1月最後の学校訪問

今日は、神奈川県立港北高校、
青森県立百石高校、そして宮古高校から、
総勢9名の訪問があり、8時半から17時まで
目一杯対応させていただきました。

百石高校からこられた英語の先生は、
何と、私が八戸西高校に勤務していた時の
同僚の先生でした。
そして、百石高校の校長先生は
八戸時代に大変お世話になった方です。

お二人とも若々しく、明るく爽やかで
才能あふれる方です。
当時のことを懐かしく思い出しました。

港北高校からいらっしゃった
宮本恵理子先生は、
アクティブラーニングについて
とても高い見識をお持ちの先生で、
観点別評価についての
貴重なアドバイスもいただきました。

尚、宮本先生は、
「先生熱血VOICE」
というサイトに登場されている、
スーパーティーチャーでもあります。

こちらをどうぞ→「先生熱血VOICE


授業参観のご案内や、
参加型授業についての説明など、
たっぷりと行わせていただきました。

では、本日参観した授業の様子を、ご覧下さい。

20150130-02.jpg
高橋先生の日本史の授業
ペアワークを縦横に行い、歴史を多角的に
理解するような教材の工夫をされている
素晴らしい授業でした。

20150130-03.jpg
玉田先生のSS英語の様子。
メディカルサイエンスについての
英語プレゼンテーションを行ってました。

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菊池先生の英語の授業。
ペアゲームを取り入れた読解の授業。
生徒がとても楽しそうに行っています。
菊池先生は育休代替の講師の先生。
62歳を過ぎて、「参加型授業」を行おうとする
姿勢に頭が下がります。見習いたいですね。

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藤原先生は、考査問題の予想問題を
作る授業。生徒はたくさんの素材を集めて
問題を作成しています。
この活動で、作題者の視点から
問題を俯瞰する力が培われます。
この後、ランダムに配布し、解答し、
作題者に戻して採点するという流れで進みます。
自然に、ディープなペアワークに繋がります。

20150130-07.jpg
音楽の授業では三味線の発表会。

全体の合奏後、何と、宮本先生が、乱入!

20150130-08.jpg
今日一日の、三高の授業の印象を、
英語でお話されました。
そして、三味線も披露!
生徒の目が輝いていました。

とてもアクティブな先生ですね。





 

東北SSH指定校発表会のサイト

1月24日・25日に行われた
平成26年度東北地区SSH指定校発表会の
報告サイトを急造ではありますが、
立ち上げてみました。

盛岡三高HPのドメイン内にありますが、
こちらのURLからダイレクトに行けます。

http://www2.iwate-ed.jp/mo3-h/ssh/ssh-tousoku/sshtohoku-index.html

東北地区の指定校が、それぞれ独自に
競い合うだけではなく、ネットワークを
つくることで、相乗効果が
生まれるのではないか。
ささやかですが、そのひとつの
きっかけになればと思い、作りました。


尚、東北大学の渡辺正夫先生のHPの
ダイアリにも、発表会の様子が
掲載されています。
こちらです。
 ↓
東北大学大学院生命科学研究科
植物生殖遺伝分野HP



 

進路選択についてちょっと思ったこと

この時期、高校3年生は、まさに出願シーズン。
慎重に進学先を考慮しているところと思います。

いろいろな業者が、出願状況を分析しています。

理高文低であること。
理系では工、農学系が増加し、理学系は減少。
グローバリズムの影響で
「国際」と名の付く学部の人気が高いこと・・・

このような動向を見て、
私はいくつか心にひっかかることがあります。

それは、大学とは学びを行う場というより、
よい進路先に進むための
準備の場なのだろうか、
学部の選択とは、
一時のトレンドを追いかけること
なのだろうか、ということです。

そして、何も生産せず、
社会への直接的な貢献が見えにくい、
文学、哲学や数学などを静かに
じっくり研究することは、社会の変化に
乗り遅れることなのだろうか、とも思いました。

大学の先生には怒られるかもしれませんが、
私は、大学とは所詮、
人が学習を行うための環境の一つに
過ぎないと思っています。

そしてその学習の意味は、
就職で有利になるためとか、
資格を得るためといった
プラクティカルなものではなく、
自分の人生を楽しく豊かに生き、
賢い市民として行動できる教養や、
価値観、批判力、倫理観などを
持つためのものであると思います。


有名大学に行ったからといって、
それで、良い就職先や、幸せな人生が
自動的に得られるのではないことは
当たり前で、
それを動機にして進路選びをすると、
本当にやりたいことが見えないまま
大人になってしまうのではないか
とも思います。


グローバリズムが叫ばれている中、
遅れてはならじと、
国際系の学部に出願する生徒より、
今、グローバリズムが謳われている
中だからこそ、
夏目漱石の研究をじっくりしてみたい
という生徒の方に、
私は、知性や頼もしさや、
もっと言えば、より国際性を感じます。

余談ですが、漱石の「三四郎」では、
列車の車中で出会った男が三四郎に
こんな話をするシーンがありました。

「熊本より東京は広い。
東京より日本は広い。日本より……」
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」


だったかな。

本校でも何度か講演をしていただいた、
人気キャリアカウンセラーの
工藤倫子先生は自身の生き方と重ねて、
「マイノリティ・ブルーオーシャン戦略」
ということをおっしゃっています。

これは、皆が殺到する場や、
大手の企業ではなく、
一見採算が取れそうにない
ニッチな市場に価値を見出す
という考え方です。

普通、非効率で儲からないことは、
人がやりたがらないし、
仕事に繋がるかどうかも分かりません。

しかし、そのような「いばらの道」を
歩むためには、頭を使って、
考えて行動するということが
必然として生まれるし、
骨は折れるけれど、
手間や時間や愛情を注ぐことで、
自信や、他人からの信頼、
そして新しい価値を生み出す
ことができるということです。

結果的に、安定や、親方日の丸を
目指す人より、深い考えと行動力を持ち、
ささやかなことにも達成感や
喜びを抱くような、豊かな心を持って
人生を送ることができると
ポジティブに考えることもできるわけですね。



人がいっぱいで混んでいる
トレンドの世界の中で淘汰されていくよりも、
空いている道にこそ、
それまで誰もが見つけることができなかった
Something があるかもしれません。

そう思うとワクワクしてきますね。
きっと、どんな進路を選んでも、
その人の心持ち一つで、
素晴らしい出会いとなるのでは
ないかと思います。

岩手山と道路
 

いろいろな縁で

今日から1週間、本校で
2人のスクールトレイニーの方が
研修を行います。

2人とも岩手大学の数学科の学生ですが、
来春から高校の教員として
晴れてデビューされる
新進気鋭の方々なのです。

今日は、2人に学校概況説明を行ったところ、
その1人、Kさんが、
この夏、岐阜県で行った
私の講座を聴いていたとのこと。

何と!彼は、自発的に、岐阜学園大で行った
私の講座(AMIサロン)に、わざわざ
参加して下さっていたのでした。

そういう意気込みがあれば、合格もするんだ、
と、少し嬉しい気持ちになりました。

数学も、教師も奥が深いですよ。
1週間の付き合いですが、よろしくお願いします。

 

「端末」という存在

今、学校や会社にあるパソコンは、
「端末」と呼ばれます。

つまり、パソコンは、その本体だけで
機能しているのではなく、
ネットワーク上の多くのパソコンが
背後に繋がっている存在です。

昔は、ネットに繋がっていない
パソコンのことを、
スタンドアロンと呼んでいましたね。

今や、パソコンに収められている
「知識」は、
その本体だけにあるのではなく、
世界中のパソコンと
共有されているということです。

これは、人間についても同じことが
言えるのではないでしょうか。

かつては、知識は、
教師という「正解」を持っている
絶対的存在が君臨し、
スタンドアロンである学習者
という存在にそれを注入していく
ということが、
「授業」という場でありました。

ここで、笑われるかもしれませんが、
「受験指導型」の教授パラダイムの
自転車モデルというものを考えてみました。

自転車a01
学習者が目指すゴールは、大学等の進路先。
学習・授業はその達成のために行われます。

自転車a02
ここで、「頭脳」はテストの成績を
上げるための知識・技能、
「ハンドル」は進路適性(文系・理系など)、
「ペダル漕ぎ」は努力と根性、
自転車の「前輪」を、教師の指示に従うか
どうかという尺度での性格や性質、
「後輪」を学習者の能力と定義しましょう。

自転車a03
教師が、学習者と進路先の間の
立ち位置にいて、
その距離を埋めるのが授業。
ペースメーカーとして模擬試験やドリル、
時に、報酬や叱責などで動機づけを行い、
進路実現に教師が主導的に進めていきます。

では、次に、本校の目指す
「参加型授業」の学習パラダイムの
構想例を自転車モデルで考えてみます。

自転車b01
学習者は、直近の進路目標だけでなく、
その先にある灯台(教育目標・目指す生徒像)
を見据えます。

自転車b02
「頭脳」は「思考・判断」「欠乏への気づき」、
「ハンドル」を「意欲・関心・態度」
としてみました。
そして、「自転車のスペック」を「知識・技能」
「ICT機器などの活用」とみなしたのは、
今や知識は「ググる」時代
でもあるという点に基づいています。

自転車b03
「ペダル漕ぎ」を「表現・外化」としますが、
このとき重要なのは、
並走する仲間の存在です。

彼らと協働し、
コミュニケーションを取ることで、
ペダル漕ぎは進められます。
教師は後ろにいて、
生徒の学習環境の設定に努め、
生徒に「追い風」を送ります。

つまり、教師も、ICT機器や、
友人とのネットワークなどと同様、
学習が行われる環境の
リソースの一つに過ぎないということです。

自転車b04
高校を修了した後に、
そこで培われた力は、
大学での共同研究を行ったり、
グローバル社会、共生社会を生きる
ための確かな学力になっていきます。

教師は、後方から、その全体像を
俯瞰できているところがポイントです。
教師は、生徒に学習の「環境」を
コーディネートするわけですね。

2つのモデルを比較したとき、
「頭脳」の部分の違いに
注目して欲しいと思います。
前者は「知識や技能」であるのに対し、
後者は「知識を構成すること」
という見方をしています。


昔は、たくさん知識をもっている人を
「頭がいい」といっていましたが、
今や個人は所詮膨大な知識体の端末
なのですから、
いくら知識を持っていても、
そこにそれほど価値はないわけです。


問題は、その無限にアクセス可能な
「知識」という集合体の、どの部分に
アクセスして、取り出し、並べるか。

そして、並べられた知識たちから、
それらをどのように構成して、
自分の考えを創りだすかというプロセスが
学習であるということだということです。

ここで、具体的に、今私が行っている活動を
冷静に見つめてみましょう。

私は、リクルートの江森さんの
フェイスブックにしばしばアクセスしています。
江森さんがクリップするトピックスが
とても面白く、私にアジャストする
話題が多いのです。

しかも、彼女は、私では決して
カバーできない国際的な視点を
持っておられます。
私にはとても気づかないこのような知識も、
SNSでの交流によって共有できます。

でも、そこでその記事を読んで、
一定の感想を抱くだけでは、
学習経験としては乏しいでしょう。


そこに陳列されている、原石の知識たちを、
私は再構成することで、自分の考えを持ち、
こうして一つのブログの記事に
仕上げたとすれば、
これは立派に学習の過程であると思うのです。

ブログを書くということは、
頭の中に散逸し、断片化されている知識に
関連付けを行い、新しい考えを捻りだし、
それを言語というツールで明らかにし、
更に発信するということ。

短い時間に行える、有効な頭の
トレーニング(ボケ防止!)
ではないかと思います。


 

「たまご」≡「まこと」

昨日、ヴィゴツキー研究の第一人者である、
柴田義松先生の「ヴィゴツキー入門」
を読んでいて、
ハタと膝を打ったことがありました。

それは、その中のピアジェについて
書かれている部分です。

ピアジェは、幼児の空間表象の特徴は
「ユークリッド的」ではなく、
「トポロジー(位相幾何学)的」
であることを見出しました。


という記述です。

これは、子どもの空間表象の
話ではありますが、
私は、これを読んで、
なぜか幼児の言語活動について
思いをはせました。

実は、私の娘が幼少の時、
「たまご」のことを「まこと」といっていました。

大人たちが、必死に「た・ま・ご」と教えても、
娘は、それをあざ笑うかのように、
満面笑みを浮かべながら

「ま・こ・と」と。

娘の中では「たまご」≡「まこと」なのですが、
これは、まさにユークリッド的な合同ではなく、
位相合同というべき解釈で
考えられるのではないかと思ったのです。

因みに、図形の合同には、

●普通にピッタリ重なり合う合同
 (ユークリッド的合同)
●正方形を平行四辺形に変形するような
 変換を許して重なる合同(アフィン合同)
●千切ったり、切断したりせず、
 引き延ばしたり縮めたりして重なる合同
 (位相合同)

があります。

例えば、正方形と円は、
ユークリッド的には非合同ですが、
位相幾何的には合同となります。

話しを戻しますが、
「たまご」も「まこと」も対応する
位置に注目したとき、
同じ文字は一つもありません。

しかし、なんとなくリズムが
似ていることもあり、
大人たちも、
「なるほど、『まこと』は『たまご』なんだ」
と妙に納得させられたという記憶があります。

もし、「たまご」が「たまも」とかいうんだったら、
これは「ご」が「も」に変わってしまった、
単一誤りが起きた、と、
論理的?に解釈して安心できるかもしれませんが。

それは、いわばユークリッド的解釈で、
大人たちにとっては腑に落ちる
誤りだと括られるでしょう。

しかし、幼児は、
そんなユークリッド的解釈ではなく、
「たまも」を「まこと」というように、
位相幾何的な概念で言語を獲得している
ということではないだろうか。
そう思い、なるほど、と膝を叩いたわけです。

私が尊敬して止まないジャズピアニストの
山下洋輔氏のエッセイに、
江戸っ子弁の話が出てきます。

粋でいなせな江戸っ子は、
「大工」は普通に「だいく」なんて
言ってられねえってんで、
当然「でーく」。

「たい」は「てー」。

「とーちゃんのためなら、えーんやこーらい」は
「てーちぇんのてめねれ、
えーんやけーれい」となる。

では、
「きつねうどん」はどうか。
山下洋輔氏によると、
「けてねえでん」でもいいが、
ここは酢豆腐的に変化して
「けたなはろん」でもよい、と述べている。

今回、その意味が初めてわかったような気がします。

「きつねうどん」≡「けたなはろん」

とするのは、まさに位相の世界での
合同ということなのですね。

芸術家は、時に幼児と
同じような発想をします。

天才山下洋輔ならではの
「けたなはろん」ではあります。

私たちは、幼児期の原始位相的な世界観を、
どんどん捨て去って、ユークリッド的な
「分別」をまとってしまったのかもしれません。

いわば、芸術家や天才になれなかった
我々大人たちは、心も身体も思考も
ユークリッド空間で考えていくしか
ないのでしょうね。

こんな馬鹿な話をして、
受けているのは一人私だけですね。
もしかしたら、井ノ口さんが受けてくれるかも・・・



 

2015学校訪問スタートにあたり

一昨日は、
北海道札幌旭丘高校から
2人の先生が訪問されました。
今年になって、学校訪問第一号です。

参加型授業について
説明をさせていただき、
授業参観を行ってもらいました。

アクティブラーニングを含め、
授業改善に非常に高い関心を持っておられ、
学校として、どうすれば組織的に
進めることができるかについて、
じっくりと話をすることができました。

組織的な推進という点では、
年配の先生をどうコミットさせるか
ということが、いつも話題になります。

それはそうかもしれませんが、
私は、それだけでなく、
もっと先生方が全国的なネットワークを
つくることを考えみては、
ということを思います。

学校訪問が、その日、一時だけで
終わってしまうことは
とてももったいないと思うのは
私だけでしょうか。

他県、他校との接点を、
線とし、面とするネットワークを
積極的につくるような
「脱・内向き」の姿勢を先生方が持つことで、
私は「学校訪問」が、
初めて有効なものとして
位置付けられると考えます。

学校訪問は、訪問する方も、
される方も、大きなチャンスの
場であると思います。

そのチャンスを活かし、
その関係を持続させていくことが大切です。
学校訪問が、ただの年中行事の
消化試合という形であれば
行う必要はないと私は思います。

意識の高い先生が、目的意識を持ち
学校訪問を行う。
そして、そこで得た関係を継続させる。
このような循環があってこそ、
様々な活動が前進すると思います。

そのようなためにこそ、
SNSの活用もあるはずだと思います。


 

参加型授業通信

盛岡三高のアクティブラーニング
である「参加型授業」

私は、今年度より不定期に
参加型授業通信を発行しています。

日常の授業を参観する中で、
職員全体に広く知らしめたい授業を
「注目授業」として取り上げながら、
授業改善のポイントを示すなどして、
研修資料として役立ていくことが、
発行の目的です。

通信は全職員に配布するとともに、
校内LAN上でも自由に閲覧できる
システムを構築しています。

さて、この度、
この「参加型授業通信」を
WEBページ上で公開し、
本校の取組みを広く
発信することとなりました。

まだ19号までの発行で、
もっともっと紹介したい
先生方の授業はありますが、
それはまた来年度につなげて
いきたいと思っています。

参加型授業通信は、
盛岡三高のホームページから
ご覧いただけます。
こちらです。

盛岡三高参加型授業通信


 

金子みすず童謡集

先日、学校に3冊の本が寄贈されました。
金子みすずさんの詩集です。

金子みすず


金子みすず記念館の館長の
矢崎節夫様からお手紙が添えられていて、
これまで、福島、宮城、岩手の
全ての小中学校に寄贈していたのですが、
今回は3県の高校にも届けたい
とのことが書かれていました。

3冊の本には、
栞が挟んであり、
それぞれに丁寧な手書きで
詩の一節が書かれています。

とても心が温まりました。

金子みすずさんの詩で
私が思い出すのは
震災時に繰り返しテレビから流れていた
「こだまでしょうか」や、
「みんな違ってみんないい」の
「私と小鳥と鈴と」です。

あらためて振り返ると、
彼女の詩の特徴は、
悲しみや、寂しさを、
そこで終わらせずに、
希望や喜びにかえる
という余韻をいつも表現している
ことに気づかされます。

震災の時、私たちが、
辛い生活の中、じっと力を溜めて、
でも、明日を見つめ、
互いに協力しあってきたことは、
金子みすずさんの世界観と
重なるものを感じます。

苦しみや辛さを
希望や喜びにかえるには、
心の強さがあるからだと思うのですが、
それは「やさしさ」から生み出される
ものではないかとも思いました。

金子みすずさんの詩集から、
「やさしさの力」のようなものを感じました。

そして、その精神を
このような形で伝えて下さっている
金子みすず記念館館長矢崎様の、
心ある、志の高い行動に、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。


蚕は繭に
はいります
きゅうくつそうな
あの繭に

けれど蚕は
うれしかろ
蝶々になって
飛べるのよ

人はお墓に
はいります
暗いさみしい
あの墓へ

そしていい子は
翅が生え
天使になって
飛べるのよ

(「繭とお墓」 矢崎節夫と読む金子みすず
第二童謡集「空とかあさま」より)


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう

「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう

こだまでしょうか
いいえ、誰でも

(「こだまでしょうか」 矢崎節夫と読む金子みすず
第三童謡集「さみしい王女」より)



 

「参加型講演会」

一昨日の14日、2年生を対象に、
JICA国際協力出前講座が行われました。
講師は、JICAから推薦された、
新(あたらし)江梨佳先生
という20代の女性です。

2011年から青年海外協力隊員として
マラウィ共和国に派遣され、
理数科教員として2年間活動、
現在は、ピコファクトリージャパン
という会社を起こされ、
フリーランスとして教育・科学・国際を軸に
講演やイベント企画などを
精力的に行っておられます。
また、気象予報士としても
ご活躍されている方です。

ダイナミックで、アクティブで、パワフルで、
素晴らしい講演会でした。

その様子を振り返ってみたいと思います。

講演会は14:00からでしたが、
その前に生徒と触れ合いたいとのことで、
午前中に来校されました。

そして、授業を参観され、
掃除中の生徒達にも積極的に声をかけて、
あっという間に生徒の輪の中に
入っていきました。

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ラボⅡの活動を参観。どの研究にも関心を持たれ、生徒との会話が弾んでいました。

講演の冒頭に
「聞くだけでなく、すべてを開いて、
吸収して楽しみましょう」
ということをお話されましたが、
まさにその通り。
90分間の
フルタイム・フルメンバー・フルアクティブの
「参加型授業」ならぬ、
「参加型講演」となりました。

まず、先生は、言葉だけでなく、
声、表情、身振りなどがとても豊かです。
アナ雪のエルサのパワーを出す
ポーズが何回も登場しましたね。

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非言語のコミュニケーションとして、
ノンバーバルコミュニケーション
という言葉がありますが、
言葉が通じない海外でも、
そうやって、現地の人々と「対話」
できるんだなあと膝を打ちました。

では、いくつか、
「参加型」の風景をご覧ください。

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机・椅子を撤去して、フロアに280人を
すし詰めの状態で臨場感を高めます。
マラウィでの授業は通常の40人規模の教室に
120人位入るとのこと。その体験でもあります。


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マイクを持ってどんどん生徒の中に入っていきます。

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現地の民族衣装を体験。1枚の長方形の布がスカートに。

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マラウィの生徒がブリキや廃材で作った、風力発電の装置を
現地から持ってきてくれました。それを、6人の生徒を使って再現します。


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圧巻!280人全員がどんどんステージに来て、現物に触れます。

江梨佳先生は、
高校での生物の授業で、
ある恩師との出会いが、
大学で生物学を専攻することに
繋がったと話されました。

その生物の先生から、
受験に出る生物の知識を教わったからではなく、
面白い科学の世界を見せてくれたこと、
興味をかきたててくれたことで、
生物学を勉強してみたいと思うようになった。
その先生のお蔭で、
知識がついたからじゃなく、
もっと続けてやってみたい
という気持ちが芽生えたことが、
大学に進む動機となり、
大学で研究し続ける原動力になった。


この言葉にはっと気づきました。
授業とは、学習者の
「行動(テストの点数などの成果)」
を変えることではなく、
「態度」を変容することである。
最近私が参加型授業を考えるときの
キーワードの一つです。

90分間の講演後そのまま帰らず、
生徒の有志達との懇談を希望されました。

十数人の生徒達と国際交流について
などの懇談を行ったのですが、
何と、16:20分から始めて終了は18:00過ぎ!

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100分近くも熱く、
そして楽しい時間を過ごしました。

丸一日学校にいて、
事前交流+講演+事後懇談
という形での講演会を行ったわけですが、
そのことによって、私達と、
深いところでのつながりが生まれました。

今回、江梨佳先生の講演を聴いて、
海外に行って活動しようと思う生徒が
生まれることは容易に予想をしていましたが、
実は、真っ先に、それは自分でした。

講演終了後、
今回の講演をプロデュースされた
熊谷彬衣さんが
会場にいらっしゃっていたので、
さっそく、シニアの海外ボランティアの
パンフをいただいたりしました。

そして、更に、夜は、先生方との
懇親会を、材木町の
ビアパブベアレンで盛り上がり
最後は盛楼閣で冷麺というフルコース。

凄いパワーですね。

この日は、一日、
「新 江梨佳」
というコンテンツを
丸ごと体験することで、
生徒だけでなく、
私自身とても大きなものをいただきました。

ありがとうございました。

 

リベラルアーツ

最近、高校教育においても
リベラルアーツという言葉を耳にします。

私は恥ずかしながら、
リベラルアーツについて、知識が乏しく
「文理融合」とか
「文系理系を超えた幅広い教養」
という程度の理解しかありませんでした。

ところで、先日、本校の3年生の大城さんが、
高校生文芸コンクールで
文部科学大臣賞を受賞した時に書かれていた
「受賞によせて」に次のような一文がありました。

「文芸作品とは、自然法則のようなもの
だと思うのです。
この世界に存在している
自然法則を解明しようという理学の姿勢は、
筆者が書き出した世界を紐解く
読者の姿勢と同じもののように感じるのです」


私はこれを読んでドキッとしました。
そして、もしかしたら、本校の目指すSSHや、
参加型授業のヒントになる言葉ではないか、
更にそれを、リベラルアーツという文脈で
まとめることができるのではないか、
などと思いました。

「受賞によせて」の文章はこちらの記事にあります→「文芸部授賞式

リベラルアーツの原義は
「人を自由にする学問」であり、
その起源は古代ギリシア、
プラトンにまで遡るといいます。

その原義を踏まえつつ述べるとすれば、
私は、リベラルアーツを
「哲学を持って生きるための素養」
としてみたいと思います。

ここで「哲学を持つ」とは、
事象を深く広く考え、他者との対話や、
省察によって価値観や批判力などを持つこと、
そしてそのことによって、
自分の人生を豊かに生き、
世界・社会に貢献する人間に
なることを意味する、
と捉えてみたいと思うのです。

例えば、古くから言われる「文武両道」は、
バランスよく物事を見る目を養い、
自分の価値観や、
人間関係までも形成していくという意味で、
まさにリベラルアーツではないかとも思います。

哲学を持って生きることは、
グローバル社会に生きる
人間の見識でもあると思います。

グローバル時代を生きる人間の
資質・能力として、
「グローバル人材育成会議」では、
以下のようなまとめがなされています。

① 語学力・コミュニケーション能力
② 主体性・協調性・柔軟性・チャレンジ精神など
③ 異文化理解と日本人としてのアイデンティティ

ここで、②③にあたる部分が、
哲学を持って生きるということであると思うし、
それはリベラルアーツによって育てられる
部分が大きいのではないかと思います。

「進路を早期決定すれば夢は叶う」として、
高校の早い段階で文系・理系に分類し、
大学入試にフォーカスした、
細分化された知識・技能を叩きこんでいく
授業を繰り返しても、
哲学は生まれないでしょう。
そもそも、哲学なき授業者による
哲学なき授業こそ問題です。

リベラルアーツを行うとき、
カリキュラム編成にメスを入れるだけではなく、
授業そのものの変革も
視野に入れるべきと思います。

つまり盛岡三高の「参加型授業」や、
全国の高校現場にも急速に広まりつつある
「アクティブラーニング」において、
リベラルアーツからの視点は重要です。

例えば、校種間接続型の授業や、
他教科とのコラボレーションなどの形態などが、
今後注目を浴びるのではないかと、
私は思っています。

そして、教師自身がフィロソフィーを持って
授業を行う視点が無い中での、
アクティブラーニングの推進は、
単に、メッソドやノウハウだけを
追い求めるものになってしまう
のではないかとも思います。


 

センター試験に臨む君へ

①練習はウソをつかない
勉強でも、部活動でも、
あるいはピアノなどの習い事でも、
共通していえることは
「練習はウソをつかない」
ということです。

練習すればしただけの
(それ以上でもそれ以下でもない)
結果が出る。

センター試験は、
いままで皆さんが行ってきた
練習の成果を出す場に他なりません。
平常心を保つには、
自分がこれまで行ってきた
「練習」を思い出してみることも
よいのではないでしょうか。

部活動でも、強豪といわれるチームは、
試合に臨むとき
「自信」に満ちたオーラを発します。
それは、それまでの練習を経験した
ことによって生み出されているものと思います。

皆さんも、このセンターに向けて
取り組んできたことを思い出してください。
数多くの模試を受け、
土日は課外に取り組み、
放課後教室に残って勉強を頑張ったこと、
年末年始にも学校に来て勉強したこと、
本番さながらの状態で受けたプレテスト・・・。
「練習はウソをつかない」
「やってきたことはやってきたなりの成果が出る」
ということを信じ、
自分が行ってきた練習の結果を
確認するために試験を受けているんだ
という気持ちで、
リラックスして臨んで欲しいと思います。

②プレッシャーの先にある希望
一生懸命頑張ってきた人でも、
「絶対いい結果を出したい」とか、
「だめだったらどうしよう」
という気持ちが強くなりすぎて、
アガってしまうこともある。
これは、スポーツの世界では
「勝ちびびり」といっています。
この勝ちびびりは、
勝ちたいと思う気持ちよりも
「負けたくない」という気持ちが
強いほどアガるらしい。

センター試験においても
同様のことがいえると思います。
「ダメだったらどうしよう」
というネガティブな気持ちを持ったり、
前の科目で失敗したことを
次の科目に引きずってしまうなど、
自分で自分にプレッシャーをかけて
悪循環に陥ることがないようにしよう。
大切なのはポジティブシンキングです。

囲碁の女流棋聖の梅沢由香里さんの著作
「プレッシャーに負けない」には
次のような一文があります。

「プレッシャーが生む緊張感。
でも得たいものがあるから緊張する。
その向こうには希望がまっている。
そう思えるようになってきたからでしょうか。
だんだん緊張するということは
その向こうに喜びがあるからなんだ
と思えるようになりました」



センター試験を受ける皆さん、
自信を持って、そして希望を持って
臨んでくださいね。


 

道徳教育・観点別評価をポジティブに捉える

教育は、嫌でもその時代を反映するもの。
それゆえ、学習指導要領は
ほぼ10年に1度改訂される。

しかし、だからといって教育は、
時の為政者によって
決められたものを
子どもに押し付けるものではない。

例えば、今、道徳教育の必要性が
盛んに謳われているが、
それは特定のイデオロギーを押し付けたり、
逆に排除したりということではない。

そういう国家主義的な教育の結果が、
戦争や紛争であることは論を待たない。

さて、新指導要領の改訂の中ででてきた、
道徳教育、あるいは県で言われている
観点別評価などについて、
私は前向きにとらえようと思っている。
それは、3.11の震災経験によるところが大きい。

東日本大震災津波では、
本県は、世界中の多くの人々からの
温かい援助を受けた。

世界の公用語はてっきり「数学」
だと思っていた私だが、
実は「愛」であり「絆」であると感じたものだ。

でも、その一方で、被災地や東北を蔑視、
差別するような発言や行動も見られ、
やるせない思いをしたこともある。

政治家やタレントの、
どさくさまぎれの売名行為的
パフォーマンスも鼻についた。

このような中で考えたことは、
我々が教師であるならば、
震災に遭った人、
震災の傍観者である人に対し、
教育の側からの復興をすること、
つまりそれは、人権を尊重し、
平和と民主主義を守り、
助け合いの精神を発揮すること、

そして論理的に物事をとらえ、
健全な批判力養うこと・・・
などの必要性である。

大上段に振りかぶるわけではないが、
授業をすることは、
教師の単なる飯のタネではなく、
そういう崇高な使命を果たす役割を
担っているという自覚も、
時には想起する必要もあると思う。

そんな崇高な使命を果たすべき教師が、
自分の都合に合わせて、
問題演習やドリルばかりの授業を繰り返すとか、
課題の提出率に命をかけて
暴君のようにふるまうこととか、
模試の偏差値を脈拍数と心拍数に見立てた
授業でしが生徒をひっぱれないとか、

などという薄っぺらな姿勢では
教育からの復興支援なんて
果たせないのではないかと思う。

今我々に必要なのは、
例えば数学であれば、それを通して、
生徒に、物事を論理的に考え、判断し、
批判できる力を身につけさせること、
その教科の楽しさを伝えること、
生徒と向き合って、
彼らの創造性を高めるために、
授業の質を高める姿勢を持つこと、
などではないか。

だから、観点別評価でも、
授業における道徳教育についても、
そんな力をつけるためにあると、
ポジティブに捉えたい。

だって、教師が萎えていれば、
次世代を担う子ども達をつくりだす
なんてことはできないのだから。


 

憧れのレコード紹介

少し書き物の仕事をしながら、
レコードタイム。

仕事に疲れたので、
レコード紹介など書いてみたいと思います。

実は、ジャズ評論家は私の夢でしたので・・・


昔買ったレコードを
しばらくぶりに聴くのは珠玉の時間ですね。

dialogue.jpg
「ダイアログ」
スラムスチュアート&バッキーピザレリ

ベースとギターのデュオフォーマット
によるアルバムで、
1978年の録音だと思われますが、
技術的な処理を行わず、
殆ど一発セッションで
収録されたらしいです。
以心伝心の、
大人のリラックスした雰囲気が伝わります。

スラムスチュアートというと、
「オクターブユニゾン」と呼ばれる、
アルコ(弓弾き)と同時に、
スキャットでユニゾンするという
技法で有名です。
それゆえ「歌うベーシスト」とも言われます。
当意即妙に、
さらりと他の曲を引用するなど、
思わずニヤリとさせる
ユーモアのセンスも好きです。

カーネギーホールでの
ライオネルハンプトンオールスターズでの名盤、
スターダストでのオクターブユニゾンは最高です。
この「ダイアログ」では、
スイングしながら、2人がベースとギターで、
ユーモアで知的な会話を
交わしているように思います。

リラックスといえば、このアルバムは大好きです。

opus in swing
オパス・イン・スイング/フランクウェス&ケニーバレル

1956年の録音で、
当時新人のギタリストのケニーバレル
をフィーチャーしたアルバム。
メンバーは、
フランクウェス(fl)ケニーバレルに、
何と、カウントベイシーオーケストラの
フレディグリーンがバッキングに入って、
あのカッティングギターで
リズムをとっているのが泣かせます。

ピアノレスですが、
室内楽的なミディアムテンポの
演奏に癒されます。

なおベースは、
やはりカウントベイシー楽団のエディジョーンズ。
ドラムのケニークラークは
全曲ブラシでの演奏で、
リラックスムードを引き立てています。

時々、棚から古いレコードを取り出して
選曲自分、聴衆自分、解説自分
という、一人レコードコンサートもいいもんだ。


 

月下独酌

昨日の記事で紹介した
「数学教室」についてですが、
安野光雅先生連載の
「忙中閑語」が終了していました。

安野氏は日本を代表する画家、
絵本作家でありますが、
数学・科学にも造詣が深く、
また交友関係も広く、
私は学生時代
「数学セミナー」(日本評論社)
に連載していた氏の「算私語録」の
大ファンでした。

「数学教室」に連載の「忙中閑語」は
その雰囲気があって、
いつも楽しく読ませていただいていました。

安野光雅先生の数学絵本シリーズは、
高校生にも読ませたいですね。

安野光雅絵本01
美しい数学シリーズ(全6巻)/画:安野光雅 文:野崎昭弘・森毅

上の2冊は、絵本とはいっても、
友人である森毅氏、野崎昭弘氏という
格別の数学者との共著なので、
実は組合せ論や論理に関する
堂々たる数学書でもあります。

巻末に大人向けの解説もついています。
尚、安野氏の絵本では、
「はじめてであうすうがくの絵本1~3」
(福音館)もお薦めです。

日本にはこんなに凄い本があるのに、
学校で先生方もあまり取り上げないのは
本当にもったいないことです。



さて、その「忙中閑語」に変わってスタートした
新連載が、
数学教育協議会現委員長である、
我らが伊藤潤一先生の「月下独酌」。

タイトルといい、文章校正といい、
「忙中閑語」のオマージュになっていて、
思わず微笑んでしまいます。

しかも、安野先生の後に、
いい度胸!(笑)にも、
洒脱な文章に添えて、
ネコ仙人などお馴染みキャラクタの
イラストの挿絵も。

nekosennnin2015.jpg


今回は、何と、
お孫さんの手による
ジュウガスキザウルスの絵もありました。

jyuzaurusu.jpg

画家デビューを果たしたようです!


楽しく読ませていただきました。

「月下独酌」。
また数学教室を読む楽しみが増えました。



 

数学教室2月号

「数学教室」2月号が届きました。
私の連載「数学という名の自由の翼」
も11回目を数えました。

数学教室2月号


今回は、先月に続いて、偏差値の話です。

偏差値という統計手法には罪はないけれど
それを金科玉条にして行われる教育に
問題がある、

という視点で書かせていただきました。

ところで、
最近の話ですが、東大を受験する生徒の
添削を受け持っていたところ、

数学の問題が解ける以前に、解答の
書き方が全くできていませんでした。

担当の先生に、
この解答の作り方を根本的に直さないと
まずいよ、という話をすると、

その先生は、
「えっ、でも模試の偏差値は60あるので
だいじょうぶじゃないですか」

とおっしゃる。

そこで、私は、なるほど偏差値は罪だなあと
思いました。

なぜなら、偏差値が60というその模試は、
東大オープンや東大実践などでしたので、

彼の偏差値は60とはいっても
実際の得点は100点満点中の30点を
切っているのですね。

数学の問題を解く技能が無くても、
周りの生徒がもっとできていなければ、
それでよしとするのが
偏差値信仰の問題ですね。

偏差値ばかり追い求めると、
教科の内容がわかることよりも、
人に勝つか負けるかだけを基準に
勉強するようになるのではないかと
不安を覚えるのは、私だけでしょうか。

 

純愛ラプソディ

昨年の緑丘プレ(大学出前講座)で、
弘前大学人文学部准教授の
羽渕一代先生の
「恋愛の社会学」という講座は
とても興味深いものがありました。

その中で、羽渕先生の
「純愛は年齢に依存しない」
という言葉にドキッとしました。
そして、なぜか
少し嬉しい気持ちになりました

先日、ちょっとした集まりがあって、
その話を持ち出したところ、
ある若い先生から、
最近、定年退職した先生が、
ストーカーになっている例が多い
との話がされました。

彼によると、その理由は、
これまで、真面目一筋、禁欲、厳格に
教育を行ってきた人間が、
そこから解放されたとき、
自分をコントロールし、
上手に異性と付き合うことが
できないのだそうです。

くわばら くわばら。


ところで、先日、
教員をリタイアした方が、
セカンドキャリアで、
ある仕事に就いたけれど、
「年下のヤツに頭を下げるのが嫌で辞めた」
ということを言われていました。

教員を退職した人にこのような方は
結構いると思います。

そして、そのメンタリティは、
先ほど述べた
「自分をコントロールし
上手に異性と付き合うことができない」
タイプと重なります。

彼らの特性を、
歯を食いしばりながら分析してみましょう。

①上から目線で一方的に「指導・注入」型の
 授業を行ってきたことによって染みついた
 自分中心の世界観。
 命令されることが嫌い。
 根拠なく自分が一番と思っている。
 女性や年下を蔑視する。

②生徒が「先生、先生」とすり寄ってくる
 経験をしているので、
 生徒はいつも自分に注目しているという、
 大いなる勘違いをしている。
 実際に、テストや入試などが
 無くなると同時にその「権利」は
 失われているのに、
 そのことに気づかない。(ある意味幸せ?)

③学校という、世の中の常識が通用しにくい
 閉じた世界にいるために培われた
 歪んだコミュニケーション。
 例えば、相手を立てる、人の話を聞くではなく、
 自慢話や、一方的に自分の話ばかりするなど。
 そして、ビジネスマンや、
 一般の主婦の方と話をはずませる
 ような話題や会話力に乏しい。

なんだか書いていて気持ち悪くなってきたぞ。
きっと自分にもそういう一面があるからですね。
同年代の皆さん、気をつけましょうね。


女性に対しても、いざ自分より
能力が優れていることがわかったり、
上司であったりすると、
とたんに嫌な顔をする男性もいます。


でも今や、
特に学校現場など教育のフィールドは
年功序列の世界ではないし、
男性優位の状況でもありません。

最近は、社会構成型の学習システムが
進展する中、授業において、
コーチングやカウンセリングのスキルが
必須なので、
一方的に、支配するような
上から目線の授業をしているようでは
最早務まらないのが現状です。

また、生徒との信頼関係や、
生徒への安心感を与えるという点では、
年配教師は、残念ながら、若い教師や
女性にかなわない部分もあります。

そういう状況を機敏に察知し、
若い人や女性、
あるいは他業種の方に
頭を下げて学ぶ姿勢がなければ、
我々のセカンドキャリアはないと
断言できます。

今、政界や産業界において
女性の登用が叫ばれますが、
教育現場でこそそれは必要ですし、
しかもそういうリソースは
いくらでも整っていると思います。

私は、期せずして、教育行政の仕事を
2年ほどしていましたが、
自分より年下の女性が上司でした。
中学高校では、先輩面していたのに、
年月を経て後輩が上司になってしまう
という逆転現象は民間では
もっと普通にありますよね。

その上司はとても有能で、
人柄も爽やかで、フレンドリーな方で、
私はとても尊敬していましたし、
教育行政というフィールドでは
私は初心者以外の
何者でもなかったので、
とにかく一生懸命教えを乞い、
ご指導いただきました。

一方、自分が取り組んでいる業務は、
役職に依存するものではなく、
自負もあり、堂々と提示してきたので、
不遜な言い方かもしれませんが、
きっと、その上司も私の取組みから
いろいろなことを学んだと思います。

こと「学び」においては、
それが役職とか職域とかに依存して、
一方的に「命令」「注入」の形で
行われるのではなく、
フラットな関係の中でこそ、
互いをリスペクトした、
より高次なレベルでの
「学びあい」が成立するはずです。
そうです。それは授業と同じです。

私は、ここ数年、授業づくりや
カリキュラム編成、キャリア教育、
などにおいて、様々な講師の方を
お呼びしてきましたが、
振り返ってみると、その多くは女性で、
かつ私より若い方がほとんどでした。
別に私はフェミニストではないので、
敢えて女性を選んだのではなく、
本質を語る人、生徒の視点でものを見る人、
尊敬すべき生き方と連動している人、
などの規準で人選していったら、
たまたまその方が女性であった
ということに過ぎません。

そして、そうやって
自分の目で選んだ方々は、
間違いなく生徒にアジャストして、
いい結果が引き出されています。

今、私には様々なジャンルでの
「師」が男女問わずおりますが、
彼らの殆どが自分より若く、
そして有能です。

そういう人とつながりを持ったり、
そう人たちに囲まれることは
幸せなことですね。
そのような方々が、
私のような存在も大切に思ってくれ、
真剣に接してくださるだけで、
感謝しなければなりません。


教育とは、自分を追い抜く生徒を
育てることである。
年月を経て、教え子や、
若い人たちに追い抜かれ、
時に先生と生徒の立場が逆転すること。

彼らを「我が師」として尊敬すること。
これは、むしろ、年をとることで
得る特権ではないかと思います。


「純愛」の話から遠のいてしまいました。

女性や、若い人に対して敬意を払い、
感謝し尊敬すること。
それが十分「純愛」。

そこから更に、
過度な「妄想」にエスカレートすると、
倒錯してストーカーになってしまう
かもしれないので要注意ですよ!

でも、それを心に秘めつつ、
社会に迷惑をかけずに生きる道も
老後の「純愛」の形なのかもしれませんが。

 

参加型授業の理論武装

今年の冬休みは、
ラフランス温泉と、
ふれあいランドに行く以外は、
ほぼ家にいるので、
本も結構読むことができました。

2月12日の発表会で
参加型授業のレポートを書くために、
いろいろな方面の本を読んでいます。

アクティブラーニングは、
何といっても溝上慎一先生の
「アクティブラーニングと
教授学習パラダイムの転換」(東信堂)
にとどめをさします。

これは、アクティブラーニングを
進める立場の管理職や
教育行政の人たちは必読ですね。

本当は、誰にも教えないで
自分だけの秘密にしておきたかったけれど。

なんてね。

今読んでいるのは、

「21世紀型スキル」(P.グリフィン他)
「現代青年期の心理学」(溝上慎一)
「パフォーマンス評価」(松下佳代)
「カリキュラムマネジメント」(田村知子)
「理解をもたらすカリキュラム設計」(ウィギンス&マクタイ)

PA0_0930.jpg


これらを読み終えたら、
社会構成主義的学習論の本に移る予定です。

ウィギンス&マクタイは読み終えるのは
相当時間がかかりそうですが・・・

参加型授業を語ろうとすると、
評価、カリマネ、キャリア教育、
カウンセリング、コーチング、
心理学まで網羅しなければ、
薄っぺらいものになってしまうと思い、
勉強しています。
勉強するほど、深く、そして面白い。

でも、本を読めば読むほど、
自分には能力がないなあと思うばかりです。

そして、文科省や中教審から出される提言や、
最新理論的なものを読めば、
何となく、ピアジェやヴィゴツキーなどの本に
戻ってみたくなるような気もします。
プラトンとかも。

今、この頭で、大学に戻ったら、
教育心理とか、勉強するだろうなあ。

大学時代には、価値がわからず
ネコに小判でしたから。


 

センター試験⑦

センター試験シリーズ、
昨日は、
差の式と関数の組み換え
についての話をしました。

今回はそれに関連して、
放物線と接線の定番問題
に触れてみたいと思います。

センター試験には、
次に示すような2つのタイプの
放物線と接線に関する問題が
しばしば登場します。

センター差の式12

【1】【2】を並べてみせて
その類似性を示すだけでは、
概念の理解には到達しません。

次の【3】のような差の式によって
関数を組み替えてみることで
統一的に見通すことができ、
応用力が育つと思います。

センター差の式13



 

センター試験⑥

センター試験シリーズ第6回目

たまには、受験生のための
プラクティカルな話をしたいと思います。

一昨年度のセンター試験の
微積分の問題をとりあげてみましょう。

センター差の式01

Pにおける「値」と
「接線の傾き」を比較する
共通接線の定番問題ですね。

センター差の式02

さて、ここで、DのPにおける接線を
微分を経由せずに
求める方法で解いてみましょう。

センター差の式11

ポイントは※印部分の変形です。

一般に、2次関数

センター差の式06

の、x=α における接線の方程式は

センター差の式07

となるのですが、
ここで述べたいのは、
そのような裏技的準公式を
覚えるということではありません。

ポイントは
「差の式による関数の組み換え」
です。

この考えを理解していれば、
センター試験ではかなり大きな
アドバンテージに
なるのではないかと思います。

例えば、

センター差の式08

の、x=3 における接線の方程式が、
なぜ、

センター差の式09

としてよいかは、
次のようにして生徒に説明し、
納得させます。

センター差の式03

このアイデアが理解できれば、
放物線と接線で作られる図形の面積は、
以下のように解くことができます。

センター差の式04

上の方法は、
それぞれのグラフと
x 軸と囲まれた部分の面積の
差分とは逆に、先に差の関数
を作って、その組み替えた関数と
x 軸で囲まれる図形の面積を
求めているということです
(定積分の線形性が効いている)。


センター差の式05
上図は組み替えた関数





 

学びの設計書と俯瞰力

京都大学では、来年度(28年度)から
「高大接続型京大方式特色入試」
が実施されます。

つい先日、
平成28年度京都大学特色入試
選抜要項の「予告」
がリリースされました。

それを読んで目についたのは、
提出書類にある
「学びの設計書」という言葉です。

「予告」には次のように書かれています。

高大接続を重んじるという観点から、
高等学校での学修における行動や
成果を丁寧に評価するため、
「調査書」に加え高等学校長等の作成する
「学業活動報告書」や「推薦書」を
提出していただきます。
そこには、出願者の高等学校在学中の
顕著な活動歴を記していただき、
志願者が受験科目以外にどういったことを
学んできたか、どういった活動を
実践してきたかを見ます。
さらに、志願者が作成する
「学びの設計書」等をもとに、
高等学校での活動内容から
本学において何を学びたいのか、
卒業後どういった仕事に就きたいのか
といった、志願者自らの学ぶ意欲や
志について書類審査を通じて評価します。

(平成28年度京都大学特色入試選抜要項の「予告」より抜粋)

話しは変わりますが、
以前、歴史音痴の私が、一念発起して、
歴史の学び直しをしようと
思ったことがありました。
書店である本を手にしたところ、
その扉にこんな言葉が書かれていました。

「歴史とは、過去がどうして
現在の状況になったか、
そして現在がどう未来につながるかを
考える学問である」

この言葉には唸りました。
目から鱗が落ちましたね。

歴史って、関数のことだったんだ! 
などと思ったものでした。

さて、話を京大の入試に戻します。

これまで学んできたことで今がある、
それを振り返るのが「学業活動報告書」。
そして、その「今」を踏まえて、
どう未来を設計するかを記すのが
「学びの設計書」なのですね。

私はこれを、将来のための
微分方程式を作ること、
と勝手にイメージしてしまいました。

そして、微分方程式を解いて
解曲線を描画することが、
人生を生きるということだ!

話しがまた脱線しましたが、
もう一つ京大の「予告」に
再三記述されている言葉があります。

それは、「俯瞰力」という言葉です。

「予告」の、
「京都大学特色入試を始めるにあたって」
の冒頭には

「幅広い豊かな教養力・俯瞰力、外国語運用力、
優れた専門力」の育成が謳われています。

また、京都大学が入学生に求める学力
として以下の3点が明記されています。

1.高等学校の教育課程の
 教科・科目の修得により培われる
 分析力と俯瞰力
2.高等学校の教育課程の
 教科・科目で修得した内容を
 活用する力
3.外国語運用能力を含む
 コミュニケーションに関する力


現在の学習指導要領において、
活用力の育成が
強く言われていますが、
この俯瞰力もキーワードとして
広がっていきそうです。

さて、またまた話は変わりますが、
というか、
実はここからが本題なのですが

私は、昨年から新年に、
「昨年までやってきたことリスト」を作り、
それを基に
「今年これからやるぞリスト」
というものを作っています。

これは、まさに「学びの報告書」と
「学びの設計書」ではないか!

なんてね。

私は、それをひたすら文章で
連ねていくのではなく、
俯瞰図を作るという観点で
作ることにしています。

そうすることによって、
繋がり(リレーション)を意識したり、
ひらめきが生まれたりするのです。

では、昨日頑張って作った
私の「2014年やってきたリスト」
を紹介します。

2014やったことリスト

今年は、たくさんの出会いがあったので、
裏面に「2014年出会いのMAP」
というものも作ってみました。

出会いのマップ

カミさんに見せたら、あきれていましたけれど・・・

以上、
「学びの報告書」
「学びの設計書」
そして「俯瞰力」

についての話でした。

長々と失礼しました。



 

一人の時間も大切だ

今日から
「ふれあいランド岩手」がオープン。

初走りをしました。
といっても、トレッドミルで
高々4km程度ですが。

でも、こうして1人ジムにいる時間は
とても貴重です。

ジムに通うということの理由は、
もちろん、体力を向上(維持?)
させるためでしょう。

でも、もう一つ、
メンタルな見方もあります。
それは、一人を楽しむ
一人の時間を生きる、ということです。
少なくとも私はそうです。

一人で黙々とストレッチしたり、
走ったりするという行為は、
大袈裟にいうと、
人間がコミュニケーションから解放され、
自分を整理し直す時間として、
実は「コミュニケーションをとることと
同じくらい」大切だと思うのです。

私たちは、授業において、
生徒どうしの教えあいや
グループディスカッションなど、
コミュニケーションをとることの
重要性を訴えます。
それは確かにその通りです。

実は、ここから山形大の
井ノ口先生の受け売りなのですが、
哲学者の和辻哲郎
「人間の学としての倫理学」によれば、

人間とは、人に間柄を伴ったもの、
つまり、「人間」とはそもそも、
デフォルトとして、
コミュニティなり、
リレーションシップが
コミになっている存在であるとのことです。

非常に卓見であり、
それは、本校の参加型授業の理念を
後押ししてくれる理論であるとも思いました。

しかし、であればこそ、
人間は、一人になって、考えを整理し、
その上で、他と繋がっていく
という循環が必要ではないかと思います。

学習について言えば、
教師の講義や、他との協働などで
得た知識や理解を、
まず一人で咀嚼し、
自分の軸を作り出すプロセスを経た後に、
外化していくことが
実はアクティブな学びの
形態ではないかと思うのです。

まあ、こうして、このブログを
書いていることが、
そもそもそういう活動なのですが。


 

岩手県教育研究発表会

昨日に引き続きまして
もう一つお知らせとご案内です。

2月12日(木)・13日(金)の
2日間にわたり、

花巻温泉、岩手県立総合教育センター、
岩手県立生涯学習推進センター
の3会場において、
岩手県教育研究発表会が行われます。

小中高他から1000人近くの
参加の下で行われる、
県内で最も大規模な研究発表会です。

今回、この会に、
本校の参加型授業の実践を
大々的に発表することになりました。

2月12日(木)の午後には、
今年新たに設置された、特設分科会1
「学力保障のための事業改善の推進」
において、私が、
本校の実践報告をいたします。

そして、翌13日の午前中は、
SD総合(総合的な学習)を
中心的に担ってきた、高屋恵理先生が、
総合的な学習の分科会において、

「課題解決に主体的に取り組む
生徒の育成を目指す実践」
~震災からの復興をテーマにした
総合的な学習の時間の取組みから~

というテーマで発表を行います。

そして、13日の午後には、
地歴公民分科会で、斎藤信太朗先生が、
高校世界史における歴史的思考力の
育成を目指す指導方法の研究
~アクティブラーニングの手法や
発問の工夫を通じて~

というテーマで発表します。

同一の学校から、3人が、
しかも「参加型授業」というテーマに
根ざした発表を行うのは
非常に珍しいことだと思います。
(実は、三高籍で、現在センター
長期研修生の小松原先生も発表いたします)


県内外問わず、
多数の(特に高校、そして県外から)
参加いただければありがたいです。

若い2人の先生方は非常に充実した
レポートを作成しておりましたので、
それを貰うだけでも意味があると思います。

大会要項は次のページからご覧ください

岩手県総合教育センター
岩手県教育研究発表会のページ


タイムテーブル



 

春の全国集会のご案内

ご案内です。
数学教育協議会
第8回春の全国研究集会が
2月1日(日)
盛岡白百合学園小学校中学高等学校
で開催されます。

全国の優れた実践家が
多数集まる
算数・数学の楽しい研究集会です。

見どころは、
9:00~10:00の
算数・数学おもちゃ箱と教具展、

そして、岩手の若手教員のホープで、
教具づくりの天才でもある
佐藤竜介先生(宮古高校)が、
白百合学園の生徒を相手に
公開授業を行います!

開催要項はここをクリックしてください
開催要項

またとない機会ですので、
小中校の学校の先生だけでなく、
保護者や大学生の方々や、
算数・数学教育に関心のある
市民の皆様も、
是非足を運んでみて下さい。
楽しみましょう!

申込みは当日受付ですが、
メールかFacebook
ご一報いただければありがたいです。

simon@mvh.biglobe.ne.jp



尚、参加費は2000円(学生1000円)です。
 

新年早々

今朝は、とても「しばれる」一日でしたが、
新年初のジョギングを行いました。

そして、近所の蜂神社に初詣。

蜂神社20150103-02

蜂神社の手前に来たら
凄い数の雀が群れていました。
見ると、そこは精米所で、もみ殻の山に
集まっていたのでした。

雀20150103

雀20150103-02

なぜか、一斉に、木の上にとまり、
一気にもみ殻の山に下りる
という行為を何度も繰り返していました。

最初はカラスも混ざっていたのですが、
雀がこの行動を繰り返すうちに、
カラスはいなくなってしまいました。

これは、雀の群れによる
威嚇行動だったのでしょうか。

これを見て、
スイミーという話を思い出しました。
もしかすると、
雀の群れの中心に
黄色い雀がいたのかもしれません。
(まさか)

もみ殻に、酒を混ぜておけば、
雀たちが酔っぱらって、
ふらふらしたところを
一網打尽にできる
などということも思い浮かびました。

それは、桂枝雀の「鷺取り」ですね(笑)


新年早々
面白いものを見てしまいました。

 

センター試験⑤

今回は、三角関数の問題について
取り上げてみたいと思います。
私が2年前、
初任者研修の講座を担当していた時、
初任者に次の問題を
解いてもらったことがあります。

sin3θ=cos2θ を満たすθを求めよ
ただし、0°≦θ≦30°とする。


すると、案の定、初任者10人が全員、
次のように解いたのです。

<初任者の答案>

三角関数01

一番よくできていた人で、
上のような答案でした。

感心したのは、
皆さん三倍角の公式は
しっかり覚えているんですね・・・(笑)


さて、この問題における私の意図は、
弧度法を使っていないことからもわかるように、
そんな三角関数の公式による
代数計算ではなく、
三角比として図形的にこの問題を眺める
ということです。

<私の期待していた解答>

三角関数03

公式にあてはめていくような
代数計算手法は、
いわば意味を捨てて
「手の運動」だけで解く世界です。
それは一つの数学の良さ
であるかもしれません。

しかし、数学教師として、
意味や概念をないがしろにし、
解法パターンだけ
頭に入れればよいというのは、
受験生に勉強を教える
学生アルバイトと何ら変わりません。

では、先ほどの問題を
次のように三角関数の問題にして、
私の解答を示します。

sin3θ=cos2θ を満たすθを求めよ

<私の解答>

三角関数02

上のタイプの問題は、
ここ数年センター試験に
しつこく登場しています。
単位円で三角比をとらえていれば
何てことのない問題です。

しかし、特に岩手県では、
この手の問題は
相当にできが悪いのが現実です。

私は、多くの学校で
数学教員の授業を参観しましたが、
数学Ⅰの鈍角の三角比を定義する場面で、

①「直角三角形の辺の比から
 定義された三角比が」
②「単位円上の座標と
 同一視できることを確認し」
③「その定義に従えば
 自然に鈍角の三角比を定義できる」

という「まっとうな」方向で再定義する
教師が少ないことに愕然としました。

ひどいのは、下図のような
「sct法(と私は呼んでいる)」を、
鈍角はおろか、
三角関数にまで刷り込んでいく
指導をしている教師も見かけます。

三角関数04

つまり、すべて、
上の構図をあてはめることと、
特殊角(有名角)の三角比だけ
覚えれば問題は解けるというのです。

これでは、円運動と
三角関数の関係どころか、
三角関数の概念や
意味が伝わるとはとうてい思えません。

「sct法+特殊角の三角比+一連の公式」
という態度で三角関数を教える教師は

数学=試験に出る問題だけ
   解ければよい


と思っているような気がします。

だからこそ、センター試験にはしつこく

sin△=sin▼ 
cos●=cos◎ 
sin■=cos★

というタイプの方程式が
出題され、sct法で呪縛された
生徒達はいつまでも
同じ過ちを繰り返すのでしょう。



 

センター試験④

センター試験も目前になってきましたね。
これまで、何度かセンター試験の
話をしてきましたが、
私がこれまで述べてきたことは、
現在のセンター試験の作題は、
解く技能だけでなく、
読解力を見ようという形になっている
ということに、
もっと着目すべきであるということです。

そして、解法パターンを
たくさん覚えることだけが
数学の力ではなく、
与えられている問題の文脈から、
解法の流れに乗っていける力、
すなわち思考力と判断力を
身につけて欲しいというメッセージが、
センター試験の問題から
発信されているように思うのです。

従って、そのような力をつけるには
「~を見たら~のパターン」という、
分解練習と技能偏重型の
問題演習だけでは
限界があるということです。

例えば、センター試験にありがちな、
次のような問題を作ってみました。

センター試験平方完成

この問題は、

「~と変形できる『ので』」

に注目すべきです。
「ので」という接続助詞(かな?)は、
以下に記述される事象の原因や理由、
根拠などを表すものですから、
当然、直前に変形された式に
答えを導くカギがあると考えるわけですね。

そこで、
グラフがx軸と異なる2点で交わる
⇒頂点のy座標<0
とつなげていくわけです。

これが文脈判断による解答です。

一方、
「異なる2つの実数解を持つ」
という文言に着目し、
「それが出たら 判別式>0」
と反応して解いていくのが、
パターン分解型の解法
といえると思います。

これは、せっかく平方完成した
流れを無視した解答ですね。

もちろん、様々な公式や解法パターンを
マスターしておくことは大切ですが、
しかし、それは万能ではありません。

センター試験では、
このようなパターンを、
引き出しから取り出しさえすれば
片付くものではなく、
読解して文脈から様々な判断して、
解決に向かえるような
練られた問題が作られています。

そして、それは、
恐らく数学固有の話ではなく、
すべての科目について
言えることではないかと思います。

 

初セッション

大晦日は、娘夫婦と、
元旦は、実家で家族親族と、
そして今日は息子夫婦と。

だいたい昔は、飲むと、
ギター友達とブルースの
セッションになります。

今日は、
息子とギター&ベースで
ブルースなど
セッションして
気持ちよく過ごしております。

正月ですからね

 

年末年始学習会

元旦の新聞記事に、
大晦日に盛岡三高で行われた
自学自習会の様子が
大きな写真とともに紹介されていました。

今は、ほとんどの学校で
年末年始にかけて、
3学年の先生方が
自発的に校舎を開放し、
生徒に学習の場を提供しています。

以前勤務していた学校では、
このような自学自習会は、
他の生徒と話をしたり、
先生に質問をすることを許さず、
厳しく時間管理をしながら
(遅刻は許さない、
チャイムを鳴らしながら
自学時間と休息を一律・一斉に行うなど)、
教室に整然と着席して、
あくまで一人黙々と行う
というスタイルで行われていました。

そして、結構そのスタイルが
効果的だということで、
他の学校に伝わっていったように思います。

そんな中、本校はその点実に緩く、
時間配分は各自のペースにまかされ、
時に職員室に質問に来たり、
生徒同士で相談しあったりもOKです。

登校時間も決められていますが、
出入りもわりと自由な雰囲気があります。

つまり、あくまでこの自学自習会は、
そこにある種の劇的な効果を
期待して行っているというより、
単に学習場所の提供ということに
徹しているのが本校の特徴かと思います。

こうして正月から学校に集まって
勉強する意味を
「大晦日も正月も関係なく一刻を大事に、
わき目を振らずに勉強する体験」
という、ある種の悲壮感を伴った
ガンバリズムに求めるより、
生徒をエンカレッジするための
学習環境を提供することにすぎない
とするこのシステムに私は賛成です。

もちろん、時には、
徹底的に黙々と頑張ることは大切です。
しかし、それが、
他から強制される中でしか行えない
というのは少しレベルが低い
考え方だと思います。

授業でも、教師の余談的話題や、
発展的内容が始まると、
とたんにテストと関係ないからと
顔をしかめたりする生徒や、
家庭学習時間調査で、
異様に勉強時間が長い生徒は、
長期的に見ると、
成果が上がっていないように
思えることがあります。
何か、学問に楽しく付き合うというより、
嫌なモノを避けるために
必死に闘っているという姿が
垣間見えるのです。

それより、リラックスと緊張の
切り替えを上手に行いながら、
友人や先生との対話を自由に行ったり、
自らペース配分を考えたり
していく生徒の方が、
知への欲求が高く、
良い成果をあげる場合が
多いように感じます。

何より、将来にわたって
学び続ける力という意味においては、
明らかに優位です。

さて、前置きが
ことのほか長くなりました。

元旦の昨日、
近所の紫波農園で作っている
ラフランスの差し入れを持って
学校にいきました。

そのラフランスは、
形は悪かったりする
「わけあり品」ですけれど
味は抜群です。

学年長と2人で、
せっせと皮をむきました。
校内放送で
「おやつの時間ですよ」
と学年長がアナウンスすると、
ぞろぞろと職員室に
笑顔の生徒が押し寄せました。

束の間のリラックスタイムを、
次の集中への力にしている
生徒達の様子を見ることができ、
少し嬉しくなりました。

明日も頑張ろう!



 

2014やったことリスト

今年も、この正月中に、
この1年のやることリストを
作ろうと思っているのですが、
その前に、まずは、昨年1年間の
まとめリストを作っています。

まだ作りかけですが、
やってみると、
昨年は本当に充実した
1年だったなあと
しみじみ思います。

参加型授業、
授業改善に関連しての、
全国的なネットワークができたこと、
また、中学校や、
大学との校種間の連携によって、
やはり新しいつながりができたこと、

そして、教え子や同窓生達の
力を結集するような
取組みを行えたこと、

等々、
まさにエポックメイキングな年でした。

そして、プライベートでも
とても充実していました。

考えてみると、
心と身体の健康が、
様々な事象の充実につながった
のではないかという気がします。

人間もPCも、
スペックの精度をあげるには、
ソフトウェアをインストールする前に、
まずはハードをしっかりさせる
ことが始まりなのですね。


さて、凝り性の私は、
レイルロードを走る機関車の絵で、
毎月の出来事をトレースしてみました。

2015目標01

2015目標02


中央には、今年行った
講演・講座・各種発表や、
授業力向上関係の学校訪問対応
についてなどをまとめてみました。

因みに、昨年行った
講演、講座、出前授業は30回ほど。

特に、授業改善についての講演で、
県外で行ったものは
河合塾仙台校、河合塾大宮校、
産業能率大学、岐阜学園大学、
埼玉県立坂戸高校、仙台第二高校、
福井県立若狭高校、山形大学
の8カ所にわたりました。

そして、私が応対させていただいた
学校訪問は、県内高校が14校、
県外高校が25校、
中学校PTAが12校、
教育行政が4件に及びました。

また、アクティブラーニング、
参加型授業に関連して
大学の訪問もあり、産業能率大の他、
岐阜大、筑波大、岡山理科大、
首都大東京などから
本校にいらっしゃり、
非常に熱心に授業を参観されました。

このような活動を通じて、
私自身の視野が広がり、
今後の取組みの方向性を
掴むことができたのではないかと思います。

授業もそうですが、
一人で考えるより、
他者との交わりを通してこそ、
自らの足りない部分を自覚し、
新しい価値を得ることができるのだなあと
思ったこの1年間でした。