「始業式で話したこと」

今日は始業式でした。

私は、本校が一番大切にしていることは
「生徒の命」ということを常々言ってきました。

そこで、2017年のスタートである今回は、
少し重いテーマですが
「いじめ問題」について取り上げました。

これは、特に今何かがあったから
ということではありません。

しかし、多様な個性が集まっている学校の宿命として、
人間関係上のトラブルは避けて通ることは
できないだろうという思いはあります。

それが、深刻な問題に発展する前に、
皆さんの心に訴えたい思いがあり、
敢えてこの機会を捉えて
話しをさせていただきました。

ジェットヒーターを焚いて、
防寒具を着てもらってはいましたが、
それでも肌寒い中で、
10分を越えて話しをしたので
特にセンター試験前の3年生には
申し訳なかったと思います。

でも、皆さん真剣に聞いてくれて
とても嬉しかったです。

保護者の方から、話した内容を
アップして欲しいとの要望もありましたので、
以下に記しておきたいと思います。




あけましておめでとうございます。
2017年が皆さんにとって、
輝かしい1年になることをお祈りしております。

皆さん、お正月はどのように過ごしていましたか。
リフレッシュできたでしょうか。

お正月にテレビをつけると、
バラエティ番組ばかりやっていて、
それはたくさんの芸人が登場してきますね。
皆さんは誰が好きですか。
私はお笑いだったらサンドウィッチマンが好きです。

最近、そんなバラエティを見ていて思うのは、
内輪ウケ、楽屋落ちみたいなものばっかりだなあ
ということなんです。

まあ、バラエティ界なんてそんなものでしょうから、
私が口をはさむことはないんですけれど。

ですが、私が今少し気になっているのが、
こんなバラエティ的な空気やトークが、
このまま学校の中にも映し出されているのではないか
ということなんです。

これは本校がそうだということではなく、
一般論として話しているわけですが。

仲間内で盛り上がることや、
軽妙なトークのやりとりばっかりで、
朴訥な人や、じっくり考え、深い表現をする人が
「空気が読めない人」として排除されるという
雰囲気が生まれているんじゃないだろうか、
ということなんですね。

本来、コミュニケーションとは
多様な人が交わり合う中で、他人を認め合って、
新しい人間関係をつくったり、
その中で新しい価値を生み出したりする
ということではないかと思うんです。

ところが、学校内におけるコミュニケーションが、
仲間だけの閉じた世界で、内輪だけで盛り上がって、
結果的に他者を排除している状況が
生み出されているのだとすれば、
それはとても悲しい話であり、
私は見過ごすわけにはいかないと思っています。

「死体遺棄」という言葉があります。

人間の遺体を放置することで、
これは非常に重い罪に問われます。

では、生きている人を「遺棄」することをどう思いますか。

死体は遺棄されてもそのことを自覚できないので、
心が傷つくことはありません(とりあえず現実的には)。

でも、生きている人が遺棄されると、
そのことでその人は傷つき、
場合によっては自殺に追い込まれることだってあります。

そういう意味では、生きた人を遺棄することは、
死体遺棄よりも重いことなのかもしれません。

皆さんは「遺棄」されたことはありませんか。
皆さんに手を挙げてもらうのは支障があるので、
先生方に聞いてみます

(聞いてみる)。
(何と一人も手が挙がらずショック!)

私は何度もありますよ。
例えば、バスケットやバレーの顧問を
しているときなんかそうでした。

専門部の集まりに行くと、しばしば遺棄されますね。
懇談会なんかで周りは和やかに盛り上がっている。
1人で時間を持て余し、すげえ勇気を出して
そこに踏み込んで会話を試みる。

でも、軽くスルーされる。

別に彼らは、何も悪気はないのでしょう。
私に意地悪をしていると思うのは
きっと私の自意識過剰なのでしょうね。

でも、私は物凄いプレッシャーを感じ、
傷つくこともあります。

「お前はここで我々と話をする資格はない」

といわれているような。

先生方から一人も手が挙がらないのがショックでした。
本当ですか、もっかい質問します。

(すると半数以上の手が挙がりました。
いやあ、ホッとしました。)

大人でもそんなことがあるのですから、
ましてや多感な青年期に向かう高校生では更なり、
ではないでしょうか。

私は小学校時代からそんな経験を
たくさんしている弱い人間です。

きっと、子ども時代から勝ち組にいて、
友達や先生にもバリバリいいたいことを言ってきた人には、
私のような気持ちは理解できないかもしれませんね。

でも、私は、そういう経験のおかげで、
遺棄されそうな人を気遣おうという気持ちは
人一倍強いと思っています。

さて、ここで部活動の話しをします。

部活動って、心を磨く場だ、人間性を高めていく場だ、
仲間の大切さを学ぶ場だ、といわれます。

でも、そこに落とし穴もあります。

逆に、仲間同士のヒエラルキー
(1軍と2軍が生み出される場)を助長する場、
つまり、限られた特定のグループだけで盛り上がって、
他者を排除する場になる要素が潜んでいるんですね。

私たちには部活動がそのような危険性を
孕んでいる場だという自覚が必要です。

そしてそんな本末転倒な場にならないように
気をつけていかなければなりません。

私が新年早々こんな重い話をするのは
実は訳があります。

昨年、皆さんや、保護者の方々から、
いじめアンケートや、電話や手紙により
様々なご意見をいただきました。

その数は相当多数に及びます。

私は、ご意見をいただくたびに、
校長室で関係者に集まってもらい、
対策会議を開いています。

なので、その回数はもう20回30回ではきかないですね。

でも、皆さんからいただいた意見は、
貴重な情報源であり、
本校への期待の現れであると私は捉えています。

さて、そのご意見を見ていくと、
具体的にいじめがあったということではないけれど、
読んでいく中で、私はこんなニュアンスを感じました。

1 部活動の場が関係していること
2 ネットやSNSが絡んでいること
3 他者への直接的な攻撃ではなく、
 いわゆる人を結果的に「遺棄」する行為であること
4 しかも、その行為が無自覚(そんな気はない)
 で行われていること
5 他者への気遣いという「想像力」が
 不足しているのではないかと思われること

昨年末の、12月27日から29日までの3日間、
毎日先生方と話し合いを重ねました。
その結果、まず、私がここで、
このようなお話をすることにしました。

そして、私から、各部の顧問の先生方に、
SNSと会計に関わる2つの調査をお願いしました。
(その内容は省略。)

今日、部集会または部活動の中で、
各顧問からこのような調査を行ってもらいます。

これは校長からのお願いということですので、
協力をお願いします。


「きりがえる」と「ざるどじょう」という話しがあります。
きりがえるとは、カエルを縛り付けて、
キリで突き刺すということです。

これは、明らかにわかる問答無用の攻撃です。
いわゆる目に見える形での「いじめ」ですね。

それに対して「ざるどじょう」とは、
ざるの中にドジョウをいれておくと、
自然と、大きいドジョウが上に集まり、
中くらいのドジョウがその下に、
そして小さいドジョウが最下層のところに
押しつぶされているという状態ができあがるんですね。

大きいドジョウは別に小さいドジョウを
直接的にどうこうしようとは思っていないので、
彼らには悪いことをした意識が働きません。

でも、そうやって、学校の中にヒエラルキー
(階層構造)が生まれ、
実はそれがいじめの温床になっている
ということもあるんですね。

では、皆さんに必要なことは何だと思いますか。
いや、皆さんだけではなく、私も含めた先生方もです。

それは多様性を認め合う学校文化をつくるということです。

大きいドジョウも小さいドジョウも
互いの良さを認め合って良い関係をつくるということですね。

人は誰しも遺棄されたくありません。
そこで、コンフォートゾーン(居心地の良い安全な場所)を見つけ、
そこに身を委ねようとします。

しかし、そこに、「あの人に比べれば自分はまだ大丈夫」
などといった、相対化が働くことで
深刻な事態につながるおそれがあります。

花高生は、それを乗り越え、
一歩踏み込める人になって欲しい。

それは、今、悩みの真っただ中にいる人、
人間関係で繋がりがうまくいかず困っている人などに
気遣う気持ちを持つということです。

もっというと、そのような気づきの感度を高めておくことが、
21世紀を生きる人間のコモンセンスだと思います。

部活動だけでなく、授業の場でも同様です。

私は、なぜ今、「主体的で対話的な学び」
(アクティブラーニング)を推進しようとしているかというと、
それは、大学受験を勝ち取るために
効果的だからではありません。

そんなちっぽけな話なんかじゃありません。

学校の大きなミッションとは
「授業の場で居場所をつくり、
共に学びあう意義を確認すること」
であるからです。

授業や部活動は、
教師や顧問が生徒に知識や技能を伝え、
スキルアップを図る場であるとともに、
授業、部活という生きた空間の中で、
生徒や教師が互いに向上しあい、
人間として成長していく場でもあります。

つまり、教師と生徒の対話、
生徒どうしの対話などを通して、
他人に敬意を払うこと、互いに尊重し、
相互に理解し合うことを学びあう場でもあります。

今、本校の職員は、10月から職員会議の後に、
全員で毎回ワークショップを行っています。

名付けて「花高活性化プロジェクト」です。

そこで私たちは、そのような授業改善も含め、
生徒が生き生きと学べる環境、
心のケアをどう充実させるかについて
必死に知恵を出しています。

生徒と教師は向上心の同志であります。

互いに良さを認め合い、
切磋琢磨する学校を共に創っていきましょう。

長くなりましたが、以上で私からの新年の挨拶と、
皆さんへのお願いをお話しました。


 

コメント

素晴らしすぎるメッセージ!
感動しました!
事実と現状と目指す方向をすべて明らかに見せて皆で共有し、前に進もうとする一体とした姿勢と熱意に満ち満ちていますね。
ありがとうございました!
2017/ 01/ 12( 木) 17: 56: 16| URL| 米島# -[ 編集 ]
 
コメントありがとうございます。共感をいただけて嬉しいです。そんな思いを共有していくことで、エネルギーが生まれ、文化や習慣に変化が訪れることを期待したいと思います。これからもよろしくお願いいたします。
2017/ 01/ 13( 金) 06: 02: 37| URL| しもまっち# -[ 編集 ]
 

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