桜雲臺精神

花高の校門をくぐると、
20本あまりの全国大会出場の垂れ幕が
目に飛び込んできます。

垂れ幕花高

花巻北高校は毎年、部活動でも、
進路実績においても、
素晴らしい成果を挙げています。

それは、黒橋魂と桜雲臺精神という、
花高生に脈々と伝わるスピリッツと、
そんな花高をこよなく愛してやまない
先生方の温かい指導、
そして保護者や同窓生、地域の方々の
支援によるものだろうと思っています。

私は、始業式で、生徒の皆さんに、
これからの高校生活において、
大きな課題に向き合うという
桜雲臺精神を持ちつつ、
その一方、身の回りの「何か」に気づき、
自分ができる小さな一歩を
発信していって欲しいという思いから、
以下のようなことを述べました。

<前略>
桜雲臺精神とは、
雲とみまがうばかりの桜の花、
つまり大きな志と高い理想をもって、
郷土に貢献するという意味が
込められているということだと思います。

一方、そのような、
大きな志を抱くことと同時に、
自分の小さな周囲を見回し、
そこにある小さな幸せや、
横たわる課題に気づき、
そして自分ができる一歩、
自分の隣の人を幸せにしようとする
ささやかな一歩を踏み出していくことにも、
私は同じ価値を感じます。

自分の隣の人を幸せにする「利他の心」は、
身近にいる誰かを幸せにするだけではなく、
自分の心の成長を促し、
あなた自身の人生を変えていく力にもなります。

もっといえば、先日、花高生の有志が
マルカンデパートの存続を求めて運動し、
それがきっかけで多くの人の心が揺さぶられ、
大きなムーブメントに発展していったように、
自分のまわり半径1mのささやかな行動が、
他者との繋がりや協創を生み出し、
学校や地域社会の文化や
習慣さえ変えていくという、大きなパワーをも
秘めていると言えるのかもしれません。

ところで、今年の東大の
現代文の入試問題には
「日本の反知性主義」
という本から出題されていました。

今、日本において「知性」という言葉が
一つのキーワードになっています。

そして、この本でもそうですが、
「集合知」という言葉が語られだしています。

知識は教室という限られた空間で、
教師から、一方的に
インストールされるのではなく、
教室を含め、あらゆる場で
個々が獲得した知識を、
他者と交わる中でそれを構成して、
新しい価値を生みだすということ。

つまり、知性とは、個人の属性ではなく、
集団的に発動される
といういわれかたをされています。

また、AI(人工知能)の急激な進展が進む中、
これからの社会に生きる人間に求められる能力は、
他者に共感し、他者とよい関係を形成し、
他者を支援する力といわれています。

これは社会的知性とよばれ、
AIが人間を乗り越えられない能力として、
今非常に注目されています。

なぜ、私が集合知や社会的知性
などという言葉を強調しているかというと、
それは、異なる人種や、障碍を持つ人など
様々な人と共に生きることが求められる
現代の共生社会に生きる人間に
必須なマインドであると思うからです。

そして、それはきっと、学校におけるいじめや、
世界における紛争などの問題を
解決するためのカギになるものでもあるはずです。

皆さんには、これからの高校生活において、
世界の大きな課題に向き合い、
それらを解決していくために、
桜雲臺精神という志を持ちつつ、

一方、身の回りの小さな何かに気づき、
自分ができる一歩を
発信していって欲しいと思います。

皆さんが実りある高校生活を送れるよう、
私たち教職員は全力で応援します。


 

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