駅伝で花北が席巻

11月23日に行われた日報駅伝で
花巻北高が6位と大健闘しました。

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出場人数ぎりぎりの6人、
そしてそのうち5人は1年生
という布陣で臨んだ中でのこの入賞です。

昨年は部員不足で出場を断念しましたが、
今年は出場ができ、
更に6位入賞という成果を
残すことができました。

本当によくやった!

さて、新聞には花巻北高校の記事とともに、
一般の部での花巻市Aの
劇的逆転優勝の記事が大きく載っています。

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この写真(右)の鈴木選手は
花巻北高校のOBです(中大)。

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また、上の記事にも取り上げられている
8区で区間賞を獲得した菅原選手も、
今年花巻北高校を卒業したOBです
(北海道教育大)。

記事には、地震で足止めされ、
バスに間に合わないとのことで、
最寄り駅まで10kmを走って
移動したとあります。

黒橋魂ですね。

24日の日報駅伝を報ずる記事は、
花巻北高校満載でしたね。

塚田美和子先生によると

一年生の菊池選手の兄もOBで北上市から出場。
盛岡市のアンカーの松村選手もOBで、
花巻市の鈴木選手と同期、
奥州市の高橋選手もOBで、
花高OBも日報駅伝頑張ってました(^-^)/


とのことです。


今年のリオ五輪に出場、
希望郷いわて国体での優勝を果たした
高橋英輝さんはじめ、
花北OBの陸上アスリートは
卒業した後も次の場所で輝き続けています。

是非、本校に入学して陸上をやる生徒が
出てきて欲しいですね。



 

石ノ森章太郎記念館のライトアップ

登米高校での講演が終わり、
自宅に向かう途中、
とても素敵なイルミネーションが目に入りました。

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見ると、ライトアップされた石ノ森章太郎記念館でした。

石ノ森章太郎は登米市出身だったんですね。
12月1日から光のページェントの企画を行うとのことで、
今日は点灯のテストをしていたとのこと。

何ともいい時に通りかかりました。

係りの方と少しお話をさせていただきました。

とても素敵なスポットになるので、
是非宣伝して欲しいと頼まれました。

というわけで、宣伝します。

石ノ森章太郎の生家にあるこの記念館、
12月から美しくライトアップされます。

サイボーグ009や仮面ライダーにも会えますよ!

是非皆さん足を運んでください!!

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「登米高校での講演で思ったこと」

11月25日に、宮城県登米高校で講演を行いました。
96年目を迎える伝統校です。

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和やかな雰囲気の中、皆さんとても真摯で、
気持ちよくお話をさせていただきました。

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近隣の5つの高校からも参加者があったのですが、
嬉しかったのは、志津川高校から、
私が12年前に花巻北高校に勤務していたときに
担任していた木村君が駆けつけてくれたことです。

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この年、私は総合的な学習の担当で、
生徒の課題研究活動を企画し実施していました。

木村君は、「ビンゴゲームにおける確率の研究」を
もう一人の仲間とともに行い、
見事最優秀発表に輝いたことを覚えています。

彼らの研究協力者は岩手大学の沼田教授で、
何度か本校に足を運んで、
彼らに、様々なヒントを与えていただいたことが
懐かしく思い出されます。

かつての教え子が、自分と同じフィールドで
活躍する姿を見ることは嬉しい限りです。


さて、この講演の際、寄せられた
いくつかの質問を聞きながら感じたことがあります。

それは、このようなアクティブラーニング研修会に
参加される先生方の問題意識が
いつも「どうすれば授業がうまくいくか」
という方向であるということです。

そこに感じる教師のメンタリティは、

「教師の強い教科指導力と
適切なコントロールで授業を創りだす」

といった、教師主導型の授業観です。

しかし、それが

「生徒との対話によって授業が変化することを恐れる」
「予定調和が崩れることを恐れ
生徒主体の展開に踏み出せない」

という学習パラダイムへの移行を
阻んでいるのではないかとも私は思うのです。


少し古い話ですが、2010年に出版された
「<新しい能力>は教育を変えるか」(松下佳代編著)の巻末に、
ナラティブ教育の推進者である、
フィンランドのオウル大学のペンティ・ハッカライネン氏が
特別寄稿を寄せています。

フィンランドというと、
世界的にも優れた教育システムを持つとされ、
日本でもそれを見習おうという動きもみられます。

しかし、ハッカライネン氏は、フィンランドでは
義務教育以降から始められる実力主義教育によって、
多くの学生(特に大量の課題をこなせない男子)が
ドロップアウトしていく現状も指摘しています。

彼は、フィンランドにおける
PISA調査の正答率の高さに反して、
学ぶ動機づけ調査の低迷について次のように述べています。


同一の要因によって、3つの教科に見られた好結果と
動機づけの低さの両方が説明できるのである。

つまり、指導(教師の個人指導、教科書や教材)における
厳しいコントロールや大量のアサインメントが、
PISA調査の課題を解く準備になり、
しかしまた、教師の厳しいコントロールが
学校の勉強を楽しく学ぶという純粋な動機づけを
奪っているということである。

動機づけの欠如は、義務教育の第9学年終了後、
教育からのドロップアウトという形で現れる。

「アサインメント」によるトレーニングは続けられ、
そこでは、過去の大学入学資格試験から取った
アサインメントがトレーニングのために使われている。

このようにフィンランドの結果は、
カリキュラム・ガイドラインの目標よりもむしろ、
学習教材や学校での課業の編成の方を反映している。

ここから次のような問いが浮かんでくる。



彼は次の様に結んでいます。


学校の評価の目的は何か。

私たちは指導の結果を測定すべきか、
それとも将来的な可能性を評価すべきか。

入手可能なデータから得られた一般的な結論は、
多くの教師はよい授業者ではあるが、
おそらく創造的な才能の促進者ではない
ということである(Lyytinen, 2009)。

(「<新しい能力>は教育を変えるか」
(松下佳代)より 傍線付記)


私は、アクティブラーニングの研修会や
講演会での質問に出会うたびに、
多くの教師の「自分の授業を何とかしたい」
という強い思いを感じます。

それは、
「よき授業者でありたい」
ということに教師としてのアイデンティティを
求めているのではないかと思います。

しかし、今、教師が持つべき思いは、むしろ

「生徒の創造的な才能を促進したい」

ということではないかと私は感じるのです。










 

国際教育部会総会並びに研究大会

昨日は、本校で
国際教育部会総会並びに研究大会が行われました。

50人近い参加者があり、
意義深い一日になりました。

さて、今回、講師にお招きしたのは石森広美先生です。

グループでディスカッションする場面を豊富に取り入れた、
聴衆参加型の素晴らしい講演会でした。

石森先生WS06

石森先生WS05

石森先生WS04

石森先生WS03

石森先生WS02


参加された先生方は、大きなお土産を
もらっていったのではないかと思います。

石森先生は、筑波大学をご卒業後、
東北大学大学院で博士号(教育学)を取得され、
現在、仙台二華高校の教員をされております。

日本国際理解教育学会、
日本グローバル教育学会の理事などを務められ、
全国各地を講演や研修会に飛びまわっておられる、
まさに国際教育のフロントランナーであります。

表彰歴を探ってみると、
文部科学大臣優秀教員表彰、
宮城県教育委員会優秀教員表彰、
東北大学総長賞、
日本国際理解教育学会賞等々
枚挙にいとまがありません。


私は、今年の7月に、仙台市で行われた
東北地区国際教育研究大会で、
石森先生の講演とワークショップを体験し、
強い感動と衝撃を抱き、
その場で、昨日の研究大会の講師をお願いし、
快諾をいただきました。

私が石森先生を是非講師に、と考えた理由は、
先生の華々しい実績や肩書によるものではありません。

私が石森先生にラブコールしたのは、
来年度本校が運営する国際教育部会の
全国研究大会が充実することが
期待されることはもちろんですが、

もう一つとして、優れた学識と知見、豊富な経験、
そして、子どもの生き方を変える実践力とパワーを持つ
先生とコラボレイトすることで、
私が目指そうとしているアクティブラーニングの推進が
より強固になるのではないかと考えたからでもあります。

アクティブラーニング推進のボトルネックは
「ALはグループワークなどの手法のこと」
「協働で問題解決をし発表させたりする活動のこと」
「ALは学習定着率を高める手段」
などといった現場教師の誤解です。

それによって、
「活動はあっても、大学入試に立ち向かえる学力が担保されない」
「教師は多忙化する」
「グループに馴染めない生徒はどうするのか」
などといった意見が表出されていきます。

国際理解教育も同様のことが見られます。

「国際理解教育は英語科の領域」
「海外で活躍する人材を育成することがグローバリズム」
「グローバルリテラシーとは語学力とコミュニケーション力」
といった、ステレオタイプな考え方が
いまだに教育現場に根付いている状況は否めません。

私は、国際理解教育の推進とアクティブラーニングの推進は、
少し想像力を働かせてみると、
軌を一にするものであるはず、と考えています。

例えば「グローバル人材育成推進会議」の
まとめの答申の中で提起されている
グローバルリテラシーの要素の一つに

「異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー」

とあります。

私は、その文脈から、他者に対する共感と共創、
多様な意見を傾聴し新しい価値を生みだすこと、
他者を支援しエンパワーすること、
人への優しさを持つこと、

などの「社会的な知性」「創造的な知性」
を育てることがイメージされます。


私は、総会の冒頭の挨拶で、
「国際教育持続可能定理」として

「For All ⇔ For Excellence」

ということを話しました。

国際教育持続可能定理



これまで国際理解教育というフィールドから、
多くの優れた人材が生み出されてきました。

SGH校なども、そういう国際社会で輝く人材の育成が
成果として期待されているのかもしれません。

石森先生も、そんな国際理解教育の
トップランナーの一人であります。

しかし、私の問題意識は、
そういった、「とんがった」人やグループは生み出されたけれど、
それが果たしてパブリックなものに進展していったかということです。

国際理解教育もアクティブラーニングも、
これからの社会を生きるすべての人間が持つべき
理念でなければなりません(きっぱり)。

であるならば、トップランナーを走る人は、
自分の知見、経験をもとに、社会を掘り起こし、
広げていく使命があると思います。

私は、石森先生の、
国際教育の裾野を広めていきながら、
学校教育を揺り動かしていこうという
トップを走るものの使命感、溢れる情熱、
それを行動に移す実践力に
強いシンパシーを抱きました。

そして、石森先生の視線の先には、
生徒をアクティブラーナーにするための、
教師の意識改革や、組織づくり
というゴールがあるように思います。

これからも石森先生から
多くを学んでいきたいと思います。

ありがとうございました。



 

【花高活性化プロジェクト】

今日は、花高の先生方の
プロ教師としての意識の高さと、
生徒への思いの強さを
あらためて実感しました。

私は、10月18日の職員会議で、

「未来を生きる生徒のために、
花北の強みを活かしつつ、
現在の課題を乗り越えていくような
学校改革を行おう」

という問題提起をしました。

それを受けて、
「花高活性化プロジェクト」(仮称)
が立ち上がりました。

具体的な取組として、毎月1回、職員会議後に
全職員でワークショップを行うことを企画しました。

最終目標は

「花高の強みと花高の課題を踏まえて
目指す生徒像、職員像を全職員でデザインする」

というものです。

今日は、意見発散・共有(内容の分類)がテーマ。

ワールドカフェのスタイルで行います。

まず、年代別に4人一組のグループを作り、
本校の教育目標を見据えて、花高に潜む問題点や、
引き続き継続すべきストロングポイントを
付箋紙に書きだします。

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グループ内で意見交換をした後、グループを解体し、
他グループの意見をシェアします。

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最後に、自分のグループに戻り、
他のグループの意見を参考にしながら、
グループ内の意見を強くしていきます。

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私の感想は以下にまとめました。

学校における教育成果は、
生徒の能力や主体性と、教師の個の力量に依存する。
しかし、学校とは社会的なものであり、
社会に対して成果をもたらすものとされている今、
このような個の力量の集積に頼る教育は限界がある。

マネジメントとは、上から管理することではない。
求める生徒像を皆で考え、
それを実現するというゴールを皆で共有して
前に進むことである。
そのために、私は次の3つのポイントを掲げたい。

1 教師が見識と哲学を持つこと
2 教師間のネットワーク・同僚性が築かれ、
  繋がりあい、重なり合う組織であること
3 教師個々の自立性・創造性は損なわれないこと

今回のワークショップの様子をみて、花高の職員はまさに
「学び続けるチーム」であることを実感した。


高々40分間ですが、非常に濃密な
ディスカッションができたのではないかと思います。

私の無理難題を受け入れ、
素晴らしい企画と運営を行ってくれた
川村副校長先生ありがとうございました。

今回の成果物をまとめて、
第2回は12月12日に
「精査と解決策を探る」というテーマで行います。

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「アクティブ・ラーナーを育てる高校」

東京大学准教授の中原淳先生が編集された
月間高校教育増刊号の
「アクティブ・ラーナーを育てる高校」が発刊されました。

アクティブラーナーを育てる高校01LT


第1章で、私と中原先生の対談
「授業改革は学校改革に通ず」が
12ページにわたり掲載されています。

アクティブラーナーを育てる高校02LT

自分でいうのも何ですが、この本凄くいいです。

私は中原淳先生のブログ、「大人の学び」を科学する
の大ファンです。

http://www.nakahara-lab.net/

洒脱で軽妙な文章を楽しく読んでいると、
本質という名の、鋭い刃物に
ずばずばと切り付けられます。

そして、気がつくと、中毒の様に、
中原ワールドにのめり込んでしまいます。

この本では、中原先生はアクティブ・ラーニングを
組織論として捉えてまとめられています。

嬉しいですね。私とシンクロしています。

この雑誌、学事出版によると、
今月中に装丁を変えて、単行本化されるようです。

ところで、私は講演会などで、
「アクティブラーニングって何ですか」
という問いにしばしば出会うので、
こんなスライドを用意していました。

アクティブラーニングの様相LT


もはや、アクティブラーニングは、
授業手法を議論することから、
組織マネジメントという見方に推移しつつある
(しなければならない)と思っています。

つまりALは、「学校改革」をすすめるために
掲げられる旗であると考えています。

私は現在、国際教育部会と
家庭クラブに関わっているのですが、
そこには、先駆的なリーダーの方々いて、
曰く

「アクティブラーニングなんて、
何か新しいことのように言葉が踊っているけれど、
私(たち)はもう20年前からやっている」

などと語られます。

私しゃあ、そんなこたぁ、どうだっていいんでゲス。

だったら、それが
パブリックなものになっていったのでしょうか。

「私が、私が」とのし上がった人、
脚光を浴びる人材は生まれたとしても、
それが広く一般のものになり、
教育現場の文化や習慣に影響があったのかどうかに
私はフォーカスしたいのです。

私の中では、アクティブラーニングは、
新しい学び方をすすめるため、
組織を変えるため、
教師のマインドセットを変えるため・・、
そういうムーヴメントを起こすためのキャッチであり、
いわば「記号」みたいものに過ぎないと考えています。

そして、僕らのような
アクティブラーニングを語るものの使命は、
自分の学校だけが成果をあげるために頑張ることではなく、
ましてや自分が何者かにのし上がるのではなく、
学校を「アクティブラーニングを生み出す組織」
に変えるために、あらゆる知見を集め、実践し、
発信し、交流していくことではないかと思います。

この「アクティブ・ラーナーを育てる高校」を読むと、
そんな思いに拍車がかかり、
自分も何とかやってみようという気持ちがわいてきます。

是非ご一読を。

 

「ユネスコ50周年記念式典とPISAのこと」

今日は、花巻ユネスコ協会
設立50周年記念式典が行われ出席しました。

記念講演は、宗教学者で、
花巻北高校の同窓生である山折哲雄先生です。

演題は「宮沢賢治とユネスコ精神」

ユネスコ講演LT

宮沢賢治とガンディーの
ユネスコ精神という文脈における親和性や、
雨ニモマケズや春と修羅にまつわる、
深く鋭い洞察など、本当に感動の講演でした。

因みに、私の隣に座っていた方は、
これまでの人生で聴いてきた講演の中で
一番だったと話されていました。

懇親会のオープニングセレモニーは
花巻農業高校の生徒による鹿踊。

ユネスコ鹿踊りLT

パワフルで素晴らしい演技に、
これまた感動しました。

私は以前、ユネスコが設置した
21世紀教育国際委員会で出された報告書
「学習:秘められた宝」に感銘を受け、
様々な場面で取り上げてきました。

「秘められた宝」に述べられている、
以下の「学習の4つの柱」は有名です。

learning to know(知ることを学ぶ)
learning to do(為すことを学ぶ)
learning to live together(共に生きることを学ぶ)
learning to be(人間として生きることを学ぶ)

また、learning to have から learning to be
(「富や力を得るために学ぶ」から「いかに生きるかを学ぶ」)
ということも言われてきました。

これは、日本の「生きる力」の理念と繋がるものと思います。

さて、今、OECD諸国において、
2000年から3年ごとに「PISA」といわれる
国際リテラシー調査が行われています。

これは、義務教育修了段階の15歳児が、
知識や技能を実生活の場面で
どう活用できるかを見る調査であり、
決して、特定の学校カリキュラムの
習熟度を測定するものではありません。

ところが、実際は、国どうしの
優劣を競争しているようにも感じられます。

そして、日本の小中学校で行われる
全国学力調査も同様に、各県の順位ばかりが
クローズアップされている状況がありますね。

ここで、ユネスコとPISAの関係について、
過去に立ち返ってみたいと思います。

1994年にユネスコが主催して行われた国際会議で、
次のような宣言が採択されています。

We convinced that education policies have to contribute
to the development of understanding, solidarity
and tolerance among individuals
and among ethnic, social, cultural
and religious groups and sovereign nations.

We convinced that education should promote
knowledge, values, attitude and skills
conducive to respect for human rights
and to an active commitment to the defence
of such rights and to the building
of a culture of peace and democracy.

(大雑把な訳
「教育政策は、個人や、人種や、宗教の違いについて
理解しあうために貢献する必要がある。
そして、教育は、知識や価値や態度などを
平和と民主主義を守り、文化の創造をするために
進めていくべきである」)


これを踏まえて、2000年に次のような趣旨によって、
PISA調査が実施されていくのです。

Are students well prepared to meet the challenges of the future?
Are they able to analyse, reason and communicate their ideas effectively?
Do they have the capacity to continue learning throughout life?
Parents, students, the public and those who run education systems
need to know the answers to those questions.

(大雑把な訳
「生徒は未来に挑戦する用意ができているか。
自分の考えを分析し、
他者とのコミュニケーションがうまくできているか。
親、生徒、市民、教師はこれらの質問に対する
答えを知らなければならない」)

PISAは、新しい時代に生きる、
賢い市民の養成を目的にしているということを、
今一度想起しておきたいと思います。


 

「数学教室」12月号

「数学教室」12月号が届きました。

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2014年の4月号から続けている連載も、
残すところあと3回。

すでに2月号までの原稿は送っているので、
あと一つ書けば、めでたく終了であります。

今回は、「深い学び」というテーマで
書かせていただきました。

冒頭の部分からちょっとだけ紹介します。



この8月、千葉工大で行われた
数学教育協議会の全国研究大会で、
琉球大学の伊禮三之先生から
次のような興味深いお話を伺いました。

数学の公式や、解法パターンなどの知識記憶は、
文脈が変わると引き出しにくくなるような
潜在的なものである。

それを、引き出しやすいものにするには、
操作活動などを通して、
経験記憶化することが必要である。


また、初日に行われた記念講演会では、
三重大学名誉教授・岐阜聖徳学園大教授の
上垣渉先生から
「教師であるための授業づくり七か条」
というテーマでお話がありました。

その中で、「言葉で理由を説明する活動」の意義として、
コミュニケーション力の向上、
論証に進む第一歩であるとともに、
人に説明することで、
「内容のより深い理解に進む」
ということが話されました。

これらの話を聞いて、
なるほどと思い当たることがありました。

それは、以前、某人物が、ある会見で

「女性にサインコサインを教えて何になるのか」

という話をして物議をかもしたことに関するものです。

ニュースでも結構大きく報道されたので、
ご存知の方がいるかもしれませんね。

その発言者は、釈明会見の場で
次のように述べています。

「私もサインコサインというのは
人生で1回使いました。
『私の足がもし15cm長ければ、
私はボルトぐらいのスピードで
100mを走れます。』
ということで、一歩一歩、
凄い回転が早ですからね。
そのときぐらいしかサインコサイン
使っていないよね、と。」


私は、最初この話を聞いたとき、
「?」が頭を駆け巡りました。

「足が15cm長い」ことと
「ボルトと同じスピードで走れる」に
あまりにも論理の飛躍があり、
どう考えても荒唐無稽な話ではないだろうか、
と眉をひそめました。

でも、それと同時にわかったことがあります。

彼は、三角関数の公式なんかは、
きっと覚えていないだろうし、
価値を感じていないかもしれないけれど、
誰かが円運動と三角関数を絡めて話したと思われる
「ボルトのエピソード」だけは、
しっかり「取り出される記憶」に入っているんだ、
ということでした。

三角関数の知識は記憶に残っていなかったけれど、
余談的に話されたことは
(曲解されてはいるが)
しっかり残っていたというわけですね。
<以下略>



以下、紙を3等分にする話から
深い学びについて述べました。

続きは、「数学教室」12月号で。


 

読書の秋

読書の秋ですね。

さて、T先生の図書館コーナー、
記事のアップが遅れていました。

いくつかをまとめて紹介したいと思います。

10月の図書館前のディスプレイは
「食欲の秋」シリーズでした。

すみません。とったはずの写真が消えていました。

本とともに添えられていたメッセージを紹介します。

図書食欲の秋02

このキャッチがいいですね。

そして本の隣には、
こんな野菜の詰め合わせが置いてありました。

図書食欲の秋01


これまた心憎いですねえ。


さて、10月といえばノーベル賞発表の時期。
今年の話題は、ノーベル文学賞を
ボブディランが受賞したこと。

そんな中、本校の学校技術員の高橋さんが、
彼のコレクションから、ボブディランの詩集や伝記をはじめ、
数冊の本と、今年来日した時のパンフ、
そして21枚のレコードを持ってきてくださいました。

ディラン03LT

ディラン01LT

圧巻ですね。

一生懸命に当時の事を説明する高橋さんは
少年のようでした。

これをしばらく図書館に展示し、
その後、校長室に、球体スピーカーを用意し、
昼休みと放課後にボブディランのレコードコンサートを
2人で秘かに行いました。

球体スピーカ01


あらためてボブディランを見つめ直す
いい機会になりました。

ちなみに、私が学生の頃、ニ読三読した愛読書はこれ

イデオロギーとしての英会話


ダグラス・ラミスの「イデオロギーとしての英会話」

私のマインドセットの一部は
この本で作られたかもしれません。

これに書かれている「ボブディラン論」も
もう一度読み返したいと思います。



さてさて、

先週は、主権者教育が行われました。

花巻市の選挙管理委員会や
教育センターなどからたくさんの人が来校し、
実際の投票箱などを使いながら、
本番さながらモードで模擬投票などが行われました。

図書主権者教育04

図書主権者教育03

図書主権者教育06


この模擬投票の場にも、
しっかりT先生の図書アピールがありましたよ。

図書主権者教育02


これはT先生からのメッセージだなと思いました。

それは、主権者教育とは、投票の仕組みを理解し、
模擬体験することじゃなく、
社会に参画する心を持つことなんだ。
そのために本を読んでほしい、というメッセージ。


本を読むことで、自分を見つめ、
問い直すことができます。

本を読むことで、物事に対する
批判力や共感力が身につきます。

本を読むことで、世界が広がり、
賢い市民になるための心の基盤が生まれます。

これが、まさにシチズンシップ、
主権者たることではないかと思います。

T先生ありがとうございます。

そして、現在の図書館前の風景はこれです

図書ノーベル01LT


やはりノーベル賞特集でした。


秋の夜長を読書に耽ってみませんか。

「本との出会い」によって
「本当の出会い」が生まれるかもしれませんよ。

ちなみに私が今週読もうと思っている本はこの4冊です。

今週読む本



 

福井大学での講演より

先日の土曜日、
福井大学で行われた第3回RLA研究会で
講演をさせていただきました。

RLAとは、Researcher-Like Activity の略で、
「研究者の活動の面白さ」を取り込んだ授業実践によって
主体的な学びを引き出す取組で、
市川伸一氏により提起され、
猪俣智氏によって数学教育の中に
取り入れられてきたとのことです。

前夜に懇談会を設定していただき、
それは楽しいひとときを過ごすことができました。
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ありがとうございました。

福井駅が様変わりして凄いことになっています。

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恐竜がいるんです。動くし吠える!




さて、

私が話したことから、
ほんの少しだけスライドとともに紹介します。


【アクティブ・ラーニングの誤解】

アクティブ・ラーニングというと、多くの方は、
授業手法や、教材開発などの
コンテンツありきで考えているように思います。

そして、そのような中で、
授業手法こそがアクティブ・ラーニング
という誤解も生まれているようにも思います。

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グループワークをすること、
KP法を取り入れること、
PBL型授業を行うこと、
などをもって「私はALの実践者である」
と自他ともに認めあっている誤解。

「ALなんて所詮手段。ゆとり教育の二の舞になるよ」
という評論家目線の言動。

そこに見え隠れするのは、教師の都合。
つまりいつでも主語は「教師」なんですね。

教師が生徒を導く、という。

本当は「生徒が」楽しく学んでいたのか、
「生徒が」深い学びに結びつく経験をしたのかをもって、
初めて「アクティブ・ラーニング」を語るべきであるはずです。

私は、コンテンツを語る前に、
授業を設計するための教材観、授業観といった
「教師の見識・マインドセット」について考えていくことが
アクティブ・ラーニングを進めるための
初めの一歩であるように思います。

そういう視点でお話をさせていただきました。

【授業を行うにあたって】

私は、かつて、下の図のようなことを考えながら
授業設計をしていました。

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ごく普通の視点のように見えますが、掘り下げてみると、
受験学力的な側面で学力を捉えていることや、
教科書の内容をいかに効率的に伝えていくかが
前提になっているように思えます。

私は、管理職になって、
学校経営計画を立てなければならなくなりました。

学校経営計画なんて絵に描いた餅のように
思っている人もいるかもしれません。

前年踏襲、例年通りで波風立てぬ、
というスタンスの人もいるかもしれません。

でも、私はそうは思いません。

職員と生徒が一丸となって、
教育活動という名の船をこぎ出すために、
学校として、どういう「帆の掛け方」をするかという、
重要な行動理念だと思います。

私は、経営計画を策定するにあたって、
亀井浩明先生(帝京大名誉教授)の考えを参考にして、
次のような11本の柱を立てています。

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そこで、最近ふと思ったのは、
この見識って、学校経営計画に限らず、
何かを行う際の普遍的な原則ではないかということです。

とすれば、授業も、このような視点に立って
設計すべきではないか、と思ったのです。

私は今、
「生きて働く楽しい数学の授業を行うための見識」として、
次のような柱を立ててみようと考えています。

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学校経営計画と対比してみましょう。

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つまり、学校マネジメントも授業マネジメントも、
同じ視点で考えられるべきものではないかと思うのです。


【数学を哲学する】

数学の授業では、
しばしば「スタンダードナンバー」になっているような、
優れた実践があります。

しかし、その授業を「レシピ通り」行っても
上手くいかなかったという報告をよく聞きます。

それはそうでしょう。

その「スタンダードナンバー」が、
単に「問題を解くためのスペシャルなテクニック」だったら、
それを真似ればそこそこうまくいくのでしょう。

しかし、そうではなく、生徒に数学の面白さを気づかせたり、
もっとやりたくなるような気持ちにさせるような
態度技能を含むようなコンテンツであれば、
問われるのは、教師の数学への思い、
哲学ではないかと私は思います。

私が抱く数学に対するイメージをマップにしてみました。

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皆さんはどうでしょうか。
生徒達だったらどんなマップを描いてくれるのでしょうか。

私は、以前ある中学校で出前授業を行ったとき、
冒頭で「あなたにとって数学とは」
「数学はどんないいところがあるか」といった質問をしたら、
何と全員が「数学はつり銭計算で役に立つ」
と答えて愕然としたことがあります。

しかし、そんな生徒たちを嘆くのは的外れです。
なぜなら、そのような、
「数学は公式にあてはめ計算して答を出せばゴール」
という浅い数学観は教師たちが植えつけたものだからです。

教師は「数学という哲学」を語ってきたか。

いや、そもそも教師自身が哲学を持っていたのか。

それなしに、受験テクニックや授業手法に走っている限り、
アクティブ・ラーニングなんて始まらないのではないか。

まだまだ語りたいところですが、まずはこの辺で。


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真性粘菌のメッセージに耳を傾けよう

田原真人さんという方がいます。

彼は、4000人を超えるオンラインコミュニティ
「反転授業の研究」を主催するなど、
様々なジャンルと関わりながら、
人を繋げ、他者をエンパワーしている
オンライン教育プロデューサーです。

そんな、ネット時代の寵児ともいえる彼ですが、
根っ子はサイエンティストです。

彼が最近語り始めた、
「生きるための物理」が非常に面白いのですが、
先日、彼のオンラインセッション
「真性粘菌に学ぶ生命論的パラダイム」の
録画動画を拝見し唸ってしまいました。

彼は、粘菌などの生命体の持つ
非線形性をクローズアップし、
その自己組織化について論じながら、
それを、ネットワーク社会における組織の構造の
アナロジーと捉えて我々に提示します。

何かを論じる時、話の中にサイエンスのテイストを
散りばめることはよくあります。

でも、それはだいたいが、気の利いた引用、
いわゆるレトリックに過ぎないもののように思います。

ところが、田原さんは、
生命体についての議論と組織論の両者を、
同等に、一体的に論じていきます。

数学の言葉でいうと、同型とか、
デュアルな関係という言葉が思い浮かびます。

例えば、よく、「アメーバ型組織」といいますが、
この「アメーバ」とは、普通は比喩として用いられます。

でも、彼の場合は、本当の意味で
「アメーバ」の生態から学んだ組織論なのです。

そういうわけで、彼の話は、
実は本格的なサイエンスのトレンドなのですね。

それでいて、組織論(組織の生態学)
にもなっているという、一度で二度美味しい話なのです。

私は、田原さんの話を、組織論からの類推で、
教育論として受け取っていました。

さて、では「真性粘菌に学ぶ生命論的パラダイム」の
動画を見た感想を、教育論という視点で、
ごくごく簡単にまとめてみたいと思います。

【非線形の概観】
非線形とは、線形でないということです。
おおざっぱにいうと、部分の単純な総和で論じられない
複雑な振る舞いを持つ性質で、
原因と結果が単純な関数関係で決定されない世界である、
とまとめておきたいと思います。

非線形の概観を語る際のキーワードとして、

■ 興奮性(ある閾値を過ぎるとドラスティック
  な変化が起きる)
■ リミットサイクル(周期的な運動に安定)
■ 引き込み(シンクロ)現象(リミットサイク
  ルの相互作用)

という現象を彼は指摘しています。

田原01


この中の引き込み現象とは、
個々の生命体が互いに作用し合うことで生まれる変化、
つまり外的刺激ではなく、
局所的な複数の相互作用が自己内で組織化され、
個々の振る舞いからは予測できないような
システムができあがるということです。

田原さんは、メトロノームの共振現象や、
BZ反応などの反応拡散方程式による
模様パターンなどを例示しながら、
このことを説明しています。

これは、教育論でいえば、
外発的な動機付けで個々が学びを得るのではなく、
その外的な働きをきかっけに、他者との共創が起き、
シンクロし、新しい価値が生み出される
ということのように捉えられます。

これがいわゆる「創発」ということなのかもしれません。

【粘菌】
田原さんは、イグノーベル賞を受賞した
中垣俊之氏の粘菌の研究にもスポットを当てています。

ある迷路上の入り口と出口に餌を置くと、
しだいに餌と餌の最短距離をつなぐ管のみが残って、
それ以外の部分が衰退する現象が起きます。

このような性質を利用して、コンピュータでも解決困難な
ネットワーク上の巡回問題などの最適解を、
粘菌によって解決していこうという試みが行われていて、
私も関心をもっておりました。

田原さんは粘菌の活動を提示しながら、こんな話をします。

餌を置くという外的刺激によって粘菌が触発され、
餌に向かうという行動が生み出される。

結果として最適解を見つけ出す。
でも、それとともに、自己組織化、シンクロが起き、
「探索活動」が見られてくる。

つまり、与えられたえさを食べる行動と、
「探索活動」のバランスと調和が本来の
のびのびとした生命の活動の姿ではないか。

田原02


更に田原さんは、「フレーム内部での最適化は、
ゆらぎ(アソビ)を押さえて計画通り進めようとする
機械論的な世界観を生む」と指摘します。

そして、機械論的な世界観の
暴力性について言及されます。

このことを教育に置き換えてみましょう。

教師の教え込みによる反応だけで
教育の成果を計ろうとする考え方があります。

注入型教育観、あるいは、
行動主義型教育観というものです。

ここでは、教師の「教え方」をどうすれば、
定着率が高まるかが焦点になります。

田原03


昨今のアクティブラーニングに関する
百家争鳴の議論を見ても、
未だに行動主義的学習観から
抜け出せないものが見られます。

それは、生徒の学びは教師の指導の
アウトカムに過ぎないという考え方です。

そんな考え方の教師は
「学習定着率を向上させるための手段」という
浅い文脈でしかアクティブラーニングを
捉えていないように思います。

本来は、粘菌の活動と同様、学習者は、
教師が発する問いかけや、説明などに呼応して
行動が決定されるだけではなく、
自分の中で「探索活動」も同時に起こるはずです。

教え込み、注入型の教育観は、
いわば、最適化を目指すための外的刺激による
機械論的世界観と同型であり、それによって、
学習者の、のびのびとした「探索活動」が
阻害されるという暴力性を
指摘することができるのではないか。

そんなことをイメージしていました。

田原さんは、最後に次のようにまとめ、
粘菌に学ぶ21世紀型の組織の在り方を提起します。

■ ゆらぎを押さえてフレーム内を安定化させ
  るよりも、ゆらぎを増幅してドラマを起こす。
  (ドラマ=予測できないこと、予想通りにい
  かないこと)
■ フレーム内でソリューションを求めるので
  はなく、フレーム外部のリソース、フレーム
  外部の知恵、フレーム外部からのコミットの
  存在を信じてビジョンや思いを発信すると、
  自分の射程に入っていないものが入ってく
  る。そしてイノベーションが生まれる。

田原04


田原理論には、「学び」に対するメッセージが
満ちあふれています。