「承認欲求という難敵」

私は今、株式会社惣兵衛の代表取締役で、
Sobe’s Cafeのオーナーでもある、
畠山さゆりさんのプログラムモニターとして
お世話になっております。

第一クールでは体重や体形の
顕著な変化が得られました。

今、第二クール。

具体的な内容はモニターなので詳しく明かせませんが、
「うまくいきそうでいかない理由」で有名な
佐藤由美子さんと畠山さんは連携をとられていて、
佐藤さんの「10秒ワーク」の手法なども
取り入れておられます。

そのプログラムの中で、
いろいろな形でフィードバックをいただきながら、
私は多くの気づきや学びを得ています。

「さゆりメソッド」は非常に奥深く、
私は特に、学校教育に取り入れたい
エッセンスが豊富であることに惹かれています。

私は、このプログラムに取り組むことで、
今後の学校改革や教員研修の場などに
活用していきたいという思いがあります。

では、そんな中で生じた、
最近の気づきについて記したいと思います。


私は、毎朝ジョギングをしていますが、
走りながら考え事をしていると、
パッとしたヒラメキ(さゆり語によるとパカチョという)
がしばしば生まれます。

ま、後で冷静に振り返ると
たいしたことなかったりするのですが。

さて、先日雪の中決行した朝ジョグで
「承認欲求」のことをずっと考えていました。

すると、閃きがありました。

パカチョきた~!


それは、悩み事、不安、依存、怒り、
果てはアクティブラーニングや
カリキュラムマネジメントまで、
森羅万象あらゆるものが、
「承認欲求」というタームで
説明・分析できるのではないかということです。

例えば、不安やイライラについて考えてみます。

私はわりと心配性なところがあり、
人に迷惑をかけたのではとか、
自分を不快に思っているのではないかなど、
過剰に不安になることがあります。

だいぶ昔のことですが、私がある方に、
お世話になったお礼にと、ある物を制作し
贈ったことがあります。

ところが、その後、
返信がしばらくなく不安になりました。

最初は「ちゃんと届いたのか」
「住所は間違っていなかったか」
などの思いだったのですが、

その後、
「もしかしたら、贈られて不快に思ったのではないか」
などと自分を責める方向に妄想が膨らんでいきます。

更に「早く気持ちを落ち着けたい」という焦りから、
メールを頻繁にチェックし、
そして、メールが来ていないとわかると
とたんに力が抜け
「ストーカーと受け取られたのではないか」
などとまたあらぬ妄想が始まります。

このような自意識過剰・自分劇場型メンタリティは、
恐らくその人から「嫌われたくない」
「よく思われたい」「認めて欲しい」
という承認欲求によって生み出されていると思うのです。

そして、そのイライラが次のイライライライラを生み出し、
そのイライライライラが次のイライライライライライラ
を生み出す、いわば、自家発電的にイライラが増幅され、
再生産されるという、
負のサイクルに陥ってしまっているのですね。

更に、この葛藤が近視眼的に進むと、
「自分の正当性を探し出す(言い訳)」
「逆に相手を誹謗する(攻撃)」という危険な方向に
思考が働いていくのかもしれません。

ちなみに、その方からは、後日ちゃんとお返事がありました。
そして、私の一人よがりの顛末を正直に話す中で、
そんな自分の心の在り様を書き換えるための
ご指導までしていただきました。

その方は私が尊敬するメンターで、
今でも様々な学びをいただいております。

さて、話を戻します。

では、このような不安のサイクルから
脱するにはどうすればよいか。

アドラー的な言い方をすると

「他者の評価を気にかけない。
他から嫌われることを怖れない。
承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、
自らの自由な生き方を貫くことはできない。」

という思いを持って行動することなのかもしれません。

でも、それが簡単にできれば苦労はしませんね。

わたしは、朝ジョグしながら、3つの事を考えていました。

【その1 自分を俯瞰する】

自分の顔を鏡に近づけて見るほどに、
自分の全体像が見えなくなります。

むしろ毛穴や皺などの醜い部分にばかり
意識がフォーカスされてしまいます。

すると自己嫌悪のネガティブサイクルが始まるのです。

自分を見るには、鏡から距離を置いて
我が身を俯瞰すべきですね。

つまり、欲求過剰になって妄想をいだいている
自分に気づいてくれる、
「もう一人の冷静な自分」を心に棲ませておくことが
必要なのではないかと思います。

そうやって、承認欲求を、
自己のアンダーコントロールに置いておくのです。

【その2 「他者の鏡」の存在】

でも一人で、自分を俯瞰するのは
なかなか難しいですね。

そこで、冷静に自分を評価してくれる
他者の存在がとても大きいのではないでしょうか。

よい仲間に恵まれ、よい人間関係があれば、
承認欲求のマグマを沈めてくれるかもしれません。

【その3 リスペクトする人をつくる】

承認欲求は、他者との相対化によって引き起こされます。

例えば、自分を卑下するとか、優越感にひたるとかは、
他者と引き比べることによって起きます。

そのように自分の評判を
他者との比較で決めてしまうことをやめて、
そのかわりに、
「ああこの人にはかなわない」
ということを素直に受け入れ、
その人に惚れ込んだり、リスペクトできる人間を見つけ、
その人のファンになること。

それも承認欲求のサイクルからフリーになる
一つの手かもしれません。

私は結構この傾向があります。


まあ、その2とその3によって、
その1に到達することが一つの目標かなと思います。

つまり自分の中に眠っていた一つの真理を、
他者の適切な支援によって見つけることで
自分のマインドセットが変わってゆくというイメージです。

心理学者でも、カウンセラーでもない
私の駄文ではありますが、

でも、頭に今ぐるぐる思いが巡っている内に、
もうちょっと承認欲求について、
思いつくままに少し書き記しておきます。

<フェイスブックの「いいね」>

正直「いいね」がいっぱいくると嬉しいですよね。

なぜなら、自分に賛同してくれる人がこんなにもいること、
つまり承認欲求が一時的に満たされるからです。

でも「いいね」欲しさに記事を書いたり、
「いいね」が少ないと不安がかきたてられたり、
「なぜあの人は最近いいねをくれなくなったんだろう」と、
あらぬ妄想にエスカレートしたりとか、
そういう倒錯がおきないように
気をつけなければいけません。

「いいね」はされるより、する側にまわる方が
健康ではないかと私は思っています。

そういう意味で、フェイスブックの「いいね」は
まさに承認欲求の水源地なのかもしれません。

PCゲームと承認欲求

PCのゲーム(ソリティアなど一人遊び系)を
何気なくやってしまう背景には、
承認欲求があるのではないかと思いました。

昔は、ゲームを、
「トライ&エラーを繰り返し、成功体験を積む訓練」
などとポジティブに考えたこともありました。

でもこれって、自分がのめり込むことの言い訳ですね。

今はそれより、PCゲームは、それをクリアすることで、
承認欲求を安直に満たそうとするもの、と考えています。

つまり、「パソコン君」に
安直に承認してもらうということ。

これが高じると欲求過剰や、
インスタントに他者に承認を求める、
承認ジプシーになっちゃうのではないかと思うこの頃です。

<怒りと欲求承認>

また、自分が他者に向ける「怒り」についても
「不安」と同様のことが言えると思います。

ある人の理不尽な行為、言動に対し、
それを他者に説明し共感を求めることなどは、
自分の正当性を担保しようとする、
ある種の承認欲求ではないかと思われます。

また、なぜ彼はこんなことをするのかと、
怒りが怒りを生み出す自家発電モードになるのも
承認欲求といえるかもしれません。

なぜなら、その時、心の奥底には、
「改心して欲しい」「こうあるべき」
「本当はわかり合いたい」などの
過剰な期待や要求が潜んでいて、
それがかなわないから自分劇場の
「怒り」のサイクルに陥ると思うからなのです。

<足し算ではなく引き算で>

承認欲求とは、今の心の欠乏を満たそうと、
そこに何かを埋めること、
貪欲に何かを求めることではありません。

そうすると、ネガティブサイクルに陥るのです。
そうではなく、心の中によどんでいる
負の細胞を浄化させること、
取り除くことではないかと思うのです。

つまり、必要なのは、足し算ではなく
引き算の心持ちではないかと思うのです。

長文お付き合いいただきありがとうございました。


 

コメント

コメントの投稿

  • URL
  • コメント内容
  • password
  • 秘密
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL: http://simomath.blog.fc2.com/tb.php/1379-f126823b