「MS-DOSからWINDOWS」

アクティブラーニングの必要性を語るとき、
社会の急激な変化への対応
という論点が引き合いに出されます。

知識基盤社会・高度接続社会
といわれる今日の社会変化は、
産業革命や太平洋戦争の前後での
変化に比べられない程大きい
という人もいます。

私も、この例を鵜呑みにして、
しばしば使わせていただくのですが、
実際に、

「産業革命や太平洋戦争の前後での変化
に比べられない」

というのは本当なのか、
あまりにも昔のことで
誰も立証できないのをいいことに、
言ったもん勝ちのフレーズに
なっているのではないか、
などという思いもありました。


なので、最近私は、違う例を考えてみました。

それは、

「パソコンのOSがMS-DOSから
WINDOWSに変わった程の
ドラスティックな変化」


というものです。

どうでしょう。

どうでしょう、といっても、
ま、あんまり賛同は得られない
かもしれませんね(苦笑)。


実は、20世紀後半、
私が盛岡三高勤務時代に、
WINDOWSへの切り替えがあったのですが、
そのときの、職場の雰囲気が、
何となく、今の、アクティブラーニングの
浸透の仕方と似ているような気がするのです。

私は、当時、盛岡三高で情報処理課
という分掌に所属していました。

その時の様子を以下に
簡単に紹介したいと思います。

<MS-DOS時代(1997年度)>
DOSマシン
<当時活躍していたマシンたち。2000年の研究紀要に描いたものです>

盛岡三高では成績処理や
入学試験処理等、あらゆる処理が、
教員がプログラミングして作った
「自作ソフト」で動いていました。

それは秀逸なソフトでしたが、
問題点は、ソフトウェアに融通性がなく、
処理方法も固定されるので、
業務や文書はコンピュータの
都合に合わせたものになるということです。

また、ソフトウェアのカスタマイズも
専門的なので、結果として、
コンピュータは特別の「できる人」しか
扱えないという世界観が生まれていました。

多くの先生は、一太郎などの
ワープロソフトを使う以外は、
専門家が開発したソフトの手順に従って、
何も考えず、データを入力する
という操作しか行っていませんでした。

また、DOS上で複数のアプリケーションを
立ち上げて複合的なタスクを行う
ということも考えられませんでした。


<WINDOWS元年(1998年度)>
DOS-WIN.jpg
<当時のPCルームの状況。2000年の研究紀要に描いたものです>

前年の状況から、
OSをWINDOWSに代えよう!
と声を大にして叫んだところ、
じゃあ、いいだしっぺのお前がやれ
ということで、WINDOWS元年となりました。

成績処理や進路資料作成ツールなど、
PASCAL、N88BASICなどの
プログラム言語で作られた過去の遺産を、
WIN版に変えていくのが
本当に命を削るような作業でした。

多くの先生方は、
「そんなのボタン一つでできるんでしょ」
という感覚なんですね。

そう。問題は職員のマインドだったのです。

例えば、エクセルのVBAマクロを使って
調査書作成ツールを作ります。

データを入力して、
生徒の番号を指定すれば、
その度に、それぞれの生徒の
調査書ができあがるわけです。

しかし、これを拒絶する先生方が
少なからずおりました。

クラスが40人なら、40枚のシートに
それぞれ表示されなければ
嫌だというのですね。

つまり、すべてワープロ感覚なんですね。

ちゃんと全部が手の内にあって、
見える形でなければ不安だというのです。

一番つらかったのは、PCをある程度
使いこなしている人たちのマインドです。

「自分は、DOSのソフトで何でも
不自由なくまかなえる。
だからWINに代えられるのは迷惑」
「ワープロは一太郎5が最高。
エクセルなんかよりロータス123や桐で十分」

などと論陣を張られます。

何か今の、アクティブラーニングを
批判する言葉を思い出してしまいます。

そんな彼らのために、
DOSマシンも残しているのですが、
例えば、成績伝票のエクセルファイルを
各教科担任から入力
(もちろんネットワークはありませんので
順番に入力するのですが)
してもらう時など大変でした。

DOSマシンユーザー達は、
私にフロッピーディスクでデータをよこしたり、
あるいは紙ベースで渡されたりします。

もっとひどいのは
「書院」(シャープのワープロ)の
ファイルをよこす先生もいましたね。

私は、ため息をつきながら、
ファイルコンバートしたり、
手入力をしていました。

でも、多分それは意地悪ではなく、
WINDOWSは凄いものなんだから、
何でも瞬時にできるんでしょ、
という思いを持っているのから
なんだろうとも思います。

何か、この辺も、
アクティブラーニングの浸透と
同じような構造を感じます。

DOSマシンからプリンターなどの
デバイスを少なくしていったら、

ある先生から、

「WINDOWSだかなんだか知らないが
そんなものはいらない!」

と飛びかからんばかりに
怒鳴られたこともあります。

実際その方は、数年後、
教育センターの研修指導主事になるのですが、
何と、WINDOWSの利用の推進を
担当していて、あ然としたのですが。

このような状況の中で思ったのは、
WINDOWSへの転換で大切なのは、
先生方のマインドこそであるこということでした。

つまりWINDOWSは
ただの処理速度を速めるものという考えや、
これまでの自分のやってきたことが
そのまま保持されなければだめだ
という考えを覆す必要があるのです。

翌年、簡易なサーバーを立てて、
実験的にネットワークを構築するのですが、
そうなると、更に先生方のマインドを
変えていくことが要求されます。

GUIによる直感的な操作、
データの共有という考え、
ネット上でコンピュータは
端末という存在になること、
複数のアプリケーションを
同時に使うことで、
全く新しいタスクが生み出され、
仕事そのものが変わっていくこと、

などなど。


DOSマシンは一つのタスクに
一つのソフトを対応させてじっくり処理をする。
プログラミングなどを含め
コンピュータの知識・技能に
精通している人が勝ち組。

WINは複数のアプリを組合せるとともに、
更にネット上からいろいろな情報を取り込んで
複合的な仕事を行うので、
構成力やアイデアがものをいう。

この辺も、アクティブラーニングを彷彿させます。

さて、ここから今や十数年経過しましたが、
DOSマシンという言葉は
死語になってしまいました。

コンピュータを使った仕事も
「処理」から「創造」という方向に
進んでいるような気もします。

まさに、
「産業革命や太平洋戦争の前後での
変化に匹敵する変化」
なのかもしれません。

では十数年後、アクティブラーニングは
どうなっているのでしょうね。



かつてのPCルーム
<当時のPCルームの俯瞰図。2000年の研究紀要に描いたもの>

注1 
MS-DOSで動いているPCを
「DOSマシン」と表現しました。
DOS自体を古くてだめなものという意味で
とりあげているわけではありませんので念のため。

注2 
私は使っていないので、
マックユーザーの方から
ご意見があるかもしれませんね。
ごめんなさいというしかありません。


 

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