「P・振スペシャルワークショップ」

ええと。本題に行く前に、
ちょっと話は長いです。


もう30年近く前、私が20代の頃の話です。
仕事で大阪に出張に行ったことがありました。

泊ったホテルの部屋から、
路上の公衆電話(死語)の
電話ボックス(死語)が見えました。

驚いたのは、そのボックスの全面に、
ピンサロ(死語)のエロい写真と
電話番号が書かれたシールが、
びっしりと貼られていたことです。

ひええ、

大阪ってコワイ街だなあと思いました。

ところが翌朝、そのボックスを見ると、
昨夜まであったおびただしい数のシールが
きれいに剥がされていました。

ホテルを出て歩いていると、
他の電話ボックスの中に、
一生懸命シールを剥がしている
人の姿を目にしました。

なるほど。

公序良俗のために
働いている人なんだなあと感心しました。

仕事を終えて、夜ホテルに戻ると、
何とあの電話ボックスが
またおびただしい数のシールで
覆われていました。

見ると、その電話ボックスの中に、
今度は一生懸命シールを
貼っている人がいたのです。

denwa02LT.jpg


その時私はハッとしました。

その人が、朝シールを剥がしていた人と
同一人物に見えたからです
(違ったかもしれません)。

もし、同一人物なら・・すごいマッチポンプ。

物理的にいうと仕事量ゼロなのに、
お金が2倍動いているという。

驚くと同時に、
いろんなことを考えさせられました。

僕らの仕事って、
もしかしたらそんなものではないか。

自分たちの仕事のために仕事をつくっては、
それを処理することを繰り返すという。

何か身につまされる思いもしたものでした。


さてさて、話は変わります。

学校とは、子どもたちが
生き生きと楽しく学んでいく場であります。
特に昨今は、アクティブラーニングの
進展とともにそのことが謳われています。

しかし、現場では、主体性をどう育てるか、
などといったことをあまり真剣に
議論するような空気があるようには思えませんね。

それより、学力を向上させる「手法」や、
進路実績をあげるためのシステムの構築に
議論が前のめりに展開されているように思います。

つまり、競争に勝ち抜き、
目に見える「結果」を手にするために、
校務分掌業務や教科指導に心血を注ぐのが
教師の労働であって、
主体性だの、生き生きとした学びだのといった、
「きれいごと」を議論するのは
センチメンタルな人間愛を標榜する
お気楽な反競争論者などという
ムードが存在しているように感じるのです。

学校が、より強く、太いプログラムを用意し、
それに生徒を載せていくことは、
見える「成果」をあげることにつながると
教師も、そして親も生徒も
きっと信じているのでしょう。

でもそこには、一斉指導による効率性といった、
主体化と方向を異にするものが
潜んでいることに私たちは
注意する必要があります。

より強いプログラムが与えられたとき、
それに耐えうるパワーのある生徒は、
恐らくそのプログラムが何であろうと、
それを乗り越え、
かつ、主体的に学ぶ術も自ら手にし、
勝ち抜いていくことでしょう。

また、そのような与えられるシステムに
身を委ねることで
学校生活をくぐり抜けてきた子どもたちは、
上手に「思考停止」しながら
順応していくかもしれません。

でも、価値の強制や、
物量とスピードに戸惑いや
疑問を持つ子どもたちも存在するのです。

そのような子どもたちは、
そこで立ち止まることが許されない状況の中では、
不適応者としてドロップアウトしてしまいます。

学校がそういった、
むしろ主体化を疎外する場として
クローズアップされる中で、
子どもたちの主体性を伸ばし、
生きる力を生み出していこうとする場が、
学校の「外部」に多く生まれています。

それは、フリースクールのような施設であったり、
あるいは、草の根的に展開されている
様々なイベントであったり。

私は、そのような活動を一定に評価しつつも、
ある種の疑問も抱いていました。

それは、そのような学校の外側にある
「主体化」を行う場やムーヴメントが、
公教育に対するアンチテーゼとして、
あるいは、内向きな学校文化に対する
カウンターカルチャーとして
存在しているということに対する違和感です。

つまり、そういった学校文化があるからこそ、
そういう場が存在するという、
ある種の「共存関係」が垣間見えるからなのです。

実は、私が冒頭に書いた、電話ボックスの話は、
このことを考えていた時に思い出したものなんですね。

私が大野高校に勤めていたとき、
子どもたちに共同生活を体験させながら、
主体的に生きる力を育てるイベントを行っている
ある方と話をすることがありました。

彼は、学校が理不尽な場であることによって
自分たちの活動が担保される、
というような話をされました。

私は、子どもたちを
そういう二元論の中に追いやるならば、
彼らは、学校と、非学校の中で
自分を使い分けて生きることを
否応なく迫られてしまうのではないか
という疑問を抱くと同時に、
自分がやることが見えてきた気がしました。

それは、そういった学校の外部にいる
ファシリテーターの存在を、
学校の内部に取り込んで
学校を変えていくことです。

つまり、対立から親和に向かう意識の転換です。

そんなとき、出会ったのが、
八戸に在住のサマンサこと
才神敦子さんという方です。

出会った時の衝撃をブログに書いています。

こちらです→

私は、その後サマンサさんと、
その娘さんのロナさんと繋がって、
学校教育の中から学校の持つ
「負の潜在的カリキュラム」
(negative hidden curriculum)
を変えていく取組みを
ささやかに実行してきました。

そして花巻北高校でも、昨年11月に行った
「ハイブリットワークショップ」で
サマンサさんとロナさんに
お手伝いをしていただきました。

いやあ、とっても前置きが長くなりました。

実はここからが本題です。

4月22日(土)にPTA総会があります。

本校のPTA総会では午後の部として
講演会を行っております。

昨年は私が話しをさせていただきましたが、
今回は「P・振スペシャルトークセッション」と題し、
趣向を変えて実施します。

その中で、サマンサさんを
お迎えすることにいたしました。

最初に、サマンサさんから

「No Limit! ムリという口癖で限界をつくらない」

というテーマで、スピーチをしていただきます。
イメージはTED Conferenceです。

その後、生徒、保護者、職員の
3人のゲストコメンテーターとともに、
「理想の殿堂をつくるために踏み出す第一歩」
というテーマでワークショップを行います。

参加された皆さんにも、彼らの活動を見ながら、
同様の活動をしていただこうと考えています。

この講演会とワークショップは、
どうすれば成績が上がるかとか、
大学進学のためのノウハウを
示すものではありません。

そういったことを期待して臨んだ方は
失望するかもしれませんね。

でも、私は、生徒、教師、保護者が同じテーブルで、
理想の学校教育とは何かを語り合うことが、
今こそすべての学校で必要なことではないか
という思いを持ち、
今回のセッションをプロデュースしました。

保護者の皆様、ぜひふるってご参加ください。

フライヤはこちらです→



 

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