ディープなアクティブラーニングについて思うこと

最近、

「アクティブラーニングをディープに」

という方向での議論が感じられます。

例えば、持続する知識、他に転移する能力
あるいは、質の高い学力をつけるために、
どう「本質的な問」を立てるか、といった。

松下佳代先生(京都大)は、
内化と外化という2つの評価軸を用いて、
アクティブラーニングを
図のように表現しています。

DAL.png

Aの部分が
ディープアクティブラーニングの領域ですね。

私は、アクティブラーニングが
ディープであるべきことには
異論はないのですが、
何となく今のアクティブからディープへの
振子の揺り戻しのようなムーブメントに
少し違和感を覚えます。

あまりきちんとまとめられないのですが、
その違和感とは次のようなものです。

1 やっぱり先生は教科指導のプロに徹したい
良くも悪くも、アクティブラーニングが
ブームになることによって、
初等・中等・高等教育の枠を超えて
「学び方」についての議論が活性化し、
また、学校以外の他職種の人たちを巻き込んで
「教える技術」を交流する
ネットワークが生まれてきた。
しかし、ディープのブームによって、
結局、教科ベースの議論、授業論、
レッスンスタディの方向に
引き戻されてしまった。
コンピテンシーが語られだしたと思ったら、
やっぱりコンテンツに揺り戻ったという感じ。

2 やっぱり進学実績につなげたい
アクティブラーニングが大学との接続や、
進学力(模試の偏差値向上に資する力)
との関連の中で語られている。
いわゆるエリートの養成という視点からの
「強力なアクティブラーニングの必要性」
という文脈である。
私は「For all ⇔For excellence」
(アクティブラーニング持続定理)
を掲げているのだが、
ディープが論じられる場において、
基礎力がない生徒や、
いわゆる底辺校といわれる学校が
蚊帳の外に置かれている印象を持つ。
多少学びが薄い、活動中心の授業だって、
学校や生徒によっては
価値があると思うのだが。

3 ほんとはALなんて
アクティブラーニングの進展によって、
教師は否応なく自身の「教育観」を
審らかにしなければならなくなった。
しかも「上から」推進されることによって
「ALを否定する」という立場を堅持するのは
肩身が狭く苦しい。
心の中で「ALなんて」
と思っている人たちや、
外的活動に距離を置きたい人たちが、
「ALブーム」自体を達観する形で批判したり、
あるいは、「這いまわる経験主義」を拠り所に
「ディープ」の旗のもとに
集まっているという印象。
多少偏見があるかもしれませんね。


さて、私は、松下先生の図や、
講演などを参考にして、
3つの評価軸にスポットを当てた
図を考えてみました。

3つの集合の交わりを表現するには
ベン図が用いられますが、
これをマトリクスで表現すると
活用しやすくなります。

ベイチ図


この図の良さについては、
以前センター試験の問題に関わって
ブログに記しています。

ブログはここ⇒★★

図において、A、B、Cの集合の交わりを
①~⑧の部屋で表現しています。

例えば、①の部屋は、
「Aであり、Bであり、Cでない」
集合を表します。

これを用いて、アクティブラーニングを
「身体、脳、心」の3つの軸で捉えてみます。

八戸プレゼン2

英語が苦手なので、ヘンかもしれませんが・・・

なぜこのようなことを考えたかというと、

身体=主体性・多様性・協働性
脳=知識・技能
心=思考・判断・表現

のように分類することも
可能かと思ったからです。

因みに、次期学習指導要領では、
評価の観点が、次の様に
3観点に変わると予想されます。

意欲・関心・態度 ⇒ 主体性・多様性・協働性
知識・理解+技能 ⇒ 知識・技能
思考・判断・表現 ⇒ そのまま

以下、適当に名前をつけてみました。


① 活動があり、生徒が主体的だが学びなし
② ディープアクティブラーニング
③ 活動を入れながら知識の定着を促す
  戦略的アプローチ
④ 活動ありて学びなし
⑤ 一方通行で自己満足
⑥ ディープアプローチだが講義型
⑦ 一方通行の鍛錬型授業
⑧ 浅く無気力なアプローチ

自分の授業が①~⑧のどこにあるか、
あるいは、生徒の自己評価や、
授業評価に使ってみてはどうでしょう。


 

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