「主体性を育てる授業」

私は先生方に
「生徒の主体性を育てるような授業を」
ということをよく話します。

でも、考えてみると、言うのは簡単ですが、
実際に授業を行う先生方の中には
困惑している人もいるのだと思います。

具体的に何をすればよいか、
これまで行ってきた自分の授業を
どう変えればいいのか、
などといった不安を抱くかもしれませんね。

私は、授業を改善するには、
自分の授業動画を観ること、
自分の授業を人に見せること、
そして他人の授業を観て学ぶことが
始めの一歩ではないかと思います。

後は、学習者のリフレクションを
材料にすること。かな。

他教科の授業、あるいは、
小学校や中学校の授業、
もっと言えば、教えることを仕事にしている
他職種の人の活動にも、
自分の授業に取り入れるべき
多くのヒントが存在していると思います。

私はこれまで、多くの先生方の授業を参観し、
これは参考になる!と思った授業を、
ダイジェスト動画や
通信にまとめて紹介してきました。

今年も、できるだけ時間を見つけて
そのような取組を行いたいと考えています。

さて、そんな中、
先日、本校の数学科のミホコ先生から
とても嬉しい話を聞くことができました。

先生が、1年生の数学の授業で、
(a+b)^3 の展開を行い、
各項の係数が順に、
1,3,3,1になっていることを示した後、

「では、(a+b)^4 はどうなるでしょうか、
1,4,4,4,1でしょうか?」

という問いを投げかけて授業を終えたそうです。

すると、翌日の次の時間、
先生が教室に入ると、
黒板にこんな図が書かれていたそうです。

4jisiki01.jpg

樹形図を作って計算した力作です。
この解答からいろんな発展が生まれそうです。

これを書いたのはA君です。

すると、A君の友達のF君が先生になって
彼の解答の解説を始めたのだそうです。

nikou4ji03LT.jpg

nikou4ji02LT.jpg

nikou4ji01LT.jpg


ミホコ先生は、いきなりの展開
(この展開は授業展開という意味です)
に驚きつつ、その様子をスマホにおさめました。

そして、彼らの自発的な活動にとても感心し、
この話を私に伝えてくださいました。

「いやあ、授業ジャックされてしまいました」

ミホコ先生が、目を細めて
嬉しそうに語っていたのが印象的でした。

もちろん、教師が説明すれば、
もっと早く説明できるかもしれません。

そして恐らくもっと効率的に
まとめることもできるでしょう。

でも私は、彼らの行動は、
教師から与えられた「問いかけ」をきっかけに、
自ら問い直し、考え出していくことで、
頭の中にある「形式的な事実」の断片を、
揺るぎない「知識」として編み直していく
過程だったのではないかと思うのです。

私はこれこそが、
生徒の主体的な学びであると感じました。

そんな彼らの様子を見ていた
他の生徒たちも、きっと好奇心が湧き、
自分もやるぞ、という
学びに向かう姿勢が
芽生えたのではないかと推察します。
写真に写っている生徒の後姿に
それを見ることができます。

そして、このような学びの空間をつくった
ミホコ先生のコーディネート力にも
私は注目しています。


「公教育をイチから考えよう」
という本があります。

その中で、著者の一人である
リヒテルズ直子さんが、
オランダのイエナプラン教育の指導者
フレーク・フェルトハウス氏の、
「瓦の観察」の授業を紹介されています。

「瓦の授業」とはこんなカンジで進められます。

車座に座った何人かの参加者の前に、
指導者のフェルトハウス氏が、
おもむろにショッピングバックから
1枚の瓦を取り出し、
参加者の一人に手渡します。

それを順々に手渡ししていく間に、
フェルトハウス氏は問いを発します。

「何キロくらいあると思いますか」
「素材は何だと思いますか」
「あなたはいま窪みに触っているけど、
その窪みは何のためにあると思いますか」

などなど。

すると、途中から、誰かが夢中になって
立ち上がったり、
自分の仮説を延べ始めたりします。

フェルトハウス氏が繰り返す
「どう思いますか」という問いには
正解がありません。

だから、教師が事前に用意している答は
何かを想像する必要はありません。

その代わり、自分の仮説を立てるために
よく観察するしかありません。

たった1枚の瓦を、参加者たちが、
ああでもない、こうでもないと言いながら
多角的に観察し始めます。

瓦が参加者を一巡した後、
フェルトハウス氏は瓦の情報を提供して
この授業は終わります。

この授業の後、フェルトハウス氏は
次のようなメッセージを付け加えるのだそうです。

「どうですか、この瓦についての情報を、
いま僕はたった3分で告げることができました。
でも、その前に、僕たちは30分、
いや40分ほどもかけて、
ああでもない、こうでもないと
サークルで瓦を一巡させながら話をしていた・・・。
『なんて時間の無駄なんだろう』と思いますか?
『わかりきったことはさっさと教えればいいじゃないか、
その時間ほかの勉強をしたほうがましだ』
と思いますか」


リヒテルズ直子さんは次のようにまとめています。

さて、瓦一枚にこれだけ時間を費やすことは、
果たして無駄なことなのでしょうか。

それよりも、一つでも多く
テストに出そうな問題を解く練習を
したほうがよいのでしょうか。

グローバル化のもと、世界には様々な情報が
飛び交っています。
そういう時代には、少しでも多くの知識を
詰め込んでおかなければ、
時代から遅れてしまうのでしょうか。

そのことと、真偽の入り混じる情報洪水の中で、
生きた物事の本質に目を向けるために、
みずから問いを発し、
自分なりの答を探す方法を身につけておくこととは、
どちらが大切なのでしょうか。


ミホコ先生の授業の話を聞きながら、
この本に書かれていたことを
思い出していました。



参考&引用
「公教育をイチから考えよう」
リヒテルズ直子✕苫野一徳(日本評論社)


 

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