数学教室7月号より

ブログがしばらく途絶えておりました。

フェイスブックの方には
盛んに書いているので、
そのうち、そちらの内容を
ブログにもまとめておきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

さて、本日、数学教室7月号が届きました。

sugaku201807LT.jpg

「数学を楽しく学ぶための目と心と手」
というタイトルで
ショート連載しておりましたが、
今回が最終回です。

以下、少しだけ紹介したいと思います。




1 Kさんからの手紙


昨年の暮れ、
将来数学の教師になる夢を持っている、
高校1年生のKさんから
突然手紙をいただきました。
Kさんの許諾を得ましたので、
以下に紹介します。

<前略>
私は将来数学教師として
多くの生徒と関わりたいと考えています。
先日〇〇先生から、
校長先生は数学の先生で、
とてもすごい方だと聞き、
お話してみたいと思いました。

数学とても楽しいです。
学んでいく度に新しい発見や
驚きがたくさんあります。
その数学を教えている
数学教師の皆さんはすごいと思います。
本当に尊敬します!!!

もちろん、他の先生方も
素晴らしいと思います。

けど、将来私が尊敬される先生、
「数学が楽しい!」
って思ってもらえるようになれるか、
とても不安です。

校長先生は、何か数学を
楽しんでやってもらうための
工夫をしていましたか?

校長先生は
『数学的見方・考え方というのは
教師が「教える」ものではなく、
生徒達が自分で「つかみ取る」
ものだと思う』
とおっしゃっている記事を拝見しました。

私はこの言葉に驚きました。
どのようなことなのでしょうか。

校長先生とお話したいことがいっぱいあります!
数学も教えて欲しいです!

<後略>


私は彼女の熱い思いに溢れた
言葉にとても感動し、
すぐに彼女に返事を書きました。

そして、返事を書きながら、
自分の中で、数学に対する思いを
再確認するきっかけになりました。

では、ここに、
Kさんへの返事を記したいと思います。

尚、既に「数学教室」に執筆した内容と
被る部分もあるのですが、
ご了解ください。

2 Kさんの手紙への返事

お手紙ありがとうございます。
Kさんの数学に対する熱い思いに
とても感動しました。

そして、このようにお手紙にして
「思いをことばで表現する」こと、
とても素晴らしいと思います。

Kさんの、そんな思いの強さと行動力は、
これから高校生活を送る中で
大きな武器になっていくでしょう。

「数学の見方・考え方」は
教師が「教え込む」ことによって
自動的に身に着くものとは
私は思いません。

その「教え」を受け、
何を「気づく」かが問題です。

もちろん、その気づきのきっかけは、
教師の教えだったり、
教科書を読んだときだったり、
友達と話をしているときなど、
様々な場面が考えられます。

でも、そこで「気づいた」のは自分自身です。

それは、きっと自分の中にあった
いくつかの疑問や、
これまで経験した中で獲得していた
「事実」の集まりが、
繋がりをもって
一つの「知識」として編み直され、
腹落ちした瞬間ではないかと思うのです。

「気づき」が起こるのは、
人によって異なります。
ふとしたきっかけでどんどん気づく人もいれば、
いつまでたっても
何も気づかない人もいます。

その違いはどこから来るのでしょう。

私は、それはいつも物事を
深く考えているかどうかの
違いではないかと思います。

そして、つねに好奇心を持っていること、
自分で問いを立て、
寄り道する心の余裕を持っているか
ということも大切かなとも思います。

まさに、Kさんのような人です!

私は昨年の3月まで2年間にわたって、
数学関係のある雑誌に
「数学という名の自由の翼」という
数学エッセイを連載していました。

その最終回に、ここでお話した
「気づき」「自ら掴み取る」
ということについて
まとめています(コピーを添付)。

数学教員向けの文章ですが、
是非読んでみてくださいね。

さて、「気づきの感度」が高まれば、
日常の何気ないところに、
数学が潜んでいることが見えてきます。

そこで、いくつかのエピソードを
思いつくまま記してみたいと思います。

■ なぜ数学を学ぶか

円周率の最高桁算出者として
ギネスブックにも載っている
東京大学名誉教授の金田康正氏は、
「円周率を何桁もだすことが
何の役に立つのですか」という質問に対し、
もちろん技術的な重要性も述べていますが、
それだけでなく、
「だって1兆桁目が『2』と
人類で初めて知るのは自分なんですよ」
というロマンも語っています。

登山家のジョージ・マロリーは、
「あなたはなぜ山に登るのか」
という問いに対して、
「そこに山があるから」
と答えたのは有名な話ですが、
私は、「なぜ数学を学ぶか」
の問いに対しても
同様のことが
いえるのではないかと思います。

数学に限らず、学問を学ぶ動機は、
役に立つとか、
金儲けするためとかだけではなく、
純粋に「知りたいことを知ろうとする欲求」
なのではないかと思います。

ノーベル医学賞を受賞した
利根川進先生は

「人はなぜ科学をするのか。
それは知らないことを知ろうとする
人間の属性である。
ものを知ろうということは
人間であるということ。
だから人間が存在する限り
科学は存在する」

と述べています。

人は美しい音楽に感動し、
美しい絵に感動し、
先人の作った詩や文章に感動します。

「感動」は人間が「生」を楽しむ
原動力だと思います。

数学という名の大きな文化を学ぶ意味も
そこにあるのではないでしょうか。

(以下4ページ分省略)

4 おわりに

高校の数学は、
ベクトルや微積や三角関数など
いくつかの領域に分かれています。
そういった領域の中で、
あるいはいくつかの領域をまたいで、
パッケージ化された
いくつもの解法技術を
たくさん身につけておけば、
間違いなく多くの問題を
効率的に解くことができるでしょう。

しかし、逆に、
そういった「知識・技能」
だけに頼ってしまうことによる
負の面も考えられます。

例えば見知らぬ問題に
果敢にチャレンジする気持ちが
湧かなかったり、
試行錯誤するプロセスに
楽しみを見出だせない、などですね。

それは人生においても同じです。
たくさんの「知識」を身に纏って、
失敗のない生き方を目指そうとすることは、
自分の中に限界を作り、
可能性を閉ざして生きる事にも
つながるのではないか、という。

スペシャルな技法がなくても、
そして、立派な解答を作成できなくても、
問題を解くプロセス楽しむこと。

そしてそこに潜んでいる
数学的エッセンスに触れて感動すること。
問題が解けなくたって、
これは立派な数学の学びではないでしょうか。

というか、それこそが、
数学の楽しさ、美しさに触れる旅であり、
それは人生を楽しむことにも
つながっていくと思うのです。

 

「数学教室」5月号

「数学教室」5月号が手元に届きました。

数学教室201805-05LT

先月号から
「数学を楽しむための『目』と『心』と『手』」
というタイトルで連載をしています。

数学教室201805-04LT

今回は、私が小学校4年生の時に
見つけたある定理の周辺について
書きました。

6ページの分量なのですが、
前置きの2ページ分を
以下に紹介します。




1 いろいろな「目」と「心」と「手」

前回は、数学を楽しく、
そして深く学ぶための
「目」と「心」と「手」について
お話ししました。

「目」とは、世界を切り開くための
数学的視点(見方・考え方)、
「心」とは、興味関心を持って
学びに向かい、
もっと深く学びたいと思う気持ち、
そして、その上で「手」が
解法スキルなどの
技能を身につけること
と定義してみました。

私は、この「目」「心」「手」という言葉を、
数学に限らず、
いろんな場面で使っています。

まず、それを
いくつか紹介したいと思います。

(1) グループワークのためのグランドルール

私は、グループワークを取り入れた
授業を行う際の冒頭に、
「グループワークを行うための目と心と手」
というテーマで
グランドルールを設定しています。

「手」はグループワークの手法などの
技術的なことですが、
「心」と「目」については
次のようにまとめています。

【グループワークを行うための3つの心】
① 自分の意見を主張するだけではなく、
 相手の話を引き出し、共感しあう場にしよう。

② グループ内でいい意見が出た場合、
 それを深め全員で共有しよう。

③ 失敗や、間違いを恐れず積極的に話そう。
 そして、それを気兼ねなく行える空気をつくろう。


上の3つのスローガンに込めた思いは
それぞれ「優しさを持つこと」
「当事者意識を持つこと」
「失敗から学び合うこと」です。

そして、これは、学習者に要求する
ルールだけではなく、
授業を行うものこそが
持たなければならない
マインドでもあると思います。

ここで述べた①②③を、
授業者の視点でまとめると
次のようになります。

① 教壇から降りて学習者と
 ひたすら対話する。

② 授業者が強引に
 本時のゴールに誘導しない。


次に、「目」は以下の3つにまとめています。

【グループワークを行うための3つの目】
① 鳥の目 
・今話していることが全体として
 どのように繋がっているかを、
 高いところから俯瞰してみること。
・見通すこと。一般化すること
 (ディダクティブな推論)。
 設計図を描くこと。

② 虫の目
・今中心となっている議論を
 深く掘り下げること。
・身の回りにあるものなどを
 例にあげてみる。
・具体的に考えること。
 帰納的に推論すること
 (インダクティブな推論)。
 試行錯誤すること。

③ 魚の目
・議論の流れを把握すること。
・相手の意見に共感、
 補強する意見を述べること。
 あるいは、反駁し、
 論点を明確にしていくこと。


(2) 深い学びを目指す授業

また、以前私は、
深いアクティブラーニングについて、
次のような図を
用いていたことがあります。

数学教室201805-01

ここでは、手と目と心ではなく、
脳(Brain)と手(Hands)と心( Mind)
としていました。

この3つがON状態(アクティブ)
であるとき、
主体的で深い学びが実現している
というモデルです。

今、この図をこんなカンジで
置き換えてみます。

数学教室201805-02

つまり、
「目」を「思考力・判断力・表現力」、
「心」を「学びに向かう姿」、
「手」を「知識・技能」という、
いわゆる学校教育法で
規定されているところの
「学力の3要素」を象徴するものとして
まとめてみることも
できるようにも思います。

(3) 「好き」と「わかる」と「できる」

最後にもう一つの「目」「心」「手」を
取り上げておきたいと思います。

それは、数学の授業が「わかる」ことを
「数学の目」、
テストなどの問題が「解ける」ことを
「数学の手」、
そして数学が「楽しい、面白い」
と思うことを「数学の心」
とするものです。
 
数学教室201805-03

私は、この「目」「心」「手」は、
その一つが強まれば、
他の2つも強まるような関係にあって、
互いに高められていくのが
本来の姿ではないかと思っています。

だから
「授業が楽しいから数学がわかり、
問題も解ける」とか、
「数学が解けるようになって、
数学が面白くなった」
といったつながりが生まれると思うのです。

一方、逆に
「授業がわからないのでできない。
だから数学は楽しくない」
という悪い循環も起こり得るわけです。

ところが、今、学校現場を見ると、
「数学は嫌いだけれど、
なぜかテストの点数は高い」
(表のGやCの場所)
というような傾向の生徒が
多く現れているように感じられます。

クラスの生徒たち全員が、
表のA~Hのどこにいるか、
その分布を調べるのは
大変興味深い試みであると思うのですが、
そこで生徒の特性がわかるというより、
むしろ授業を行う教師の佇まいが
浮き彫りにされるのではないか
と私は感じています。

数学的な余談、生徒との対話、
教具を用いて概念を見える化する、
実験・観察・アソビなどの
活動を取り入れる、
数学通信をつくる・・・

そういった「知的探求」を
時間の浪費と考え、
ぶっぱやく教科書を終え、
大量のプリントで追い込み、
ひたすら問題を解く技能を
叩きこむ授業。

あるいは、テストや提出物による
評価をモチベーションにした
管理型の授業。

そんな授業によって、
「できるけれど嫌い」
「テストの問題は解けるけれど
意味はわからない」
という生徒が生み出されているような
気がするのです。

そのような、教師のアプローチは、
子どもたちを「できる」ようにさせたい
という強い思いによるものであって、
だから、それは一つの生徒への
愛のカタチなのだという人もいます。

しかし、もし仮にそうだとしても、
そのことによって、
逆に数学を楽しむ「心」が奪われ、
自ら考えていこうとする「目」が
失われているのなら、
それは
「生徒のテストの結果をよくする」
ことよりずっと大きくて
深刻な問題であることに
教師は気づくべきです。




以下本題に入りますが
続きは「数学教室」で!


 

「AMI全国高校集会③ 概念の見える化」

AMIでの講座からの話題、3回目です。
問題解法的なこともやろうということで、
3月16日に花巻北高校1年生に行った
最終講義の内容から、
以下の3つの問題を取り上げました。

①今年のセンター試験の集合の問題
②同じく微積分の問題
③2017年の東大(文)の問題

それぞれのテーマは

①問題解決のアプローチについて考える
②深い学びとは何かを考える
③具体物により概念を見える化する

というところです。

ここでは、③について述べたいと思います。

【問題】
1辺の長さが1の
正六角形ABCDEFが与えられている。
点Pが辺AB上を、点Qが辺CD上を
それぞれ独立に動くとき、
線分PQを2:1に内分する点Rが
通り得る範囲の面積を求めよ。
(2017東大・文)


高校の数学とは、
授業で学んだアイテムを駆使して
大学入試というボスキャラを倒すこと、
それ以上でもそれ以下でもない、
などとミもフタもないことをいう人に
しばしば出会います。

とすれば、この問題は、
ベクトルの領域に分類されるので、
高校1年生の段階では
無理なのでしょうか。

いいえ。
この問題は中学校の知識だけで
十分「楽しむ」ことができます。

多くの大学入試問題には、
数学の重要なエッセンスが詰まっています。

そのエッセンスは、
ただ難しいだけではなく、
時に人々の心をワクワクウキウキ
させてくれるものでもあると思うのです。

なので、高校数学を、
単に道具を駆使して
問題を解く活動ととらえるのではなく、
そこにあるエッセンスを楽しむという態度も
時には必要ではないかと私は思います。

さて、講座は次の様な流れで行いました。

「ザビエルのゴム」という教具を準備します。
カラーの輪ゴムをいくつか連結させたものです。

s-IMG_0683.jpg

例えば輪ゴムを6個つなげて、
2:1の地点である4個目のところに
クリップを挟んでおきます。

すると、ゴムは一様に伸びるので、
クリップはいつでも2:1の地点を
示してくれますね。

例えば次のような問題がよくあります。

定点Aがあり、Pがある図形上を動くとき、
APを2:1に内分する点Qの軌跡を求めよ。


s-IMG_0684.jpg


写真のように、一方の端点を固定し、
もう一方を、円周上をぐるぐる動かすと、
2:1の地点であるクリップは、
ある円を描くことが「見える化」されます。

更にクリップに
濡れたティッシュを挟んでおくと、
軌跡を描いてくれます。

実際に問題を解く前に
このような演示をしておくと、
イメージ化ができ、モチベーションも
高まるのではないかと思います。

ちなみに、「ザビエルのゴム」は
「ザビエル」こと伊藤潤一先生
(白百合学園)の命名です。

上の写真にある実践は、
伊藤先生が初めて行った
ものではないかと思います。

東大の問題に戻りましょう。

この問題は、両方の端点が
独立に動くということ。

それがこの問題を高度にしている部分です。

講座では、モーフィングの話題を
取り入れながら、
ザビエルのゴムを
フル活用させて説明しました。

実は、ありがたいことに、
沖縄の漢那先生が
ショート動画を撮影してくださり、
講座後、それを送っていただきました。

というわけで、
漢那先生からいただいた動画に
解説を入れる形で編集してみました。

言葉で説明するより、
それをご覧いただいた方が
伝わりやすいかなと思います。



漢那先生ありがとうございます。


 

「AMI全国高校集会② 生徒たちとの思い出より」

AMI全国高校集会で行った講座では
生徒たちとの思い出として、
次の6つのエピソードを紹介しました。

①因数分解うんち君の思い出 
②4寸勾配の話し
③-1×(-1)はなぜプラス 
④ようこそ生き馬の目を抜く世界へ
⑤多角形にまつわるいろんな話
⑥Nさんとマクローリン展開

この中から⑤の
多角形にまつわる話をピックップします。

<その1>「言葉は重要」

盛岡三高に在職していた時、
夏休みのテキストを
回収して点検していました。

そのテキストには、
「凸八角形の対角線の本数を求めよ」
という問題がありました。

考え方は、8つの頂点から
2本選ぶ選び方の総数が
8C2=28本で、
そこから辺の数8を引いて
20本が答ですね。

totu8.png

ところが、ある生徒(結構数学が得意)が、
これを4本と解答していました。

「不思議だなあ、間違えるにしても
4本ってことはないよなあ」

と思いながら、
ふとテキストの隅っこを見ると、
うっすらとこんな図が描かれていました。

凸

なるほど、そっかあ。

確かに凸は八角形?いや八画?

言葉は重要だなあと思いました。

<その2>
「正多角形の対角線に魅せられて」


正五角形を描画する授業を行ったとき、
正多角形の対角線に
ハマった生徒がいました。

Fさんという女の子です。

彼女は、正五角形の対角線を引くと、
その内部に「子ども正五角形ができる」
ということを発見しました。

AMIgokakukei01.png

他の多角形でもやってみたいというので、
私はパソコンでいくつかの正多角形を
描いたプリントをFさんに渡しました。

すると、翌日に、
何と正36角形の対角線まで
ペンで描いて持ってきてくれました。

AMIkyuukakukei01.png

amitakakukei01.png

AMI36kakukkei.png

AMItakakukei01LT.jpg


Fさんは奇数多角形の時に
子ども正多角形が生まれることを発見し、
取りあえず正五角形と
子ども正五角形の面積比は
どうなっているか調べたいといいました。

花巻北高校では、
当時「数学愛好会」という
ゆるいチームを作っていて、
文化祭で数学展を行ったり、
岩手大学で研究発表
なども行っていました。

そこで、その愛好会の
メンバーたちに働きかけ、
子ども正五角形について
調べて発表しよう
ということになりました。

そのときの写真はこちらです。

20025kaku-01.jpg

20025kaku-03.jpg

20025kaku-04.jpg
(2002年岩手大学での発表)

彼女たちの考えた方法を説明する前に、
一般的な考え方を示したいと思います。

子ども五角形

図で、大きい正五角形と
内部の子ども正五角形の面積比は、
相似比の2乗、つまり、

BCの2乗:ADの2乗

となりますね。

図の△ABCにおいて、
BC=1、AB=Φとすると、
△ABCは底角が72度の
二等辺三角形なので、
AC=AB=Φとなります。

また、△ADBは底各36度の
二等辺三角形なので、
BD=AB=Φですね。

ここで、△ABC∽△DCAなので、
AC:DA=1:Φ。

すると、AC=Φなので、
AD=Φ^2(Φの二乗)となります。

すると、

正五角形の面積:子ども正五角形の面積
=AD^2:CB^2=Φ^4:1

ここで、Φは2次方程式
1+Φ=Φ^2
を満たす正の数なので、
この二次方程式を解くと、
Φ=(1+√5)/2(黄金比)
となります。

正五角形は子ども正五角形の、
黄金比の4乗倍になっているという、
とても美しい結果が得られました。

これがまあ
スマートな方法かもしれません。

次に彼女たちの方法を示しましょう。

kodomogokakukei01.png

seitonokaihou01.png

彼女たちは、
2つの正五角形の相似比を、
中心から辺に下した
垂線の長さの比と捉えました。

その高さHとhを三角比で表し、
見事に比を決定しています。

残念ながらここでストップしましたが、
ここから少し補足しましょう。


fai.png



キレイに求まりましたね。

最初の方法に比べれば、
少し遠回りのようにも見えます。

でも私は彼女たちが、
高さを三角比で表したり、
半角の公式を用いて72°の
コサインに帰着させるというように、
授業でやってきたことを、
自然に活用してくれたことに
とても感動しました。

数学の公式とは
数学の授業やテストの場面だけで
用いるのではなく、
様々な「状況」の中での
問題解決のための手段として
存在していることを彼女たちは
示してくれたように思うのです。

 

「AMI全国高校集会① オープニングの歌と演奏」

3月31日から4月1日までの2日間、
数学教育協議会
第23回全国高校集会が
岩手大学で行われました。

31日は、11時から
「教具展」と「おもちゃ箱」という
楽しいお祭りイベントがありました。

午後からは、長きにわたって
数学セミナーの編集長をされていた
亀井哲治郎さんの講演があり、
その後、私は2時間程講座を担当しました。

花巻北高校在任中の
最後の仕事でありました。

講座のタイトルは

「38年の数学教員生活に悔いばかり
~子どもたちから学んだことあれこれ~」

というものです。

そんな、好きなことを漫談チックに
語り散らかそうという内容だったのですが、
たくさんの方々が参加してくださり、
驚くやら恐縮するやらありがたいやら。

今回から何回かに渡って、
その講座の内容を
記していこうかと思っています。

講座のメニューは次のとおりです。

AMI0331-01LT.jpg


Ⅰ オープニングアイスブレイク
①解の公式歌 
②移項の歌

Ⅱ 生徒たちとの思い出より
①因数分解うんち君の思い出 
②4寸勾配の話し
③-1×(-1)はなぜプラス 
④ようこそ生き馬の目を抜く世界へ
⑤多角形にまつわるいろんな話
⑥Nさんとマクローリン展開

Ⅲ 花北最終講義より
①今年のセンター試験集合の問題より
②今年のセンター試験微積の問題より
③昨年の東大の問題に挑戦



実は、沖縄から参加されていた
漢那先生が、オープニングの
歌の動画を撮影してくださっておりました。

その動画をいただいたので、
今回はそれを一挙に紹介したいと思います。

①「解の公式歌」


ところで、
「解の公式」の歌詞には

「君は覚えているだろうか
2人で歌った解の公式を」

という表現が登場します。
これは、自己言及型
パラドクスの構文ですよね。

こんな図で説明しました。

kainokosiki.gif

②「移項の歌」練習版


③「移項の歌」本番


④「通分の歌PART1」


⑤「通分の歌PART2」


因みに、「解の公式歌」は
青森県の中村潤先生作詞作曲です。
「移項の歌」と「通分の歌」は
青森県の教育実習生の方が
作られたと聞いています。