「基礎が大切と気づく感度」 

先日、教え子のMさんが、
ギター演奏の発表をしたときのことを
FBに書いていました。

「ギターもダンスも出来は良くなかったけど、
一人反省会をし、引き続き練習です。
やっぱり基礎大事」


私はこの記事を読んでなるほど、と膝を打ちました。

基礎の大切さを述べているわけですが、
皆さんはこの記事からどんなことを感じますか。

「やっぱり発表する前に、まずは基礎だよね」

でしょうか。

私は違います。

この記事の肝は、
「発表」することによって
「やはり基礎が大事」
と気づくことなんだと思います。

アクティブラーニングを進めていく中で
よく出会う質問は

「本校の生徒はまだアクティブラーニングが
できる段階ではない。まずは基礎基本」

「基礎基本を習熟した先でなければ
充実したグループワークや
表現活動なんかできっこない」

というものです。

そして、繰り広げられるのは、

「板書をノートにとる」
「私語をしない」
「課題を提出する」

ということに心血を注ぐ授業です。

でも、そうやって培った?基礎基本を
表現するチャンスは、
最後までほぼ現れることはありません。

そんな授業を行う教師はこう言うかもしれません。

「高校での授業は、
大学や社会にでるための準備である。
だからつらくても基礎をしっかり
身につけるべきである。今はその時期」

もちろん、基礎学力が乏しければ、
対話の内容が薄っぺらになるということは
ありうることだと思います。

ならば、そのことを気づかせるためには、
表現する場を与えることが
必要ではないかと私は思うのです。

つまり、アウトプットによって、
インプットの欠乏に気づき、
自らが考え、学びだすということです。

確かに、基礎基本の習熟に
個人差はあるでしょう。

でも、自らの欠乏に気づく力は
誰もが一様に持っていると私は思いたいのです。

ところで、私はこの記事を書きながら、
自分の基礎力不足に気づきました。

私のいいたいことを述べるために、
今読んでいるガート・ビースタの
「よい教育とは何か」を読んでから
書くべきだったとも思いました。

ああ、今すぐこの記事を書くのをやめて、
本を読みてえ。

心底そう思いました。

私の頭の中にあるけれど
まとめ切れていないものが、
きっとガート・ビースタの論に出会えば
見つかるはずだ、と。

あるいはジョン・デューイとか。

でも、こうやってPCに向かってあれこれ考え、
ブログで表現し発信することは、
非常に価値のある時間でもあると感じます。

この記事は自分の中では中途半端だけど、
アップすることで、後で書物に戻って
よい振り返りができるのではないか。

そして、もしかしたら記事を見た誰かが
良いフィードバックをくれるかもしれません。

そんなことを思いながら一人夜更けを楽しんでおります。



 

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