私は思いました。

ところが、よく見るとそうではなく、真逆でした。

写真は自由に撮って良いことや、
SNSで発信して構わない
ということが書かれていたのです。

私は、板垣さんに、アトリエで作家さんの
顔写真をとっても良いか伺いました。

すると、もちろんどんどん撮って
構わないとのことでした。

板垣さん曰く、写真を許可したり、
SNSでの発信を促すのは、
彼らの素晴らしさを
広く社会に示したいからとのことでした。

そして、発信によって活動が認知されていく中で、
作者である彼らに、
自信と誇りが芽生えてくるのだと話されました。

私はその言葉に大いに感銘を受けました。

るんびにい美術館は、障碍者であるがゆえの、
何ものにもとらわれない表現、
いわゆる「アール・ブリュット」と呼ばれる
作品を掘り起こして展示する美術館とは少し違います。

ここは、障碍者である彼らを、
創作活動によってアーティスト化する場所。

つまり偏見や差別を乗り越えるための
社会的活動を行う場に留まらず、
彼らに創作という力強い歩みを与え、
それを社会に発信していく中で、
彼らの「生きる力」を生み出していく
場でもあるのだと思いました。

私は板垣さんの話しを聞いて、
昨今の教員の不祥事問題について
私がこれまで考えていたことと
繋がったような気がしました。

教員の不祥事問題が起こる度に、
教育委員会から通知があり、
コンプライアンスの更なる徹底が求められます。

不祥事を「撲滅」するには、
「ひたすら管理職が職員に
言い聞かせていくしかない」と言われます。

結果、コンプライアンススピーチ、
職員朝会や職員会議での訓示や
コンプライアンス講話、
啓蒙パンフの配布などが繰り返されます。

でも私は、少し別の見方で職員の不祥事問題の
解決について考えていました。

それは、学校という教育現場の
内向き性からの脱却という視点です。

「教育公務員としての自覚を促す」ことは、
法律の条文やコンプライアンスマニュアルの
熟読を愚直に繰り返すことで達成されるのでしょうか。

まるでそれは、
「できない生徒は、100回ノートに書き写せ」的な、
旧来のパッシブラーニングの
手法のようにも思えてしまうのです。

私は、「教育公務員としての自覚を促す」ためには、
彼らを広く社会に発信し、
認知させていくような外向きの取組が
必要ではないかと思うのです。

学校の持つ貴重なリソースは
「誇り高きプロフェッショナルの教師集団」であり、
学校は、彼らと、彼らが有するコンテンツを
世界に向けて発信する使命を
持っていると私は思います。

教師のプロフィールや実績を正当に発信することで、
教師たちは社会からリスペクトされる存在となり、
その結果、誇りと自信が
培われていくのではないでしょうか。

教師の不祥事問題を無くすには、
頭ごなしに禁止や義務や制限を強いるより、
教師が外に羽ばたくための「自由の翼」を
持つことに私は意味を感じています。

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