快挙!剣道女子優勝

剣道の第49回県高校選抜大会が
一昨日県営武道館で行われました。

この大会で本校女子が、
第一シードの白百合学園を準決勝で破り、
決勝で宮古高校に快勝!

見事8年ぶり3度目の優勝を果たしました。

昨日、女子の団体メンバーが校長室に訪れて
結果の報告をしてくれました。

おめでとうございます!

昨年度優勝の男子は
惜しくも決勝で福岡高校に敗れ準優勝でした。

男女とも素晴らしい成績に
拍手を送りたいと思います。

来たるべきインターハイ予選に向けて、
更に「奮闘精進」ですね。


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岩手巡回の旅

先日の土曜日に、数学の会合がありました。

その中で、K先生から
とても面白い話を伺いました。

K先生は、ゴールデンウィークに3日かけて、
岩手県内33市町村全部をまわる
家族旅行をしたそうなんですが、
その条件がとても面白いのです。

その条件とは

「全市町村をもれなく1回ずつまわって
自宅に戻る」

「同じ市町村を2度通過してはいけない」


というものだそうです。

自己回避型一筆書き、
つまりジョルダン曲線を描きながら
全市町村をもれなく1回ずつ巡回する
ということですね。

K先生によると、岩手県は巡回可能ですが、
宮城県は不可能なんだそうです。

また、岩手でも地図上では可能ですが、
冬場などは道路通行が不可の地域もあり
不能になることもあるのだそうです。

面白いなあと思って、自分も自宅紫波町から
出発する経路を考えてみました。

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おまけに4色塗り分けもやってみました。

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移動時間を最小にする経路を考えるのは
「巡回セールスマン問題」といわれる
数学の有名問題につながります。

このトライアルには、
そんな数学的な要素の他に、
地理、地域の産業や観光など
多くの学びの要素が含まれています。

高校生の自由研究にも面白そうですね。

 

第2回「花高活性化プロジェクト」

金曜日の職員会議後、今年度2回目の
花高活性化プロジェクトを行いました。

今回は、先生方からのリクエストもあり
「不登校について」をテーマに
取り上げました。

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最初に、不登校の原因、背景、
誘因は何であるか、
学校、家庭、本人、社会の視点に立って
考えてみるという問いを立てました。

そして、その後、学校として
どのように取り組んでいくかについての
ディスカッションを行い、
各グループから提案するという形で終えました。

グループからは、

「外部リソースの活用」
「学習不安相談カウンセラーの設置」
「人間関係づくりのコンテンツ開発」
「一斉課題を見直し、個に応じたものに変えていく」
「親との連携、家庭への働きかけの工夫」
「応援歌練習の抜本的見直し」

などの意見が出されました。

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その中で、特に私が印象に残ったのは、

「不登校は受け入れるものである」

という意見でした。

そうです。

不登校は「撲滅すべき」問題行動
ではないのです。

そして誰にでも起こり得るものなのです。

教師は不登校生徒を受け入れ、
彼らに寄り添うということを
基本マインドとして持つ、ということが
職員間で共有されたことは
大変意義があったのではないかと思いました。

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私たちは、学校や教師が行う
「指導」に生徒は「普通に従うべき」
と考えています。

しかし、そのような中で、
実は、生徒と教師の間に
「そこはまあテキトウに」という
暗黙のコンセンサスもできあがっています。

そのような冗長性やゆとりがないと、
生徒は追い込まれる一方で、
破綻を生み出す可能性があるからです。

つまり、「普通に従う」という言葉の中には、
そんな「テキトウ性」も
内包されているのかもしれませんね。

そうやって、教師と生徒は、互いの利害の一致を
探っているともいえるわけです。

しかし、不登校になる生徒は、
教師や親の要求や期待に
過剰に答えようとする傾向が
あるのではないかと思います。
つまりそれだけ、ひたすら真面目で、
潔癖であるということなのです。

教師が「不登校に向き合う」ということは、
直接その子どもに向き合い、
聴従するだけでなく、
自分たちの行動は「これでよかったのか」と
内省するということでもあるのかもしれません。

私は、先生方の意見を伺いながら
そんなことを考えていました。

次回は、今回各グループが付箋紙にまとめたものを、
まとめて提示しながら、具体的な方策の決定に
進めていきたいと思います。

 

数学初任研

5月10日から12日までの3日間、
本校で数学の初任者研修が行われました。

昨年度、一昨年度は理科の初任者研修を
引き受けていましたが、今年は数学。

7名の初任の先生が3日間本校に通いました。

まずは、2日目に行われた本校の教員による
公開授業から見どころを紹介します。

2学年の三角関数の導入の授業です。



サインのグラフをアナログで導入し、
GeoGbraを活用して説明。

クラスから「1,2,3・・・」の声が
自然発生的に起こるところが良かったですね

次に1年生の濱田先生の授業です。
対称式変形についての授業風景です。



生徒と教師がともに授業を
楽しんでいる様子が
ひしひしと伝わります。
「主体的・対話的で深い学び」
が感じられますね。


私は、初日に1時間程話しをしましたが、
その中から2つほど紹介します。

【史上最低のジグソーパズル】

写真のような、3枚のピースからなる
長方形があります。

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これを並べ替えて
別の平行四辺形を作るという問題です。

生徒にやってもらうと、ほぼ瞬時に、
次の写真のような長方形が出てきます。

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ところが2人の先生にやってもらったのですが
なかなか出てこないのです。

「いやあ、大人になって分別を纏うことで、
もともとあった研ぎすまれた感性が
鈍くなったんですね」

などと冗談を言っていたら、
3人目の人が黒板に駆け寄り、
次のような図形を作ってくれました。

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なるほどそうきたか。

確かに(長方形でない)平行四辺形が
更にもう一つできることが判明。

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こんな他愛のない教具でも、
いろいろ面白い展開が考えられそうですね。

その一つとして三平方の定理を納得する
という話をしました。

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ちなみに、この「史上最低のジグソーパズル」は
小沢健一先生(元東野高校校長)から
教えていただいた教具です。


【3つの球】

数学の活用という文脈の中で、
下の写真のような教材を理科の先生から借りて
持っていきました。

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これが何の教材かわかる人は誰もいませんでした。

理科の先生にそのことを話したら、
理系では地学をやっていないからではないかとのこと。

そっかあ。

さて、これ、何の教材かわかりますか?

実は、地震の震源地を求める原理を説明する教材です。

ちなみに理科では、
「3球が1点で交わる」
「互いに交わる3つの円の共通弦はただ1点で交わる」
ことは自明で出発しますが、数学の立場で、
なぜそうなのかを考えてみることも提起しました。

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最後に、初日の開講式での挨拶で
私が話したことを記しておきます。

研修は、すればするほどスキルが磨かれ
見識が高まる。っていうのは実は迷信です。

県教委指導主事の前でこんなことを話すと
おこられそうですね(笑)。

「~すべき」「~せよ」など
一方向的に与えられることを受動し、
それが内面化されていくことによって、
むしろ能力が減退することだってあります。

これをtrained ignorance(訓練された無能)といいます。

皆さんには、そういう受動的な学びではなく、
持っている力を遠慮なく発揮し、対話し、
アピールし、発信してください。

若い先生の感性やアイデアは私たちにも
大きな力を与えてくれるはずだと思います。



研修から主体性を引き算すれば何が残るのか。
教育公務員特例法22条の精神の根本には、
教師の主体性の尊重がある、
私は、20代から一貫してそういい続けています。



 

高総体壮行式

今日は高総体の壮行式が行われました。
各部の意気込みと、
選手をたたえる応援団、そして
生徒たちの姿に心が打たれました。

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これまで積み重ねてきた練習の成果を
存分に発揮して欲しいと思います。


私の挨拶を以下に紹介します。
因みに、最後のなぞかけは、
盛岡南高校の校長先生を真似て行いました。

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昨年の今、私は
「高総体で勝ち抜くための『かきくけこ』」
という話をしました。

覚えていますか。

【か:感謝】
【き:希望】
【く:工夫】
【け:決断】
【こ:行動】でした。

お世話になった顧問、コーチ、保護者、
地域への感謝の気持ちを持つこと。

どんな厳しい戦いでも
最後まで希望を捨てないこと。

頭を使って勝つための工夫をすること。

ここ一番の勝負の決断をすること、
また、試合の状況からどのプレーを
選択するかを冷静に決断すること。

そして、決断したプレーを実行できるような
技術と行動力を持つこと、ですね。

実は、この「かきくけこ」の精神のルーツは、
東日本大震災津波なんです。

復興から立ち上がるために、被災地の人たちが
呼びかけあったスローガンなのです。

ということは、高総体に向かう気持ちも、
被災地で復興に臨む気持ちも
同様のものがあるということがいえますね。

つまり、このことから言えることは、
部活動とは、日常生活と別のところにある
何か特別なものではなく、
何かを成し遂げるための
あらゆる行動につながっている
ということなんですね。

もっと言うと、部活動とは、
生きる力を身につけ、
自分の人生を充実させること、
そして幸せな人生を築くこと、
そんな重要な人生の一大事
とも言えると思うのです。

ですから、まずは、
これまで厳しい練習を乗り越え、
この場に臨んでいる皆さんを
私はリスペクトしたいと思います。

どうぞ、やってきたことを存分に
発揮して欲しいと思います。

とは言っても、「負けたらどうしよう」
などという気持ちがあれば、
どうしても本番でのびのびと
自信を持ってプレーができません。

だからこそ、現在世界最強である
花高応援団の威力を、皆さんの一人ひとりの
力と自信に換えて欲しい。

そして、どうぞリラックスして、
好きな焼肉など食べて、
前向きな気持ちで試合に臨んでください。

では、最後に「なぞかけ」で締めたいと思います。

「高総体とかけて何ととく。

「・・・ととのいました」

「高総体とかけて食べ放題の焼肉ととく」

(会場から「その心は」の声)

「その心は。・・・くいのこすな!

それでは、皆さんの健闘を祈っております。


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「教育相談室の飾りつけを見て感じたこと」

本校に「かがやきプラン」で
来ていただいている支援員のAさんは、
空き時間に秘かに切り絵を作って、
教育相談室の飾りつけをしてくださっています。

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自分が今やれることは何かを考え、
それをこのように
人知れず実行してくれているのです。

ささやかな行動ですが、
その心遣いがありがたいですね。


私たち高校の教員は、学力を向上させる、
進路目標を叶える、部活動で成果をあげる、
などというミッションを持っていて、
その実現のため、さまざまな取組を行っています。

その取組は、効果の最大化、
リスクの最小化を目指しながら、
紆余曲折を経て、太く強力なものになっていきます。

しかし、それが加速されていくと、
しばしば、「結果を出す」という大義名分によって、
過剰になり、影の部分も生み出します。

「学力向上」にしても「部活で成果を挙げる」ことも
正義であり正論です。

しかし、往々にして、その「正義」の名の下に、
効率性、画一性、一方向性によって
生徒を追い込むことが許されていきます。

しかも、そのような指導が
「やむを得ず」「一時的に」
行われるものではなく、
それを乗る超えることこそが、
能力を開花することだと目的化され、
指導の正当性を担保しようという、
ある種開き直り的現象にも
つながっていく面も否めません。

そうやって、人はその旗の下に集まり、
コンテンツはより強大化し、
それによって、立ち向かえる強者、
顔色をうかがって順応する者、
ドロップアウトする弱者の
三者に振り分けられているのが、
いわゆる進学校における
古くて新しい問題ではないかと思います。

さて、そんな中、
教育相談室の出入り口の
飾りつけをするということには、
そのような大義名分はありません。

「そんなことをやっても部活の成果があがるのか」
「学力向上に役立つのか」

と心の中で思う人もいるかもしれません。

だから、そのようなことをやる人は、
世の中にはめったにいないのですね。

確かに、○○のためにやる、
○○に役立つためにやる、
あるいは、上司に命令されたからやる、
自分の役割として与えられているからやる、
というのは一つ行動原理であり、
一見、筋の通った「正論」のようにも思えます。

でも、私はそこに、
どうしようもないミもフタもなさも感じます。

楷書の芸のようなストレートな正論。

真直ぐ過ぎてメマイがするぜ、ってね。

学校は成果をあげる場である、
という経済原則の視点で語られる度に、
私は、教育の成果や価値とは何なのかと、
どうしても立ち止まり、考え込んでしまいます。

もちろん、私は、進学実績や偏差値の向上といった、
数値で表される価値を高めていくことを
否定する者ではありません。

それは大切です。

しかし、同時に、やりたいからやる、
楽しいからやる、といった思いから出発する
教師や生徒の自発的活動にも
価値を見出だしたいと思うのです。

やらなくてもいいかもしれない仕事。
だからこそやる。
教育の価値はそこにあるのではないか。

むしろそのような行動にこそ、
私はクリエイティビティや主体性を感じるのです。

しかも、そのことは、
進学実績や偏差値を高めることと
二律背反ではないと私は思うのです。

学校が、価値を生みだす装置として研ぎ澄まされ、
機能していくことによって、
できるだけムダなことはしない、やらない、させない、
という学校文化が生まれるのではないか、
そして生徒や教師の創造性や芸術性、
主体性が損なわれるのではないか、
私はそのようなことを日々感じているので、
Aさんの切り絵装飾の活動が、
新鮮で感動的に目に映ったのかもしれません。

もちろん、Aさんの切り絵による装飾にだって
「学力を伸ばす」「部活で成果をあげる」ことと
無関係ではありません。

その理由を説明するのは、
野暮の極みかもしれませんが、
敢えて述べてみたいと思います。

それは、学校とは、
知識や技能を身につけるより前に、
子ども達の情緒を育む場であるからです。

そして、成果を挙げる前に、
他者への優しさを身につける
場所だからでもあります。

これが私の考えです。

こんなことをいうと、また
「センチメンタルな自己愛」などと
ささやかれるかもしれませんね。

でも私は、そんなレベルのことを
言っているのではありません。

情緒が育つことによって、気づきの感度が高まり、
それは本質を掴む力になるからです。

そして、自ら学ぶことへの原動力にもつながるのです。

そして、優しさを身に着けた人間は、
相手を高めることで自分の能力が
磨かれることを知っているからです。

そして、世の中の理不尽に立ち向かう
勇気を持つことにもなると思うのです。

これは、自分に打ち勝つ力にもなるのです。

私は、Aさんの、ささやかであるけれど、
自発的な活動から、
いろんなことを考えさせられました。

教育相談室が誰もが気軽に相談できる
部屋になることを祈りつつ。

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「2学年講演会より⑧ 最終回」

2学年講演会、今回でラストです。
なぜ勉強するかというテーマで話したことを
まとめました。




7 なぜ勉強するか

最近、スポーツマン芸能人として活躍されている、
武井壮さんが「勉強する理由」について
ツイートしたことが話題になっています。

武井さんのツイートはこれです。

勉強?した方がいいに決まってんだろ!
将来役立つかって?
勉強したことを無駄にせず
役立てるように生きてくんだろうがよ!
スポーツに集中したい?舐めんなよ!
寝てる時間以外16時間練習してんのか!?
1日1時間くらい人生を広げる新しい知識手に入れろ!
難しいなら人体の研究して競技に役立てろや! 
2017年Apr6日 13:46


将来何に役立つかで勉強する、しない、
を決めるのではなく、
勉強したことを役立てるように生きろ、
という言葉にとても共感します。

勉強することが結果として
自分の人生を広げていくことなんですね。

このツイート上で、いろんな人が
「勉強する理由」について書いていました。

以下、その一部を紹介しながら
私の話しを終えたいと思います。

英語や数学が出来なくても、
将来困るのは君たち自身であり、
周りは特に困りませんが、
倫理や政治や家庭科を知らないと、
君たち自身は何も困りませんが
周りがとても迷惑します。


勉強とは受験のためだけに
行うものではないということ。

勉強する一つの意味は、
社会の中で、人と関わり合いながら
生きていくためでもあるんですね。

勉強の嫌いな子供の言う
「大人になったら人生に三角関数なんか必要ない」は、
「三角関数が必要な人生が選べなくなる」が正しい。
一度きりの人生ゲームで、
その先に何があるのかも知らないまま、
そのルートの可能性は閉ざされたのだ。


私は、三角関数の面白さを知っています。
人よりたくさん三角関数の勉強をしたからです。

もちろん、そのときは、
それが何に役に立つかなんて
考えていませんでした。

また、三角関数を理解したことで、
直接お金が儲かったわけではありません。

でも、この経験は私の進路を決めてくれました。
そして何より、私の人生を
豊かにしてくれたように思います。

勉強することは、自分のその先の可能性を広げ、
未来を切り開くことなんですね。

勉強しないと視野が狭くなる。
勉強しないと僅かな知識だけで
この世を理解しようとするせいで、
ありえない仕組みを仮定して
「分からない」を埋め立て始める。
分からない物の多さが、分からないから
なんでも知っている気分になってしまう。


勉強しない人は傲慢になる。
勉強をすればするほど
人は謙虚になるんだと思います。

勉強が出来る人は絵を描くことに転向しても
勉強ができるからすごく上手くなるのが早い。
勉強に対する集中力を絵に置き換えるから、
上手くなるのが早い。
しかも勉強で培った様々な知識や知性が
絵に上乗せされる。


ある教科の勉強をするということは、
その教科の知識や技能を獲得するだけではなく、
他の分野へも転移されていくということなんですね。

勉強するということは、「学び方を学ぶ」ということ。

それは、人生の中で課題にぶつかったときに
対応する力を培っているということだと思います。

社会人になって
「学生の間に遊んどけ!
社会人になったら遊べなくなるぞ!」
ってアドバイスがじつは大嘘だとわかった。
金のある社会人の方が学生より絶対に遊べる。
学生のうちにやるべきことは
腰を据えた勉強や長期旅行などの
「長い時間を投入しないとできないこと」だと思う。


「物事には旬がある」といいます。
社会に出てからでも、
微分・積分は勉強できるかもしれません。

でも、様々なことを、
ひたすら貪欲に学べる機会は今しかありません。

今、皆さんには学ぶ時間が与えられ、
学ぶ環境が準備されています。

そのカードを切れるのは人生の中で、
ただ1回なんです。

「なんで勉強しなきゃいけないの?」って
小さい時親に聞いたら
「誰が本当のことを言っていて、
誰が嘘つきなのかわかるようになるため。
それがわかれば世界が楽しくなるし、
あなた自身の心が豊かになるのよ」
って言われたけど、
10代の私にこれをさらっと言う
うちの親すごいなっていまさら思う。

 
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上の図は、以前私が作った、
北海道と東北6県の高校3年生における
センター試験の受験率を表したグラフです。

岩手はセンター試験の得点が低い
ということがいわれているので、このグラフを作り、

「だってこんなに受験率が高いんだからしょうがないでしょ」

と説明しました。

私の話を聞いた人は
「なるほど、そうなんだ」と納得してくれました。

でもね。実はこれは欺瞞だったんです。

グラフをよく見てください。
これはいわゆる「足切りグラフ」とわれるものです。
本当は次のようになるのです。

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どうでしょう。

これだと、各都道府県における有意差を感じませんね。
有意差があるのかないのかをきちんと検証するには、
検定という数学的な統計処理を行う必要があります。

私たちは、このような数字のマジックや、
人を欺くロジックにひっかからないためにも、
日々勉強する必要がありますね。

もう一つ例をあげます。
ある有名なベストセラーの書物に、
「ピラミッドの不思議」として
こんなことが書かれていました。

「地上から頂上までの高さ146.7mと、
地上における建造物周辺の長さ921.44mの比率は、
円の半径と円周の比率2πとなる。
このような数学的に精密な相互関係が
偶然生まれるとはとても思えない。
したがって大ピラミッドの建設者たちは
πについて大変詳しく、
意識的にこの数値を建造物の寸法に
使用したに違いない。」


あなたはこれを信じますか。

古代人は、コロと呼ばれる計測輪で、
距離を測っていたといわれています。

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例えば、直径がLmの計測輪で
10回転するように周を決めれば、
その長さは10πLmですね。

でも、積み上げる高さはコロでは測れません。

そこで、例えば、高さLのレンガを
10個積み上げるなどとするわけです。

すると、当然、両者の比をとると
πの値が現れるわけですね。

私たちが学ぶことの意義は、
「なぜ」を掘り下げ、物事を批判的に観る力を
養うということもあると思います。

8 まとめ

これまで話したことをふり返ってみましょう。

■ 私たちの未来はどうなっていくのか
■ 働き方はどう変わる?
■ 「夢」と「手段」の違いとは
■ 知識ってなんだろう
■ 本質的な学びとは(「こなす」と「ひらく」)
■ なぜ勉強をするのか

こんなことを話しました。
ペアになってどんな内容だったか
確認して欲しかったのですが、
時間がなくなってしまいました。

私の思いは、皆さんに、
主体的に学び続ける人間(アクティブラーナー)に
なって欲しいということです。

オマケとして、アクティブラーナーになるための
魔法の言葉を紹介しますね。

切羽詰まったとき、困難な課題にぶつかったとき、
傷ついたり、憂鬱な気持ちになったときに、
こんな言葉をつぶやいて見てください。

「やり遂げ、乗り越えている未来の自分が見える」
「だったらどうすればいいのか考えよう!」
「俺は(私は)No Limit!」


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では、最後に一つの問を皆さんに投げかけて
終わりたいと思います。

それはこれです。

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これは答えのない問いです。

一人一人その答は違うでしょう。
でも、皆さんには、これからの高校生活の中で、
この問いに向き合い、そして、
自ら新たな問いを立てながら、前向きに
学びに向かっていって欲しいと思います。

ご静聴ありがとうございました。





長いことお付き合いいただきありがとうございました。
以上で、講演会のまとめとしたいと思います。



 

「2学年講演会より⑦」

2学年講演会のまとめ、
ついに7回目になりました。
あと1回で終わりますね。

今回は、知識が構成されていく
過程について話したことを
まとめてみました。




(2) 知を構成するスパイラル

では、知識がどのような場面で生み出され、
高められていくかを考えてみたいと思います。

私のWEB上での友人で、
田原真人さんという方がおります。

最近彼は次のような、

「善悪の評価を超えた
野原でまわる共存在サイクル」

という図を考案されました。

0411k-24.png

詳しくはこちら⇒★★

私は、そのアイデアを拝借して、
知を構成するスパイラル
というものを考えてみました。

まず、次の図を見てください。

0411k-25.png

これは、学校と家庭の2つの場によって
知識が作られていくというモデルです。

学校で行われる授業や様々な指導によって
インストールされた知識を、家庭で復習する、
あるいは、家庭で教科書の予習や、
与えられた課題プリントなどを行い、
学校での授業の理解を進める、という循環です。

一見それはごく普通の
勉強の流れのように思えます。

でも、学校で真面目に授業を聴く、
そして先生から与えられる課題を
家庭でせっせと行う、というサイクルによって、
自動的に知識は生まれていくものでしょうか。

私は、知識がつくられる過程は
そんな単純なものではないと思います。

0411k-27.png

私は、田原さんのモデルを真似て、
上のような図によって
知識が生まれていく過程を考えてみました。

青のベルトは、学校などで行われる講義や、
教科書などによって
(形式的)知識を得ていく過程です。

でも、ここではいくつかの事実が
頭に入ったに過ぎず、
まだ生きた知識にはなっていません。

大切なのは、青色部分で得た様々な事実によって、
自分のなかに「ゆらぎ」が生まれることです。

この「ゆらぎ」とは、
「そうか!という気づき」や
「え!という疑問」、
あるいは「なに~!という混乱」
などが頭の中に起きている状態です。

そのような状態の中で、学習者は、
与えられた事実を咀嚼し、
これまで持っていた知識を動員しながら
新たな知識として編み直していくのです。

つまり、自らが知を創りだし、
掴み取る過程が黄色のベルト部分です。

ですから、学びの根本は
この黄色のベルトの部分といってもいいと思います。

このような過程を経て、
自分の中で納得が生まれると思いますが、
もしかしたら曲解しているかもしれませんし、
あるいは、まだ独りよがりの
浅い知識であるかもしれません。

そこで、今度はそれをもって、
緑のベルトの部分に進みます。
ここはアウトプットの領域です。

例えば他者との対話や、発信、
共同での問題解決などの活動、
あるいはテストなどです。

これらによって、自分が得た知識が確認され、
定着へと進みます。

また、活用、発展される
深い知へと高めていくことや、
逆に、否定や反駁を経て、
自らの知識の未熟さや、
インプット不足に気づくこともあるでしょう。

すると、再び青の矢印に向かって、
貪欲に新たな事実を
インストールしようと思うわけですね。

こうしたサイクルの中で、
生きて働くパワフルな知が
構成されていくのではないかと私は考えます。 

将棋の世界で例えるならば、
青色部分が師事している師匠からの
教えや書物での研究、
黄色部分がそれを咀嚼し
自分のものにする過程、
そして緑色部分が対局やその後の感想戦、
また他者への助言指導などで
気づきを生み出す部分と言えます。

これらの3つのサイクルは、
学校や家庭という特定の場で
それぞれ行われるのではなく、
いたるところで、時に同時並行的に
もたらされるのではないかと思われます。

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このように
「メシ食っているときもフロ入っているときも」
学んでいる、
つまり、生きていること自体が
知識を構成する活動であると考えれば、
家に帰って、机に座っている時間を
「家庭学習時間」として調査することが
意味のないもののように思えてきますね。

皆さんは、学習時間の量や、
与えられたアサインメント(課題)の提出率で、
勉強したという安心感を持つべきではありません。
それはいわば「こなす」勉強です。

大切なのは、受け取った知識(青色・インプット)を
自分事にしていくことです(黄色・インテイク)。

それを促すためには、他者との対話や発信など、
表現すること(緑色・アウトプット)が大切だと思います。





次回は「なぜ勉強するか」についてです。
最終回になります。

 

「2学年講演会⑥」

何だかんだで、
2学年の講演会シリーズ6回目となりました。
今回の内容が、この講演会で
一番伝えたかったことです。




6 知識とは何か

さて、次に「知識」とは何か、
そして知識を生み出すサイクルとは
どのようなものかについて、
特に、昨年読んで感銘を受けた
「学びとは何か」(今井むつみ/岩波新書)
という本に書いてあることを参考にしながら
私見を話していこうと思います。

(1) 知識って何だろう
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上の写真は、私とある人が指した
将棋の対局の一場面から取り出したものです。
皆さんはこれを1分間だけ眺めて、
それを盤面に再現できますか。

恐らく将棋を経験したことのない人は
できないでしょうね。

将棋ができる人でも、
駒の種類や動かし方を知っている程度では、
再現できないと思われます。

でも、今ここにいる、佐野先生ならば
恐らくちらっと見ただけで再現できると思います。

なぜなら、佐野先生は花巻北高校時代、
将棋部で全国3位に輝いた方だからです。

佐野先生できますか?
(「できる」との力強いこたえがありました)


では、この図ならどうでしょう。

0411k-20.png
(これはさすがにできないとのことでした)


そうですよね。

いくら佐野先生でもこれは再現できませんよね。


最初の図と二番目の図は、
盤上にある駒の数は同数です。

それなのに、なぜ最初の図は再現可能で、
二番目の図は無理なのでしょうか。

目の前にある事象を記憶するということにおいては、
どちらも同じではないか
と思う人もいるかもしれませんね。

それなのに、佐野先生はなぜこの図をチラ見
しただけで再現できると確信したのでしょうか。
(先生から話を伺う。
序盤の定石であることなどの説明がなされた)


佐野先生は、定石といわれました。
つまり、数学で言う定理や公式のようなものですね。

先生は、その定石を、
誰かに教わったり本で学んだりしたかもしれませんが、
それだけではないですよね。

他者との対局を繰り返すことによって、
きっと、生きて働く知識として
身についたのではないかと思います。

ちなみに、佐野先生は、
次の1手は何だと思いますか?
(「先手の飛車先の歩を突く」とのこと)

なるほど。さすがですね。
この図を見ただけで、次の差し手は
先手だとわかったんですね。

ここで、重要なことがわかりました。

この局面は、それ自体が
唐突に登場したものではなくて、
初手からの流れの中で
生まれたものだということです。

つまり、時間とともに移りゆく流動的な図と
佐野先生は捉えていたわけです。

だから、過去や未来の図さえ
イメージできるんですね。

私は、そこに、知識を生み出していく過程
のヒントがあるように思います。

最初の図には過去から未来に向かうメッセージ、
つまりストーリーが隠れているんですね。

それに対して二番目の図は
何らストーリーを持たない
(ストーリーを作り得ない)
無意味な情報なんです。

私は「知識」とは、盤面の図という与えられた事実と、
その背景にあるストーリーが一体となって
頭の中に整理され、進化している状態
のことではないかと思います。

意味のない情報を記憶する、
あるいは意味を捨て去って
ある事象を鵜呑みにするということであれば、
できるだけ余計なことは
排除するべきと考えられますね。

例えば「sdjhutnsklm」などという
無意味材料を記憶する場合は、
「情報量はできるだけ少ない方がラク」
「ひたすら繰り返し暗唱するだけ」
という方向で考えてしまうと思われます。

でも、

「しもまっちはシューズとサングラスと時計と
パーカーを買った。」

という文を覚えるときはどうでしょう。

「しもまっちは
『イーハトーブマラソンに出場するために』
シューズとサングラスと時計とパーカーを買った。」

というような情報を付加し、
ストーリー性を持たせた方が、
なぜその商品を購入するのかの意味が
理解できるので
記憶として定着されやすいはずですね。

例えば、ある先生が、
最初の図を生徒に覚えさせようとして、
次に示すような指導をしたとします。

0411k-21.png

分解して、徹底して繰り返す。
テストに出すよという脅しで覚えさせる。

すると、もしかしたら、
直近のテストでは再現できるかもしれません。

でも、それは、テストが終われば忘れてしまい、
生きて働くものにはなりませんよね。

今井氏は、このように
「知識=事実」ととらえるような
誤った理解を「知識のドゲルケバブモデル」
と呼んでいます。
ドゲルケバブとは、トルコ料理で、
肉片を集めた料理のことです。

0411k-22.png

先生から教えられる「事実」を、
ドゲルケバブのようにひたすら
蓄積していくという知識観ですね。

我々が勉強しようとしていることは、
ねじり鉢巻きをして、
根性で「教師から教えられる事実」を
ひたすら暗記することなのでしょうか。

そうやって時間をかけてドネルケバブのように、
いっぱい頭の中に「事実の集合」を
詰め込むことが良い勉強なのでしょうか。

それが大学合格を勝ち取るための
勉強なのでしょうか。

これまで話したことを次のスライドでまとめてみます。

0411k-23.png

知識とは、学校の授業で先生から教えられる
「事実」の集合ではなく、それらを得た生徒自身が、
これまで自分の中に持っていた事実と融合させ、
編み直していく過程であるということです。

つまり、その事実に潜む背景や、
事実どうしのつながりなどを含めたストーリーを
自分の中に創り上げていくことであり、
それが問題を解く力になっていくということです。

知識とは、随時構成され進化し続ける、
いわば生命体ともいうべきものなんです。

そのように、知識を進化させるためには、
教師からの教えを
ただ受動的に取り入れるのではなく、
自ら課題を設定したり、発信したり、
振り返りを行ったりという、
主体的で対話的な活動が必要ではないかと思います。

そして、そのような活動は、
興味関心を抱くこと、自分を俯瞰して見ること、
想像力を持つことといった、
学びに向かう姿勢によって増幅、
促進されていくと私は捉えています。




次回は「知を構成するスパイラル」です。

 

「2学年講演会⑤」

2学年講演会のまとめ、今回で5回目です。
5回で終了の予定でしたが、
分け方を細かくしたため、
あと2~3回続けたいと思います。

今回は「こなす」と「ひらく」という言葉に注目して、
課題への取組などについて話した部分です。




5 「こなす」学びと「拓く」学び

先ほど、夢と手段のところで紹介した植松努氏は、
「こなす人」と「ひらく人」の話をよくされます。

「こなす人」とは、与えられた最小限の課題、
ノルマをできるだけ引き延ばしてこなす人、
与えられるまで待つ人、
人からしてもらうことを望む人のことです。

一方、「ひらく人」とは、自ら考え行動し、
周囲の環境を変化させていく人のことです。

変化や新しいことを受け入れ、
世の中の理不尽に対して
批判的な目を持ち
行動していく人のことでもあります。

こなす人は結果として能力を失い、
人に迎合するだけの人生につながります。

ひらく人は能力が磨かれ、
地域や他人の気持ちを考えて行動できる
優しさが身につくと考えられます(図参照)。

0411k-17.png

私は、学びについても、
「こなす人」と「ひらく人」
という見方をしてみたいと思います。

例えば皆さんが日々取り組んでいる
課題について考えてみましょう。

課題を、
「叱られるからしょうがなくやる」といった、
「こなす」という意識の人は、
課題を苦痛と捉えてしまいます。

すると、こなすこと自体が目的化し、
与えられること以上のことを
やろうとは思わないでしょう。

また、他者との比較や先生からの叱責などが
自分自身の行動原理になるため、
結局自分というものがなくなり、
他者に迎合する生き方に
つながるのではないでしょうか。

これでは苦痛が増し、
自己肯定感が薄れる
負のサイクルに陥ってしまい、
能力が磨かれることはありませんね。

一方、「ひらく人」は、課題を、
自らが向上するチャンスと捉えます。
チャレンジし、成功体験によって自信を持ち、
失敗してもその経験を、
自分を高めるきっかけにすることができます。

0411k-18.png


学びに向かう姿勢は、
人生に立ち向かうことと同じです。

ですから、課題に対しても、
ぜひ、「自分を向上させるチャンス」と
ポジティブに捉えることを
意識して欲しいと思います。




次回は、今回の講演の
クライマックスにあたる
「知識とは何か」のまとめです。


 

「生徒総会と万葉植物園」

今日は生徒総会でした。

20170509生徒総会

私の冒頭の挨拶は以下の通りです。




学校では、
「皆で協力しあって」
「一つになって」
ということが強調されますね。

それはとても大切なことです。

でも、そのことによって、
それぞれの人が持っている個性や、価値観、
自立性や創造性が
損なわれることがあってはいけないと思います。

単に、命令や強制、恫喝によって
一つの方向に従わせていく組織は、
決して知的な集団とは言えませんね。

そうではなく、そういった
それぞれがもっている個性や価値観、
得意技を認め合いながら、
でも、文化祭や体育祭などの学校行事や
応援活動などの場では、
全員で盛り上げていこうというムードが
自然発生的に作られたり、

リーダーになった人に対して、
その人を支援していこうという
輪をつくっていくとか、

頑張る人の気持ちに
応えようと思うような学校が、
知的な集団であると思います。

今、「知的」という言葉を出しました。

人事コンサルティング、
教育コンテンツ作成などに携わっている
安達裕哉さんと言う方がいらっしゃいます。

彼は「知的な人とそうでない人」の特徴を
5つの側面からまとめています。

それを紹介したいと思います。

1 異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、
そうでない人は異なる意見を
「自分への攻撃」とみなす。

2 自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。
また、それについて学ぼうする。
そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。
その結果、それを隠し学ばない。

3 人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには
自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。
そうでない人は、教えるためには
相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている。

4 知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。
そうでない人は、「何のために知識を得るのか」が
はっきりしなければ知識を得ようとしない上、
役に立たない知識を蔑視する。

5 人を批判するときの態度
知的な人は、
「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。
そうでない人は、
「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。


知的である、というのは単に頭が良い、
ということではありません。

自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、
人の苦しみや弱みを自分事としてとらえられる
優しさを持っているかということではないかと思います。

さて、花巻北高校は知的な集団でしょうか。
花巻北高校が知的な集団になるために、
そして知的集団であることを確認するために、
この生徒総会があるのかもしれませんね。

どうぞ、今日は活発な意見を出して、
学校をもり立てていってください。





今回の生徒総会で私が注目していたのは、
本校の万葉植物園の復興整備計画です。

昨年私が赴任して以来
その動向が気になっていました。

今回の生徒総会では、何人かの生徒から、

「万葉植物園の管理というが、花壇の整備、
つまり敷地内の美化活動に終わっているのではないか」

「万葉植物園は、万葉集にでてくる植物が
隠れている場所だったと聞いている。
そんな昔の姿を取り戻してくれることを期待している」

などといった意見がだされていました。

万葉植物園の復興整備はもちろん
生徒会執行部だけで行えるものではありません。

ではどうするのか。

そのヒントは、私は、昨年の
「マルカンプロジェクト」にあると考えています。

つまり、執行部がどれだけ組織の「外」に働きかけ、
ダイナミックな運動を展開できるかではないか。

生徒のため、花北のため、
今か今かとお呼びがかかるのを待っている人が
必ずいるはずだと私は思っています。

その存在に気づき、そして一歩踏み出す。

すると、もしかしたら大きな動きが
巻き起こっていくかもしれません。





 

2学年講演会より④

2学年講演会、佳境に入ってきました。
まだまだ続きますよ^^

今回は大学入試改革に
スポットをあてて話した部分です。




4 大学入試が変わる

では次に、このような世の中の変化に応じて、
大学入試はどのように変わっていくのかについて
述べておきたいと思います。

0411k-15.png

図のように、2020年度から
センター試験に代わるテストとして、
大学入学希望者評価テスト(仮称)が導入されます。
現在の高校1年生が
センター試験最後の世代ということになりますね。

この試験によって評価されるのは
次の3つの学力といわれています。

① 教科・科目の十分な知識
② 問題を発見・定義し情報を統合、
  構造化し解決に向けて主体的に思考判断する力
③ プロセスや結果を表現する力

このような学力をみるために、
テストの問題の内容や出題の形式が
これまでのセンター試験とは
大きく変化するでしょう。

だけど皆さんは、新しい試験を受験する
学年ではありませんね。

もしかしてラッキーと思っているでしょうか。

でもね。

私たちは往々にして
試験の「方法」の変化にばかり
目を奪われてしまいますが、
実は考えなければならないのは、
やはり「なぜ」の視点です。

つまり、センター試験がこのような方向に
舵をきった理由やその背景について
私たちはもっと掘り下げて
考えていくべきだと思います。

私は、大学入試改革が起こったのは、
社会の変化に対して教育の果たす役割が
大きくクローズアップされているからに
他ならないと考えています

つまり、これまで、高校での学びが、
大学入試が終われば賞味期限切れとなり、
大学や社会に出て、生きて働くものに
なっていなかったことの反省に立って、
この改革が起こったと捉えておくべきだと思います。

であるなら、私たちが目指すものは、
先ほどあげた①~③の3つの力をみる入試に
「対応」することではなく、
3つの力を高校生活の中で
「身につける」ことこそを
目標とすべきではないかと思います。

2020年度入試から、センター試験世代と、
ポストセンター試験世代という、
一つの世代の線が引かれます。

皆さんは、この線のすれすれのところにいます。
年齢的にはたった1~2年の
ちがいかもしれませんが、
ゆくゆくはそこに大きな世代の断絶や
絶壁が生まれてくるのかもしれません。

そのような中で、皆さんは
センター試験世代ではありますが、
次世代に負けない、未来視点を持ち、
自ら道を切り開くパイオニアであって欲しい
と思います。

センター試験世代の腰の強さと、
未来を見据えて変化を受け入れる
柔軟な学びの姿勢を持つことの両輪があれば
鬼に金棒だと私は思います。

では、どうすれば、
そのようなパイオニアになれるのでしょうか。
ここで、私は、今年岩手県から唯一京都大学に進んだ
卒業生のOさんの話を例に挙げようと思います。

Oさんは京都大学教育学部の
特色入試を受験しました。
この試験はセンター試験の結果だけでなく、
高校で何を行ってきたかという「学びの報告書」と、
これから大学に入って何を行うかという
「学びの設計書」によって評価する入試です。

先日、京都大学のある先生にお会いし
聞いたのですが、
特色入試で入学した生徒の入学後の伸びは
大変目覚ましく、
一般入試で入学した学生と
比較にならない程であるとのことでした。

その理由は、彼らは
「見ている世界が違う」からだといいます。

高校のその先を大きくする力とは、
自分が高校時代に「何をやったか」という経験の数や、
大会で入賞したとかいう実績ではなく、
どんな小さなことであっても、
何かを体験したそのときに
「何を考えてきたか」ということだと思います。

そして、実際に具体的な行動として
どんな一歩を踏み出してきたかです。

このように自ら考え、行動することが、
充実した大学生活に
つながるのではないかと思います。

Oさんは、マルカンプロジェクトを立ち上げ、
大きなムーヴメントをもたらす一歩を踏み出しました。

また、自由研究では、現在の学校教育に
問題意識を持って、
フリースクールの研究を行っていました。

0411k-16.png

京都大学の例だけではなく、
高校時代に主体的に学んできた生徒と、
与えられた課題をこなし、
試験の過去問をただひたすらドリルするということで
ようやく大学に合格した生徒では
入学時点ですでに大きなギャップが生まれています。

今、多くの大学がそこに気づき始め
入試改革を行っています。

大学に入るためにどんな準備をするのか、
どんな大学に入るか、
就職するためにどんな準備をし、
どんな職業につくのか。

大事なのはそんなことではなく、
今をどう充実させて生きるかということ。

そして、その根本は、
自分で考え、行動することの楽しさを
見つけることではないかと思います。




次回に続きます。



 

「Symphony」

この4月から本校に赴任された
「ヤンクミ」こと八重樫久美子先生から、
先生が企画・編集された
「Symphony」をいただきました。

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この冊子は2011年に発行された
「プレリュード」の続編として、
2016年12月に出版され、
被災地の高校生に届けられている
東日本大震災復興支援集です。

八重樫先生は編集後記で
次のように述べられています。

今回の編集に際して、
どうしても叶えたいことがあった。
一世紀近くにわたり、戦前戦後の日本を牽引し、
今もなお多くの示唆を与え続けている「知の巨人」。
寂聴氏、梅原氏、藤城氏、山折氏を
はじめとした方々の意志を、被災地の、
いや日本中の若い世代に届けたい
ということだった。

この夢が実現し、
文字通りの『交響曲』が奏でられた。
風化と言うことばが、ここには見当たらない。

2011年3月11日。
故郷(イーハトーブ)が
姿を変えてしまった日から五年。
この一冊は変わらず「いっしょに進んで」きた
人々の思いが凝縮されている。

「ことばの力」を被災地に届けよう。
このプロジェクトは、一貫してこのことを
合言葉にしてきた。
そして賛同いただいた多くの方々により、
復興の『前奏曲』として届けられた「ことばの力」は、
今再び『交響曲』として結実した。
     (編集後記「奏でる」より抜粋)


この「Symphony」に
寄稿された方々が凄いのです。
もちろん、この冊子のために
書きおろしたものです。

その豪華執筆陣は以下の通りです。

藤城清治(表紙絵)
澤村明彦(Photo message)
三田紀房(イラストメッセージ)
瀬戸内寂聴(3月11日を悼み続ける)
梅原猛(助け合う賢治の精神を)
山折哲雄(のこされた影と光)
阿刀田高(若い年齢こそ一番の財産だ)
末盛千枝子(悲しみのときに思うこと)
内館牧子(故郷がある贅沢)
あさのあつこ(今までとこれからと)
城戸朱里(危険を生き抜く)
大友啓史(スペインで考えたこと)
斎藤武彦(岩手ってすげー)
金野万里(地元学のすすめ)
沢村澄子(人間をほおばる)
長内努(変わらないもの、変わっていくもの)

凄いラインナップですね。

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ちなみに山折哲雄先生は本校の同窓生で、
桜雲同窓会関西支部の会長を務めておられます。

このような方々に原稿を依頼して
一冊に仕上げられた、
ヤンクミ先生のアクティブさに驚くばかりです。

この冊子は、義援金によって
被災地のすべての高校生に届けられています。
現在も義援金を受け付中で、一口5,000円
(5冊以上申し込みの場合は一口3,000円)で、
この支援集をお送りするとのことです。

詳細のお問い合わせ先
019-632-2211(川口印刷・担当千葉)


 

2学年講演会③

前回に引き続いて、
「夢」について述べた部分をまとめます。

植松努氏が講演会でお話されている
「夢と手段」の話を引用させていただきました。

また、実際の講演では、
具体例として2人の方の生き方をあげましたが、
ここではそれをカットしています。




3 「夢」を持つことについて考える

では、このような時代の変化の中で、
皆さんは働くことについてどのようなビジョンや
夢を持っていけばよいのでしょう。

以前、ある生徒に
「あなたの夢は何ですか」と尋ねたら、
「岩手県立大学に入ること」と言われて
びっくりしたことがあります。

私が「なぜ?」と問いかけると、
「公務員になるため」という答えが返ってきました。

更に「なぜ公務員になりたいの?」と重ねると
「安定しているから」とのこと。

そして、それ以上の議論には進みませんでした。

実は今、岩手県立大学では、
入学してくる学生や親の多くが、
大学での専門的な学びのことより、
公務員になれるかばかり気にしていて、
大学の先生が困惑している
という話を聞いたことがあります。

もう一つ私の周りにあったエピソードを紹介します。
某県の某有名進学校に在籍しているA君が
後期試験でI大学に合格し、
3月に盛岡のアパートに引っ越しをしました。

私はそこで、合格祝いにと
電子レンジをプレゼントしました。

ところが、本人の様子がとても暗いのです。
そしてそこにいた母親が、
ため息交じりに10回以上も言っていたセリフが
「前期でT北大学を落ちてしまった」でした。

A君曰く、その高校では先生から
「I大は墓場だ」とまで言われたそうなんですね。

そして「T北大に入れなかったから、
I大に入って先生になるしかない」とこぼしました。

おいおい。先生なめんじゃねえぞ!

と私は突っ込みました(心の中で)。

A君の言動を責めるのは簡単です。
でも、彼のそういった思考のクセをつくったのは
学校であり親であるのではないか。
私は暗澹たる思いがしました。

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図のように、必死に受験勉強して進学校に入り、
そしてまた受験勉強して有名大学に合格し、
そこで就活して有名企業に就職する。

これが幸せな人生のモデルだ、
なんていう考えが未だに学校や親の
体質になっているのかもしれません。

そんなものはとっくの昔に崩壊している価値観なのに。

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皆さんは、小学校以来、学校生活の中で、
こんなふうに言われてきたかもしれません。

「辛くとも勉強を頑張って、
先生のいうことを一生懸命聞きなさい。
幸福とは努力した先の未来にある。
目標を達成した時、幸せになれる。
だから、今はつらくても、
目標に辿りつくまでは走り続けろ」

それは、自分に鞭を入れて、
嫌なことでも我慢強く頑張り続けるための
力になったのかもしれません。

でも、そのようなガンバリズムの嵐の中で、
立ち止まり、なぜを掘り下げたり、
自分の頭で考えることができなくなるならば、
先ほど話した、100歳まで生きて60年働く
キャリアを乗り越えていくことなんか
できないと思うのです。

きっと、A君は、
T北大学に合格することを「夢」として、
ひたすら頑張り続けたのでしょう。

そして夢が破れたとき、彼はどうなったか。

ただ落ち込むしかなかったとすれば
それはとても悲しいことです。

さて、ここで、植松電機専務の植松努氏の
「夢と手段」の話がとても興味深いので紹介します。

彼は、思いついた夢に
「プランB」があるかどうか考え、
プランBを思いつかない夢は、きっと手段であり、
その向こう側に本当にやりたいことがある、
と述べています。

例えば、ある人の夢が
「医者になりたい」だったとします。

すると、「医者になる」ことにプランBはありませんね。
つまりこれは手段だったのです。

じゃあ、なぜ医者になりたかったのかと
掘り下げて聞くと、
彼は「人の命を救いたい」と答えるかもしれません。

0411k-13.png

すると、そこには、
「医療機器を開発する」などといった
「医者になる」以外にも多くのプランが
存在することがわかりますね。

0411k-14.png

このように考えていくと、
自分の志望がかなわなくても、挫折から
しなやかに立ち向かえる力になると思います。

進路を決める上で大切なことは、
「What」ではなく「Why」で考えていくこと
ではないかと思います。

それが習慣化することで、夢が変化しても、
自分の中でぶれない軸(価値観)を持つことや、
夢破れても対応できる方向感覚を持つことに
つながるのではないかと思います。

これらは、キャリア・アンカー
(職業生活における錨のポジション)と
キャリア・アダプタビリティ(変化への適応)
と呼ばれるものです。




次回は、このような社会の変化の中で、
大学入試はどのうように変わるか、
それに対してどのような高校生活を
展望するかについてまとめていきます。


 

2学年講演会より②

前回に引き続いて、
2学年講演会のまとめです。

世の中の変化に伴って、
働き方はどのように変わるのか、
というテーマです。




2 働き方はどう変わる
(1)高度接続・知識基盤社会と共生国際社会

このような
「ウルトラスーパー超絶高齢化社会」
の到来とあわせて、
2つの重要な社会変革も記しておきます。

0411k-09.png

一つは「高度接続社会・知識基盤社会」
といわれるものです。

これはAI(人工知能)の飛躍的な進展などによって、
生み出された新しい知識や価値が、
政治・経済・教育・文化等のあらゆる分野で
重要性を増していくという社会です。

もう一つは「共生国際社会」と名づけてみました。
人、モノ、情報、知識などが
国境を超えてつながっていく社会、
そして、異なる文化や価値を
相互に認め合う共生社会が
進んでいくということですね。

このような社会の変化は、
「太平洋戦争」や「産業革命」の時代よりも
もっと激しいものであるという人もいるようです。

(2) 2つの特徴的な流れ
こういった社会の枠組みが変わることによって、
働き方において次の2つの
大きな変化の波を指摘しておきたいと思います。

① 100年生きて60年働く時代がやってくる
医療技術の進歩もあり、ここにいる皆さんは
100歳以上まで生きる人が多いのではないでしょうか。

すると、高齢化・人口減少が進む中で、
高齢者だからといって
隠居している場合ではありませんね。

自分で自分を支えていかなければなりません。

60年働くということは、20歳から働き始めれば
80歳まで働くということです。

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(中原淳氏(東大)の提示された図を参考にした)

そうすると、例えば大学を卒業して、
ある会社に就職して、
そのままエスカレーターに乗るように
そこで60年間も勤めあげることは
あまり考えられませんね。

どこかでエスカレーターを乗り換える
ということが起きる可能性が十分あります。

あるいは、もしかしたら
一度に異なるいくつかのエスカレーターに
同時に乗るということもあるかもしれません。

➁ バウンダリーレス化が進む
バウンダリーとは境界線のことです。
これからの社会は、様々な境界線が
なくなってくると言われています。

例えば働き方については
「ICT技術によって時間と空間の境界がなくなる」
「性別や年齢の境界がなくなる」
「組織の内外の境界がなくなる」
「公私の垣根がなくなる」など。

学びで言えば
「文系理系の境界がなくなる」
「学校内と学校外の垣根がなくなる」

など、これまで線がひかれ、
囲まれていた中での話ですんでいたことが、
そうはいかなくなってくるということです。




次回は、そのような社会の中で、
夢を持つことについて記していきます。


 

2学年講演会より①

先月の11日に、2学年の生徒対象に
講演会を行いました。

タイトルは

『社会の変化が見えない今、
僕たちは何をすればよいのだろう』

としました。
あ、これ実は
「未来が見えなくなったとき、
僕たちは何を語ればいいのだろう」
(ボブ・スティルガー)のオマージュです^^。

次の様なテーマで話しました。

● 私たちの未来はどうなっていくのか
● 働き方はどう変わる?
● 「夢」を持つことについて考える
● 知識ってなんだろう
● 本質的な学びとは
● なぜ勉強をするのか
などです。

その講演のまとめをアップしようと
考えていたのですが、
遅々としてペンが進まず日々を重ねておりました。

本日ようやくですが、
何とかまとめることができました。

私が話したこと、そして、話したりなかったことで
記しておきたいことなどを、
当日使用したスライドとともに書いていたら
10ページ以上にもなってしまいました。

そこで、今回から5~6回に分けて、
少しずつブログにアップしていきたいと思います。

1回目は、「私たちの未来はどうなっていくのか」
についてです。




1 私たちの未来はどうなっていくのか

(1) 日本の人口の推移
4月10日のYahooニュースでは、
2050年には日本の人口が
1億人を切ると述べていました。

ここに、2014年版の高齢社会白書の
資料があります。ご覧ください。

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人口の減少が激しいですね。
年を追うごとに、10年スパンで
1000万人もの減少が見られます。

一方、日本の人口における65歳以上の
人口の占める割合が
非常に大きくなっていることもわかります。

(2) 2×××年問題
皆さんは高校2年生ですから、
だいたいの人が今年で17歳になりますね。
そして今年は2017年ですから、
皆さんはとてもわかりやすい年に生まれている
ということが言えます。

つまり、西暦の下2桁が
皆さんの年齢になっているわけです。

2030年には皆さんは30歳、
2060年には60歳ですね。

さて、20××問題といわれるものがあります。
それを以下にまとめてみましょう。

【2020年問題】

0411k-03.png

この年は、バブル期に大量採用した
バブル世代社員が40歳代後半~50歳代前半に達するため、
社員の待遇の問題(ポスト不足、人件費負担増など)
が顕著になり、会社組織の雇用構造に
大きな変化の波が来るといわれています。

また、2020年度(2021年)から
センター試験が廃止になり、
新しい評価テストが導入されます。

因みに、現1年生が
センター試験最後の受験生となりますね。

これは、単に試験のスタイルが変わるのではなく、
「学力」の捉え方、「学び方」に
大きな変革のうねりがおきていると認識すべきです。

【2030年問題】

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この年、皆さんは30歳の働き盛りですが、
人口の1/3が高齢者になるとされています。
生産年齢人口が減少することにともなって、
国民総生産が低下していくことが予想されます。

私は60歳で定年退職した後、
65歳から年金が支給されます。
だから5年間何かをして食いつながないといけません。

また、ここにいる先生方は恐らくもっと後、
70歳くらいまで年金がでないのではないかと思います。

また、地球温暖化による、「異常気象社会」が到来し、
ミニ氷河期が訪れるという研究報告もあります。

【2040年問題】

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2040年には、全国1800の自治体のおよそ半数が
消滅するという予想があります。

昨年はマルカンの閉店問題が
大きくクローズアップされましたが、
花巻市は2040年にはどうなるのでしょうか。

この年、皆さんは40歳のバリバリの年齢。
どこで何をしていると思いますか。

【2060年問題・2100年問題】

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2060年です。この年、国民の40%が65歳以上、
25%が75歳以上となります。
そして、2100年には、
現在の人口の1/3になるという説もあります。

ここまでの状況を一言でまとめると、どうなるでしょう。

高齢化社会?

いや、そんなもんじゃありません。

超・高齢化社会?

いいえ、私は次のように名づけました。

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未来がこのように進んでいくとき、皆さんの高校生活が、
その未来に生きるための前提であるとするならば、
今どのような心構えが必要になるのでしょうか。

是非、皆さん考えてください。




次回は、そのような中で「働き方」は
どう変化するかについて進んでいきます。


 

土沢アート&クラフトフェアで遭遇

昨日、土沢アート&クラフトフェアがありました。

このイベントは岩手を代表する画家、
萬鉄五郎の生地である、
岩手県花巻市東和町を会場に、
全国から200以上のアーティストが出店する
大規模な街中アートフェスティバルです。

本校で美術を教えてくださっている講師の
K子先生の「アトリエKコ」の出店もあり、
出かけてきました。

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(アトリエKコのアイドルのウサギです)

いろんなアーティストの作品を眺めながら
のんびりと歩いていたら、土沢駅に、
あの「SL銀河」がやってくる
というアナウンスを受け、
ダッシュで駅に行き撮影しました。

「SL銀河」は東日本大震災からの
復興支援を目的として
釜石線を走っている蒸気機関車です。

こんな間近で見られるとは!

いやあ、興奮しました。
そして一瞬、心の中に潮風が吹きました。

目の前を機関車が通り過ぎていく様子を
ドキドキワクワクしながら見ている自分は、
SLの男らしい姿にあこがれていた
少年時代にすっかり戻っていました。

C58239の雄姿ご覧ください。




ああ。何度も見てしまいます。
カッコいいでしょう。
 

充実のゴールデンウィークに向けて

ようやくトンネルを抜け、
体調が復活しました!

多くの方から温かい声を
かけていただいたおかげです。

ありがとうございました。

今朝は、4日ぶりで
朝のジョギングも行いました。

充実のゴールデンウィークのために、
朝から大好きなものシリーズで
ガッツリと精をつけよう!

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ジャガイモは千切りにして
ひまわり油と醤油だけで炒めます。

表面に焦げ目がついて
中がねっとりするように。

ニラは昨日まで庭に生えていたものを
みじん切りにして、
一日醤油と酒につけておいたもの。

これは万能のご飯の友です。

今日は、卵と混ぜあわせて熱湯をかけて
チータンタンにしてみました。

どっと汗~。

そして鰻と必殺の玄米ご飯、
フキと筍の煮物は
昨日カミさんが作ったものです。

朝から頭に浮かぶメロディは

My Favorite Things~♪

いいスタートが切れたかも。

 

「学びの輪」

3月の下旬に、産業能率大学の林さんから、
産能大のホームページの高校教員向けサイトで
「学びの輪」というコーナーの開設を
予定しているとのお話を受けました。

教育に対する思いを300字程度で語り、
他の人に次々とバトンタッチして
つないでいくという企画です。

そのトップバッターを依頼されて引き受けました。

私は、岩手のエース
円井先生(盛岡三高)につなぎました。

HPを見たら、九州のプリンス溝上先生に
つながっていました。
どこまで連鎖するのでしょう。

面白い企画ですね。

「学びの輪」はこちらです→★★

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快挙!バレー全国選抜

快挙です!

花巻北高校のバレー部の荒木田君が
全国高校選抜バレーボールチームの
選手に選抜されました!

すでに、全国48名から24名の選抜選手として
合宿に参加していましたが、
この度、最終の12人の選手として選抜されました。

8月にはタイ、バンコクの遠征に参加します。

今日は、彼の練習風景を見に
体育館に行きました。

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コーチをされているお父さんとのツーショット。

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バレー部は新入部員も入り、
活発に活動しています。

楽しみですね。