「2学年講演会⑥」

何だかんだで、
2学年の講演会シリーズ6回目となりました。
今回の内容が、この講演会で
一番伝えたかったことです。




6 知識とは何か

さて、次に「知識」とは何か、
そして知識を生み出すサイクルとは
どのようなものかについて、
特に、昨年読んで感銘を受けた
「学びとは何か」(今井むつみ/岩波新書)
という本に書いてあることを参考にしながら
私見を話していこうと思います。

(1) 知識って何だろう
0411k-19.png

上の写真は、私とある人が指した
将棋の対局の一場面から取り出したものです。
皆さんはこれを1分間だけ眺めて、
それを盤面に再現できますか。

恐らく将棋を経験したことのない人は
できないでしょうね。

将棋ができる人でも、
駒の種類や動かし方を知っている程度では、
再現できないと思われます。

でも、今ここにいる、佐野先生ならば
恐らくちらっと見ただけで再現できると思います。

なぜなら、佐野先生は花巻北高校時代、
将棋部で全国3位に輝いた方だからです。

佐野先生できますか?
(「できる」との力強いこたえがありました)


では、この図ならどうでしょう。

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(これはさすがにできないとのことでした)


そうですよね。

いくら佐野先生でもこれは再現できませんよね。


最初の図と二番目の図は、
盤上にある駒の数は同数です。

それなのに、なぜ最初の図は再現可能で、
二番目の図は無理なのでしょうか。

目の前にある事象を記憶するということにおいては、
どちらも同じではないか
と思う人もいるかもしれませんね。

それなのに、佐野先生はなぜこの図をチラ見
しただけで再現できると確信したのでしょうか。
(先生から話を伺う。
序盤の定石であることなどの説明がなされた)


佐野先生は、定石といわれました。
つまり、数学で言う定理や公式のようなものですね。

先生は、その定石を、
誰かに教わったり本で学んだりしたかもしれませんが、
それだけではないですよね。

他者との対局を繰り返すことによって、
きっと、生きて働く知識として
身についたのではないかと思います。

ちなみに、佐野先生は、
次の1手は何だと思いますか?
(「先手の飛車先の歩を突く」とのこと)

なるほど。さすがですね。
この図を見ただけで、次の差し手は
先手だとわかったんですね。

ここで、重要なことがわかりました。

この局面は、それ自体が
唐突に登場したものではなくて、
初手からの流れの中で
生まれたものだということです。

つまり、時間とともに移りゆく流動的な図と
佐野先生は捉えていたわけです。

だから、過去や未来の図さえ
イメージできるんですね。

私は、そこに、知識を生み出していく過程
のヒントがあるように思います。

最初の図には過去から未来に向かうメッセージ、
つまりストーリーが隠れているんですね。

それに対して二番目の図は
何らストーリーを持たない
(ストーリーを作り得ない)
無意味な情報なんです。

私は「知識」とは、盤面の図という与えられた事実と、
その背景にあるストーリーが一体となって
頭の中に整理され、進化している状態
のことではないかと思います。

意味のない情報を記憶する、
あるいは意味を捨て去って
ある事象を鵜呑みにするということであれば、
できるだけ余計なことは
排除するべきと考えられますね。

例えば「sdjhutnsklm」などという
無意味材料を記憶する場合は、
「情報量はできるだけ少ない方がラク」
「ひたすら繰り返し暗唱するだけ」
という方向で考えてしまうと思われます。

でも、

「しもまっちはシューズとサングラスと時計と
パーカーを買った。」

という文を覚えるときはどうでしょう。

「しもまっちは
『イーハトーブマラソンに出場するために』
シューズとサングラスと時計とパーカーを買った。」

というような情報を付加し、
ストーリー性を持たせた方が、
なぜその商品を購入するのかの意味が
理解できるので
記憶として定着されやすいはずですね。

例えば、ある先生が、
最初の図を生徒に覚えさせようとして、
次に示すような指導をしたとします。

0411k-21.png

分解して、徹底して繰り返す。
テストに出すよという脅しで覚えさせる。

すると、もしかしたら、
直近のテストでは再現できるかもしれません。

でも、それは、テストが終われば忘れてしまい、
生きて働くものにはなりませんよね。

今井氏は、このように
「知識=事実」ととらえるような
誤った理解を「知識のドゲルケバブモデル」
と呼んでいます。
ドゲルケバブとは、トルコ料理で、
肉片を集めた料理のことです。

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先生から教えられる「事実」を、
ドゲルケバブのようにひたすら
蓄積していくという知識観ですね。

我々が勉強しようとしていることは、
ねじり鉢巻きをして、
根性で「教師から教えられる事実」を
ひたすら暗記することなのでしょうか。

そうやって時間をかけてドネルケバブのように、
いっぱい頭の中に「事実の集合」を
詰め込むことが良い勉強なのでしょうか。

それが大学合格を勝ち取るための
勉強なのでしょうか。

これまで話したことを次のスライドでまとめてみます。

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知識とは、学校の授業で先生から教えられる
「事実」の集合ではなく、それらを得た生徒自身が、
これまで自分の中に持っていた事実と融合させ、
編み直していく過程であるということです。

つまり、その事実に潜む背景や、
事実どうしのつながりなどを含めたストーリーを
自分の中に創り上げていくことであり、
それが問題を解く力になっていくということです。

知識とは、随時構成され進化し続ける、
いわば生命体ともいうべきものなんです。

そのように、知識を進化させるためには、
教師からの教えを
ただ受動的に取り入れるのではなく、
自ら課題を設定したり、発信したり、
振り返りを行ったりという、
主体的で対話的な活動が必要ではないかと思います。

そして、そのような活動は、
興味関心を抱くこと、自分を俯瞰して見ること、
想像力を持つことといった、
学びに向かう姿勢によって増幅、
促進されていくと私は捉えています。




次回は「知を構成するスパイラル」です。

 

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