「群数列は試行錯誤で」

京都の立命館宇治中・高で数学の教員をしている
酒井淳平先生から依頼を受け、
明日、第15回京都府私立中学校高等学校教育研究大会で
講演をさせていただきます。

京都私学教育研究大会

もちろん全体ではなく数学分科会での講演です。

ちなみに全体講演は「数学力は国語力」の
齋藤孝先生(明治大学)のようです。

酒井先生から懇切丁寧なご案内をいただき、
恐縮しながら、だんだんハードルが
上がっていくような気がする今日この頃です。

明日のことを考えていたら、
「数学教室」11月号が届きました。

数学教室2016年11月号

今回は「群数列は試行錯誤で」
というテーマで書きました。

冒頭の部分を紹介します。


昨年、私が住んでいた洋野町の方から、
地域存続のための取組みとして、
地域が一体となって
「東大を目指す生徒をつくる運動をしよう」
という声があがったことがありました。

実は、今勤務している地域でも、
東大合格者を輩出するために、
中学校と高校における何らかの連携を
求める声があります。

私は、その気持ちは
理解できないわけではないのですが、
もし、それを実現するのであれば、
中高で何かを始める前に、
もっと幼少の段階で
子どもたちに働きかけていかなければ
ならないと思います。

でもそれは、幼少時からスペシャルメニューを与え、
徹底ドリルによってたたき上げる、
などという発想では絶対にうまくいきませんよね。

そんな「注入志向」では
先に子どもがつぶれてしまいます。

そうではなく、もっと、子どもたちの知的好奇心を耕し、
彼らの中に眠っているすぐれた能力を発見し、
それを自らが磨いていくための
手助けをするというのであれば、
私は行う価値があると考えます。

なぜなら、それは、
東大やハーバードを目指すという旗を掲げたとしても、
実際は子どもたちの可能性を広げ、
学びに夢中にさせるという別の価値を
生みだすことにつながると思うからです。

さて、ここで、話は変わるのですが、
かつて勤務していた学校で、
期末考査前に、ある問題がわからないということで、
こぞって職員室の某先生に生徒達が
質問に来ていたことがありました。

試験前になるとこういう光景はよく目にします。

そのわからないという問題は、
次のような群数列に関するものでした。

第 n 群に n が n 個並ぶような群数列を考える。  
1|22|333|4444|55555|・・・・・・・・
このとき、65番目の数は何群の何番目か。
また65番目までの総和を求めよ。


群数列ボード


上の写真は、その先生が、質問に来た生徒に
ホワイトボードで解説していたものです。


彼によると、「群数列」の問題を見たら、
必ず図のような「数列・順番・項数・群番号」
に着目した4次元表をつくれ!と力説されていました。

でも、生徒たちは、先生の解説に
あまり納得していないようでした。

私がその光景を見て思ったのは、
なぜ多くの先生は簡単なことを難しく教える方向で
指導するのだろうということです。

私は、写真のような解法で指導しても、
生徒には納得感や成就感が生まれるとは
どうしても思えないのです。

なぜなら、これは
「一つの解法の記述の理解」という指導にすぎず、
決して解を得るために探究していく方向ではないからです。

確かに数学の良さの一つは、
公式化や解法のパッケージ化をすることです。
そうすることで、意味、概念や、
もっといえば考えることさえも放棄して、
「手で解く」ことができるということです。

しかし、最初からそのような便利な手順を用意して、
それをなぞるような指導をすることでは、
深い学びに到達することはできないし、
問題を解き終えた後に得られる達成感や
満足感のようなものを体験するという
数学の醍醐味も味わえないと思うのです。

センター試験に行く前に、
こんなことを言う先生をよく見かけます。

「いいか。数列や確率の問題は『書きあげ』だ。
書きあげれば少なくとも(1)はできる!
だからまず書きあげてみるんだ!」

私は、その考えに異論を唱えようとは思いません。
試行錯誤によって、何らかの手がかりを得ようという態度は、
ポジティブであろうと思います。

しかし、そのようなことを言う先生が
「書きあげ」の経験を積ませるような
授業をしているのを私はあまり見たことがありません。

ほとんどが、解法スキルを向上させる教え込みです。
そんな、授業で経験させたことのないことを
本番前に「やれ」というのはどういうものなんでしょう。

さて、話を戻します。

私は、この問題の前半部分を、小学生に、
モノを使って遊びながら考えさせてみたら
どうなるか興味があります。

もちろん「 n 」なんて文字や、
2次不等式などはお呼びではありません。

「ある群には何個の数字があるか」
「ある群の最後の数まで項が通算で何個あるか」

という問題意識さえあれば、
試行錯誤によって解決できるのではないかと思います。

小学校の先生のどなたか、
チャレンジさせてみていただけませんでしょうか。

例えば、ピラミッド型に数をどんどん書き上げていって、
「何群目」を「何段目」などと読み替えれば
問題の意図している内容が
子どもたちにも伝わるはずです。

私は、このような経験によって
「考えることの楽しさ」を子ども達は
学ぶのではないかと思います。

そして、それは知的好奇心を耕し、
彼らの中に眠っているすぐれた能力を
発見することにもつながるかもしれません。

逆にいうと、公式化や解法のパッケージ化の指導に慣らされ、
それが「身体化」されてきてしまった高校生は、
このような問題に対して「試行錯誤すること」さえ
できなくなっているのではないかと思うときもあります。

それは極論かもしれません。

しかし、純粋に「考えること」「試行錯誤すること」
などの経験なしに、いきなり4次元表や、
n の2次不等式などでパターン化された
解答をなぞっていくことが、
問題の本質を見えにくくさせ、群数列への苦手意識を
生み出しているのではないかと私は思うのです。


以下本題に入りますが、
続きは「数学教室」11月号で!


 

コメント

教育研究大会お疲れ様でした。
数学とは直接関係ありませんが、社会科でもすごく難しい言葉で書かれている本や教科書に出会うことが多いです。
私はなるべく平易な文章で書くことを心がけていますが、世の中難しい文章はあちこち転がっていますし、なかなか大変だと思っています。
最近難しいと感じた言葉は「涵養」。高校生には難しすぎると思いました。
2016/ 10/ 10( 月) 06: 47: 36| URL| マヤ夫# -[ 編集 ]
 
難しいことを易しい言葉で語ることは難しいけれど、やりがいがありますね。

2016/ 10/ 10( 月) 11: 54: 21| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/ 10/ 14( 金) 21: 14: 51| | # [ 編集 ]
 
ありがとうございます。中高一貫校について働きかけているところですが、現段階ではその構想がないようです。今新たな道を模索しているところです。
2016/ 10/ 14( 金) 21: 49: 37| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016/ 12/ 30( 金) 21: 22: 04| | # [ 編集 ]
 

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