「ハイデガーを学ぶ」

7月14日に、花巻北高校で、
筑波大学の五十嵐先生による
3年生の倫理の出前授業が行われました。

五十嵐先生は、東海大学在任時代に、
ティーチング・アワード
(優れた授業を行う教員を表彰する制度)で
1500人中1位に輝いたことがある先生です。


この日の授業はハイデガーについてでした。

「教室が見えると思うか」

という問いかけから授業はスタートしました。

ハイデガー02


全員が見えると答えます。

それを受けて、
「では教室の何が見えますか」
先生は問いを被せます。

グループで話し合った結果を、
生徒がインタビューして取り上げていきます。

ハイデガー07


すると、
「黒板がある」「机がある」「先生がいる」
などといった、教室を教室たらしめる
モノの存在は指摘するものの、
それは「教室」そのもののこと
ではないことに気づきます。

つまり、教室は見えているのではなく、
自分たちが、こうである(こうあるべき)
と思い込んでいる存在であることを
生徒たちは納得し始めます。

ハイデガー01


五十嵐先生は、
「教室という場にいるときの自分」と
「休憩時間という場にいるときの自分」
を生徒たちに演じさせます。

生徒は、見事に演じてくれました。

すると今度は、

「教室という場にいるときの自分は
態度を変えるべきか」


という問いを立てます。

生徒から様々な意見が出されます。

●場にあわせてやっていくと、
 決まりきったことしかできなくなる。
●進歩的な考え(イノベーション)が生まれない。
○この場では何をする、ということが
 わかっていれば、皆とちゃんとあわせていける。
●新しいこととか、
 人とちょっと違うことができなくなる。
●皆が静かに笑っているのに、
 一人だけ大声で笑えないのは
 我慢を強いていることになる。
○皆が怒るとき、一緒に怒ったり、皆が笑ったり
 するとき一緒にやらないと「浮いてしまう」
○場にあわせないと社会が成り立たない。

など。

その後、対立する意見を組み合わせた
グループを再編成し、対話を深めます。

ハイデガー06


その意見を踏まえながら五十嵐先生は、
ハイデガーの「現存在」「世人」についての
説明を行っていきます。

ハイデガーによると、世人とは、
自分の存在の意味を問うことなく、
他者と同じように振る舞い、
個性のない生き方をする人のことです
(たぶんです。すみません。怪しいです)。

以下、授業では、生徒自身の生活や
習慣を顧みながら、
現存在、世人を掘り下げ、
最後に大きな問いを課題として生徒に与え
あっという間の50分が過ぎました。



私は、
「教室という場にいるときの自分は
態度を変えるべきか」
という問いへの生徒の応答を聴きながら、
2つのことを考えていました。

一つは、生徒が「教室で変えるべき態度」とは、
「私語をしない」
「先生の話に集中する」
「ノートをしっかりとる」などといった、
小学校から躾けられ、
身体化されてきた「常識」
なのではないかと思います。

それは、授業の効率性を高め、
教師のコントロールを助けるものでしょう。

しかし、その一方、
生徒の主体性を殺いでしまうもの
でもあるかもしれません。

なぜなら、彼らは「自分を変えて」
教室という場に臨んでいるわけですから。

私は、五十嵐先生はこの問を、
教室で参加している教師へも
向けているのではないかと思いました。

アクティブ・ラーニングが、
生徒が主体的に学びだす状態を指すのだとすれば、
教師は、「教室」という場を問い直すこと、
あるいは「教室」に属している「教師」
という存在をも問い直すことを、
提起しているのではないかと感じました。

もう一つは、「責任を逃れる」という言葉が
頭に浮かんでいました。

授業の中で、学校の定めた「ルール」「常識」に沿って、
他人と同じように振る舞うことは、
いわば世人になることです。

すると、そこには、
皆と同じことを行なっているのだから、
自分は責任を取る必要はない
という考えが生まれるのではないでしょうか。

つまり、皆がやっているから、
私ひとりが行動しても、どうにもならないと、
見て見ぬふりをするとか、

一人で目立つとまわりから浮いてしまうとして、
前に踏み出せない、などという。

このような、責任を取らない学校文化は、
スクールカーストとか、
いじめの温床にも繋がるのではないかと思いました。


私のまとめでは不十分なのですが、
生徒が楽しそうに対話しながら、
深い思考に潜り込んでいく、
まさに「アクティブな教室」
が出来上がった授業でした。



教師のミッションの一つは、
授業を通して知識や技能や
問題解決の方法を教えることでしょう。

でも、もう一つあります。

それは授業を通して、
深く考えることの楽しさを経験し、
学びに向かう姿勢、
自分でその先を大きくしていこうとする力
を育てることでもあります。

五十嵐先生は、前者を

「そうしないと社会や学校から
排除されてしまうルール」

後者を

「そうすることで一生成長し続けていける真理」

と表現されています。

この日の授業は、
まさに後者にあたるものだったと思います。

そして、そのような授業の中にこそ、
生徒に「主体的で対話的で深い」
活動が生まれるのではないかと感じました。

五十嵐先生ありがとうございました。


ハイデガー03




 

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2016/ 07/ 18( 月) 23: 34: 07| | # [ 編集 ]
 
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2016/ 07/ 19( 火) 01: 19: 31| | # [ 編集 ]
 

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