バレエの公演を終えて

一昨日の昼休み時間に、
2年生の澤木さん、幸田さん、藤本さんの
3人が校長室を訪ねてくれました。

バレエ


実は、私の方で、一度顔を出して
と言っていたのですけれど。


3人は藤原めい子バレエ教室に所属し、
11月20日に北上市の
さくらホールで行われた発表会で、
日頃の稽古の成果を存分に発揮されました。

私も招待していただき、
楽しみにしていたのですが、
はずせない用務が入り、
行くことができませんでした。

本当に残念でした。

3人にとっては、集大成としての
最後の公演とのこと。

やり終えた充実感が笑顔に現れていましたね。


ブログに先行して
フェイスブックにアップしたところ、
次のような声をいただきました。

以下、一部を紹介します。


みなさん、美人さんですね。
内面の充実感がお顔にも出ています😊
(東京の大学職員)

体の重心にかかる
重力をあらわすベクトルの向きと、
体の軸が一直線に重なる。そんな立ち姿の3人。
バレエで培われたものなのでしょうね。
足先が、少し外向きに開いて
立っておられるのではないかと、想像いたします。
生徒さんたちが、
こうして校長室を訪ねてくれるのですね。
いいですね。
(島根県の高校の校長)

こうして招待されるのって、ワクワクしますね〜
最近行っていなかったのですが、
昔はピアノやら日本舞踊やら
いろいろと行ったのを思い出しました。
チャレンジする姿がいいな。
(大阪の高校教師)

気軽に校長室に生徒が行けるって最高ですね。
(ある高校のPTA会長).

体の軸が真っ直ぐ。さすがバレリーナ。
部活はもちろん、
さまざまな活動で生徒が「世に出る」こと、
それを応援する学校。
すばらしい構図だと思います!
(京都の高校教師)


高校は学校にある部活動だけではなく、
様々な課外活動に打ち込む場でもあります。
このかけがえのない経験が、
きっと今後の生きる力になっていくことでしょう。

お疲れ様でした。

生徒の皆さん、
校長室は気兼ねなく
気楽に顔を出してくださいね。





 

総学バトルⅠ

1月19日に総学バトルⅠがありました。
1・2年生の各グループが、
十数か所の場所に分かれて、
それぞれがこれまで行ってきた自由研究について、
5分間のプレゼンを行います。

s-sougaku#03

s-sougaku#06

s-sougaku#05

私は、あちこちの部屋を飛びまわり参観しました。

ユニークな発表がたくさんあって
面白かったですね。

特殊相対性理論を研究したグループに対して、
いわゆる「親殺しパラドクス」に関する
質問をした生徒がいたのですが、

なぜか、いきなり私に意見を求められたときは、
ちょっと焦りました。

この予選を経て、
2月23日に最終決戦が行われます。

楽しみですね。

s-sougaku#01


 

琴の演奏

一昨日、音楽の授業を参観しました。

この期間、本校の音楽は
琴の演奏に取り組んでいます。

学校にある分では足りないので、
花巻南高校からお借りして、
全部で20面揃えたのだそうです。

教室は、本校の桜雲会館の和室です。

s-koto04.jpg
(調弦の様子)

s-koto01.jpg
(礼に始まり礼に終わります)

さくらの合奏を堪能しながら、
琴の授業には、

「技能を磨く個の学び」
「ペアによる教えあい」
「全体で協力して作品をつくりあげるゴール」

といった、学びの重要な要素が
しっかり入っているなあと感心しました。

モノや所作に深く沈潜し、「自分」に向き合い、
場を純粋に楽しむことは、
日本の伝統文化ならでは、
まさに雅なジャパニーズクールの世界ですね。

このような日本文化や芸道に深く関わり、
美しく優雅に「生」を楽しむことが、
国際人としての生き方にも
つながるのかもしれないと思いました。

s-koto02.jpg

s-koto03.jpg




 

「第3回花高活性化プロジェクト」

先週の話になりますが、
第3回花高活性化プロジェクトが行われました。

第1回の様子はこちら→★★

第2回の様子はこちら→★★



前回の話し合いの結果を、副校長先生が
2つの領域にまとめてくださいました。

第2回のまとめはこちら→★★

一つは、例えば授業時間や
カリキュラム編成などの
フレームについての改善、

もう一つは、指導方法や課題の出し方などの
コンテンツの改善についてです。

今回は、時間の関係もあり、
最初の、フレームについての
具体的改善提案について
グループディスカッションを行いました。

全体で確認したことは、
単に教師の都合で語るのではなく、
学校目標、育てたい生徒像に
照らし合わせて改善提案を行うということです。

最初に私が次のような
「模範演技?」をしました。
(あくまでも一例です)

私の提案は

「朝学習をなくして、瞑想、マインドフルネスを行う」

というものです。
生徒の心のケアが必要であることを感じ
この導入を考えてみました。

また教員も多忙で疲弊していることもあろうと思い、
先生方も生徒と一緒に瞑想します。

これを習慣化することで、
授業への活力が生まれるのではないか
と期待しています。


ま、スルーされましたけれどね。

先生方からは、60分授業の是非について、
多くの意見が出されました。

時間がなく、次回持ち越しになりましたが、
今回も非常に有意義なディスカッションが
できたのではないかと思います。

活性化第3回01LT


今回のまとめとして最後に
述べたことを記しておきます。


「学習指導要領の遵守」と
「センター試験への対応」のダブルバインドが
大きく横たわっているなあと感じました。

それがボトルネックになって、
我々の発想の自由度を
狭めているのかもしれません。

しかし、だからといって、
生徒に時間を返すこと、主体性を育てること、
心のケアをすることを見失ってはいけない。

やはり、我々は、育てたい生徒像から
出発していくべきではないでしょうか。

また、家庭のニーズに応えることは大事だけれど、
何もかも学校が行うというスタンスでは、
家庭との良好なパートナーシップが構築されません。

共に教育を語りあえるよう家庭への働きかけも必要。
そのための工夫、アイデアを模索していきましょう。


活性化第3回02LT


 

図書館前の風景

図書館前の風景が最近また変わりました。

ジャニーズ01LT

昨日、眺めていて、
今回のテーマは何なのか
わからずしばし考えました。

皆さんわかりますか。

それぞれに対応する人の名前がでてくれば
相当の通かも。

ちなみに一番左端にある大判は、
全国の学校の図書館限定で
配られた非売品なのだそうです。

担当のT先生によると、
今回のディスプレイの反応が
思った以上に良くて、

飾られている本を手に取ったり、
借りに来る生徒も多かったそうです。

さて、テーマは何か。

実は、ジャニーズシリーズです。


それぞれの小説がドラマ化、
映画化されたとき、
嵐をはじめジャニーズのメンバーが
出演しているそうです。

前列の4冊に「ナラタージュ」を含めた5冊が
嵐の5人のメンバーに対応している
らしいのですが、誰がどれかはわかりません。

わかった方は教えてくださいね。


ジャニーズ02LT


 

東北高校ボクシング新人大会

1月15日に、
第28回東北高校ボクシング新人大会が行われ、
1年生の柏田優君が出場し、
見事フライ級で優勝を果たしました!

もちろん、本校にはボクシング部はないので、
自宅でお父さんと練習を積んでいるそうです。

彼は大学への進学を志望しているため、
敢えて本校を選び、時間を上手に使いながら、
勉強と自宅での練習を両立させています。

そして、見事、東北の頂点に
立つことができたのですね。

おめでとうございます!

彼は岩手県の有望選手として
注目されています。

これからの活躍が楽しみですね。

boxing LT


 

「センター自己採点後の特別講座」

今日はセンター試験の

自己採点→再現答案作成→学年集会

と朝から午後までかかりきりでした。

そんな中、難関大志望者約30名に対して、
15:00から90分の講義を頼まれました。

学年の先生方が検討会議に入っているため、
その時間、講話でも数学の講義でもいいので
話をして欲しいとのこと。

よろこんで引き受けました。

1つの問題を取り上げて、
数学の概観を見渡す話、
問題解決のための基本的な考え方、
合格答案のつくり方などについて
思いつくまま話しをしました。

講義が始まる前に、ある生徒が、
わざわざ校長室まで
私を迎えに来てくれました。

彼に

「センター終わって、自己採点してヘトヘトだろ。
そんなとき、これから90分も
俺の話しを聞くのって大変じゃない?」

と聞いたら、彼は

「確かに疲れているけれど、
僕たちは切り替えることが必要ですから」

と笑顔でこたえてくれました。

そして、教室に集まった生徒達は、
恐らく悲喜こもごもの状態だったはずなのに、
全員が顔を上げ、最後まで反応よく集中して
話しを聞いてくれました。

その真直ぐなところが
花高生の良いところですね。

講座の最後に私はこんな話をしました。


オリンピック選手のあるメンタルコーチが
こんなことを言っていました。

どうしても勝たなければならない試合、
誰もが当然勝つと思われている
試合に負けたときなど、
人は大きな挫折を味わいます。

でもその反面、実は、その瞬間が
自分の人生を変えるこれ以上ない
大きなチャンスでもあるのです。

実際、多くのメダリストたちが、
そんな挫折をターニングポイントにして、
大きな成果をあげています。

だから、その瞬間に立ち会えることは、
人生における得難い大きなチャンスが
与えられたと前向きに考えるべきなのです。


私たちには「個性」や「性格」
とよばれるものがあり、
それによって行動様式が異なります。

これは、遺伝や生育環境などに
依存するものかもしれません。

だから、個人の性格や個性は
簡単に変えることはできませんね。

でも、もしかしたら、このセンター試験が、
性格は変えられなくても、自分の考え方を変え、
それによって、行動や習慣を変える
きっかけになるのではないかと私は思っています。

これまでは、センター試験という壁に向かって、
皆が同じ方向で取り組んできました。

先生の指導もそれに向けて
計画的に行ってきました。

だから、そんな外圧に他律的に自分を委ね、
その船に乗っていればよかったのかもしれません。

でも、これからは、2次試験に向けて、
それぞれが違う方向で学びに向かいます。

だからこそ、自分で悩み、とことん考え、
判断し、行動を決定していくことが
皆さんには否応なく求められます。

でも、そうやって、自ら覚悟を決めて
学びだすことほど強いものはないのです。

そんな決断をした皆さんは、
たとえあと1か月であっても、
信じられない程の伸びを見せると
私は確信しています。

60歳を迎える私も変化しようと頑張っています。
皆さんだったら、私の何倍も大きく
変化していくことは明らかです。

これは絶対にそうだと断言します。

これから始まる2次対策を通して、
皆さんが飛躍していく様子を
見守っていきたいと思います。

頑張ってください。


 

「『マウント野郎』のメンタリティ」 

先日、私が、人として、教師として
とても尊敬しているMさんという方が、
ある話し合いの中で、自分の役割として
内容の確認やまとめを行ったところ、
会が終わってから

「立場をわきまえず出しゃばっている」

という言葉を投げかけられた、
というフェイスブックの記事を目にしました。

Mさんは、周りを気遣い、他者を支援するために
自己犠牲的な精神を発揮される方でこそあれ、
決して「出しゃばる行為」など
する人ではありません。

彼のことをよく知るものなら誰でもわかっています。

実際、彼の記事に寄せられた
数多くの励ましのコメントが、
彼のそんな人柄を物語っています。

私も皆さんと同様に励ましのコメントを
述べたいところですが、
屋上屋を架すことでもありますので、
私は「出しゃばっている」という言葉を
投げかけた人の性格を
(歯を食いしばって)
考えてみようと思います。

ポイントは、Mさんの話した内容や
アイデアについての議論ではなく、
Mさんの行為それ自体に
文句を言っているということです。

つまり、その内容と向き合うことができる
能力がなかった(凌駕できなかった)ので、
「立場」という違う次元に置き換えて
Mさんを非難したわけです。

私はそれを

「能力ある者への悔しまぎれの言いがかり」

と推し量ります。

すると、そこから導き出される彼のメンタリティは

「負けず嫌い+劣等コンプレックス+権威に弱い」

ではないかと思うのです。


さて、本題に入ります。
(ここまでも本題ではありますが)

実は、私は以前から、
「マウント野郎」という言葉を自分の中で
秘かに使っていました。

それは、会話をしていて、
常に自分優勢の形で持っていかなければ
気が済まない人のことです。

この言葉を思いついて一人悦に入っていましたが、
最近どうやら「マウンティング男子」
という言葉が流通しているらしいですね。

「俺の方が先に使っていたのに」というのは、
それこそ「マウント野郎」の発想で
野暮の骨頂^^。

では、私が思う「マウント野郎」について
少しまとめてみようと思います。

尚、評論家のように
書きちらかしてしまうかもしれませんが、
もちろん自分にも「マウント野郎」の癖がある
という自覚もあります。

なので、自戒をこめて書いていますので
ご容赦くださいね。

さて、「マウント野郎」の特徴として、
次のようなものがあると思います。

●会話の最後を自分で締めくくる。

●自分の主張の正しさ、自分がいかに凄いかを
 (それとなく)伝えたいという意志が見え隠れする。

●「いや」「というか」という言葉で相手の会話を受ける
 (あるいは遮って話し出す)。

など。

しばしば「攻撃的マウント野郎」ではなく、
「一見受容型マウント野郎」にも出会います。

相手の意見に耳を傾けるポーズを取っているけれど、
もう自分の結論は最初から曲げることはなく、
絶対にそこに持っていくような人ですね。

実際、マウントをとられて、
「ははあ。なるほど。参りました」
と思うこともあります。

それは相手のすぐれた知見や、
体験の凄さに感心し、
共鳴し、敬服するということです。

そして、そのことで相手への
尊敬の念も生まれます。

なので、マウントをとるという行為は、
必ずしも悪しきことではなく、
「知見・見識・経験・実績」などの豊富さ
というものによって
受け取り方が変わってきます。

また、有名人や目上の人、上司、
という関係性も
影響を与えるような気がします。

そういう人と同席すると、
マウントを取られることが
僥倖であることもありますからね。

そこで、
「能力・知見・経験・実績」
「権威・権力・知名度」
という属性に注目して
「マウントを取るタイプ」
「取らないタイプ」
を分類してみましょう(暇ですね)。

すると、その順列は
2の3乗=8通りのパターンになります。

図示してみました(暇ですねえ)。

マウント


例えば、能力があって、権威があるけれど、
マウントを取らない、というBタイプは、
恐らく「人間的に尊敬される人」なのでしょう。

皆さんは、どのタイプに遭遇しますか。
もしくは、自分はどのタイプだと思いますか。
人のふり見て我がふり直せですからね(笑)。

さて、この「能力」「権力」「マウント」は、
その順で起きるのが普通ではないかと思います。

つまり、

「能力が高い、見識がある、素晴らしい実績を残した」
⇒「よって権威が与えられた」
⇒「マウントすることができるようになる」

というように。

ところが、困るのはその時系列に逆走する
「マウント野郎」なんですね。

つまり、

「マウントをとることをしょっちゅうやる」
⇒「きっとその人は偉いに違いないと人に思い込ませる」

という構図をつくっちゃっているんですね。

そして、ちゃっかりと偉いポジションに
居座るという倒錯が起きるわけです。

そうやって、偉いポジションになり上がっていくことほど、
はた迷惑なことはありません。

今はないと思いたいのですが、
ひと昔は教育現場にも多かったですね。

職員会議で思いを述べると、
「お前は黙ってろ」とか。

管理職に進言すると
「お前はアカだ」
「シモマチの言うことは聞くな」
「俺の目の黒いうちは
絶対お前を管理職にしない」
までいわれました。


そういう人は、権威への盲従が顕著で、
判断基準は
「何を言ったか」ではなく
「誰が言ったか」なんですね。

そして、基本的に「決めつけ」
「レッテル貼り」
「理解不足からくる誤解」が
顕著なマウント野郎なので、
論を尽くそうとしても、不毛な会話に陥り、
結局そこにできる人間関係は、
隷属か対立になってしまうんです。

Mさんに「でしゃばるな」と言った方も
そんなタイプなのかもしれませんね。

でも、今は、確実にそういう世界が
変革されつつあると私は思っています。

年齢、職域、性別を超えて
アイデアを語り合い、
互いに尊重し合うフラットな人間関係が
生まれつつあるのではないか、と。

楽観主義かもしれませんが、
少なくとも私の周りでは
そうなっていると信じています。

そう。

私もMさんも、そういった互いに高めあう
関係をもつ仲間に恵まれています。

そういう人たちとのコミュニケーションから
私は自分の直すべきところに気づき、
自分を変えていこうという思いを
抱くようになりました。

だから、時にマウント野郎にであっても、
自分を見つめ直す機会を与えてくれる人と
ありがたく受入れよう。

そして、

理不尽にマウントをとられパウンドされても、
したたかに、下から
三角締めを狙っていけばいいんです。

何のことやら。


successfulpeople.jpg
(successful people / unsuccessful people wittyfeed.com より)

 

「ふく」の連鎖が嬉しかった日

昨日は、富士大学で
センター試験の激励を行った後、
盛岡のアイーナに向かい、
Try AgainRC(トライアゲインランニングクラブ)
主催のランニングセミナーに参加しました。

ランニングセミナー02LT
60人もの参加者がありました。

齋藤はりきゅう整骨院の
齊藤重貴先生からのお誘いを受けて、
思い切ってトライしました。 

畠山さゆり先生の「60日返信プログラム」の
素敵なメンバーと一緒だったので、
とても楽しく受講することができました。

講師は、久慈市にある
新井谷整骨院の院長である、新井谷潤氏。

箱根駅伝強豪である早稲田大学の合宿に
トレーナーとして同行したこともある、
現役ランナーです。

ランニングセミナー01LT
サユリプロジェクトメンバー。新井谷先生を囲んで


いやあ、参加して良かったです。

まず、体の重心を見つける
ということが目から鱗でした。

その後、骨盤、股関節、肩甲骨の可動域を広げ、
動きをつくりだすシンプルで
効き目のあるエクソサイズを行い、

そして、それらを連動させ、体幹を鍛え、
ブレない軸(身体の)をつくりだすという流れでした。

これが心のブレない軸につながるのかな、

すると、それはサユリメソッドと
繋がるなあなどと思いました。


ところで、この日の午前中に、
センター試験の引率の先生方に
ANGEのケーキを17個ほど差し入れました。

すると、ランニングセミナーのときに、
齋藤先生から、海外に行った時のお土産や、
オリジナルカレンダー、
奥様お手製のクッキーなどをいただきました。

齋藤先生お土産


そして、何と!このセミナー後に行われた
お楽しみ抽選会で、「福」に恵まれ、
当選してサプリメントをいただきました。

ランニングセミナー03LT
いきなり1番に呼ばれてびっくり!

更にその後、家に帰ったら、
何と、私の同志であり、
大変尊敬するある先生から、
山口県の「ふく」のてっちりセットが
届いていてびっくり!

ランニングセミナー04LT


早速夫婦で「美味い!」を乱発し、
むせび泣きながらいただきました。

ひれ酒、〆の雑炊まで堪能いたしました。

ふくてっちり01

ふくてっちり02


ペイフォワードじゃないけれど、
巡ってくるんだなあ。

「ふく」の連鎖と人の優しさに触れた一日でした。


 

「センター試験」という団体戦

昨日よりセンター試験が始まりました。

バスが会場の富士大学に向けて
学校から出発する際に、
応援団が自発的にやってきて、
雪の中でエールを送ってくれました。

センター試験応援団LT

花高らしい風景ですね。
幹部諸君、ありがとう。


会場には、先生方が書いた、
生徒への愛に満ちた
寄せ書きのボードも置かれていました。

センター寄せ書き04

わざわざ朝会場に駆けつけて、
書いてくれた先生もいました。

センター寄せ書き03

転勤した先生方からもメッセージが来ていました。
立ち止まって眺めていく生徒がたくさんいます。

センター寄せ書き01

センター寄せ書き02



受験勉強は所詮個人的なもので、

すべては個人の努力に
帰すことかもしれません。

しかし、個人が努力するための学習環境は
個人的な問題ではありません。

なぜなら、クラスの学習する雰囲気、
切磋琢磨して頑張りあえる環境、
クラス担任や教科担任の激励や働きかけ、
これらが、個々の学習に返ってくると思われるからです。

そして、
それによって、受験勉強が結果だけではなく、
そのプロセスにも価値が与えられ、
人間的成長を促すものになっていく
のではないかと思います。

キレイごと、と捉える人もいるかもしれませんね。

でも、受験勉強であっても、
そこに私は教育的価値を
求めていきたいと思うのです。


富士大学の本校の控室で点呼を行った後、
以下の様な激励の挨拶をしました。

あせることなく「普段通りの力」が発揮できるためには、

「これまで何を見てきたか、そして今何を見ているか」

によると思います。

皆さんがこれまで行ってきたことを信じて、
自信をもって臨んでください。

そして、「普段以上のミラクルなパワー」は、
「見守られている者の強さ」によって発揮されるでしょう。

私たち職員は、これまでも、今日も、
これからも皆さんを見守り、パワーを送り続けます。

May the Force be with you.



センター試験激励挨拶LT

 

「始業式で話したこと」

今日は始業式でした。

私は、本校が一番大切にしていることは
「生徒の命」ということを常々言ってきました。

そこで、2017年のスタートである今回は、
少し重いテーマですが
「いじめ問題」について取り上げました。

これは、特に今何かがあったから
ということではありません。

しかし、多様な個性が集まっている学校の宿命として、
人間関係上のトラブルは避けて通ることは
できないだろうという思いはあります。

それが、深刻な問題に発展する前に、
皆さんの心に訴えたい思いがあり、
敢えてこの機会を捉えて
話しをさせていただきました。

ジェットヒーターを焚いて、
防寒具を着てもらってはいましたが、
それでも肌寒い中で、
10分を越えて話しをしたので
特にセンター試験前の3年生には
申し訳なかったと思います。

でも、皆さん真剣に聞いてくれて
とても嬉しかったです。

保護者の方から、話した内容を
アップして欲しいとの要望もありましたので、
以下に記しておきたいと思います。




あけましておめでとうございます。
2017年が皆さんにとって、
輝かしい1年になることをお祈りしております。

皆さん、お正月はどのように過ごしていましたか。
リフレッシュできたでしょうか。

お正月にテレビをつけると、
バラエティ番組ばかりやっていて、
それはたくさんの芸人が登場してきますね。
皆さんは誰が好きですか。
私はお笑いだったらサンドウィッチマンが好きです。

最近、そんなバラエティを見ていて思うのは、
内輪ウケ、楽屋落ちみたいなものばっかりだなあ
ということなんです。

まあ、バラエティ界なんてそんなものでしょうから、
私が口をはさむことはないんですけれど。

ですが、私が今少し気になっているのが、
こんなバラエティ的な空気やトークが、
このまま学校の中にも映し出されているのではないか
ということなんです。

これは本校がそうだということではなく、
一般論として話しているわけですが。

仲間内で盛り上がることや、
軽妙なトークのやりとりばっかりで、
朴訥な人や、じっくり考え、深い表現をする人が
「空気が読めない人」として排除されるという
雰囲気が生まれているんじゃないだろうか、
ということなんですね。

本来、コミュニケーションとは
多様な人が交わり合う中で、他人を認め合って、
新しい人間関係をつくったり、
その中で新しい価値を生み出したりする
ということではないかと思うんです。

ところが、学校内におけるコミュニケーションが、
仲間だけの閉じた世界で、内輪だけで盛り上がって、
結果的に他者を排除している状況が
生み出されているのだとすれば、
それはとても悲しい話であり、
私は見過ごすわけにはいかないと思っています。

「死体遺棄」という言葉があります。

人間の遺体を放置することで、
これは非常に重い罪に問われます。

では、生きている人を「遺棄」することをどう思いますか。

死体は遺棄されてもそのことを自覚できないので、
心が傷つくことはありません(とりあえず現実的には)。

でも、生きている人が遺棄されると、
そのことでその人は傷つき、
場合によっては自殺に追い込まれることだってあります。

そういう意味では、生きた人を遺棄することは、
死体遺棄よりも重いことなのかもしれません。

皆さんは「遺棄」されたことはありませんか。
皆さんに手を挙げてもらうのは支障があるので、
先生方に聞いてみます

(聞いてみる)。
(何と一人も手が挙がらずショック!)

私は何度もありますよ。
例えば、バスケットやバレーの顧問を
しているときなんかそうでした。

専門部の集まりに行くと、しばしば遺棄されますね。
懇談会なんかで周りは和やかに盛り上がっている。
1人で時間を持て余し、すげえ勇気を出して
そこに踏み込んで会話を試みる。

でも、軽くスルーされる。

別に彼らは、何も悪気はないのでしょう。
私に意地悪をしていると思うのは
きっと私の自意識過剰なのでしょうね。

でも、私は物凄いプレッシャーを感じ、
傷つくこともあります。

「お前はここで我々と話をする資格はない」

といわれているような。

先生方から一人も手が挙がらないのがショックでした。
本当ですか、もっかい質問します。

(すると半数以上の手が挙がりました。
いやあ、ホッとしました。)

大人でもそんなことがあるのですから、
ましてや多感な青年期に向かう高校生では更なり、
ではないでしょうか。

私は小学校時代からそんな経験を
たくさんしている弱い人間です。

きっと、子ども時代から勝ち組にいて、
友達や先生にもバリバリいいたいことを言ってきた人には、
私のような気持ちは理解できないかもしれませんね。

でも、私は、そういう経験のおかげで、
遺棄されそうな人を気遣おうという気持ちは
人一倍強いと思っています。

さて、ここで部活動の話しをします。

部活動って、心を磨く場だ、人間性を高めていく場だ、
仲間の大切さを学ぶ場だ、といわれます。

でも、そこに落とし穴もあります。

逆に、仲間同士のヒエラルキー
(1軍と2軍が生み出される場)を助長する場、
つまり、限られた特定のグループだけで盛り上がって、
他者を排除する場になる要素が潜んでいるんですね。

私たちには部活動がそのような危険性を
孕んでいる場だという自覚が必要です。

そしてそんな本末転倒な場にならないように
気をつけていかなければなりません。

私が新年早々こんな重い話をするのは
実は訳があります。

昨年、皆さんや、保護者の方々から、
いじめアンケートや、電話や手紙により
様々なご意見をいただきました。

その数は相当多数に及びます。

私は、ご意見をいただくたびに、
校長室で関係者に集まってもらい、
対策会議を開いています。

なので、その回数はもう20回30回ではきかないですね。

でも、皆さんからいただいた意見は、
貴重な情報源であり、
本校への期待の現れであると私は捉えています。

さて、そのご意見を見ていくと、
具体的にいじめがあったということではないけれど、
読んでいく中で、私はこんなニュアンスを感じました。

1 部活動の場が関係していること
2 ネットやSNSが絡んでいること
3 他者への直接的な攻撃ではなく、
 いわゆる人を結果的に「遺棄」する行為であること
4 しかも、その行為が無自覚(そんな気はない)
 で行われていること
5 他者への気遣いという「想像力」が
 不足しているのではないかと思われること

昨年末の、12月27日から29日までの3日間、
毎日先生方と話し合いを重ねました。
その結果、まず、私がここで、
このようなお話をすることにしました。

そして、私から、各部の顧問の先生方に、
SNSと会計に関わる2つの調査をお願いしました。
(その内容は省略。)

今日、部集会または部活動の中で、
各顧問からこのような調査を行ってもらいます。

これは校長からのお願いということですので、
協力をお願いします。


「きりがえる」と「ざるどじょう」という話しがあります。
きりがえるとは、カエルを縛り付けて、
キリで突き刺すということです。

これは、明らかにわかる問答無用の攻撃です。
いわゆる目に見える形での「いじめ」ですね。

それに対して「ざるどじょう」とは、
ざるの中にドジョウをいれておくと、
自然と、大きいドジョウが上に集まり、
中くらいのドジョウがその下に、
そして小さいドジョウが最下層のところに
押しつぶされているという状態ができあがるんですね。

大きいドジョウは別に小さいドジョウを
直接的にどうこうしようとは思っていないので、
彼らには悪いことをした意識が働きません。

でも、そうやって、学校の中にヒエラルキー
(階層構造)が生まれ、
実はそれがいじめの温床になっている
ということもあるんですね。

では、皆さんに必要なことは何だと思いますか。
いや、皆さんだけではなく、私も含めた先生方もです。

それは多様性を認め合う学校文化をつくるということです。

大きいドジョウも小さいドジョウも
互いの良さを認め合って良い関係をつくるということですね。

人は誰しも遺棄されたくありません。
そこで、コンフォートゾーン(居心地の良い安全な場所)を見つけ、
そこに身を委ねようとします。

しかし、そこに、「あの人に比べれば自分はまだ大丈夫」
などといった、相対化が働くことで
深刻な事態につながるおそれがあります。

花高生は、それを乗り越え、
一歩踏み込める人になって欲しい。

それは、今、悩みの真っただ中にいる人、
人間関係で繋がりがうまくいかず困っている人などに
気遣う気持ちを持つということです。

もっというと、そのような気づきの感度を高めておくことが、
21世紀を生きる人間のコモンセンスだと思います。

部活動だけでなく、授業の場でも同様です。

私は、なぜ今、「主体的で対話的な学び」
(アクティブラーニング)を推進しようとしているかというと、
それは、大学受験を勝ち取るために
効果的だからではありません。

そんなちっぽけな話なんかじゃありません。

学校の大きなミッションとは
「授業の場で居場所をつくり、
共に学びあう意義を確認すること」
であるからです。

授業や部活動は、
教師や顧問が生徒に知識や技能を伝え、
スキルアップを図る場であるとともに、
授業、部活という生きた空間の中で、
生徒や教師が互いに向上しあい、
人間として成長していく場でもあります。

つまり、教師と生徒の対話、
生徒どうしの対話などを通して、
他人に敬意を払うこと、互いに尊重し、
相互に理解し合うことを学びあう場でもあります。

今、本校の職員は、10月から職員会議の後に、
全員で毎回ワークショップを行っています。

名付けて「花高活性化プロジェクト」です。

そこで私たちは、そのような授業改善も含め、
生徒が生き生きと学べる環境、
心のケアをどう充実させるかについて
必死に知恵を出しています。

生徒と教師は向上心の同志であります。

互いに良さを認め合い、
切磋琢磨する学校を共に創っていきましょう。

長くなりましたが、以上で私からの新年の挨拶と、
皆さんへのお願いをお話しました。


 

「月間高校教育・授業を変える」

月間高校教育2月号が発刊されました。

月間高校教育LT


今日、学事出版より送付いただきました。

編集長の二井さんから、一部分なら
SNSでの紹介は歓迎とのことでしたので、

私の執筆した

「授業改革を実現する
カリキュラム・マネジメントと学校経営」

の前半部分を紹介いたします。




1 ALは所詮手段にすぎない?

先日、ある方から

「アクティブラーニング(以下AL)なんて
所詮手段にすぎないからね。
ゆとり教育の二の舞になって、
そのうちなくなるかも」と言われた。

「ALは手段である」というならわかる。
しかし、「手段に過ぎない」というなら
「じゃあその先にある目的は何ですか」
と私は問う。

植松電機専務取締役である植松努氏の
「夢と手段」の話はとても興味深い。

彼は、思いついた夢に
「プランB」があるかどうか考え、
プランBを思いつかない夢は、きっと手段であり、
その向こう側に本当にやりたいことがある、と述べる。

例えば、ある人の夢が「医者になりたい」だったとする。
すると、「医者になる」ことにプランBはない。
つまりこれは手段だったのだ。

じゃあ、なぜ医者になりたかったのかと掘り下げて聞くと、
彼は「人の命を救いたい」と答えるかもしれない。

すると、そこには、「医療機器を開発する」などといった
「医者になる」以外にも多くのプランが
存在することがわかる。

さて、「ALと手段」の話にもどそう。

ALが「主体的、対話的で深い学びを実現すること」、
あるいはマネジメント視点で考えて、
「アクティブラーナーを生み出す組織を創造すること」
であるならば、それは、授業者にとっても学習者にとっても
「理想の姿」ではないだろうか。

そして、そんなALを実現するための手段として、
「グループ活動を行う」
「課題研究活動を行う」
などといった多くのプランが存在するのである
(図参照)。

月間高校教育図版

巷に見られるALの誤解は、
そういった、グループワークなどの
「授業手法」というプランとして
ALを捉えてしまっていることである。

だから
「基礎基本ができていないからALなんかできない」
「そんな賑やかしでは学力がつかない」
「ALでは教科書の進度が確保できない」
などといった疑問が止むことがない。

確かに、我が国におけるALは
「ラーニングピラミッド」を伴って登場し、
「学習定着率を高めるスペシャルなメソッド」
という文脈で語られてきた面はある。

しかし、その後、様々な批判や対立を乗り越え、
「授業手法としてのAL」から
「生徒が主体的に学びに向かう状態として」
「アクティブラーナーを育てる組織論として」
「未来に生きる子ども達を送り出すための見識として」
ALがリメイクされていると私は考える。

2 足し算から引き算のALへ

毎日ALを行うのは大変だ、という話がよく聞かれる。
それは、従来のマインドセットは温存したままで、
生徒をアクティブにするため、
新奇な活動をモザイクしようと
考えるからではないだろうか。

私はこれを足し算のALと呼んでいる。

ここで私は問いたい。

そもそもアクティブな状態は、
教師や学校によって「創りだされるべきもの」なのだろうか。

教師の掌の上でコントロールする「足し算の指導」が、
実は、デフォルトとして備わっている
子どもたちのアクティブさを殺いでしまっているとは
考えられないだろうか。

教師は、「生徒のために」をエクスキューズにして、
自分の「過剰さ」は善であり是であるとする傾向がある。

でも、今必要なのは、教師や学校が持つ、
そんな病巣を自覚することなのかもしれない。

教室を安全な対話空間にするためには、
まず、教師が学校というある種の権力空間の中で
身に纏ってきた鎧を脱ぐことから
始めてみてはどうだろうか。

予定調和型、強迫的な発問をやめてみる。
一方向的に語り倒す授業をやめてみる。
テストに出るぞ、などという動機づけをしない。

そうやって引き算をすることで、
生徒と教師が共に学ぶ対話の場が生まれるならば、
もうそれはALである。




以下、
「学校マネジメントと授業マネジメントの親和性」
「花高活性化プロジェクト」
の説明に進みますが、
この先は、どうぞ「月間高校教育2月号」で!


 

「オンラインフェスティバル2017」

今日は、

「オンラインフェスティバル2017」

に参加しました。

これは、ZOOMというWeb会議ツールを用いた
未来型の画期的なイベントです。

まず、Web上に20本近くの
様々なワークショップのコミュニティが
準備されています。

そこから、自分が行ってみたい
ワークショップを選んで参加します。

そうやって、世界中の人と、
居ながらにして
双方向のコミュニケーションを
行うことができるのですね。

いやあ、凄い時代が近づいてきましたね。

今、e-leadership という言葉が
話題になっています。

これは、ネットワーク上で発揮される
リーダーシップのことで、
今回の企画運営を行っている方々が
まさに、e-leaderとも言うべき人でしょう。

私は、中でも特に、田原真人さんと松嶋渉さんを、
このe-leaderも含めた
新しいタイプのリーダーシップの
ロールモデルとして注目しています。

お二人に共通する特徴を
思いつくままあげてみます。

●SNS・ICTをヒューマンアプローチの
 手段として使いこなす。

●他者の良さに気づく嗅覚が鋭い。
 そして他者をエンパワーする行動力がハンパない。

●俺についてこい、という牽引型のリーダーではなく、
 自ら下支えして周囲を支援する
 サーバントリーダーシップに長けている。

●未来先取りの視点と、社会を変革しようとする
 使命感に溢れ、そこから明確なビジョンを示し、
 人を繋いで信頼の輪を強くしている。

●管理、上意下達という支配型の手法は用いず、
 相手を思いやるホスピタリティが行動の基本である。

●常にアンテナが高く、
 他職種、異ジャンルとの共創によって
 新しい価値を生みだそうとしている。


などかな。

私も管理職の端くれとして、
そんな彼らの生き方を虚心坦懐に
学んでいきたいと思っています。

さて、

私は、「超訳ロナの妖精学講座"Fairy Talk"」と
「歌うもよし聴くもよしオンラインカラオケ」
に参加しました。

OLWS-03.jpg
(サマンサさんのFB記事よりいただいた写真です)

OLWS-02.jpg
(江藤さんのFB記事よりいただいた写真です)

カラオケは最も苦手とするジャンルなのですが、
江藤ファンの私は、
オーディエンスとして参加しました。

皆が楽しむという空気がとても良かったですね。

笑ったのは、全員が同時に歌うと、
タイムラグが生じて、
バラバラになってしまうということ。

でも、そのコンフュージョンというか
カオスが可笑しかったですね。

フーガですかね。

あるいはポリリズム。

ま、フリージャズかも。


ロナさんのフェアリートークでは、
オンラインワークショップと、
松嶋さんがDJをつとめる
FM放送とも連携するという、
マルチでユニークな企画にも感心しました。

OLWS-01.jpg
(松嶋さんのFB記事よりいただきました。しもまっちポロシャツを着ています!)


さすが、まつしマン。


ロナさんの妖精講座では
たくさんの学びがありました。

その中で、気づいたことを
最後にまとめておきたいと思います。


ロナさんは、妖精を自分のところに呼び込むために、

「自分の中に四季をつくりだす」

という話をされました。

私は、この言葉に心が動きました。

「自分の中に四季をつくる」こと。

そのために必要なものは、
例えば、豊かな心であり、
オーガニックな環境であり、
旬の食材である。

でも、これらは、特別な何かではなく、
実はごく自然のことなんですね。

つまり、小賢しい知識やワザを求めるのではなく、
生来の状態、デフォルトとして備わっていたはずの、
自然でありのままの力強い生の状態
(サマンサ的にはアリカン)に
回帰するということだと思うのです。

更にいうと、それって、
日本の古来からある伝統文化と
符合するものだということも感じました。

そして、「妖精が見える」ことは、
「気づきの感度を高める」こと
といってもいいのではないか、
つまり、「妖精が見えるかどうか」とは、
情緒の問題なんだ、と私は一人合点し、
しみじみと感動に浸っておりました。

そして、最後にどうしても述べておきたいこと。


それは、ロナさんの妖精講座で
否応なく考えさせられた、
多様性と共生社会の問題です。

私は以前、ある教育関係者(お偉い系)の会合で、

「発達障害の子どもはたった一人で学校をぶっ壊す。
彼らを引き取ってくれる場所がないか」

というある方の発言を聞いて
耳を疑ったことがありました。

マザーバードという映画製作会社の代表である
貞末麻哉子さんという方が制作された

「僕は写真で世界とつながる」

という映画の上映会に参加したとき、
貞末さんは、上映にあたり
こんなことを話されました。

主人公の米田祐二さんは、自閉症である。
しかし、彼は社会に迷惑をかけていない。
むしろ、「健常者のふりかざす常識」が
彼らに多くの障害を与えているのではないか。



「健常者のふりかざす常識」とは何だろうか、
私はしばらく考え込みました。

そして、その顛末を昔、ブログにまとめています。

その記事はこちら→★★


「あなたは妖精が見えますか」

「妖精を自分のところに招き入れるには」

「妖精がして欲しいことは何か考える」

「妖精を信じることは素晴らしい世界につながること」

こんなロナさんの、真っ直ぐで
力強い妖精トークを耳にするたびに

私は、多様性を認め合う社会に向けての
メッセージと受け止めていました。

そして、感動でとても胸が熱くなりました。

ありがとうございました。


 

花巻商工会議所新年交賀会

今日は花巻商工会議所の
新年交賀会があり出席してきました。

いやあ驚きました。4人の国会議員、
3人の県会議員を含め、600人余りの参加者。

syoukoukai01.jpg

花巻市にこんなに経営者クラスの人が
いたなんてちょっと驚きです。

しかも、国会議員や市長を始め
その中の花巻北高校OB比率がやたら高いこと。

高校時代の同級生と卒業以来初めての
出会いもありました。
(FB上では何度も会話していますが)

そんな中、恒例の年男スピーチというのがあって、
私も壇上で年頭の挨拶をさせていただきました。

商工会スピーチ
同級生からいただいた写真です。

1分程度で話すことを考えていたんですが、
1人25秒の持ち時間とのことで、
用意していた内容の1/3程度しか
話せませんでした。
(25秒以内におさめると餅がもらえる!)

以下に話した内容+αで
まとめておこうと思います。


私は、酉年で紫波町の住人なので、
紫波町の名誉市民である
橋本善太の話しをします。

彼は、ゼンタックスという鶏の産みの親です。

この鶏は1年に366個の卵を産むという
世界記録を達成しました。

彼のおかげで、私たちは
卵を毎日のように安く食べることができます。

この橋本善太の弟は橋本八百二という画家です。

彼は、東京美術学校(現在の芸大)に進み、
中央画壇で大活躍しました。

八百二は、中央で活躍しても、
地域での活動や交流を怠らず、

「世界人であればあるほど、
むしろますます郷土人である」

という言葉を残しています。

さて、今私が花巻北高校の生徒に望むことは、
善太のような、世界一を目指すような
高い志しを持ちつつ、足元にも目を向け、
社会に貢献するような人となって欲しい
ということです。

そしてまた、八百二のように、
地域郷土への思いを抱いて
巣立って欲しいと思っています。


(実際は、八百二の話しは省略しました)


syoukoukai02.jpg



 

「飛ぶ前にかがめ」のオルタナティブ

あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。

私は毎年、年賀状に、
その年の干支にちなんだ
教育評論的なコメントを書いておりました。

今年は酉年ということで、
こんな年賀状を書きました。

2017年賀状LT

私は一昨年から、ある雑誌に
「数学という名の自由の翼」
というエッセイを連載していて、
今年の3月号でめでたく終了します。

そんなこともあり、「自由の翼」にも絡めて
「飛ぶ前にかがめ」という言葉を
テーマにしてみました。


新年早々野暮の極みではありますが、
この年賀状に書ききれなかったことを、
以下に記していこうと思います。



先月のクリスマスイブに
沖縄で体験授業と講演を行いました。

今回の講演では、いくつかの問いを立てて
グループでディスカッションしながら
進めていくという形をとりました。

最初に

「あなたの学校の生徒が身につけるべき
生きる力とは何か」

という問を立てたとき、

ある特別支援学校のA先生から
次のような意見が表明されました。

それは、

「本校の生徒は、最初は社会に対する興味や、
参加する意欲を持っているけれど、
学校生活が進む中で、その気持ちが衰退していく」


というものです。

私はこの言葉を聞いて思わず膝を打ちました。

ちょうど私が話そうとしていた
「教育の目的・教師のミッションとは何か」という
次の問に繋がるものだったからです。

私は、次のようなスライドを提示しました。

主体化と社会化LT

学校というフィルタによって、
子どもは大人化されていきます。

上側は、学校が子どもを
「社会化」「資格化」するコース。

社会に適合するような市民に育てる、
いわば分別をわきまえた社会人を
育てるための「最適化」の道というイメージです。

一方、下側のコースは、
個性や主体性を存分に発揮させる場、
あるいは、「失敗が許される小さな社会」
として学校を位置付けています。

私は、上側のルートを「小さな大人をつくる学校」
下側のルートを「大きな子どもをつくる学校」としました。

ところで、このスライドは
「教育・学校の目的」という視点で
まとめてみたものですが、
「教師・授業のミッション」という文脈でも
同様の捉え方ができるかと思います。

私は次の様なスライドをよく用いています。

教師のミッションLT

ここで、上段のコースを

「そうしないと社会や学校から排除されてしまうルール」

下段を

「そうすることで一生成長し続けていける真理」

と名づけたのは、
しばしば私に様々な視点からヒントを与えてくださる、
さっちゃんこと哲学者の五十嵐沙千子先生です。


さて、話を戻しましょう。

ここで先ほどのA先生の言葉をふり返った時、
学校という空間、学校教育という文化が、
デフォルトとして備わっている子どもたちの
主体性を殺いでしまっているのではないか、
という問いに私たちはぶつかります。

それは、「飛ぶ前にかがめ」といったときの、
「かがむ」という行為が、
本来は「飛ぶ」ための手段だったのに、
それ自体が目的化してしまい、
「飛ぶ」ことへの感度を鈍くさせてしまう
ことのようにも思えます。

もちろん、だからといって
「社会化・資格化」と「主体化」は二者択一、
あるいは二律背反として捉えて
対立的に議論するのではなく、
この両輪をどう融合させるかという視点で
考えていかなければならないと私は思っています。

因みに、「社会化・資格化・主体化」
というカテゴリで教育の目的を表現したのは、
ガート・ビースタという教育哲学者です。

彼は、「社会化」「資格化」に傾いた
学校文化を批判的に分析しています。

しかし、これらの3つの次元は対立するのではなく
「独特な混合」が必要であると述べています
(「よい教育とは何か」(ガート・ビースタ2016.01))

オマケの話題ですが、実は、
沖縄入りする新幹線と飛行機の中で、
私も編者の中原淳先生と対談させていただいている

「アクティブラーナーを育てる高校」(学事出版)

を読んでいたら、
東京大学総合教育センター特任研究員の
田中智輝氏が、「参加型学習」について、
ジョン・デューイ、パウロ・フレイレ、ガート・ビースタらの
研究を踏まえながら
非常にわかり易くまとめられていました。

そこで、私は新幹線の中で
次のようなスライドを追加しました。
(実際の講演では時間の関係ではしょりました)

参加型学習LT


最後の最後に蛇足ですが、
「飛ぶ前にかがめ」に代わる言葉を
2つほど考えてみました。

一つは

「飛ぶためにかがむ」

「かがめ」という命令文から「かがむ」と改め、
自発的な行為であることを強調します。

そして「かがむ」ことは「飛ぶため」ということを
常に想起しておくという思いを込めました。


もう一つは

「飛びながら学ぶ」

ここではもう「かがむ」ことは意識しません。
飛びながら現地調達で
基本の欠乏を埋め込みます。

つまり、基礎の積み上げから始まる、

「反復による習得→活用→発展」という
パラダイムを壊そう!
という過激な視点です(笑)。

皆さんはどのように思いますか?

新年早々脈絡なく長々と書き連ねてしまいました。

お正月に免じてご容赦のほどを。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。