「飛ぶ前にかがめ」のオルタナティブ

あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。

私は毎年、年賀状に、
その年の干支にちなんだ
教育評論的なコメントを書いておりました。

今年は酉年ということで、
こんな年賀状を書きました。

2017年賀状LT

私は一昨年から、ある雑誌に
「数学という名の自由の翼」
というエッセイを連載していて、
今年の3月号でめでたく終了します。

そんなこともあり、「自由の翼」にも絡めて
「飛ぶ前にかがめ」という言葉を
テーマにしてみました。


新年早々野暮の極みではありますが、
この年賀状に書ききれなかったことを、
以下に記していこうと思います。



先月のクリスマスイブに
沖縄で体験授業と講演を行いました。

今回の講演では、いくつかの問いを立てて
グループでディスカッションしながら
進めていくという形をとりました。

最初に

「あなたの学校の生徒が身につけるべき
生きる力とは何か」

という問を立てたとき、

ある特別支援学校のA先生から
次のような意見が表明されました。

それは、

「本校の生徒は、最初は社会に対する興味や、
参加する意欲を持っているけれど、
学校生活が進む中で、その気持ちが衰退していく」


というものです。

私はこの言葉を聞いて思わず膝を打ちました。

ちょうど私が話そうとしていた
「教育の目的・教師のミッションとは何か」という
次の問に繋がるものだったからです。

私は、次のようなスライドを提示しました。

主体化と社会化LT

学校というフィルタによって、
子どもは大人化されていきます。

上側は、学校が子どもを
「社会化」「資格化」するコース。

社会に適合するような市民に育てる、
いわば分別をわきまえた社会人を
育てるための「最適化」の道というイメージです。

一方、下側のコースは、
個性や主体性を存分に発揮させる場、
あるいは、「失敗が許される小さな社会」
として学校を位置付けています。

私は、上側のルートを「小さな大人をつくる学校」
下側のルートを「大きな子どもをつくる学校」としました。

ところで、このスライドは
「教育・学校の目的」という視点で
まとめてみたものですが、
「教師・授業のミッション」という文脈でも
同様の捉え方ができるかと思います。

私は次の様なスライドをよく用いています。

教師のミッションLT

ここで、上段のコースを

「そうしないと社会や学校から排除されてしまうルール」

下段を

「そうすることで一生成長し続けていける真理」

と名づけたのは、
しばしば私に様々な視点からヒントを与えてくださる、
さっちゃんこと哲学者の五十嵐沙千子先生です。


さて、話を戻しましょう。

ここで先ほどのA先生の言葉をふり返った時、
学校という空間、学校教育という文化が、
デフォルトとして備わっている子どもたちの
主体性を殺いでしまっているのではないか、
という問いに私たちはぶつかります。

それは、「飛ぶ前にかがめ」といったときの、
「かがむ」という行為が、
本来は「飛ぶ」ための手段だったのに、
それ自体が目的化してしまい、
「飛ぶ」ことへの感度を鈍くさせてしまう
ことのようにも思えます。

もちろん、だからといって
「社会化・資格化」と「主体化」は二者択一、
あるいは二律背反として捉えて
対立的に議論するのではなく、
この両輪をどう融合させるかという視点で
考えていかなければならないと私は思っています。

因みに、「社会化・資格化・主体化」
というカテゴリで教育の目的を表現したのは、
ガート・ビースタという教育哲学者です。

彼は、「社会化」「資格化」に傾いた
学校文化を批判的に分析しています。

しかし、これらの3つの次元は対立するのではなく
「独特な混合」が必要であると述べています
(「よい教育とは何か」(ガート・ビースタ2016.01))

オマケの話題ですが、実は、
沖縄入りする新幹線と飛行機の中で、
私も編者の中原淳先生と対談させていただいている

「アクティブラーナーを育てる高校」(学事出版)

を読んでいたら、
東京大学総合教育センター特任研究員の
田中智輝氏が、「参加型学習」について、
ジョン・デューイ、パウロ・フレイレ、ガート・ビースタらの
研究を踏まえながら
非常にわかり易くまとめられていました。

そこで、私は新幹線の中で
次のようなスライドを追加しました。
(実際の講演では時間の関係ではしょりました)

参加型学習LT


最後の最後に蛇足ですが、
「飛ぶ前にかがめ」に代わる言葉を
2つほど考えてみました。

一つは

「飛ぶためにかがむ」

「かがめ」という命令文から「かがむ」と改め、
自発的な行為であることを強調します。

そして「かがむ」ことは「飛ぶため」ということを
常に想起しておくという思いを込めました。


もう一つは

「飛びながら学ぶ」

ここではもう「かがむ」ことは意識しません。
飛びながら現地調達で
基本の欠乏を埋め込みます。

つまり、基礎の積み上げから始まる、

「反復による習得→活用→発展」という
パラダイムを壊そう!
という過激な視点です(笑)。

皆さんはどのように思いますか?

新年早々脈絡なく長々と書き連ねてしまいました。

お正月に免じてご容赦のほどを。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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