数学は答えがひとつ?

数学は答えが一つだと教えられます。
では、次のような問題はどうでしょう。
道順とビー玉

これは、2年前に、北海道で行われた
数学の全国大会で私が講座を担当した時に、
参加された先生方に出した問題です。

②の問題では、2人が2個ずつ持つのは、
図の様に、分け方が5パターンある中の
1通りなので、確率は1/5と考えることができますね。
確率ビー玉1

しかし、もし、どちらが持つかを1個ずつ、
2人がじゃんけんなどをしながら決めていくとしたら、
2個ずつ持つ確率は3/8とも考えることができます。
確率ビー玉2

どちらも答えとしてはありです。

前者は、持ち方のパターンが一様分布に従うと
考えた場合の確率。
後者は、二項分布を仮定した場合の確率です。
(実際、会場の40人程の参加者にやってもらった
ところ3/8に近かった)

③の道順の問題は、
3通りの道順の選び方が同様に確からしい
(一様分布)と考えれば1/3です
確率道順1

しかし、各分岐点で、一方の道を選ぶ確率が
同様に確からしい(二項分布)とすれば
ACDBの道順を進む確率は1/4と見ることもできます。
確率道順2
確率道順3
確率道順4


数学では、現実世界の問題を解決するために、
標本空間をどうとるか、何が独立か、
どれが同様に確からしいかなどの前提の下で
確率を考えます。
しかし、だからといって、
それが現実世界を適切に表しているかどうかは、
実験などによって分析するしかありません。

ですから、現実問題の解決に関して、
数学が出した答えだからと言って、
それを頭から信用することはとても危険なのです。

先日、日本評論社から出版されている、
日本数学協会の機関紙である「数学文化」に
小林道正先生(中央大学名誉教授)の、
地震の発生確率算出について
興味深い文章がありました。
数学文化

それによると、政府の機関である
地震調査研究推進本部が発信している
東海地震の起きる確率の計算は、
1498年、1609年、1707年、1854年の
過去の4つの大地震データ(間隔は3つ)と、
「間隔の分布がBPT(Brownian Passage Time)分布」
と呼ばれる分布に従うという仮定により
「無理やり」算出されたものであるとのことです。
BRT分布を用いる理由として次の様に記されています。

「BPT分布というのは、一定の速度で増加していく部分と、
ブラウン運動というランダムな分布とを加え、
その値が一定の境界値を取る時刻の分布表している。
このような分布を仮定することをよしとしているのは、
地震はエネルギーがたまってある臨界値になると
地震が起きるというイメージと合致しているように
見えるという理由だけである。この分布には
あるパラメータαという値が必要なのであるが、
このパラメータの値の定め方で、
地震の発生率もかなり異なってくる」


小林先生は、最後に次の言葉で結んでいます。

科学的な装いを施した「確率」の数値など
何の意味ももたないように思われる。
そもそも確率とは、きわめて多数回の試行で
初めて意味を持つ数値なのである。


私たちは、数学の衣を纏った怪しいロジックに
惑わされないためにこそ、
数学を学ぶ必要があるのかもしれません。

 

幸せの形

28日、2人の教え子が来校しました。
昔のこと、そして今のこと、
話はつきませんでした。

2人とも今をとても充実させています。
そして、2人とも、
「人の役に立ちたい」
「社会に貢献したい」
ということを話していました。

人から頼りにされることが、
自分の生きがいである。
つまり、人の役に立てることが、
翻って、自分の幸せのため。
これは一つの卓見ですね。

「幸せ」とか「満足」とは、
人より成績が良いとか、
人よりたくさんお金をもっているから
などによって生まれる感情なのではなく、
むしろ、日々の何気ない一コマに
小さな幸せを見つけることができる、
幸せを感じることができる、
そんな生き方そのものが
一つの幸せの形なのかなと思いました。

夜は3人で「俺っ家」。
被災後、陸前高田から盛岡に店を移して
再開した人気のお店。
俺家2


いやあ、本当に美味しかったですね。

俺家1
こうして、教え子達と楽しい一時を過ごせること。

幸せです。

 

ザビエル通信

土曜日、岩手大学で杜陵サークルが行われました。
11名の先生方が参加し、
レポート発表や討議が、和やかに行われました。

白百合学園の伊藤潤一先生から、
おなじみ、教科通信XAVIER(ザビエル)
の紹介がありました。

伊藤先生は、これまで、すべての勤務校で
精力的に教科通信を作り続けています。

数学のちょっとしたエピソードや
意外な面白さなど、
数学への愛を感じる
様々な記事はもちろんですが、
数学だけではなく、
生徒の知的好奇心を喚起させる話題や、
思わず笑ってしまう孫ネタ、
5コマ漫画など、
まさに「面白くてためになる」通信であります。

そして、そこに添えられる、「ネコ仙人」などの
微笑ましいキャラクタ。
心が和みます。
生徒だけでなく、
保護者や教員の間でも愛読者が多いようです。

数学に限らず、
「勉強し続ける」ために必要なことは

「モチベーション」と「インタレスト」

であると思います(伊藤先生もそういっています)。
ザビエル通信は、それらを育むツール
としても大きな意味を持つものです。

4月の授業開きから、中学校・高校とも
それぞれ5号まで発行されています。

では、高校版の4月18日号から一部紹介します。
zabi1.jpg

zabi2.jpg
 

隕石を見に行く

昨日、学校に向かう車中で
「じゃじゃじゃTV」を見て(聴いて)いたら

隕石研究家の第一人者である矢内桂三先生
が登場し、先生の収集されている隕石が
紹介されていました。

矢も楯もたまらず、昼時間に、高松にある
矢内先生のお宅を訪ねました。
inseki1.jpg
inseki2.jpg

隕石の話、南極隊員時代の話など
凄い話を1時間にも渡ってたっぷり
伺うことができました。

盛岡三高から目と鼻の先のこの場所に
すんごいスポットがあるものだと感心しました。

とても楽しい時間を過ごしました。
最後にはお土産までいただきました。
矢内先生ありがとうございます。

inseki3.jpg
これが話題の月からの隕石。
1グラム100万ドルとのこと!


inseki5.jpg
鉄隕石。持たせてもらいましたが、異常に重かった。

inseki4.jpg
これは隕石ではありません。南極大陸にある三稜石です。

 

発問について その③ 実践例

今回は、発問を含め、参加型授業について
ヒントとなる実践例を紹介します。

平成25年に本校で実施された国語の授業です。



簡潔で適切な指導言、
生徒を揺さぶりながら、
思考と表現を一体的に進める展開
など、見どころ満載の授業です。

冒頭に、生徒からの
「授業で一番気をつけていることは何か」
という質問に
「教師がしゃべりすぎないこと」
と述べていることにも注目。

私の感想は以下にあります。

参加型授業国語下町感想

 

目標がその日その日を左右する

高総体たけなわです。
ラグビーも男女バスケットも
順調に勝ち上がっております。

野球の春季大会も始まっています。
いい調子で滑り出していますね。

私は、高総体の時期になると

「結果に悔いを残しても、
やってきたことに悔いを残したくないんです。」


という言葉をいつも思い出してしまいます。
これは、風の大地というマンガで、
主人公の沖田圭介(プロゴルファー)が、
大会前に言うセリフです。

私は、この言葉に強いシンパシーを覚えます。

別に、「結果より経過だ」という、
言い古された単純な話でまとめようということではありません。

この言葉には、キャリア教育の視点から
非常に重要な意味があると思うのです。

私たちは「目標」を達成するために頑張るといいますが、
本当の目標は「1日を充実させる」「1日を丁寧に生きる」、
もっといえば「いつ死んでもいいという生き方を日々送る」
ということではないでしょうか。

実は、本当の目標は日々を充実させることであり、
そのような生き方をしたいために、
目標、ゴールを設定するのではないかと私は考えます。

だから、その目標はたとえ達成されなくても、
そのゴールを設定することで、
日々を充実させることができたならば、
すでに本当の目標は達成しているのです。

部活動とは、大会やコンクールに臨み、
よい結果を出すために行うものであることはもちろんです。

でも、そういう「結果を求めること」という目標を
設定することで、
逆に、充実した日々を送るというのが、
本当の目標達成です。

これは、部活動だけではなく、受験、ダイエット、恋!
など、あらゆることに
あてはまるのではないかと思います。

目標(ゴール)とは、
日々を充実させるために(本当の目標)、自分を追い込む呪文。


高校生において、日常の部活動は、
限界にチャレンジする力、他人と協力する心、
時間やマナーなどの規律を守る姿勢を育む場である。
それを日々全うしていることは、
イコール日々を充実させ、
豊かな人生を送っていることになるし、
その経験は、次の人生にも活かされると思います。

「目標がその日その日を左右する」

という言葉があります。

ここで、大切なのは「目標」ではなく
「その日その日」なのです。


だから、例えば、大会で全力を出し切れず敗れたり、
あるいは、大会前に怪我をして、
あれほど熱望していた試合に臨むことができなかったり・・・

それはとても悲しいことではあるけれど、
そのことによって
今までの事が無に帰するわけはないのです。

悲しみが強いほど、それは強い目標を持ってきたから。
ということは、それまでの日々の活動が
充実していたということに他ならないのです。

だから、目標が達成できなくても、
その達成のために過ごしてきた時間に
自信を持って欲しいと思います。

その蓄積は、きっと明日につながるはずなのだから。

 

国富の喪失

私は、民間の企業人ではなく、教育公務員である。

教員や公務員は、企業人と比較し、
とかく批判されがちである。

まあ、私も数十年生きてきて、公務員、先生
の悪口ばかり聞かされてきたような気がする。

でも、私は一ついっておきたい。

教育公務員とは

全体の奉仕者であること。
公共の利益を先に考えること。
自分の利潤を追求しないこと。

教育公務員と民間企業人の行動原理の
違いはここにある。
そして、我々の誇りもそこにある。


さて、話は変わるが、昨日、
大飯原発差し止め訴訟の一審の
判決が出された。

その判決要旨を見て私は心を打たれた。

その中の「国富の喪失」の部分を紹介する。

被告は原発稼働が電力供給の安定性、
コストの低減につながると主張するが、
多数の人の生存そのものに関わる権利と
電気代の高い低いという問題を並べて
論じるような議論に加わり、
議論の当否を判断すること自体、
法的には許されない。
原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、
豊かな国土に国民が根を下ろして
生活していることが国富であり、
これを取り戻すことができなくなることが
国富の喪失だ。

原告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)
排出削減に資すると主張するが、
福島原発事故はわが国始まって以来
最大の環境汚染であり、
原発の運転継続の根拠とするのは甚だしく筋違いだ。


私は、教育公務員の端くれとして、
人類全体の本当の幸福に言及する、
格調高いこの文章に共感する。





 

問題演習

最近、何回か授業をさせてもらっています。

先日は1年生に、釣り銭計算の話から始めて、
数学を学ぶ意義と学ぶ姿勢について話をしました。


今日は、3年生に、問題演習の授業を行いました。
数学の問題を解く過程は、
マンガを描くことに似ているという話をしました。

マンガはいきなり清書するのではなく、
まず構想を練り、
ネームとよばれる「マンガの設計図」を作り、
その上で本編が描き出されます。

数学の問題を解く過程も同じではないかと思います。

まず、問題を解決するための方略を立てる。
そのために、問題文にある「言葉」や「条件」などを
「式」に表現したり
「図」を描いてイメージ化してみたりする。
つまり、
「条件や言葉の世界」「式の世界」「図・グラフの世界」
を一方通行ではなく、
循環的にぐるぐるとつなげながら、解決の糸口を見つけるのです。

1.jpg

「ネーム」ができたら、それを「答案」という名の言語に
記述していくことが求められます。これが「表現力」です。
音声による言語活動ではないけれど、
数学においては、思考したことを、
数学の言葉によって記述する活動は、
立派な「言語活動」といえます。

模範解答を順に追いかけていくような「手の運動」だけでは、
たとえ量をこなそうとも問題を解く力は向上しません。
ネームを作ること、
そして、解答の記述の仕方を工夫することで、
模試などの成績も短期間に飛躍的にアップするはずです。
これは私が請け負います。


 

発問について その② 無知の質問

発問についての話題、2回目となります。
 1回目の話はこちらです。
http://simomath.blog.fc2.com/blog-entry-276.html

以前、ある雑誌に、
バナナと発問について書いたことがあります。

「なぜバナナは曲がっているか」

banana1.jpg


班を作って、各班にバナナを1本配り上のような質問をします。
生徒は一生懸命考え、
いろいろな学説(珍説?)を唱えてくれます。

「太陽に当たる外側と
当たらない内側で皮の成長率が違うため」

「真上に伸びようとするが重力が働くため」

こんなのもありました。
「バナナは実は寒がりなのです。
だから熱帯にいても厚い衣をまとっているのです。
バナナが曲がっているのは、寒がりなので、
皆で密集して縮こまって育っているからなのです。」

当然発問者の私は、
バナナが曲がっている理由は知りません。
でもだからこそ、生徒は真剣に考え、
いろいろな意見が出されるのではないかと思います。

そもそも発問とは、
質問者が「わからないから」質問を発するもの。

しかし、実際の授業で行われる「発問」は、
生徒を指名して、先生の頭の中に準備されている
「答え」を単発的、強制的に言わせて、
自分が進みたい方向に誘導させるものが多いですね。

このような発問は、生徒に強迫観念を与え、
時にパニックや、思考停止を引き起こすことも考えられます。

富山大学保健管理センター長の斎藤清二教授が、
「Narrative Based Medicine:物語りと対話に基づく医療」
の中で興味深い話をされています。
http://www.medsafe.net/contents/special/31saitou.html

少し長いのですが一部引用させていただきます。

質問には2種類あります。
ひとつは「学校の先生のような質問」です。
つまり、答えが予め先生の頭の中に用意されていて、
正解を答えるかどうか試している質問です。
答える方は、試されているわけですから、
正しいことを言わなければいけない、と警戒します。
ですから自由に語れません。

もうひとつは自分が知らないから聞くという「無知の質問」です。
例えば患者さんが「頭が痛い」と言った時に、
「最初に頭が痛くなった時はどんな感じだったのですか」
と聞きます。
患者さんの体験は患者さんにしかわからないことなのです。
すると患者さんは、教えてあげなければ、
という気になって話します。
「何でもいいですから、頭が痛くなるきっかけになった、
思い当たることはありますか」という質問も、
患者さんにしかわからないから聞くという「無知の質問」です。

医師が「きっと~に違いない」と先入観を持って試して聞くのは、
無知の質問ではありません。

相手の話を聞きだすコツのひとつは
「こちらが知らないから聞く」という形で聞くことです。
どんな風に具合が悪いか、何を望んでいるか、
何を心配しているかわからない、だから聞く。
初期の段階で、医師の知らないことを
患者さんにできるだけ語ってもらう。
そのために無知の質問を使う。
語り出したら医師から途中で変なコメントはしない。
話題を変えない。「頭が死ぬほど痛いんです」
という訴えに、「頭痛では死にませんよ」などと答えたら、
そこで会話が遮られてしまいます。
否定しないでそのまま聞く。
これがNBMの重要なポイントです。 
ただ、口で言うのは易しいですが、
これが結構難しいのです。なぜでしょうか。
それは医師の側に、これはきっと~に違いない、
という物語りがあるからです。
医師は、患者さんが間違っていると思えることを言い出したら、
聞き続けることができなくなります。
こちらの考えと違うことが出てきた時に、
私は専門家だから正しい、と黙っていられなくなるからです。
しかし、一度その思いをストップして、
医師の方も柔軟になって患者さんの訴えていること、
考えていることをもう少し聞いてみよう
という姿勢をとるといいのです。


いかがでしょう。
私は、医師を教師に、患者を生徒に置き換えて
読んでいました。

さて、
「バナナはなぜ曲がっているか」は
直接数学とは関係のない発問です。
しかし、私たちは生徒と教師がステレオタイプの
応答に終始する「予定調和の発問」だけでなく、
時には「無知の発問」を発することも
必要ではないかと思います。

そのことによって、生徒の表現の裏側にある思考を
評価することができるかもしれないからです。



 

杜陵サークル通信

杜陵サークル5月例会の案内が届きました。

 これです
  ↓
 杜陵サークル5月例会

オープンなサークルですので、是非一度
顔を出してみてください。

誰かのレポート発表を聞いて勉強するだけでなく

授業でのちょっとした悩みや実践例
数学のちょっとしたアイデアや疑問

そんな話題を携えて参加されるとよいのでは
と思います。

 

シャボン液でメビウスの帯を作る

暇つぶしネタです。

メビウスシャボン0
上の写真のように1本の針金を
ハート型(NTTマーク)のようにします。

これは、3次元空間において、
ある閉曲線で囲まれた図形ですね。



この図形をシャボン液に浸してみます。
メビウスシャボン1
幕が張られました。
これが閉曲線で囲まれた図形の曲面
を表しています。

さて、ここで、中央の丸い部分の幕を
指でつついて落としてしまいます。
メビウスシャボン2
少しわかりにくいかもしれませんが、
帯ができていますね。

この曲面は何だと思いますか。

表をたどっていくと裏側に到達してしまいます。
そうです。
これはメビウスの帯です。

シャボン液を使った
こんなちょっとしたテーブル実験で
多様体の勉強ができる! かもね。





 

花便り

庭の花もだんだん綺麗に咲いてきました。

庭の花1

薔薇ももう少しです。
ばら

ブルーベリーの白い花が咲きました。
ブルーベリー
この白い花の後に、あのブルーベリーができるのは
奇跡のようです。

今回は花便りでした。

もちろん

これらはみんなカミさんがやっております。

 

たまご屋

ラフランス温泉の近くに「たまご屋」という
産みたての卵を販売しているお店があります。
たまご3

温泉の帰りに立ち寄りました。

鶏が放し飼いにされています。
たまご4

ここでは、卵の試食サービスがあるのです。
今日は生卵でした。
たまご1
割れにくいと思ったら
生みたてのため、
まだ殻が柔らかかったようでした。

醤油を垂らして食べました。

美味しかったあ。

白身にちゃんと甘みがあるのです。

たまご2

健康な鳥がいて、その卵がいつでも食べられること。
この幸せは、いつでも普通に存在するものではない。

それは、人々が守るべきもの。

そして、そういう自覚を一人一人が持つべきであること。

そんなことを考えてしまいました。






 

発問について その① 

今、本校では、12名もの教育実習生が
来ております。

実習生から、授業の講評を
求められることが多いのですが、
私は、ワンポイントアドバイスとして、
「発問の仕方」について言及しています。

そこで、このブログでも、
何回かにわたって「発問」について
私の思うところを記してみたいと思います。

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十文字学園大教授の江川玟成氏は、
発問の重要性について、
以下のような指摘をしています。

教師が授業で発する発問パターンは、
いつしか生徒に内面化され、生徒の問題解決に
必要で有効な考え方として定着される。
つまり、教師の種々の発問パターンには、
生徒の思考力、創造力をアップさせる
潜在的な働きがある。


ところが、実際の授業で行われる「発問」は、
「今日は○日だから、○番の誰それ」
などと、生徒を指名して、
先生の頭の中に準備されている「答え」を
単発的、強制的に言わせて、自分が進みたい
方向に誘導させるものが多いですね。

これは教師が自分のシナリオ通りに授業を
進行させるため、
いわば教師の都合による発問であると思います。
このような「発問」をもって、生徒の言語活動を
行ったなどといってはいけません。

発問の持つ意義は、単に生徒個人の
知識・理解の確認だけではなく、
生徒の興味関心を駆動し、次の授業展開に
発展させていくものでもあります。

文部科学省のHPには、発問・質問に関して
次のように記されています。

1  簡略な定義 「質問」は子供が本文を見ればわかるもの
  「発問」は子供の思考・認識過程を経るもの。 
2  学年や場面によっては「質問」によって確認する
  ことが必要な場合もあるが、
  そればかりだと学習意欲を低下させる。
3  一問一答とならなず、子ども達の間でも
  関連発問がでるとよい(ピンポン型よりバレーボール型)。
4  答えが「はい・いいえ」「そうです・ちがいます。」
  とだけにならないようにする。


何年か前に、中京大学の杉江修治教授が
岩手に講演に来たことがあり、
「課題意識を持たない授業では生徒の学びはない」
として、教師の発問について次のような例をあげています。

<学びがない発問の例>
教師「前の時間の復習です。
   秀吉のやったことは何ですか?」
生徒「刀狩り」
<学びを生じる発問の例>
教師「秀吉が行った刀狩りのメリットデメリットは何か
1分間で考えてごらん」(ペアまたはグループ)


教師の都合に合わせて答えをいわせるだけの
「発問」を頻発するのは、所詮生徒の発想は
教師の掌の内と思っているからなのではないかと思います。

今回はとりあえずこんなところで。
 

もこもこ雲

先日、仙台に向かっていたら

「もこもこ雲」を見つけました。

もこもこ雲1

もこもこ雲2


思わずシャッターを。(もちろん助手席ですよ)

「もこもこ雲」とは重松清さんの小説
「きみの友だち」にでてくるキーワードであります。

「きみの友だち」は、小学校時代に交通事故にあい、
松葉杖が欠かせない、主人公の恵美ちゃんと、
不治の腎臓疾患を抱え入退院を繰り返している
由香ちゃんの、切なくも悲しい、
そして愛らしく美しい物語です。

「もこもこ雲」は由香ちゃんがいつも心に思い、
探し求めているもの。

私の勝手な想像ですが、

それは、直接手に入りそうな満足、
つまり、お金や、学歴や、見せかけの友情
などではなく、

理想を追い求めようとする気持ち、
生き続けようという前向きな思い、
美しものに触れ感動する心、

などかなと私は思いました。

私にとって「もこもこ雲」は何だろう。
ううむ。
ピュアに数学を考えることかな。

上手く言えませんが、
モノや結果を支配したり、
手に入れたりすることではなく、
求める過程や、努力し続ける行為
そのものなのかもしれません。

ってな、かっこいいことをいっちゃってね・・・


重松作品は、いじめなど重いテーマが多いのですが、
本作は読後感がとても爽やかで心が洗われます。

ちなみに、
タイトルはキャロルキングとジェームステイラー、
あるいはロバータフラックとダニーハザウェイが唄う
「You've Got a Friend」からとったものですね。

皆さんにとっての「もこもこ雲」は何ですか?

というか、

あなたには求める「もこもこ雲」はありますか。


 

隕石を見る

昨日、地学室で授業準備中の
杉山先生とお話をしました。
こんなふうに、ふらりと立ち寄って、
知的な会話をすることは、
人生の一つの幸せであります。(大げさ?)

さて、

杉山先生は地学の世界では県内第一人者で、
全国的にも有名な先生です。

隕石の破片を見せてもらいました。
隕石1


隕石に含まれる鉱物の成分比率と、
地球の核内の鉱物の成分比率はほぼ同じであり、
地球は隕石の衝突によって生まれたという
とても興味深い話を伺いました。

隕石3

写真では見えにくいのですが、
隕石の中に含まれる小さな白い斑点
のようなものを、コンドリュールといい、
コンドリュールを含む隕石を
コンドライトと呼ぶそうです。

隕石4
コンドリュールの拡大画像

コンドリュールは地球に存在しない
未知の物質で、太陽系形成時の情報を探る
興味深い研究対象とのこと。


そして、驚いたのは、
本校の近所に住んでいる矢内先生という方
(元岩手大学工学部教授・南極越冬隊員)が、
世界的な隕石の収集家で、矢内先生のおかげで、
日本は世界一の隕石所有国であるそうです。

杉山先生は、高松にある矢内先生の自宅
(展示施設)を生徒と訪問する計画を
練っておられました。
訪問の際は是非私も!とお願いしました。

杉山先生との会話では、その内容についての
深い知識や見識を共有することはできないけれど、
先生の科学に対するロマンや愛を感じ、
ちょっと、幸せな気持ちになります。

「学ぶ動機」というとき、
それは、学ぶ対象への興味関心だけではなく、
それを指導する人(教師)が学ぶ対象に
強い愛情を持っていることが大きいと私は思います。

このことについてはまた機会をみて述べたいと思います。
 

ESDを語ろう!

突然ですが、ESDをご存知ですか。

ESDとは、「持続可能な開発のための教育」
(Education for Sustainable Development)
の略称で、2002年にヨハネスブルクで開催された
国連地球サミット
「持続可能な開発に関する世界首脳会議」で
日本が「ESD10年」として提唱し、
採択されたものです。

簡単にいうと、ESDとは、
社会の課題と身近な暮らしを結びつけ、
新たな価値観や行動を生み出すことを
目指す学習や活動とまとめられています。

実は今年は、
この「ESD10年」の最終年ということで、
11月に大規模なESDユネスコ世界会議が
日本で行われることになっています。

今は知る人ぞ知るESDですが、
きっと、数か月もすれば教育関係者の間で
ブームになると私は予想しています。

なぜ、今回ESDの話を持ち出したかというと、
昨日、宮城県多賀城高校から3名の先生方が
本校に訪問され話をしたことがきっかけです。

多賀城高校では、
平成28年度から防災系の学科ができ、
SSHにも申請されるということで、
本校のSSH申請時の苦労話や、防災教育、
総合学習、国際教育などについて
知りたいとのことで来校しました。

話をしながら、私は本校のSSH事業や、
SDプランの取組みはESDを抜きにして
語れないのではないかと、ふと思ったのです。

ESD活動を推進するネットワーク
「ESD-J」の公式サイトには、
ESDを通じて育みたい「能力」として
以下のことがあげられています

○自分で感じ、考える力
○問題の本質を見抜く力/批判する思考力
○気持ちや考えを表現する力
○多様な価値観をみとめ、尊重する力
○他者と協力してものごとを進める力
○具体的な解決方法を生み出す力
○自分が望む社会を思い描く力
○地域や国、地球の環境容量を理解する力
○みずから実践する力


更にESDが大切にしている「学びの方法」
として以下の点があげられています

●参加体験型の手法が活かされている
●現実的課題に実践的に取組んでいる
●継続的な学びのプロセスがある
●多様な立場・世代の人びとと学べる
●学習者の主体性を尊重する
●人や地域の可能性を最大限に活かしている
●関わる人が互いに学び合える
●ただ一つの正解をあらかじめ用意しない


何ということでしょう!
例えば、昨年1年生で取り組んできた
復興と防災の取組や、2年生で行ってきた
ディベートは、まさにESDの視点
そのものではありませんか。

「凄いことだ。本校のSDプランはESDの
先取り実践だったのか!」

私は思わず叫びました(心の中で)

日本発のESDは、恐らく、
本校が推進しようとしている「参加型授業」や
SDプラン、SSH活動を、
その理念的側面から大きく後押ししてくれる
力になると私は思っています。

皆の者、今こそESDを語れ!

 

ヒグラシ堂と小さな幸せ

今日は、5月1日にも紹介した
仙台にある「やまにヒグラシ堂」にでかけました。

 5月1日の記事はこちら


オーナーの沼沢さんは、
ミュージッシャン(マイピアノ)でもありますが、
陶器に魅せられて、このようなとても可愛らしく
素敵なお店を開いたとのこと。
yamani0510-1.jpg
お店の入り口 カラフルですね

陶器というと、誰が作ったかという
作者の「銘」に注目が集まります。
でも、高名な芸術家の作であることや、
値段によってその価値を決めるのではなく、
自分の感性に照らして、気に入った作品を
手に取って見ることが大切だと私は思います。


江戸時代以前の古い時代の、すぐれた陶器には
銘が無いものも多いといいます。
当時の陶工たちは、名を残すことよりも、
芸術家ぶらずに、無心に作ったその純粋さによって、
作品に気品がもたらされたともいいます。

このお店では、オーナーの沼沢さんが、
自分の目と感性で選んだ、笠間に窯を持つ、
気鋭の陶工の作品がセンス良く並べられています。

私が特に気に入ったのが、佐藤りぢゅうさん
と須藤忠隆さんのこの作品。
yamani0510-3.jpg

佐藤さんの、トルキッシュブルーといわれる、
青銅を思わせる青色と、柔らかいふくらみに
心が惹かれました(写真右)。

そして須藤さんの手書きの絵柄もいいですね(写真左)。
冷のお酒をそそぐと旨さもひとしおでしょう。
(実は今晩それをやりました!)

文庫本のブックカバーも目を奪われました(写真奥)。
自閉症の娘「ちいちゃん」が描く、
こころ癒される文字を、
母親がシルクスクリーンで印刷し、
手仕事で作品に仕上げた、とのこと。

QOL(クウォリティオブライフ)という
言葉がよく言われるところですが、
このようなお気に入りの「モノ」を探して、
見つけ、それを愛でるということは、
人生の一つの小さな幸せであると思います。

そして、そんな日々の小さな幸せを
重ねていくことにより、心もリッチになり、
今の自分を好きになることができ、

そして、

きっと運気が高まって、豊かで楽しい
人生を送っていけるのだと私は思うのです。

このお店には、
そんな日々の小さな幸せを与えてくれる
品々が揃っています。

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やまにヒグラシ堂についてはこちらをご覧ください。

ひぐらしフライ4やまにヒグラシ堂 

amiたいやき

「You-Me ゆいっこ」の上中さんに
頼んでいた名刺が早速できあがり、
届けていただきました。

名刺1
牛乳パックを再生して作った、
ぬくもりのある質感の素材です。
しかも4色もあってとても楽しいです。

ありがとうございました。

そして、

名刺とともに、

あの、「天然もの」といわれる、
人気商品の「amiのたい焼き」もいただきました!

amiたいやき3
しかもこんなにたくさん!

これは、平日、「ゆいっこ」に行かなければ買えない、
しかも、餡がなくなったらお終いという
まぼろしの鯛焼きです。

amiとはフランス語で仲間、友達という意味があります。

いただきました。薄皮でありながら、食感が
もちっとして、香ばしく本当に美味しい!

絶品です。

食べたい方は、以下をご覧ください。
amiたいやき

amiたいやき2



上中さんありがとうございました。


 

行列式と体積

3つのベクトルで張られる平行六面体の
(符号付)体積は、ベクトルの成分によって
次のようにあらわされます。

行列式6

さて、ここで、行列式では、ある行の何倍かを
他の行に足しても行列式の値は変わりません。

つまり、

行列式2

が言えます。

このことを納得する教具を作ってみました。

3次の行列式1

3つのベクトルで張る平行六面体
(直方体に見えますが、平行六面体と思って下さい)

これの赤い部分を引っ越します

3次の行列式2

3つのベクトルで張る平行六面体に変身します。

行列式2

左辺が上の平行六面体、右辺が下の平行六面体
の(符号付)体積を表しています。



 

行列式と面積

平行四辺形の(符号付)面積を
ベクトルの成分によって表すと
次の式が成り立ちます。

行列式3

上で述べた行列式の値は、ad-bcですね。

このことを示すアニメーションを作ってみました。

ad-bc.gif

一般に、行ベクトルをk倍
すると、行列式の値もk倍されます。
つまり、

行列式16

がいえます。

これを図形的にイメージする教具を作ってみました。
行列式変形1
行列式変形2
単に封筒の中に封筒を入れただけです。

中の封筒を引き出します。
平行四辺形の底辺のベクトルがk倍されるので
面積もk倍されるわけです。

では、次に、ある行ベクトルのk倍を
他の行に足しても行列式の値は変わらないという
性質について考えます。

つまり、
行列式1

が言えます。なぜでしょう。

これも、1枚の紙を切って
簡単に納得することができます。

行列式変形3
上図の左端の三角形を右端に引っ越します

行列式変形4
面積は変わりませんね。
(すみません。上の2つの図ではkのところが
l(エル)になっています。lをkと見てください)


つまり、

行列式4

ということですね。

このように、行列式の基本変形は、
1枚の紙から簡単にイメージできるのです。

 

県立博物館へ

連休最後の昨日は、県立博物館へ。

kenpaku4.jpg

比爪 ~もう一つの平泉~

というテーマ展に出かけました。
天気も良く、連休のさ中ではありましたが
館内はガランとしていました。

長時間ドライブして、レジャーランドで
大変な一日を送るよりも、
こういうところでゆっくり過ごすのは
とても贅沢で大切な時間と思うのですが。

さて、比爪展ですが、正直、
私の住んでいるこの地が、平泉に匹敵する
都市であったことに驚きと、ある種戸惑いを
感じました。

いずれ、考古学的手法による分析から、
今後の解明がまたれるところかと思います。

当館学芸員の、羽柴氏の情熱的な思いが
ひしひしと伝わりました。

紫波町はもっと宣伝せねば。

県立博物館には、どデカい恐竜や巨大イカのレプリカや、
イヌワシの剥製、珍しい生物なども展示されています。

kenpaku1.jpg
まさに飛んでいるようです

kenpaku2.jpg
巨大イカと魚群

kenpaku3.jpg
蛍光サンゴ。本物です。


皆さんも県博に行こう!



 

リスペクト

昨日ランニングをしながら聴いたアルバムはこれ。
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RESPECT

ご存知ですか。

CDの他にDVDもついていて、
動画も楽しめるオトクなアルバムです。

大久保初夏(G・Vo)大久保紅葉(Vo・BluesHarp)
さんの2人の姉妹が中心の、
何と女子中高生の本格的ブルースバンドです。

2009年に出されたアルバムですが、
この時、紅葉さんは中学生だと思います。
(現在、姉妹は、ブルースシスターズとして
活動されています)

このアルバムは本当に最高です。
紅葉さんのパンチの効いた堂々たるヴォーカル、
そしてブルージーなハープ。
初夏さんのギターも泣かせます。とにかくカッコいい。

最初に聴いたときぶっ飛んだのはもちろんですが、
今どきの女子中高生が、
こんなに本格的なブルースを演奏していることに、
ブルースを愛するものとして拍手喝采を送りました。

アルバムタイトル「141144115411」も泣かせますねえ。

わかる人にはわかるサイン。
野暮ですが、解説すると、
1はトニック、4はサブドミナント、5はドミナント、
典型的なブルースの12小節のコード進行を表しています。
ここにもブルースへのリスペクトが感じられます。

実際、このアルバム中、
このコード進行に則ったものは
Hoochie Coochie Man の1曲だけ。

最後のLast Time I Saw Him や、
DVDのエンディングの日本語の曲(曲名不詳)
などを聴くと、ブルースバンドとしてだけでなく、
広いマーケットで売り出そうという意志も感じられます。

特に、Last Time・・・ は1970年代に
ダイアナロスが唄った曲ですが、
本当に私の青春時代を思い出して胸が騒ぎます!

1970年代の音楽シーンのように、
本当に、こういう人たちこそ
もっとリスペクトされ、
ヒットチャートを賑わせて欲しいものです。


Shokamomijiさんの動画から

2人は、メンフィスのB・Bキングホールで演奏したり
ロバートジョンソン生誕100年の際に、墓石の前で
演奏したり、本当に生粋のブルースシスターズです。
 

ことぶき寿司で

昨日、プールで、「You-Meゆいっこ」
の代表上中さんとばったりお会いしました。

もう十数年前、ハンドボール関係でいろいろ
お世話になっていた方です。

久しぶりに飲まない? と誘われて

矢巾のことぶき寿司さんへ。
kotobuki1.jpg


昔話に花が咲きました。

店の前の八重桜も満開でした。
kotobuki2.jpg

上中さんは、
You-Meゆいっこ便という、心が和む通信を
毎月発行されています。
何と、現在136号を数えるとのこと。


楽しい一時を過ごしました。

そして、

帰り道で見る月がとても綺麗でした。
kotobuki3.jpg

 

自分自身を除く約数の和の連鎖

自分自身を除く約数の和を考える話は
有名ですが、「和の連鎖」を考えるというのは
どうでしょう。聞いたことがありますか?

数年前にいろいろ考え、数学の研究会などでも
少し話していたのですが、
自分自身まだ整理がついていないところもあり
そのままになっていました。

今回ブログで紹介しますので、
もし、何かわかる人がいれば
教えていただきたいと思います。


自分自身を除く約数の和の連鎖とは次のようなものです。

例えば12から始めます。

12の自分自身を除く約数の和は
1+2+3+4+6=16 ですね。
なので、今度は16について同じことを考えます。
16の自分自身の除く約数の和は
1+2+4+8=15 となります。
今度は15なので
1+3+5=9 
今度は9だから
1+3=4
4なので
1+2=3
3は自分自身を除く約数は1だけなので、
結局1に行きつきます。

このような操作を1~100まで行うと
次のように分類されます。

① 1にいきつく
② 完全数である6または28になる
  (6,25,95が6に。28は28に)

もう少し数を広げると、例えば220は
284と220を行ったり来たりします。

この2数を友愛数といいます。

以上から考えて、
自分自身を除く約数の和の連鎖の振る舞いは

① 1にいきつく
② 完全数にいきつく
③ 友愛数にいきつく

の3パターンとなるような気がします。

それは、果たして本当にそうなるのでしょうか。

ちなみに、720でやってみると、
コンピュータを使って
40ステップ繰り返しましたが、
どんどん大きな数に発散していきます。

発散する場合があるのか、または完全数、友愛数
以外のサイクルがあるのか、
(例えば3つの数を順に繰り返すとか)

私の中では解決していません。

誰か教えて!





 

数学という名の自由の翼 ③

昨日、数学教室6月号が届きました。

私の連載「数学という名の自由の翼」
第3回は「点と直線の距離から出発して」
というタイトルです。

ちょっとだけ引用します。

<前略>
これは、教科書にある公式で、
最も証明が分かりにくいものといわれるものだ。
従って、多くの教師は、
これを証明抜きに事実だけを鵜呑みにさせる。

「公式とは問題を解くためのアイテムだ。
この公式を手に入れておくと、いろいろな問題が
あざやかに解けるのだ」てなことを言って。

そして、必ず行うのが、次の図のような、
直線を円が切り取る時の弦の長さを求める問題である。
切り取る弦の長さ
ABの距離を求めるために、
まず、円の中心と直線の「点と直線の距離」を
公式一発で求め、
三角形OBMに三平方の定理を適用してBMを求め、
それを2倍すれば弦ABの長さがわかる、
「どうだ。凄いだろ」
などと教師は得意になって説明する。

かくして生徒は、交点の座標も、
点と直線の公式の意味もわからぬまま、
しかし、自動的に答えだけは手に入れるという
不思議な授業を経験する。

アイテムを使って、ボスキャラをやっつけたから、
それでお終いというのだろうか。
とすれば、そこには、
教師の数学への愛が感じられない。

私は、数学の厳密さのために
「証明」を省いてはいけない、とはいわない。
でも、証明が大変なら、せめて、
その公式を少しでも「納得」させるような
活動を考えるべきだ。
(以上「数学教室」6月号より」


以下、「点と直線の公式」を納得する活動から
大学初年級で習う、平面の方程式、多変数関数、
偏微分、重積分を展望していきます。

全文を読みたい方は、
「数学教室」を書店でお求め下さい。


 

アート&クラフト<土澤>マーケット②

カラふる というお店では素晴らしい
折り紙アートが置いてありました。
 
土澤3

藤原香さんという方のオリジナルアート
土澤8

なんとすべて折鶴をつなげて作っています。

土澤13
途中工程です。


土澤10
オシャレな「うーるみおーる」というお店で
こんなグラスを買いました。
土澤12
ウールの帽子がかぶせられていて
ビール、熱燗どちらにも対応しそうです。

それぞれのお店とお客さんの距離が近く
とてもアットホームな雰囲気で楽しめました。

また来年も来たいですね。

 

アート&クラフト<土澤>マーケット ①

今日は、アート&クラフト<土澤>マーケットに
出かけました。

初めて行きましたが、凄いですね。
192ものショップが出店して華やかで賑やか
な雰囲気を楽しみました。

どのお店もフランクに会話が楽しめるところが
いいですね。

創作書文字「もも」さんは、
心に浮かんだ言葉をつむいで、筆で
書いてくれるアーティスト。
土澤4

ブログのタイトルを書いてもらいました。
ありがとうございました。

土澤7

土澤5
萩野礼子さんのフラワーアート
全部ティッシュペーパーで作ったという花
どれも素晴らしい。

土澤6
高田の一本松を買いました。カモメも飛んでいます。

 

京都大学の英語の問題

以前、京都大学の文系英語(2005年・後期)
の入試に、こんな問題が出題されました。


<前略>
Even if you are not a chocolate lover yourself, you realize that this example demonstrates a simple mathematical rule that can be applied to many other circumstances. But in addition to mathematical properties, formulae, and rules (many of which we forget anyhow), there also exist a few special numbers that are so ubiquitous that they never cease to amaze us. The most famous of these is the number pi(π), which is the ratio of the circumference of any circle to its diameter. The value of pi, 3.14159・・・, has fascinated many generations of mathematicians. Even though it was defined originally in geometry, pi appears very frequently and unexpectedly in the calculation of probabilities. A famous example is known as Buffon’s Needle, after the French mathematician Comte de Buffon(1707-1788), who posed and solved this probability problem in 1777. He asked: Suppose you have a large sheet of paper on the floor, ruled with parallel straight lines spaced by a fixed distance. A needle of length equal precisely to the spacing between the lines is thrown completely at random onto the paper.
buffon.jpg
What is the probability that the needle will land in such a way that it will intersect one of the lines, as in Figure!? Surprisingly, the answer turns out to be the number 2/π. Therefore, in principle, you could even evaluate π by repeating this experiment many times and observing in what fraction of the total number of throws you obtain an intersection. Pi has by now become such a household word that film director Darren Aronofsky was even inspired to make a 1988 intellectual thriller with that title.

何と! これはビュッフォンの針の問題です。
ビュッフォンの針とは、次のようなものです。

まず、問題文の図にあるように、床に敷いた
1枚の紙に平行線を等間隔に何本も引いて、
上から、ランダムに爪楊枝のような針を
落します。

このとき、針が、線と交わる確率を数学的に
計算すると、

2×針の長さ/(平行線の間隔×π)

となります。

そこで、投げる針の本数を限りなく多く
し、平行線と交わる割合を調べることで
円周率πの近似値を計算することができる
というわけです。

例えば、針の長さが平行線の間隔の半分だとすると、
確率は 1/π です。

今、針を355本投げ113本が交わったとすると、
割合は 113/355 です。

そこで、113/355 ≒ 1/π から

π≒355/113=3.1415929・・・ となりますね。
(こんなに近くなるのは偶然ですが)

なお、この問題文では、平行線の間隔と
針の長さを等しくしているので、確率は
2/π となると書かれています。

このように、ランダムな操作から円周率などの
値を導く手法をモンテカルロ法といいます。

さて、
私は英語はさっぱりできないのですが、
京大の問題の図を見て、
「あっ、これはビュッフォンの針の問題じゃん」
と気づいたので、書かれている内容をほぼ
理解することができました。

実際の問題文は、
Buffon's Needle の問いを構成している
センテンスを和訳することと、
Buffon's Needle の問いに対する答えの
センテンスを和訳することだったので、

英語のできない私でも、すいすい解けました。

ビュッフォンの針を知っている受験生には
とてもラッキーな問題です。


文系学部であっても、理系的な知識技能は
問わなくとも、理数の世界に興味関心を
持つことは必要です。
それは人生を豊かにすることでもあります。

以前、英語がペラペラな先生が、外国人の
通訳をする姿を見て、
「羨ましいですね。私も先生のように話したい」
といったら、その先生は、

私は、トランスレイトをしているだけ。
それより「英語で話す内容を持っている」
ことの方が大切。

ということをおっしゃって、
目から鱗が落ちました。

私は、数学の内容について、世界中の人と
会話をしたい。

そのためにも、これからもずっと英語を
勉強したいと思っています。

 

数学的リテラシーとは

連日「かたい」話で申し訳ありません。

コンピテンシーの話に続き、今日は
リテラシーについて私見を述べます。


「数学的リテラシー」とはどの様なものなのか。

その前に「リテラシー」とは何であるか。

Literacy とは、Literature(文学)
と語源が同じです。

辞書には「読み書きの能力、教養があること」
とあります。

PISAの説明によると、リテラシーとは

「知識だけでなく、熟考する能力や知識や経験を
現実世界の課題に応用する能力も含む幅広い概念」


とのことです。

さて、数学的リテラシーの原語による定義は
次のようになっています。

Mathematical literacy is an individual’s
capacity to identify and understand the
role that mathematics plays in the world,
to make well-founded judgments and to use
engage with mathematics in ways that meet
the needs of the individual’s life as a
constructive, concerned and reflective citizen.

【日本語訳】(「ぎょうせい」による)
数学が世界で果たす役割を見つけ、理解し、
現在及び将来の個人の生活、職業生活、
友人や家族や親族との社会生活、
建設的で関心を持った思慮深い市民としての生活において
確実な数学的根拠に基づき判断を行い、数学に携わる能力。


この定義は私には少しわかりづらいので、
英語の定義の方を基にしながら
私なりに、もう少しシンプルにまとめてみます。
結局、数学的リテラシーとは、

①数学が世界で果たす役割を理解する能力
②根拠の確かな判断を行う能力
③思慮深い市民として、生活の中で数学を活用する能力


ということではないかと思います。

そして、それは良かれ悪しかれ、先進国といわれる
国々が、待ち望んでいる「能力」であるということです。

私は、個人的には、ジェネリックスキルといわれる
このような能力がもてはやされることに一定の疑問を
持っています。

でも、頭でっかちになったり、
ペシミスティックになるより、
いつでもポジティブに考えていこうというのが
私の態度でもあります。

自分が教育実践家のはしくれであるならば、
理念を語るより先に、目の前にいる現実の生徒のことを
大切に考えるしかないですからね。