第2回「花高活性化プロジェクト」

金曜日の職員会議後、今年度2回目の
花高活性化プロジェクトを行いました。

今回は、先生方からのリクエストもあり
「不登校について」をテーマに
取り上げました。

hkprj03.jpg

最初に、不登校の原因、背景、
誘因は何であるか、
学校、家庭、本人、社会の視点に立って
考えてみるという問いを立てました。

そして、その後、学校として
どのように取り組んでいくかについての
ディスカッションを行い、
各グループから提案するという形で終えました。

グループからは、

「外部リソースの活用」
「学習不安相談カウンセラーの設置」
「人間関係づくりのコンテンツ開発」
「一斉課題を見直し、個に応じたものに変えていく」
「親との連携、家庭への働きかけの工夫」
「応援歌練習の抜本的見直し」

などの意見が出されました。

hkprj02.jpg


その中で、特に私が印象に残ったのは、

「不登校は受け入れるものである」

という意見でした。

そうです。

不登校は「撲滅すべき」問題行動
ではないのです。

そして誰にでも起こり得るものなのです。

教師は不登校生徒を受け入れ、
彼らに寄り添うということを
基本マインドとして持つ、ということが
職員間で共有されたことは
大変意義があったのではないかと思いました。

2017hkprj01.jpg

私たちは、学校や教師が行う
「指導」に生徒は「普通に従うべき」
と考えています。

しかし、そのような中で、
実は、生徒と教師の間に
「そこはまあテキトウに」という
暗黙のコンセンサスもできあがっています。

そのような冗長性やゆとりがないと、
生徒は追い込まれる一方で、
破綻を生み出す可能性があるからです。

つまり、「普通に従う」という言葉の中には、
そんな「テキトウ性」も
内包されているのかもしれませんね。

そうやって、教師と生徒は、互いの利害の一致を
探っているともいえるわけです。

しかし、不登校になる生徒は、
教師や親の要求や期待に
過剰に答えようとする傾向が
あるのではないかと思います。
つまりそれだけ、ひたすら真面目で、
潔癖であるということなのです。

教師が「不登校に向き合う」ということは、
直接その子どもに向き合い、
聴従するだけでなく、
自分たちの行動は「これでよかったのか」と
内省するということでもあるのかもしれません。

私は、先生方の意見を伺いながら
そんなことを考えていました。

次回は、今回各グループが付箋紙にまとめたものを、
まとめて提示しながら、具体的な方策の決定に
進めていきたいと思います。

 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/1420-ad543cca