「ソクラテス・メソッドとアクティブラーニング」

先日、さっちゃんこと、
哲学者の五十嵐先生(筑波大)から、
「哲学・思想論集第41号」(筑波大発行)の
抜刷版をいただきました。

これは、五十嵐先生が、
全国の様々な高校を訪問し、
生徒の様子や授業をリサーチする中で
まとめられた「対話型授業」の
可能性を展望する骨太の論文です。

因みに、私が勤務していた
盛岡三高や大野高校でも、
何度か先生をお招きして、
授業参観や哲学カフェなどの
出前授業を行っていただきました。


この論文の中で、
「ソクラテス・メソッド」(哲学カフェ)について
書かれた部分が非常に興味深かったので
以下に引用したいと思います。

<前略>

つまり、ソクラテス・メソッドにおいて、

・「教師」とは「問う者」である。
彼は「問い」によって自分と人々の
自明な世界観を崩していく。
そのことによって「問われる者」の
「今」の地平が解体され、成長が可能となる。

・そのためには、「問う者」の「問い」が
真実のものでなければならない。
「教えるために問題を出す」のは
「教室」の二元論の再生産でしかない。
問いは問う者自身が真に問いたい問いでなければ
「問いの共同体」は成立しない。

だが既にわれわれは「問いの共同体」としてではなく
「教える-教えられる」従来の教室の
上下の二元論的な関係を身体化してしまっている。
身体化された「教室という関係」を解体しなければ
「問いの共同体」は生まれない。
ここで一つの「空間のイデア」として設定されるのが
「カフェ」(現代の「アゴラ」)である。
「カフェ」で参加者は背景のない対等な、
対話する、合意を求める存在として出会う。


・「カフェ」の関係に移行するためには
空間・身体の解凍の技法が必要である。
たとえば「座らない」「学習者が自分の判断で立ち歩く」
「声を出す」「教室の中の場所を自ら選択する」、
また、「教室の前」「黒板の意味・位置づけ」
「問う者の立ち位置」「立つ/座る関係の解体」
「<机>を使うかどうか」
「学習者の位置づけ/移動」など。

 <以下略>

傍線部は下町が付記

上の傍線部分を読み、私はナルホド!と膝を打ちました。

最近私は「アクティブ・ラーニング」という言葉の流行に、
眉をひそめる教師が多いのではないかと感じています。

「そんなこと(授業の工夫)は昔からやっていたのに、
なぜ、アクティブ・ラーニングなどと、
さも新規なことをやるように打ち出されるのか」

など。

私は、それに対して、五十嵐先生の言葉を借りて
次のように私見を述べようと思う。

「アクティブ・ラーニング」とは、
「教える-教えられる」という
上下の二元論的な関係が
身体化されてしまっている教師という存在と、
そんな彼らによって生み出される
「授業」を解体・解凍するための
「学びのイデア」である。
(カッコよく「イデア」使ってみました。
正しいんだかどうだか怪しいっす^^;)

つまり、そのような意志を伝達させるための
「記号」として、アクティブ・ラーニングという言葉や、
その流通に意義があるのではないか。

「学びのイデア」とは、二元論的な関係が
身体化されてしまっている教師の
マインドセットを変えること。

そして、「空間のイデア」とは、
生徒をアクティブな状態にするためのメソッド。

アクティブ・ラーニング=「学びのイデア」+「空間のイデア」 論

できたっ!

怪しいけど。

 

コメント

久しぶりにコメントします。
しもまっち先生のイデアとALを結びつけた理論、素敵です。ぜんぜん怪しくないと思います。その通りですよね!
でも、このイデア論にいぶかしげに眉をひそめる教員が、世の中には結構いるのではないかと。教師が生徒を教えて、何がおかしいと。解体とかセットとか、そういう教師には理解できないのでしょう。
私ももっと勉強して、「学びのイデア」+「空間のイデア」になるように努力したいと思います。
2016/ 04/ 20( 水) 23: 10: 54| URL| マヤ夫# -[ 編集 ]
 
コメントありがとうございます。勇気づけられます。
2016/ 04/ 20( 水) 23: 13: 21| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 

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