「頭の中にジャズが流れまくったた日」

もうだいぶ以前の話になってしまったのですが、
1月22日に、筑波大学に呼ばれて、
哲学カフェに参加しました。

「生きるに価する命とは」

という重たいテーマでした。

そこで私が思ったことや述べたことについては、
また機会を設けてまとめてみたいと思います。

今回は、この哲学カフェが終わって、
東京駅から新幹線に乗るまでの
ほんの数分間に私の頭の中に
起こったことについて語ってみようと思います。


哲学カフェが終わってから、
参加した仲間たち何人かと一緒に、
筑波大文京キャンパスから
東京駅に向かう道すがら、
頭の中でその余韻に浸っていました。

「問い続けることが生きる事」

といったいかにも哲学っぽいまとめに
何か違和感があり、

「じゃあ問い続けない人間は生きていないのかよ」

と思ったり。

でもそのとたん

「そのように思った瞬間、
実は問いを立てているのか」

と反駁したり・・

そうこうしているうちに、

「幸せに生きるとはどういうことか」

という問いが浮かんでいました。

そもそも「幸せ」とは何か、
幸せに生きたいとは
どういう精神状態のことなのか、
それはどんな行動につながるのか、

などといった。

さて、そんなこんなで東京駅に着いたとき、
電車の出発時間の1時間ほど前でした。

皆さんとお別れした後、
その哲学カフェに参加していたSさんが、
夕食をどうですかと誘ってくださったので、
ありがたくご一緒させていただきました。

美味しい料理を堪能しながら、
哲学カフェの振り返りの対話がはずみました。

2人に共通していたテーマは、
やはり「幸せに生きるとは」ということでした。

Sさんはとても顔が広く、
キャリア支援やインストラクショナルデザイン、
コーチングなど、
先端の知見に幅広くアプローチされながら、
自らも大学で研究者として学び続けている方です。

Sさんとのお話はとても盛り上がりました。

選択理論、マインドフルネス、フロー、
ウェルビーイング理論、食からのアプローチ・・・。

私が知らないそんな世界を、
Sさんからもっと伺いたいという気持ちが
湧きおこっていったそのときでした。

ふと時計を見たら、
何と新幹線の発車時間まで
あと10分という状況であることに気づきました。

焦りました。

こりゃ無理かな。
いや無理でしょう。
どうしよっかな。

いい時間が過ごせたから遅れてもいいや。
でもそうなると盛岡からの電車に間に合わないしなあ。

平静を装いながら頭は混乱していました。

そんなときです。

Sさんの行動は神っていました。

私のうっかりが原因なのに、Sさんが
「気づかなかった私の責任」
とおっしゃりながら

電光石火に会計を済まし、
レストランから東京駅までの最短距離
を探索し、改札口まで導いて下さいました。
(途中横断歩道の無謀横断付)

私は、そのテキパキさに驚きながら、
自分のバカさ加減にあきれていたわけですが。

さて、この改札から新幹線乗車までの約5分が、
それはもうスリリングでエキサイティングな旅でした。

キャリーバッグを抱えて
弾丸ライナーのように駅構内をダッシュしながらも、
なぜか頭は冷静でした。

「ああ、Sさんとの会話は『時さえ忘れて』だったなあ」

などと反芻しています。

そして、思わず頭の中で音楽が鳴りだします。

「I Didn't Know What Time It Was」 

これはチャーリーパーカーウィズストリングスのサウンドで。

エスカレーターを駆け上がりながら、今後は
デューク・エリントン楽団の

「Take The “A” Train」  です。

エラ・フィッツェラルドのボーカルが思い出され、
頭の中で歌いだします。

「You must take the "A" train 
To go to Sugar Hill way up in Shiwa Town」
「Hurry, get on, now it’s coming」

なんてね。

すると、何と、出発ギリギリで
列車に飛び乗ることができました~

座席に座った時頭に流れた曲は、やはり

「Just In Time」

これは、酒井俊のボーカルが大好き。


さて、

このドタバタから二つのことがわかりました。

一つは、大ピンチなのに、なぜか頭がスッキリ。
心地よささえあったこと。

絶対間に合うという確信のもとに
行動していたのかもしれません。

そうか。

もしかしたら、これがフローの正体なのではないか!



そしてもう一つのこと。

「生きるに価する命」とか「幸せとは」を考えるとき、
私は、これまでウェルビーイング理論などといった
難しいことを持ち出そうとしていました。

でも結局、わからなかった。

それは、教科書を勉強するように、
短絡的にワンセンテンスの答を
求めていたからではないか。

ところが、私の目の前にいたSさんが
実は答をくれていた!と気がついたのです。

というか、

Sさん自身が答そのものだったのです。

私のために食事をつきあってくださり、
列車に遅れそうな私のために、最善の行動をとり、
そして、自分事のように心配してくださった。

そうやって、目の前の相手のことを
思いやる気持ちを常に持っていることが、
人との良好な関係を保ち、
幸せをつなげ持続させる。

もしかしたらこれこそが
ウェルビーイングなのではないか。

理論を理論として理解するのではなく、
理論はそれを実践するロールモデルによって
初めて理解されるということなんだ。

電車の中でようやくくつろぎながら、
今日は何かとても得難い経験を
したような気持ちになり、
思わず微笑んでしまいました。

駄文にお付き合いくださりありがとうございます。


 

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