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数学大好きさ2019

附属中学校数学通信
「すうがく大好きさ」
を発行することにしました。

WEB版もアップしていこうと思っています。

生徒だけではなく、
数学教師や保護者の方などにも
読んでいただき、
ご意見やご感想を
いただければと考えています。

創刊号は、4月12日の
授業開きの様子を中心に書きました。

創刊号→★★

第2号は先週の木曜日の
第1回の授業内容から、
「正負の数」の部分です。

第2号→★★


 

【ご案内・文化村さくら祭り】

平成最後の昭和の日の4月29日(月)、
花巻文化村のさくら祭りが
今年も盛大に行われます。

bunkamuraLT.jpg


花巻文化村ホームページはこちら→★★

餅まき、フリマ、屋台、などなど、
楽しさてんこ盛りのイベントです。

この午前のステージは、
花巻北高校合唱部、
奇跡のビートルズ少年KOUKI君の演奏の後、
しもまっちプレゼンツミュージックフェス
なるプログラムが設定され(てしまい)ました。

私も少しだけ演奏をしますが、
私一人では場が持ちませんので、
今、飛び入りしてくださる方を探しています。

もしかしたら、アメリカから
ステキなデュオが来てくれるかもしれません。

私も!という方メッセージしてください!

皆さんどうぞおいでください!

花巻の皆さんと久しぶりに
お会いできることを
楽しみにしております。

では~

文化村宣伝

 

「ゼロから1を創ること/タキックス・フォーエバー」

以前、香里ヌヴェール学院の校長の
石川一郎先生から、
とても興味深い話を伺いました。

それは、あるタスクを

0→1→・・・→9→10

という10段階の流れで示すとき、
AIが人間より得意な部分、
逆に人間がAIより得意な部分は
どこであるかという問いです。

結論を言うと、
人間がAIに上回るのは、
0→1のところと、
9から10のところだというんです。

なるほど。

0→1、つまり、無の状態から
何かをつくり出すということは、
創造的知性や、インスピレーションなどの
働きが必要であるし、
9→10は最後の仕上げであり、
出来上がったものに、
更に何かしらの思いやりや
気配りなどを加えるというのは
人間がAIに勝るものなのかもしれません。

ところがその一方で、
アップル社のCEOのティム・クック氏は
こんなことを述べています。

「人間のように考えられる能力をもつ
人工知能の存在に、僕は脅威を感じない。
それより、人がコンピュータのように
振る舞うことの方を憂慮している。」

学校現場を見ると、多くの教師は、
前例踏襲や、定型の処理を
こなすことは得意だけど、
「0→1」や「9→10」のような
行動をとろうとする人は
数少ないように思えます。

それは「多忙化」によって、
そのような余裕がないからだ、
そんな言い訳も聞こえてきそうです。

でも、様々な規則や
マニュアルを作ることに心血を注いだり、
従来やっているからという理由だけで、
それを批判的に捉えることなく
惰性的にこなしていたり、
情報を伝えることより
文書の体裁や字句に異常にこだわったり、
何を言ったかより、誰が言ったかに
神経をとがらせたり・・
そんな実態を見ると、
むしろ「多忙化」は、
余儀なくさせられているというより、
自らもその「多忙化」に加担し、
その輪の中をぐるぐる
泳ぎ回っているようにも見えるのです。

そして、そのことは、
子どもたちにも同じように求められます。

課題の提出率や家庭学習時間を
「勉強」の評価指標とする「学習指導」

ゼロトレランスなどという名のもとに、
細かい(くだらない)校則を
拡大再生産する「生徒指導」

業者の判定を金科玉条とし、
パソコンをひたすら叩いて
進学先をオーダーする「進路指導」

そのような指導は子どもたちを、
上の者に迎合し、
自分というものを失わせる生き方に
つなげてしまうのではないか、
人間として主体的に生きることをやめさせ、
ロボット化していくことなのではないか、
私はそんなふうに思ってしまうのです。

さて、とても前置きが長くなってしまいました。

本題に入ります。

一昨日、Tさんという、
ある公立小学校の先生が、教員を辞めて、
新たな仕事を立ち上げるとのことで、
友人たちによる彼女の激励会が行われました。

場所は、盛岡市内にある、
お米屋さんだった店舗を
素敵にリニューアルした空間です。

私はその室内を見て、
Tさんの思いの強さをひしひしと感じました。

私はTさんとは、
断食マイスターやマラソンなどで
ご一緒させていただいているのですが、
そこに共通する人物は、
株式会社惣兵衛の代表取締役である
畠山さゆりさんです。

つまり、2人とも
「さゆり先生の教え子」というつながりです。
Tさんの一念発起は、さゆりさんとの
出会いから生まれたものとのことでした。

実はこの日の激励会に集まった
メンバーみんなも、
さゆりさんから薫陶を受け、
彼女を心からリスペクトするサユリスト、
サユリチルドレンという面々です。

0419cake.jpg
ソーベーズのケーキ!めっちゃ美味しく、身体にやさしい

Tさんの起こす社名は「vesi」

これはエストニアの
天然水の名前でもあります。

彼女が提供するのは、
子どもでも大人でも気軽に訪れ、
対話や活動をする中で、心を癒したり、
安らぎを得たり、仲間を作ったり、
自分を見つけたりする
爽やかな水場とのこと。

私のような俗物は、
Tさんからそんな話を聞いても、
なかなかピンとこなくて
様々な疑問や質問が浮かびます。

「それは結局どんなコンテンツですか」
「対象は誰ですか」
「誰がどんなことをするのですか」
「それは何らかの教室ですか」
「それともカウンセリングのようなものですか」

でも私はこのような発想が浮かんだ後、
そのミもフタもなさに気づき恥じました。

なぜならそれは、
従来の価値観に縛られた位置からの
物言いだったからです。

つまり、彼女は、
0→1の仕事をしようとしているのに対し、
私は、3→4、7→8などという視点で
考えていたということに気づいたのです。

Tさんは新しい何かを
生み出そうとしているのです。

それは生み出された後に意味づけられ、
顧客が創造される。

それを従来あるモノサシで規定したり、
分類して安心しようとするのは愚の骨頂。

因みにドラッカーのマネジメントには
「コンピュータやコピー機への欲求は
それが手に入るようになって初めて生まれた」
ということが書かれています。
イノベーションとはそういうことなんですね。

Tさんは、こう言います。

「私は公教育に対して
批判的な視座を持っているわけではなく、
その価値や素晴らしさを十分認めている。
だから学校現場から飛び出すということではない。
でも私は、これまでの教員生活や、
さゆりさん始め、多くの人との出会いによって
気づき、築いた『自分自身』で、
公教育とはまた別の方法で
アプローチをしたくなった。」

素晴らしいですね。

私は、公教育に対する批判や疑問を、
様々な場で投げかけている者ではあるけれど、
そんな自分も、その内側の
「安全に守られた場」にいる人間なわけで。

それはやはり、6→7とか7→8
という程度のことに過ぎないんですね。

Tさんのように、これまでのものを捨てても
前に踏み出していこうとする勇気、
本当に素晴らしいと思います。

私が尊敬するキャリアカウンセラーに
工藤倫子さんという方がおります。
彼女は40を過ぎてから、
裸一貫、2人の幼子を連れて、
青森から東京に出て起業をされるのですが、
多くの人から
「やめた方がいい」「どうせ失敗する」
と言われたそうです。
でもそれを逆にパワーにして、
今では海外での講演に呼ばれるほどに
ご活躍されています。

畠山さゆりさんにも、工藤倫子さんにも、
捨て身の強さと腹の据わり方、
自分をとことん信じる力、
そして周りへの深い愛を感じます。
それはきっとゼロから1を創り出す
パワーにつながるっているのだと思います。

私はTさんにもそんな力を感じています。

「やってやろう」
「なんとかなる」
「ありがとう」
「ありのままに」

これは、やはり尊敬する
齋藤みずほさんから学んだ幸せの4因子。

この日のTさんの佇まいは、
まさにこれでした。

私は昨日、この素敵な空間で、
皆さんと楽しく懇談し、
Tさんの話しを伺いながら、
「サードプレイス」という言葉が
頭に浮かんでいました。

サードプレイスとは
アメリカの社会学者オールデンバーグ氏の
提唱した概念で、
彼はそのための8つの条件を提示しています。

大西正紀さんという方が、
これをとてもスマートに
ブログにまとめられていますので
以下に紹介します。

1 個人が思いのまま出入りができ、
 もてなすことを要求されず、
 全員が心地良くくつろぐことができる
 中立地帯としてある

2 会員等アクセスに制限がなく、
 あまねく人々が入ることができる

3 会話が楽しく、活気で満ちている

4 アクセスがしやすく、
 中にいる人々が協調的である

5 常に「新参者」を快く受け容れる「常連」がいて、
 いつも心地良い空気をつくる

6 日常に溶け込む簡素な外観(デザイン)をしている

7 明るく遊び場的な雰囲気を持っている

8 もうひとつの家、リビング、家族的な存在である


https://note.mu/masakimosaki/n/nc5bfa1a71342

Tさんは、ブレイクスルーの扉を開けました。
0はどんな1になるのか。楽しみです。

危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道になる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
(アントニオ猪木)

頑張れタキックス!

応援します!





 

電車でのできごとから

先日、通勤の電車の中で、
ちょっと面白い光景を目にしました。

私の隣に2人の女子高生が座っていて、
その一人が、左手にスマホ、
右手にA4版のプリントを手にしていました。

そのプリントは、ある教科の
センター試験演習の解答用紙でした。

解答は白紙でしたが、
スマホに解答の画像が表示されていて、
彼女はその解答を
テキパキとシートに写しこんで
解答を完成させました。

まあ、よくある光景です。

今日学校に提出しなければならない
宿題をやっていなかったのだなあ
と思って見ていると、
今度は、赤ペンを取りだして、
採点をしだしました。

その採点が面白いのです。

マルとバツを適当に織り交ぜているんですね。

単に模範解答を写したと思ったらそうではなく、
わざと塩梅よく「間違いを混入させながら」
解答を作っていたんです。

その結果40点台の得点になりました。

彼女は隣の子に
「このくらいの点数でいいよね」と囁きました。
この間僅か10分足らず。
私は、彼女のその一連の早業に
感心してしまいました。

ある意味スゴイ能力だなあ。
それは1ミリもその教科の
勉強にはなっていないけれど。

人は彼女の「能力」に呆きれ、
こう言うかもしれません。

「その力を勉強に注げ」と。

でも、私が思ったのは、彼女の能力は、
「勉強とは提出物を出すこと」という
「授業システム」によって身体化された
「悲しき性」なのではないかということです。

私は、彼女のふるまいを
教科担任が知ったら
どんな対応をするかを想像しました。

やはり、彼女の行動が
いかに馬鹿げているかを説き、
叱責するかもしれません。

でももしその教師が
「写しても何でもいいからとにかく提出しろ」
というタイプの人間だったら、
エクセルの提出物リストにチェックを入れて
安心するのかもしれません。

もう一つ私が思ったことを述べておきます。

それは、彼女のふるまいを大人が呆れる前に、
自らの仕事ぶりを振り返る必要が
あるのではないかということです。

我々も、意味なく、上から与えられた仕事、
前年やっていた業務をひたすらこなして、
カタチに仕上げることを
やっているのではないか、ということ。

であるなら、教師もその生徒と同様に
悲しき性が身体化されている存在なのではないか。

生徒の学びの主体化を考えるならば、
教師が創造的に、批判的に、自由に考え、
行動する存在であるかがまず問われるべきだ。

そんなことを考えました。


最後に、高橋勝氏と里美実氏の
言葉を記して終わりたいと思います。

対話にもとづく知の探究を
「時間の浪費」と考える教師たちは、
学習者を人間的主体性を欠いた物と化すことによって、
知識そのものを死物と化しているのである。
どんなにすぐれた知識でも、
人間が人間であることをやめるような仕方で
それが習得されているかぎり、
それは、精神をいっそう無力化する
重圧となることはあっても、
たえず物事に問いかける活発な精神を
育む力とはなり得ないだろう。
その意味では、一見能率的な知識の注入は、
かえって時間を無駄に使い捨てているのである。
僕らが時間を節約し、手際良く、
教科書のすべての知識を生徒達に伝達したとしよう。
生徒達の社会を読む力が、
それでいささかなりとも、高められるであろうか。
回答は教師自身が、誰よりもよく知っている。
いや、それは、教師自身の姿において、
すでに示されている。
(「学校を非学校化する新しい学びの構図/里見実」より)




生徒は教師の「あこがれにあこがれる」と同時に、
知への欲望に欠けた教師の
惰性的な授業やその振る舞いをも
無意識のうちに模倣し、内面化する。
歴史は暗記物だと思っている教師の授業を通して、
歴史は暗記物であることを生徒は内面化する。
未知の世界を探求する喜びよりも、
試験の点数がすべてだと内心思っている
教師の授業を通して、
点数こそがすべてだとする
貧しい学びの観念を植えつけられるのである。
ジラールの欲望のメミーシス論を踏まえるならば、
教師に求められるのは知識や技能そのものではない。
知識や技能に心底憧れる欲望(エロス)を
持ち続けているか否かという点こそが
決定的なのである。
(「最新教育キーワード第13版 
欲望のメミーニシス/高橋勝」より)


<追記>
この出来事があった後、
自宅に帰ってよく考えたら、
違うストーリーが思い浮かびました。
それは、スマホに写っていたのは、
模範解答ではなく、
自分の解答だったのではないか、
それを、先生から与えられたシートに
書き写していたのではないかということです。

もしそうだとしたら、
上記の話には進展しませんね。

そうであることを祈りつつ。





 

中央高校附属中学校に勤務しています

私はこの4月から、
新しい職場である
盛岡中央高校附属中学校に勤務しています。

この学校は昨年開校した
新渡戸稲造スピリッツを建学の精神とする
私立の中高一貫校です。

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私は数学を担当することになりました。

今言えることは、
「皆さんぜひ授業を見に来てください。
歓迎します~」
ということです。

4月5日に始業式があり、
新2年生と顔をあわせました。

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中学生めんこい!

最初の自己紹介をどうしようか
考えていたのですが、
定番ネタの手品にしました。

「人は往々にして過去を後悔し、
未来に不安を抱く。
でも、過去によって今は作られ、
そして今とは、皆さんの未来の前提なのだ。
だったら、後悔や不安なんか
くしゃくしゃに丸めて、
そこに新しい息を吹きかけ
(校長先生に息を吹きかけてもらいました)、
今を前向きに生きよう。
君たちに限界はない。
自分に自信を持って
新しい学年に希望を持って
臨んでください」


というカンジです。

家に帰って、
カミさんにパフォーマンスしながら
ビデオに撮ってもらいました。




翌日の6日には、マリオスで
盛岡中央高校と附属中学校の
合同入学式がそれは盛大に行われました。

海外姉妹校や、
スキージャンプの世界チャンピオン
小林陵侑選手からのメッセージなど、
中央高校らしさが随処に見られました。

また、校歌の紹介に先立って、
その由来などを、中高生が
英語で紹介する場面にはとても感心しました。

最近、中央高校・附属中のニュースが
目につきます。
陵侑選手の県民栄誉賞の話題、
新言語「令和」にちなんだ
本校中高生の名前に関するトピックス、
そして少林寺拳法で全国の代表84人の
トップとなり県勢初の優勝に輝いた
大久保君の記事等々。

素晴らしいですね。