「一念発起とOODA」

今日は終業式でした。
今回は夏休み前ということで
「一念発起」をテーマに話をいたしました。
以下、ご覧ください。




先日、夜間歩行があって、
私も学校から石鳥谷まで
一緒に歩きました。

その時、前を歩いていた2人が、
なぜか「しりとり」をしていました。

というわけで、夏休み前の終業式の挨拶は、
「しりとり」で始めてみたいと思います。

「なつやすみ→みずぶとり→旅行いく!
→くたくた→たおれそう→うなだれ→
0点だった→たいへんだ」

だめだだめだ。こうなってはいけません。

では気を取り直してもう一度。

「夏休み→みなぎる闘志
→進路の決定→一念発起」

おっ。こうでありたいですね。

さて、今、「一念発起」という言葉が
でてきましたが、
皆さんはこの言葉の意味を知っていますか。

辞書によると

「あることを成し遂げようと強く心に誓う事」

とあります。

その例文として

「自堕落な生活をしていたが、
一念発起して勉強し試験に合格した」

とありました。

意志が弱く、誘惑に負け、
そしてすぐ妥協してしまう。
そんなことではいけませんよ、と親は言うし、
先生からもそういわれているかもしれませんね。

でもね。普通の人間であれば
それはごくあたりまえのことなんですよ。

私もこんなにして、偉そうに皆の前で
話しているわけですが、やっぱり意志が弱いし、
自分に自信がないんです。

うん。だからこそ、そこで一念発起なんですね。

一念発起するためには
「それまでの自分の(だめな)現状」
の認識があります。
そして、そのような現状にいる自分を観察し
「それでいいのか」という自分への問いかけがあり、
そして「じゃあやるぞ」と自分に鞭打ち、
行動を起こす。

このサイクルが大切なんですね。

皆さんはPDCAサイクルという言葉を
聞いたことがありませんか。

これは、組織の業務改善をすすめるための
有効な手段として知られています。

Plan:計画を立てる、
Do:実行する、
Check:評価する、
Action:改善する、

というサイクルです。
これをクルクルと回して、より良いものに
進化させていくということですね。

これは、組織の業務改善だけではなく、
皆さんの進路決定や、勉強計画なども含め、
およそ人間の基本的な行動原理の中に
あるものだといってもいいかもしれません。

でもですね。

ここで、先ほど私が述べた一念発起のサイクルは、
このPDCAとはちょっと違います。

計画を立てて管理するのではなく、
自己の観察(Observe)によって、
状況を認識(Orient)し、そこである気づきを得て、
決断する(Decide)ということ。
そして、行動する(Action)。

これが一念発起のサイクルで、
PDCAに対して、OODA(ウーダ)
と呼ばれ、今新たな行動原理として
注目されています。

綿密な地図を作って、そのコースの上を
危険を回避しながら動き出すのではなく、
失敗を恐れず、地図よりも、
瞬時に自ら進む方向を決定できるような
コンパスを携えて行動する
ということかと思います。

私はこの夏、皆の一念発起に期待します。
そして休み明けには、
逞しく日焼けした皆さんの笑顔と、
ボロボロにすりきれた教科書や
課題テキストに出会えることを
楽しみにしています。

では、皆さん!一念発起ですよ!


 

芸術鑑賞

今日は、午後から花巻市文化会館で
芸術鑑賞会が行われました。

冒頭の私の挨拶を、
以下に記しておきたいと思います。




皆さんこんにちは。
今年の芸術鑑賞は、
わらび座によるミュージカルです。

わらび座は秋田県の田沢湖にある
芸術村を拠点として
広く活動している劇団です。

1951年に創立されたといいますから
もう還暦を超し
70年を迎えようとしているんですね。

私は芸術鑑賞で何度かわらび座の
オリジナル・ミュージカルを体験し、
そのパワフルで多彩な表現の中に込められた、
現代社会における人々の心の描写に、
とても感動したことを覚えています。

私は、地域の素材を取り入れ、
教育と文化という視点で
芸術作品を提供し続けているわらび座に、
何となく宮沢賢治の精神を感じます。

賢治の「農民芸術概論綱要」は
良く知られていて、
「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」
という一節は
皆さん何度か聞いたことがあるかと思います。

賢治は、農民が生きて働くということそれ自体を、
三次元空間に時間軸を加えた
四次元空間における一つの「芸術」と捉え、
「四次芸術」と呼んだそうです。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない」は、
世界が幸せになることを
座して待つことではありません。

すべての人々が持つ芸術的感性と、
知識や技術を仲間とともに深め合うことによって、
人々の自立を促し、
コミュニティ全体の幸せを追求することと
私は考えます。

そのような、世界の幸福を希求する
賢治の揺ぎなく力強い精神性は、
芸術という文脈において、
わらび座の活動と
私の中で重なるものがあります。

難しいことを語ってしまいましたが、
どうぞ、今日の芸術鑑賞を
理屈抜きに楽しんでください。

そして、今日の経験が、
学校で学んだ知識を
「世界ぜんたいの幸福」を考えるための
「生きて活用される知恵」に換える力に、
そして社会を見つめ、
地域に貢献できる人に育っていくための
力になっていくことを期待し
挨拶といたします。

Let’s enjoy!


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「第4回花高活性化プロジェクト」

6月28日に、第1回進路協議が行われました。

通常は、現3年生の、これまでの模試の
定点観測の結果を見ながら
志望校について検討していくというもので、
進路指導課と3学年が
中心となって行われます。

しかし、今回は進路指導課の
「学校総がかりで行う」、
「自分事として考える」というポリシーから、
「第4回花高活性化プロジェクト」と銘打って
ワークショップ形式で実施することになりました。

最初に全体会を行った後、
文系、理系の分科会に分かれ、
ベネッセから2人のオブザーバーを招き
適宜情報提供をいただきながら、
進路課の2人の先生が
ファシリテーターになって進行しました。

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グループ討議を経ることで、
全員が対話の中で自由に意見を述べあう
雰囲気が醸成されます。

そして、進路指導や教科指導の
視点だけではなく、
養護教諭の先生や実習教諭の先生からも、
自分の立ち位置から
見えていることが述べられます。

そのような中から、

「学習総括を適切に行って、
ポートフォリオ化しながら
学びに向かう姿勢を評価する」

「私大専願等、多様な進路志望を持つ生徒が
『置いていかれ感』を抱かないような
生徒の気持ちによりそった進路支援を」

「1年次から、社会の変化、
入試改革を見据えた
骨太の学びを提供していくこと」

などといった、
これまでの進路協議ではでなかったような、
素朴な疑問や本質的な問いも出されました。

今回は進路課の発案によって、
画期的な一歩が踏み出されたと思います。

このように、

情報を共有しアイデアを出しあい(Ideas)
それをつなげ(Connections)
発展させてカタチにしていく(Extensions)

というICEモデル型の進路検討会が
今後継続的に実施できればと思います。

 

京都府立清明高校訪問

もうだいぶ以前の話になりますが、
6月16日に、
元京都精華大学人文学部教授、
現筒井ラーニングLab代表で、
現在京都工芸繊維大学でも
教えられている
筒井洋一先生にお世話になり、
京都府立清明高等学校を
訪問させていただきました。

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今回も筒井先生の素敵な車でご案内いただきました。

いやあ、驚きました。

公立高校でここまでできるのかと
感心しました。

この学校を一言でいうと、

「多様性への対応と主体性育成の
先駆的なモデル校」

というところでしょうか。

この訪問を通して感じたことは
本当にたくさんあるのですが、
そのうちのいくつかについて書き記す中で、
この学校の輪郭を少しでも
なぞることができればと思います。

<カフェ>

校舎の1階にオシャレなカフェがあります。
このカフェは校内にありながら、
実は一般にもオープンになっています。
ですから、お昼には、生徒たちだけではなく、
大人や子ども、様々な人たちが
集う場になっています。

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このカフェ一つとっても、
そこに、学校の内向き性を打破し、
地域に開いた学校文化を
創ろうとする強い主張を感じます。

<ICTテクノロジー>

全員がiPadを持ち、
Classiとロイロノートという学習支援ソフトを
授業で活用しています。

ユニークな活用例を一つ紹介しましょう。
Classiを用いて、「10分トレーニング」
と呼ばれる1人勉強を5回行うと、
その学習履歴が記録され、
1時間分の履修にカウントされるという
フレックスなシステムが導入されています。

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これによって、教室外での1人学習が
随所で行われる形になります。

また、学内情報を適宜配信する電子掲示板が
校内各所に設置されるとともに、
全教室にプロジェクタと電子黒板が配備され、
すべての教員が
それを使いこなして授業を行っています。

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<回遊型の職員室と廊下>

ガラス張りの職員室の周りを、
陸上のトラックさながら
ぐるりと廊下が囲んでいます。

その廊下の外側に
教室が配置されている形です。

職員の様子が周囲から
見渡せる形になっているんですね。

このように教師の仕事ぶりを可視化することは、
コンプライアンスの向上や、
職員のプロ意識の醸成にも
繋がるのではないかと思いました。

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この幅広い階段がすごい!
階段でもあり、座席にもなり、
ホールとして活用されます。

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図書館。飲食のスペースも用意されていました。
憩いの場をアフォードしようという
担当の方の強い思いを感じました。

<主体性を育てる>

74単位を3分割して3年間で学ぶか、
4分割して4年間で学ぶかを
生徒が自分自身で決定します。

教育課程や時間割編成については、
もちろん教員のアドバイスはありますが、
基本的に生徒個々が
自らアレンジして決定します。

そして、この学校では
チャイムは一切鳴りません。

このような取組から感じられるのは、
生徒の主体性を育てることが
経営理念の中心として存在していること、
そして、それは学校生活に対して
自らが責任を持つということでもあると感じました。

<多様なメンバー>

生徒自らが教育課程を編成するので、
当然、クラスのメンバーは固定されません。

もちろん学年、年齢を越えた
クラスが生まれます。

因みに、私が参観した社会科の授業には
何と74歳の生徒が、普通の高校生と一緒に
楽しく授業を受けていました。

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しかもiPadを使っているのです!

固定クラスで行うのは
ホームルームとフレックスワークと
総合的な学習の時間だけです。

<いじめのない学校>

見学者とのディスカッションの中で、
この学校ではいじめがないとの話がありました。

その理由として、授業でのクラスメイトが
固定化されていないことをあげられていて、
なるほどと膝を打ちました。

教師は、いじめをなくそうと思えば思うほど、
その指導は内側に向かっていきがちです。

「クラス全体でまとまって」
「皆で協力し合って」
「教室内でルールを徹底して」
「教師は一人一人を把握し、目を配って」等々。

しかし、そういう、全体を担任が把握し
管理しようとすればするほど、
教室内にヒエラルキーが生まれてしまいます。

そうやって「集めて、管理する」のではなく、
主体性と多様性を認め合うような
環境や文化をつくることが、
実はいじめがなくなることではないか。

少し穿った言い方をすると、
もともと存在していなかった「いじめ」という概念が、
「集めて、並べて、均一化する」学校文化によって、
顕在化されたものを
いじめと呼ぶのかもしれません。

<アンダンテ学習>

1年次に、「アンダンテ学習」という
学校設定科目が行われています。
これはすべての教科に共通する
「学び方を学ぶ」「自ら学ぶ」姿勢を
培うことを目的とした時間です。
もちろんタブレットを用いた
学習方法もここでマスターします。

<社会的自立支援プログラム「みらい」>

総合的な学習の時間とLHR、
フレックスワークの時間を活用して
「みらい」という学校設定科目が
実施されています。

この活動は、

「可能性を信じ、何事にもひたむきに取り組む」
「支え合い、人とつながることができる」
「夢と希望を持ち、たくましく生きる力を持つ」

という3つの大きな目標をかかげ、

「可能性を信じる力」
「学びに取り組む力」
「社会とつながる力」
「仲間とつながる力」

という4つの力の育成を目指しています。

このようなコンピテンシーを明確にし、
そこで培ったものを、
各教科活動、学校行事、地域社会での活用に
波及させていこうという狙いを持っていることに
非常に感銘を受けました。

<学校外部との連携>

5人のカウンセラーの配置、
近隣の大学生ボランティアによる教育支援活動、
他県の高校生や企業などとの
体験を軸にした研修旅行など、
多様なリソースの活用を積極的に行っています。


まだまだ書き切れないのですが、
とりあえず思いだすままに書き連ねてみました。


実は、今回の訪問の前日、
校長協会と県教委との
意見交換会が行われました。

私は、学校課題をまとめる役割を
与えられている関係で、
いくつかの提起させていただきました。

それを簡単にまとめると、
一つは、教員の任用、養成、配置の実施にあたり、
対症療法的な対応を乗り越え、
俯瞰的な視点に立つこと。
もう一つは、時代の変化や、
岩手の強みと課題を視野に入れ、
多様なリソースと連携した
次世代の学校づくりを戦略的に推進することです。

学校内の個々の課題は、
その学校固有の事案としてだけではなく、
実はもっと構造的な問題が横たわっています。

社会がドラスティックに変化しているというならば、
前例踏襲やその場その場での
個別対応だけではなく、
全体を俯瞰する鳥の眼の視点が
必要ではないかということです。

そして、教員配置の問題や、学校再編の問題も、
現状の不都合を回避するためだけの
後ろ向きの対応ではなく、
岩手県全体としてどういうビジョン、
構想を持って取り組むかという、
戦略的な視点が求められるのではないか、
そして、そのような未来を見通した
俯瞰的、戦略的な視点に立つとき、
学校内部という閉じた世界だけで
解決を求めるのではなく、
多様なリソースと共同で考えていくことも
必要ではないかと思うのです。

このような話をした直後の京都清明高校訪問は、
私にとって非常に刺激的で、
興味深いものになりました。

もちろん、このような学校を岩手に作るには、
乗り越えなければならないハードルは
非常に高いものかもしれません。

しかし、そこにある理念や、
教育に対する柔軟な視点については、
すぐにでも取り入れることが可能です。

今回の訪問は、
私たちにできる学校改革は何かを考える
よい機会となりました。

一歩前に踏み出す勇気をいただきました。

丁寧な説明をしていただいた、
清明高校の瀧本副校長先生、
西村宣幸先生ありがとうございました。

そして、このような場を設定していただいた
筒井先生ありがとうございました。

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瀧本先生、西村先生、
そして今回の訪問メンバーです。


 

るんびにい美術館で感じたあること

昨日、本校を訪問したオクラホマの方々に
少しお付き合いをして、花巻市にある
「るんびにい美術館」を訪問しました。

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花巻北高校から車で5分ほどの所に、
こんな素敵なスポットがあるなんて!

感動しました。

るんびにい美術館とは、
知的障害や精神の障害を持つ作者が
創造した表現作品を展示するギャラリーです。

月替わりで、いろいろな作者の作品を
クローズアップした企画展を行っています。

因みに今月は富士子さんの企画展でした。

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また、カフェ、ベーカリー、そしてアトリエもあり、
作者の創作活動の様子を実際に参観したり、
彼らと交流することもできます。

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るんびにい美術館のホームページには、
次のように書かれています。

私たちの心は、沢山のものを区別します。
障害者と健常者。おとなとこども。男性と女性。
国、人種、人や動物や植物…。

この世界は、
無数のボーダー(境界)でできています。
もしも、すべてのボーダーを心から消し去って、
それらをただ一つのものとして
見ることができたなら。

もしそんなことができたなら、
世界はどんなふうに見えるのでしょうか。

もしかしたら、そこにはただ命の
輝きだけがあるのかもしれません。

私たちは、見る人が命を感じるような、
あらゆる表現物を紹介したいと考えています。

命は、あらゆる境界線を越えて広がっています。
アウトサイドもインサイドもありません。

障害者も、そうでない者も。

ボーダレス・アート。

私たちがご紹介しようとするものを、
気まぐれにそう呼んでみましょうか。

ボーダレスはなぜだか魅力的です。
それは、きっと愛とよく似ているのです。



私が8月に企画している
「しもまっちwith FRIENDS」のポリシーと
全く同じだなあと、深く共感しました。

私は、この美術館の副代表である、
アートディレクターの板垣さんとお話をしました。

本当に共感しまくりだったのですが、
その中で一つ気づいたことがありました。

それは、教職員の不祥事問題についてです。

そのことを以下にまとめてみたいと思います。


美術館に足を運んだ時、
管内にカメラの絵が描かれた
注意書きのシールが貼られていました。

「撮影禁止の貼り紙なんだな」
と私は思いました。

ところが、よく見るとそうではなく、真逆でした。

写真は自由に撮って良いことや、
SNSで発信して構わない
ということが書かれていたのです。

私は、板垣さんに、アトリエで作家さんの
顔写真をとっても良いか伺いました。

すると、もちろんどんどん撮って
構わないとのことでした。

板垣さん曰く、写真を許可したり、
SNSでの発信を促すのは、
彼らの素晴らしさを
広く社会に示したいからとのことでした。

そして、発信によって活動が認知されていく中で、
作者である彼らに、
自信と誇りが芽生えてくるのだと話されました。

私はその言葉に大いに感銘を受けました。

るんびにい美術館は、障碍者であるがゆえの、
何ものにもとらわれない表現、
いわゆる「アール・ブリュット」と呼ばれる
作品を掘り起こして展示する美術館とは少し違います。

ここは、障碍者である彼らを、
創作活動によってアーティスト化する場所。

つまり偏見や差別を乗り越えるための
社会的活動を行う場に留まらず、
彼らに創作という力強い歩みを与え、
それを社会に発信していく中で、
彼らの「生きる力」を生み出していく
場でもあるのだと思いました。

私は板垣さんの話しを聞いて、
昨今の教員の不祥事問題について
私がこれまで考えていたことと
繋がったような気がしました。

教員の不祥事問題が起こる度に、
教育委員会から通知があり、
コンプライアンスの更なる徹底が求められます。

不祥事を「撲滅」するには、
「ひたすら管理職が職員に
言い聞かせていくしかない」と言われます。

結果、コンプライアンススピーチ、
職員朝会や職員会議での訓示や
コンプライアンス講話、
啓蒙パンフの配布などが繰り返されます。

でも私は、少し別の見方で職員の不祥事問題の
解決について考えていました。

それは、学校という教育現場の
内向き性からの脱却という視点です。

「教育公務員としての自覚を促す」ことは、
法律の条文やコンプライアンスマニュアルの
熟読を愚直に繰り返すことで達成されるのでしょうか。

まるでそれは、
「できない生徒は、100回ノートに書き写せ」的な、
旧来のパッシブラーニングの
手法のようにも思えてしまうのです。

私は、「教育公務員としての自覚を促す」ためには、
彼らを広く社会に発信し、
認知させていくような外向きの取組が
必要ではないかと思うのです。

学校の持つ貴重なリソースは
「誇り高きプロフェッショナルの教師集団」であり、
学校は、彼らと、彼らが有するコンテンツを
世界に向けて発信する使命を
持っていると私は思います。

教師のプロフィールや実績を正当に発信することで、
教師たちは社会からリスペクトされる存在となり、
その結果、誇りと自信が
培われていくのではないでしょうか。

教師の不祥事問題を無くすには、
頭ごなしに禁止や義務や制限を強いるより、
教師が外に羽ばたくための「自由の翼」を
持つことに私は意味を感じています。

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