なんちゃってトライアスロン

最近、休日にトライアスロンをやっています。

なんちゃって。

実際は、ふれあいランド岩手に行って、

アスレチックサイクルを30分
⇒トレッドミルでランニング30分
⇒プール25m10往復(ただし歩きで)
⇒ラフランス温泉入浴、

という流れ。

2時間ちょっとで完結するメニューです。

身体と心の毒を出すのに最適。
そして、考え事をまとめるにも。

このあいだの日曜日、
走りながら、ずっと考えたこと。

そして心に決めたこと。

それは


「今日は餃子と蒸し野菜を作ろう」

ははは。

餃子は焼き餃子と水餃子で、
蒸し野菜は、今回は豆もやしをベースに、
雪うるい、アスパラ、エノキ、
エリンギを入れてみました。

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蒸し野菜

オリーブオイルと塩でいただきましたが、
伊藤農園からいただいた
南蛮味噌でやってみたら、また格別でした。

 

「いわて国体と生徒総会のアナロジー」

今日は生徒総会が行われました。

冒頭に挨拶をしました。

この生徒総会後に、新応援団による
応援歌練習も控えていたため、
協力体制を呼びかける、多少説教臭い
話しになってしまったかもしれません。

以下に、私の挨拶を記しておきます。



今年度行われた
希望郷いわて国体・いわて大会は
大成功に終わりました。

大会の成功のために、岩手県知事を長とした
国体を推進する組織が作られ、
その方々が汗水流して頑張った結果ですね。

しかし、そういった組織の人たちと
選ばれた選手だけで
成功が生まれたわけではありません。

もし、希望郷いわて国体が、
天皇杯皇后杯の得点という結果のみにこだわり、
それを追い求めるためだけに行うのであれば、
それは、組織のメンバーや、
選手と強化を推進する各種目の
スタッフだけの問題として
片付けられるかもしれません。

しかし、国体の成功とは、結果だけではなく、
プロセスの成果にこそあると私は思います。

多くの県民が、
心から他県の選手のおもてなしを行い、
小中高生たちが応援隊を作って選手に声援を送る。
花を植えて美化に努め、岩手をアピールする。

開閉会式では、歌や踊りなど、
様々な活動をしている人たちにスポットが当てられ、
会を盛り上げる、等々、
選手ではない人たちの努力や汗によって、成功したのです。

つまり、国体の成功を支えたのは、
運営する組織に対して、
その近くにいて彼らを支援する人々や、
協力を惜しまなかった一人一人の県民なのです。

生徒会活動もそうではないでしょうか。

生徒会や応援団も、
組織のコアになる存在が必要です。

しかし、彼らのリーダーシップや、
カリスマ性だけで
活動が活性化するわけではありません。

それほど甘くはないのです。

大切なのは、組織の近傍にいる人たちの
エンパワーメント、支援の輪なんです。

組織の活性化や成功を阻むのは、
一生懸命やろうとする人の足を引っ張る
他者の存在だと思うでしょ。

でも私は、そうは思わない。

むしろ、そういう対立や批判をする勢力によって、
組織はそれを乗り越えようとするためにより強くなり、
自らをバージョンアップしていくからです。

生徒会活動の活性化を阻むのは、
ものを言わず、何も協力しない、
そして、それに対して何も感じないという
「自分だけよければ精神」を持つ人間、
あるいはそんな集団の存在です。

これからの時代に大切なことは、他者を支援し、
頑張る人たちを尖らせる周囲のパワーです。

例えば、生徒会行事に皆で協力しようぜと
立ち上がる仲間の存在、
応援歌や校歌を声高らかに歌う学校文化。
これが、皆さんの高校生活を充実させ、
やる気を持続させてくれる
大きなパワーになるのです。

私はそれを学校における「グリット」と呼んでいます。

だから、皆さん全員の力を貸してください。
生徒会、応援団を大いに盛り上げてください。

馬鹿になってがむしゃら頑張る、
自分はそんなタチじゃないと思ったら、
周囲にいるそんな人を応援してください。

そうすればきっと素敵な高校生活を送れると思います。

皆さんの協力をお願いします。



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バレーボールドリームマッチ

昨日、2年生のバレーボール部の
荒木田君が校長室を訪れてくれました。

彼は、2月18日・19日に大阪市の
SUPERアリーナで開催された

「第14回 2017全日本ジュニアオールスター
ドリームマッチ」

に選抜選手として出場しました。

この大会は、その名の通り、
国内のジュニアのオールスター選手を集めた
夢の大会です。

高校生は男女それぞれ1・2年生48名、
中学3年生4名を全国から選抜し、
在籍高校・中学校の枠を越えた
4つのチームを編成し、
2日間にわたって試合を行います。

因みに岩手県からは、荒木田君と、
一関修紅高校の選手の2名が選抜されています。

JVAのページはこちら→★★
(最初の写真でブロックに飛んでいる
2番の選手が荒木田君と思われます)。


メンバー表はこちらをご覧ください→★★

そして、何と彼の所属した
WINGというチームが優勝したそうです!

彼もオポジットとしてチームに貢献し、
かけがえのない経験ができたと
目を輝かせていました。

おめでとうございます。

荒木田君と、花北バレーボール部の
今後の活躍が楽しみです。


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「第3回花高活性化プロジェクト」

だいぶ以前の話になってしまいましたが、
2月13日に「第3回花高活性化プロジェクト」
が実施されました。

3回目ということで、
総論から各論に向かっています。

今回は、これまでのワークショップで
出された課題の中から
PTA活動を取り上げることにしました。

本校では、4月のPTA総会の他に、
各学年PTAが年2回、
そして本校教員が夜に地域に出向く
地区PTAが年6~8回開催されています。

その回数や時期は妥当であるか、
内容は今のままでよいのか、などについて、
いつものようにグループワークを中心にして
検討を深めました。


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今回の話し合いのテーマは、

「育てる生徒像の共有化に向けた
地区PTA・学年PTAの在り方」


としました。

ポイントは、

「育てる生徒像の共有化に向けた」

という言葉を敢えて入れているところです。

つまり、単に、回数を減らすことや、
時期を移すことだけに議論を集中させるのではなく、

目指す学校像、生徒像の実現のために、
どの様なアプローチをしていくかという軸を
見失わずに話し合っていこう
ということを意図しました。

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今回も川村副校長がファシリテーターです


グループディスカッシンの中で、
多くのアイデアが出されました。

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初任者の先生からも提言がありました


やはり、チームで考えをまとめていくことで、
議論が活発になり内容も深まることを実感しました。

ワークショップの最後に述べた私の感想を
以下にまとめておきたいと思います。

PTA活動を行うためには、親と教職員が、
「共育」を推進する同志として、
互いに信頼し合う関係にあることが求められます。

それを前提に、今後の取組みを考えるべきです。

学校がひたすら説明し、提供し、お願いをする。
また、保護者はそれを単に受容する
という関係の中では主体的なPTA活動は生まれません。

ヘタをすると、「学校任せ」、あるいは、
学校に対する不満や猜疑心に
つながる可能性も否定できません。

そこで、そういう一方向性を一度捨てて、
目指す学校像、生徒像の実現のために、
子ども達に今どの様なアプローチをしていくべきかを、
保護者と教職員が信頼の絆の中で、意見を交換し、
傾聴し、共同で考えていく。

このようなことをPTA活動の場に求めていくことが
必要なのではないかと思います。

例えば、地区PTAの意義が、
その地域コミュニティにおいて、
子どもや地域の未来を
よりよくするためにあるとするならば、
求められるのは学校主導ではなく、
地域の主体的な運営なのではないかと思います。

そこに、教職員が加わり
「学びあい」が展開されることによって、
互いに新鮮な気づきを得て、
新たな運動が生み出されるかもしれません。

今回出された提案や課題を踏まえ、
今後は保護者にも議論の輪を広げながら、
具体化していきたいと考えています。




 

「コンプライアンス研修に見つけた確率の問題」

昨日は職場のコンプライアンス研修会を行いました。

副校長先生の発案によるサイコロトーク。

11個のテーマを用意し、サイコロを2個振り、
出た目の和の番号のテーマについて
1分間スピーチをするというルールです。

コンプライアンス研修01

4人一組のグループで楽しく行いました。

コンプライアンス研修02

コンプライアンス研修03


私もあるグループに混ぜてもらいました。

ところで、やっていると、あちこちで、

「交通法規」や「利害関係者との対応」
「クレーム対応」のスピーチが
多いことに気づきだしました。

「薬物乱用」「パワハラセクハラ」が
殆ど出てこないことも。

そりゃあそうだよね。

目の和が7の場合の確率は1/6
目の和が2の場合の確率は1/36
ですからねえ。

数学の初任者のK先生に、
こんな質問をしました。

「サイコロ2個振って目の和で考えると
11のテーマの出現する確率は
二項分布に従ってしまう。
じゃあ、サイコロを2個使って
一様分布にするにはどうすればよいか」

つまりどのテーマが選ばれるのも
同様に確からしくするにはどうすればよいか、
という質問です。

皆さんはどう考えますか?

ちなみに、彼は
瞬時にうまい方法を答えてくれました。

それは、次のような方法です。

Ⅰ 2つのサイコロをA,Bと区別する。
Ⅱ Aのサイコロの目が偶数なら、
  偶数番号のテーマが選ばれる。
  奇数なら奇数番号のテーマが選ばれる。
Ⅲ Bのサイコロの目が、その中の順番とする。


例えば、Aが2で、Bが3なら、
Aは偶数なので、
②④⑥⑧⑩⑫の偶数テーマの方が選ばれます。

そして、Bは3なので、
その中の3番目の⑥が選ばれました。

つまり、②④⑥⑧⑩⑫が選ばれる確率は、
Aが偶数で、かつBがその番号の
順番の目が出ればいいので、
それぞれ(1/2)×(1/6)=1/12 ですね。

③⑤⑦⑨⑪の場合はAが奇数が出て、
Bが1の目なら③が、
Bが2の目なら⑤が決定されるということなので、
それぞれの確率も、
(1/2)×(1/6)=1/12 ですね。

なるほど。うまい!

と一瞬思いましたが、
実はよく考えると疑問が湧きます。

テーマは11個なので、
全部の確率の和が11/12。

1になりませんね。


Aが奇数で、Bが6の目が出た場合、
奇数テーマは5個なので、
対応するテーマがありません。
この場合は
「何も話さなくてもよい」
としてもいいのですが、

必ずトークをすることにすれば
テーマをもう一つ増やして(⑬)
全部で12個にする必要がありますね。


でも、もう少しこの問題を
掘り下げて考えてみましょう。

もし、Aが奇数で、Bが6の目の場合、
対応するものがないから、
「再度最初からやり直す」
というルールを設定しましょう。

これを、次のような確率推移図で考えてみます。

確率推移図

青の矢印で移動する確率は1/2
赤の矢印で移動する確率は1/6です

すると、例えば、テーマ③が選ばれる確率は、
Aが奇数でBが1の目か、
Aが奇数でBが6の目で、
次にまたAが奇数でBが1の目でもいいですね。

そうやって考えていくと、これは、
無限数列で表される確率になりますね。

つまり、

(1/2)×(1/6)
+(1/2)×(1/6)×(1/2)×(1/6)
+(1/2)×(1/6)×(1/2)×(1/6) ×(1/2)×(1/6)
+・・・

初項1/12、公比1/12の等比数列なので、
求める確率は

(1/12)×{1/(1-1/12)}=1/11 

となり、一様になりますね。

めでたしめでたしですね。


この問題は、
A,Bの2人がジャンケンをしたとき、
それぞれが勝利する
確率を求める問題と同じ構造です。

どちらが勝つ確率も同様に確からしいので、
それぞれ1/2と考えてもいいのですが、
細かく考えると
次のような無限級数になります。

1/3+(1/3)(1/3)+(1/3)(1/3)(1/3)+・・・=1/2

つまり、Aが勝つ確率は、
1回目にAが勝つか、
1回めにアイコで、2回目にAが勝つか・・・
と考えるわけですね。


サイコロトークに潜む確率、
とっても面白い。

 

「数学という名の自由の翼」連載終了!

雑誌「数学教室」の3月号が来ました。
連載「数学という名の自由の翼」
遂に最終回を迎えました!

今日は、2年間にわたり書き綴ってきた
自分へのご褒美で一人酒に浸りました。

以下、最終回の内容の一部を以下に紹介します。



今日でこの連載も28回目。
ついに最終回がやってきました!
お付き合いいただいた
100万人の「数学教室」愛読者の皆様
ありがとうございました^^。

「数学という名の自由の翼」というテーマで、
書き散らかしてきましたが、
私の中に一貫してあったことは、
「今の数学教育をどげんかせんといかん」
というドン・キホーテ的思い込みだったり、
「数学教育って何だろう」っていう、
数学の輪郭をなぞりながら
自分探しをする旅だったのかもしれません。

最終回では、そんな私の
数学に対する思いを書き連ねて、
まとめにかえたいと思います。

1 数学の問題を解くとは

ある人に、
「高校において数学の問題を解くとはどういうことか」
と問うてみたところ、次のような答えが返ってきました。

「数学とはいくつかの前提となる条件から、
公式など既知の解法パターンを駆使して
演繹的に答えを導く作業である。
そこから論理的思考力が育つ。」

図に描くとこんなカンジですね。

数学教室㉘01


しかし、私は、解答を導く思考過程は、
最初から「模範解答」にあるような流れに沿って
行われるとはどうしても思えません。

実際は、問題文から、条件を見つけ、
式にしていくだけでなく、図やグラフ、
時には表を作ってみたり、
具体的な数値を入れてみたり、
そういう試行錯誤によって、
「図・グラフ」「条件・ことば」「式」が
ぐるぐると循環していく中で、
解答への糸口が見つかるのではないかと思います。

数学教室㉘02


ですから、「式」や「図・グラフ」が語っている声に
耳を傾けること、つまり、式や図などと
友達になるような活動を
授業の中に取り入れていく必要が
あるのではないかと思うのです。

例えば、なぜを掘り下げ、
理由を言葉で説明しあう活動を取り入れるとか、
教具を用いて概念を「見える化」する
などが考えられます。

それは一見回り道に見えるかもしれませんが、
一方的に模範解答をひたすらなぞっていく授業より、
はるかに大きなものを子どもたちは
身につけるのではないかと思います。


さて、もう一度先ほどの問いの
答えについて考えてみましょう。

「数学とはいくつかの前提となる条件から、
公式など既知の解法パターンを駆使して
演繹的に答えを導く作業である。
そこから論理的思考力を育つ。」

確かに数学はそのような一面をもっています。
でも私はそこには
欠けているものがあると思うのです。
それは「前提となる条件」や
「得られた解の意味」を考えることです。

数学とは、現実の様々な事象をモデル化し、
分析するものとしての意味もあります。

多くの要素が複雑に絡まり合う「構造」を持つ
「現実」の属性や指標を、ある視点で眺め、
切り取り、抽出し、組み合わせて
数学の問題としてリメイクすること。

そして、出てきた解が現実世界をよく
記述するものであるかを
操作や実験などの活動を通して実感すること。

それも数学の一つの顔であり、
そこから分析と総合の能力が
育つのではないかと思います。

2 数学とは何か

最近私は朝のスロージョギングが
日課となっています。
ある日曜日、少しゆっくり起き、
いつものコースを走りました。

すると、家から数百メートルのところに
リンゴ畑があることに気づきました。
そのリンゴがとても美しく、
見ていて心が洗われました。

私はこのリンゴの木を見ながら、
数学者の岡潔氏の「数学と情緒」について
思いを馳せていました。

岡潔の「春宵十話」(名著!)のはしがきに
こんなことが書かれています。

「数学とはどういうものかというと、
自らの情緒を外に表現することによってつくりだす
学問芸術の一つであって、知性の文字板に、
欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである」


そして、岡氏は、学問は頭でするのではなく
「情緒が中心となる」と主張します。

「緒」とは端緒などと用いるように、
「いとぐち」「きっかけ」を表す言葉です。

「情」とは、感情や心の変化を表すもの。かな。

リンゴの話に戻します。

リンゴがどんなにきれいに実っていても、
それに気づく人と、
気づかずに通り過ぎていく人がいます。

あるいは、リンゴの実の存在に気づいても、
心が動かない人もいるでしょう。

「ただの食べ物じゃん」みたいな。

私は、そのリンゴの実の価値は、
リンゴ自身にあるのではなく、
それを見た人の「気づき」によって
生みだされていくと考えたいと思います。

リンゴが「緒」で、そこで「情」が動き出すというように。

私の好きな言葉に、
幸せとは「築く」のではなく「気づく」こと、
というものがあります。ここで、
この「幸せ」を「学び」に置き換えてみましょう。

学びとは「築く」のではなく「気づく」こと

それは、学びとは、ある事物や現象を眺め、
そこに潜んでいるものに心が動かされること、
そして、それらの事象を「いとぐち(緒)」にして、
思考が駆動され、自分の内部にあったものを
自分自身で掴み取ることであると考えてみたいのです。

そのような見方をすると、数学とは、
自然や、宇宙や、図形や、数や言葉や式など
あらゆるものに心を寄せ、それらと一体化し、
心が動きだすことであり、それによって、
自分の中にある「何か」を呼び起こし、
気づき、つなげていくことであるとも
言えるのではないでしょうか。

これこそがまさに数学の情緒
ということではないか、と。

さて、私は、リンゴを見たとき、
岡潔氏のことと同時に、2年前、
ある高校に勤務していたときの
3年生のDさんのことも思い出していました

Dさんは、数学の課題研究グループに所属し、
合同変換群の研究をしていました。

彼女たちの研究は、東北地区の発表会で
見事優秀賞を受賞します。

その一方、Dさんは文芸部に所属していました。

この年、彼女が書いた
「細工ロイドの通り道」という小説が、
何と全国1位の文部科学大臣賞に輝きました。

この小説は、進路に悩むある女子高生を主人公とする
爽やかな学園ものです。

作中、「細工ロイド」のことを、

「小細工ばかりするロボットってこと。
私のことだよ」

という描写があります。
透き通るようにカッコいいフレーズですね。

また、進路を決められない主人公を慰める
こんなセリフがまた素敵です。

「でもね、実際はそうじゃない。
サイクロイド曲線をたどることは
無駄なんかじゃないの。
サイクロイド曲線を通っていても
絶対にゴールへはたどり着くし、
しかも他の曲線を通っている人より
早くゴールテープを切れるんだよ」

これは「学び」や「授業」についても
本質を突くことばではないでしょうか。

さて、そんなDさんの文部科学大臣賞受賞
に向けての挨拶文を読んで、私はシビレました。

その一部を以下に抜粋します

この度、最優秀賞を頂いた「細工ロイドの通り道」は
理系少女たちの物語になっています。
作中で紹介されているサイクロイド曲線は、
きっと文系の方々には馴染みのないもので、
理系の私だからこそ書けた小説なのでしょう。

文芸部での活動と理系という進路とは
私の中で当初交わらないものでした。

しかし、2年と半年という文芸部での活動を通して、
その考えは変わりました。

文芸作品とは、自然法則のようなものだと思うのです。

この世界に存在している自然法則を
解明しようという理学の姿勢は、
筆者が書き出した世界を紐解く読者の姿勢と
同じもののように感じるのです。

自然法則も、文芸作品も
確かに存在しているものの、
私たちが気に留めなければ何の意味も示せません。
表面を眺めてみても、
少し理解できた気になるだけで、
その本質は見えてこないのです。


しかし、真剣に向き合ってみれば、
そこにはヒントが散りばめられていて、
それを手がかりに世界を自分のものへと
引き寄せることができます。


(傍線付記)

この文の傍線部分が、
まさに情緒なのではないかと思います。

きっと、Dさんは、対象に真剣に向き合うことで、
自分の中に眠っていた「宝」に
リーチすることができたんですね。

Mathematicsの語源である、
μαθηματα(マテマタ)とは、
「学ばれるもの」という意味なのだそうです。

それに従うと、「数学とは何か」とは
「学びとは何か」を問うことと同じと
考えることができます。

そして、学びとは、誰かによって
知識や技能が注入され、
「真っ白な自分」が変容されていくことではなく、
はじめから自分の中にあるものを
自ら引き寄せることなのだと思います。

同時に、教えることとは、
相手がはじめから持っているものを、表面化させ、
自分で掴み取るように
導くことなのではないかと思います。


三流の教師は、ひたすら与え、
一方的に教科書の内容を刷り込みます。

そして、目先の結果や成果にこだわり、
強制、強要、叱責によって
子どもを正そうとします。

そしてその結果、
多くの数学嫌いを生み出してしまいます。

では、カッコよく難問を解いてみせ、
生徒たちから「神」とよばれる教師、
あるいは、パフォーマンスや話術で
巧みに生徒をのせる教師はどうでしょう。

どちらも素晴らしい数学教師なのかもしれません。

でもそれはまだ二流。

一流の教師は、授業で子どもたちに
トキメキを与え、彼らの情緒を育てます。

そして、子どもたちが、すでに心の中に持っている
「数学」の存在に、自ら気づかせ、
掴みとるように導くでしょう。

「そうだよ、答はあなたの中にあるよ」と。

そうやって自ら気づき、引き寄せたものこそが、
「数学という名の自由の翼」。

それはきっと、生涯にわたって羽ばたき続けていく、
かけがえのない宝物であると私は信じています。

長い間お読みいただきありがとうございました。


 

2月の図書館はやはり・・

今日の図書館は、やはりあれですね。
バレンタイン特集のようです。

2月の図書館02

2月の図書館01

脇に添えられているケーキは、
実はT先生手作りの、
フェルトで作ったケーキ型の小物入れです。

2月の図書館04

2月の図書館05


とても華やかで楽しい気分になりますね。

T先生ありがとうございます。

2月の図書館03



 

総学バトル

花巻北高校では、「総合的な学習の時間」に
「自由課題研究」を実施しています。

生徒達が自由にグループを作り、
自ら研究テーマを決めて
3年間通して研究を行うという活動です。

趣旨、目標をまとめると次のようになります。

①生徒個々の興味関心から、
現代社会に存在する課題を見つけ、テーマを設定する。

②クラス、学年を超えて研究グループをつくり、
調査研究を行う。全学年対象の取組である。

③調査研究は学校内に留まらず、
フィールドワークや研究機関との連携も推進する。

④研究成果を「総学バトル」でシェアしたり、
文化祭や全体発表会で地域にも広く発信する。

⑤この活動を通して、生徒に主体的に学びに向かう姿勢と、
協働で問題解決を行う力を培う。
これらは、各教科の授業における
「主体的、対話的で深い学び」を生みだす基盤となる。

⑥この取組を全職員の共通理解のもとで実施することにより、
教師のマインドセットが整い、育てたい生徒像にもとづく
学校ぐるみのアクティブ・ラーニングの実践につながる。

さて、この活動のまとめである「総学バトルⅢ」が
2月23日に開催されます。

総学バトルⅠ・Ⅱで代表になった
生徒達による発表の場です。

ご案内文書と発表テーマ一覧を添付しましたので、
参観を希望される方はご連絡ください。

案内文書はこちら⇒★★




 

「第3回アクティブラーニング研修会」

一昨日の金曜日、

第3回花巻北高校社会科アクティブラーニング研修会

が行われました。

内々での研修会でしたが、
FBや、溝上先生が行っているTulipという
メーリングリストにドロップしたところ、
本校職員の他に、
青森県の総合教育センター、百石高校、
仙台の聖ドミニコ学院高校(2名)、
沼宮内高校、宮古高校、盛岡三高(2名)、
警察学校(←彼は主催者ですが)
からも参加をいただき、
充実した研修会を行うことができました。

以下、簡単に授業の紹介をします。

【日本史・助川先生】

● 日中戦争とはどのような戦争であったか

4人グループをつくり、
盧溝橋事件についての記述が書かれている、
4種類のプリントABCDをそれぞれに配ります。

まず各自が読み取り、その後、4人が、
それぞれが所有する知識を交換しあい、要約し、
一つの成果物を作成します。

いわゆるエキスパート・ジグソー
という手法ですね。

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助川先生は、まとめのガイドとして

「事件の概要」と「事件以後の経過」という
2つの視点でまとめるようなテキストを作っていました。

余談ですが、
このようなまとめ方を私は、
「静的」と「動的」、「地図」と「コンパス」
「関数の値f(x)」と「関数の微分係数f'(x)」
などと秘かに呼んでいます。
研究協議でその話を少しだけしました。

さて、グループでのまとめを、
2つの班が発表し、全体にシェアします。

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その後、教師によるまとめを経て、

「日中戦争はどのようにすれば止められたか」
など3つの問に向かわせていきます。

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とかく、このような、

「個による読み取り→グループでの要約化」

という授業では、説明する者の表層的な
パフォーマンスばかりがクローズアップされ、
教室が騒がしくなる傾向があります。

そして、それは往々にして「AL的活性化」
とポジティブに評価されがちです。

でも、その「心地よいにぎやかさ」に騙されて、
「生徒が主体的だ、良かった、めでたし」
で片づけられ、深い学びに到達されないような
授業もしばしば目にします。

しかし、本時では、発信する側の
静かで自然な語りと、
受け取る側の真摯に傾聴する姿が
とても印象的であり、
更にそこに教師が適切に介入することで
深い学びに向かっていく様子を
感じ取ることができました。

これは、本時が、特別に企画された
スペシャルなものではなく、
普段通りの展開だったからこそ、
このような自然な対話が生まれていると感じました。

因みに、このABCDのテキストの出典は、

A=世界史Aの教科書
B=B社の日本史Aの教科書(本校使用)
C=C社の日本史Aの教科書
D=D社の日本史Aの教科書

であることが授業の最後に明かされました。

すると、生徒たちの間にざわめきが起こりました。

盧溝橋事件という歴史的な事実は
動かすことができない確固としたものですが、
出版社によって表現の仕方がだいぶ異なることに
生徒は驚きを感じたようです。

助川先生は、研究協議の中で、
このときの生徒の「ざわめき」に
彼らの中にある知的好奇心をみた、
と述べていました。

ここから、出版社のポリシーを鳥瞰することや、
世界史と日本史のクロスカリキュラムなど、
新たな問題意識に繋がっていけば
面白いかもしれませんね。

【現代社会・泉先生】

●世論形成と政治参加

授業のテーマは

「映画で学ぶアメリカ史
(歴史的大行進は何のために行われたのか)」

ですが、いわゆる「主権者教育」として
位置付けられるものです。

冒頭の15分で、キング牧師の指揮による
公民権運動のデモ中に起こった
「血の日曜日事件」を題材にした映画
「グローリー~明日への行進~」の
イントロダクションを視聴します。

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視聴後、ワークシートを用いて、
個のまとめを経てグループで考えを共有していきます。

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その後泉先生は、
映画のシーンをピックアップしながら

「セルマでの行進にはどのような理由があったのか」

「なぜ有権者登録率が低かったのか」


という2つの問いを立てて、
グループ内でのディスカッションを促します。

グループ内の意見をホワイトボードにまとめた後、
次はワールドカフェの手法により、
グループ間のシェアにより知識の構成に向かいます。

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最後に各グループの成果物としてまとめられた
ホワイトボードを眺めながら、先生が講評を行い、
生徒に問いを投げかけ、
リフレクションシートを記入させ終了しました。

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この授業の良さをまとめておきます。

①映像の視聴、スライドの提示など、
 AV・ICTの利用によって興味を喚起し
 理解を促進させようとしている

②同様に、ワークシート、ホワイトボードなどによって、
 学びがスムーズに展開できるような工夫がなされている

③考えを深めるために「オープンな問い」を準備している

④個によるまとめからグループでのディスカッション、
 更にそれを踏まえてワールドカフェによる
 グループ間のシェアというような知識構成に向かう
 展開が行われている

様々な活動が仕掛けられた「これぞAL」
とでも言うべき、非常にチャレンジングな授業でした。

「主権者教育」の一つのスタンダードナンバーとして、
多くの先生に継承して欲しい
モデル授業だったと思います。

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図書課のT先生が、教室の前に、主権者教育に関わる図書をディスプレイしていました。いい連携ですね

研究協議で泉先生から
この授業は「主権者教育」という位置づけだけれど、
「投票に行こう」という言葉を
敢えて封印したと話していました。

私はそこに共感するとともに、
彼の教師としての矜持を感じました。

この主権者教育との関わりについては
私も一つの意見を持っています。

それを記すと長くなりそうなので、またの機会に。

研究協議は、ありがちな
「あたりさわりのない感想の言い合いでお茶を濁す」
という予定調和なものではなく、
教科内容の面と、指導法の両面において
非常に深いレベルでのディスカッションが行われました。

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今回の他校から参加された先生方の多くは、
年休をとって自腹で来ていました。

それだけ意識の高い方々が集まったことが、
このような活発な研究協議につながったのだと思います。

協議の最後に私から今日の授業で感じたことについて
紙板書(KP法)によってお話をさせていただきました。

短時間だったので、
思うままに紙板書メモをつくりながら、
急いで話したため、
思いが伝わらなかった部分も多かったと思います。

そこで、少し整理したものを以下にまとめておきます。

3つのことをお話しました。

一つは、助川先生の授業から感じた「サマライズ(要約)」のポイント
二つ目は、お二人の授業から感じた「グループシェア」
三つ目は、「学び方を学ぶ」ということです。

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授業者の2人の先生、そして参加された皆さん
ありがとうございました。

なお、終了後の懇親会も大変もりあがりました。


 

「頭の中にジャズが流れまくったた日」

もうだいぶ以前の話になってしまったのですが、
1月22日に、筑波大学に呼ばれて、
哲学カフェに参加しました。

「生きるに価する命とは」

という重たいテーマでした。

そこで私が思ったことや述べたことについては、
また機会を設けてまとめてみたいと思います。

今回は、この哲学カフェが終わって、
東京駅から新幹線に乗るまでの
ほんの数分間に私の頭の中に
起こったことについて語ってみようと思います。


哲学カフェが終わってから、
参加した仲間たち何人かと一緒に、
筑波大文京キャンパスから
東京駅に向かう道すがら、
頭の中でその余韻に浸っていました。

「問い続けることが生きる事」

といったいかにも哲学っぽいまとめに
何か違和感があり、

「じゃあ問い続けない人間は生きていないのかよ」

と思ったり。

でもそのとたん

「そのように思った瞬間、
実は問いを立てているのか」

と反駁したり・・

そうこうしているうちに、

「幸せに生きるとはどういうことか」

という問いが浮かんでいました。

そもそも「幸せ」とは何か、
幸せに生きたいとは
どういう精神状態のことなのか、
それはどんな行動につながるのか、

などといった。

さて、そんなこんなで東京駅に着いたとき、
電車の出発時間の1時間ほど前でした。

皆さんとお別れした後、
その哲学カフェに参加していたSさんが、
夕食をどうですかと誘ってくださったので、
ありがたくご一緒させていただきました。

美味しい料理を堪能しながら、
哲学カフェの振り返りの対話がはずみました。

2人に共通していたテーマは、
やはり「幸せに生きるとは」ということでした。

Sさんはとても顔が広く、
キャリア支援やインストラクショナルデザイン、
コーチングなど、
先端の知見に幅広くアプローチされながら、
自らも大学で研究者として学び続けている方です。

Sさんとのお話はとても盛り上がりました。

選択理論、マインドフルネス、フロー、
ウェルビーイング理論、食からのアプローチ・・・。

私が知らないそんな世界を、
Sさんからもっと伺いたいという気持ちが
湧きおこっていったそのときでした。

ふと時計を見たら、
何と新幹線の発車時間まで
あと10分という状況であることに気づきました。

焦りました。

こりゃ無理かな。
いや無理でしょう。
どうしよっかな。

いい時間が過ごせたから遅れてもいいや。
でもそうなると盛岡からの電車に間に合わないしなあ。

平静を装いながら頭は混乱していました。

そんなときです。

Sさんの行動は神っていました。

私のうっかりが原因なのに、Sさんが
「気づかなかった私の責任」
とおっしゃりながら

電光石火に会計を済まし、
レストランから東京駅までの最短距離
を探索し、改札口まで導いて下さいました。
(途中横断歩道の無謀横断付)

私は、そのテキパキさに驚きながら、
自分のバカさ加減にあきれていたわけですが。

さて、この改札から新幹線乗車までの約5分が、
それはもうスリリングでエキサイティングな旅でした。

キャリーバッグを抱えて
弾丸ライナーのように駅構内をダッシュしながらも、
なぜか頭は冷静でした。

「ああ、Sさんとの会話は『時さえ忘れて』だったなあ」

などと反芻しています。

そして、思わず頭の中で音楽が鳴りだします。

「I Didn't Know What Time It Was」 

これはチャーリーパーカーウィズストリングスのサウンドで。

エスカレーターを駆け上がりながら、今後は
デューク・エリントン楽団の

「Take The “A” Train」  です。

エラ・フィッツェラルドのボーカルが思い出され、
頭の中で歌いだします。

「You must take the "A" train 
To go to Sugar Hill way up in Shiwa Town」
「Hurry, get on, now it’s coming」

なんてね。

すると、何と、出発ギリギリで
列車に飛び乗ることができました~

座席に座った時頭に流れた曲は、やはり

「Just In Time」

これは、酒井俊のボーカルが大好き。


さて、

このドタバタから二つのことがわかりました。

一つは、大ピンチなのに、なぜか頭がスッキリ。
心地よささえあったこと。

絶対間に合うという確信のもとに
行動していたのかもしれません。

そうか。

もしかしたら、これがフローの正体なのではないか!



そしてもう一つのこと。

「生きるに価する命」とか「幸せとは」を考えるとき、
私は、これまでウェルビーイング理論などといった
難しいことを持ち出そうとしていました。

でも結局、わからなかった。

それは、教科書を勉強するように、
短絡的にワンセンテンスの答を
求めていたからではないか。

ところが、私の目の前にいたSさんが
実は答をくれていた!と気がついたのです。

というか、

Sさん自身が答そのものだったのです。

私のために食事をつきあってくださり、
列車に遅れそうな私のために、最善の行動をとり、
そして、自分事のように心配してくださった。

そうやって、目の前の相手のことを
思いやる気持ちを常に持っていることが、
人との良好な関係を保ち、
幸せをつなげ持続させる。

もしかしたらこれこそが
ウェルビーイングなのではないか。

理論を理論として理解するのではなく、
理論はそれを実践するロールモデルによって
初めて理解されるということなんだ。

電車の中でようやくくつろぎながら、
今日は何かとても得難い経験を
したような気持ちになり、
思わず微笑んでしまいました。

駄文にお付き合いくださりありがとうございます。