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童話村の壁画

花巻市民の皆さんは、
一度は童話村を訪れたことがあると思います。

今は、ライトアップがとても素敵ですね。

私は、昨日、その童話村に、
あるモノを確認するために出かけてきました。

そのあるモノとは、
入り口の銀河ステーションの中にある
大きな壁画です。

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おおおお!ありましたありました。

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実はこの壁画は、今、ギャラリーBunで
「ファンタジックアート展」を開いている
古屋暁さんの作品なのです。

未来の入り口に手を差し伸べ、
旅立とうとする少年。

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これはまさに今回の
「ファンタジックアート展」のコンセプト
「未来の思い出」と重なります。

期せずして、古屋さんと花巻市の
縁を感じることができました。

展示はギャラリーBunで
9月30日まで行っています。

どうぞお気軽においでください!

(11:00~17:00火・水は定休日)

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いよいよ開幕「ファンタジックアート展」

昨日の午後から、
古屋暁ファンタジックアート展の
準備を行いました。

今回は「自由の翼展」の
第二弾ということも意識して、
古屋さんには
ファンタジックな作品をお願いしました。

何と、すべてアナログ(デジタル処理なし)
の手描きという、
まさに驚嘆すべき作品です。

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コンセプトは「未来の思い出」。

面白いですね。

普通「思い出」とは過去に対して
存在するものですよね。

古屋さんによると、今回の作品は、
過去から未来に向かう
クロノス的な時間軸ではなく、
現在と過去と未来が混然一体となっている
ところがポイントなのだそうです。

人は往々にして過去を後悔し、
未来に不安を持って生きています。

そんな中、「未来(現在)の自分が
現在(過去)の自分にメッセージを贈る」
ことにはどんな意味があるのでしょう。

それは、未来の前提としての
現在を充実させること。
あるいは、後悔の対象だった
過去を書き換えて、
今の自分の人生をポジティブに
受け入れることなのかもしれません。

いえい!ファンタジー最高!

因みに、古屋さんは
童話村の壁画にも
関わっておられることがわかりました。
花巻にも縁がある方なんですね。

展示は今日から30日まで。
15日・23日・30日は古屋さんが
Bunに来られますので
お話を伺うこともできます。

皆さんどうぞおいでください!

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昨夜は紫波町の「真魚板」というところで
私たち夫婦と息子夫婦で、古屋夫婦の
歓迎会を行いました。

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「古屋暁ファンタジックアート展」

【ご案内】
今日の午前中で
ホットスプリングス展は終了です。

多くの皆様にご来場いただきました。
本当にありがとうございます。

さて、ギャラリーBunでは引き続き
「古屋暁ファンタジックアート展」を行います。

私が大野高校勤務時代に知り合った
古屋さんを皆様に紹介したく、
この展示を企画しました。

古屋さんは山梨県生まれの
イラストレーターですが、
何と2003年に大野の美しい景観に魅せられ、
洋野町の萩ノ渡開拓という場所に
移住されるのです。

彼は様々な地域や企業から
ブランディングのオファーを受け、
イメージポスターやカレンダー、
果ては壁画制作まで手掛ける
スゴ腕イラストレーターです。

一方、私は古屋さんが描く、子供たちの
ファンタジックなイラストが大好きです。

まさに「自由の翼」を携えて、
未来に向かって冒険する子どもたちが
イメージされワクワクするのです。

今回は昨年行った「自由の翼展」の
第二弾企画として、
大野で出会った古屋さんの個展を、
妖精のいるファンタジーなスペース
ギャラリーBunで開催することにしました。

15日、23日、30日は
ご本人がいらっしゃいますので
お話を伺うことができます。

展示はは9月15日から30日までです。

また、23日の13時からは息子のライブや
東京から齋藤みずほ先生を講師に招いて
ハッピーマネジメントのワークショップも行います。

どうぞ皆さんお気軽においでください!

冒険に出かけた日LT

イボイノシシの夢LT

 

ホットスプリングス四半世紀の絆展

9月1日から開催しています、
「ホットスプリングス四半世紀の絆展」
の経過をかいつまんで
まとめておきたいと思います。

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展示会期間中、Bunさん特性の
紫蘇ジュースが振る舞われました。

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そして、嬉しかったのは、初日に、
この展示にも協力していただいている
梅村琴音さんが、
お祖母さんと一緒に来られ、
素敵なお花を持ってきてくださったこと。

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花ナスのアレンジメント。

気配りの心の深さを感じます。
こういう他者への心遣いが
自分の成長にも繋がっていくんでしょうね。
見習いたいです。

そしてお祖母さんの物腰やわらかく
知的で上品な佇まいに、
なるほど琴音さんのような
まっすぐな子が育つわけだと思いました。

玉川旅館のオーナーの
照井雄一さんにはとても驚かせられました。

25年前の特別番組の動画を観ながら、
そこにチラッと映り込む当時の人達の顔を見て、
瞬時に名前を言い当てるのです。

軽井沢、ハワイの一流ホテルで研修し、
日本の超一流ホテルで勤務した人は
違うんだなあと感心しました。

尊敬する国際交流協会理事長の
佐々木史昭さんが
奥様と来場してくださいました。

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一緒に懐かし動画を観ていたら、
オカリナ奏者のIさんが
友人とともに来られました。

私の無茶ぶりで、
急遽オカリナコンサートが始まりました。

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Bunの爽やかな空間に
温かいオカリナの調べが心地よく響きます。

佐々木さんからは
こんなコメントをいただきました。

下町先生プレゼンツ、
「ホットスプリングスと花巻四半世紀の絆展」
行ってまいりました。
素晴らしいコンテンツ、
25年前に姉妹都市締結に至った
経緯や様子がよくわかる素晴らしい内容です。
訪問団に同行取材して制作した
TV番組の録画DVDは必見です。
これまで多くの方々が
ホットスプリングスとの交流に
関わって頂いていますが、
是非ご覧頂きたいです。
本来は、花巻国際交流が率先して
企画しなければならないほどの内容ですが、
ここは下町先生に甘えて、
ピーアールに回ります。


また、FM花巻のパーソナリティの
梅村哲子さんは、来場された感想を
以下のように述べてくださりました。

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四半世紀にわたり交流が続いているって、
世代をまたいで交流があるっていう長さですよね。
夫婦でも親子でも学校でも職場でも
ママ友でも嫁姑でも隣人でも
25年間接していれば、
喧嘩も仲直りも仲違いも誤解も勘違いも
修復も諦めも受容もあるんだもの、
きっと姉妹都市間だって
100%良いことばかりではなかったと思うのですが
歴代の双方の関係者の皆さまの気持ちで
こうして続いてきたんだなぁと、
心がぽわぁっとする展示でした。


参観者はペースはぽつりぽつりではありますが、
逆にそのことで、
お一人お一人とじっくりとお話することができて
とてもいいですね。

あるときはピアニストの方がいらっしゃったので
1曲弾いていただいたり。
本当にBunは心がぽわぁっとする
くつろぎの空間ですね。

そして9月8日はビッグイベント。

ホットスプリングス訪問団の
ウェルカムパーティーを行いました。

何と、訪問団26名全員含め、
総勢40人を超える参加の下
大いに盛り上がりました。

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窮屈ではありましたが、メリンダさんはじめ
皆さん喜んでくださったと思います。

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畠山さゆりさんから
ソーベーズのちびすけシリーズ、
髙橋圭子先生からはカモメの卵を
差し入れていただきました。

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皆さんに提供したら大人気。
ありがとうございます!

また、昨年11月に
ホットスプリングスの旅を共にした
花北の大内君も来てくれたのですが、
彼は自宅に電話して、
何と!できたての豆腐と生揚げと納豆を
たくさん持って来て下さいました。

期せずして豆腐パーティーに!

Robert Zunickさんとの
ギター&ピアノのコラボも
ちゃっかりやっちゃいました!

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たくさんの思い出深いシーンがありました。
でも、私はホストで大忙しだったため、
あまり写真を撮ることができず残念。

心のカメラにたくさん写しました(笑)

短い時間でしたが、温かく深い交流が
できたのではないかと思います。

Iさんのオカリナ演奏でのお見送りも素敵でした。

皆さんが帰った後、
私はしばらく放心状態でした。

このイベント成功のために、
親身に助言していただいた布臺さん、
そして、小原さん、柏葉さんはじめ
多くの皆さん。

本当にありがとうございました。

今回の展示の大きな目玉は、
25年前の訪問団の団長を務めていた
小田島孝四郎さんが、
メリンダ市長からいただいた薔薇の絵と、
孝四郎さんの旅日記、
そして、25年前に花巻市とIBCが製作した
テレビ番組の動画です。

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これらのコンテンツは、孝四郎さんの娘さんの
小原匠子さんからご提供いただきました。

小原さんはSNSで
このようなことをお話になられています。

下町先生、布臺部長のおかげで
3年前に他界した家庭では見られない
現役の頃の父の話を聞くことが出来ました。
そして25年ぶりにまた映像で
父に会う事も出来ました。
家で眠っていた品々を
生かして頂く機会を得た事に
感謝しております。

折しも調印時市長のメリンダさんが
いらっしゃるとの事、
訪問団だった方で再会が叶わない方が
数名いらっしゃるのは残念です。

「お父さん、メリンダさんから頂いた
薔薇の花の絵を四半世紀の時を経て
メリンダさんが再会出来るそうですよ
良かったね」(ひよっこ風に(笑))

調印時、アーカンソー州州知事はビルクリントン。
ちょうど大統領になった時で
調印式に出席するはずだったのですが、
急遽ホワイトハウス入りになり
クリントンさんのお母様のケリーさんが
代理出席になった。

そして四半世紀後の今、
花巻東出身の大谷が
メジャーで活躍している。

アーカンソー州にはメジャーチームが無いので
きっとホームとして応援してくれるでしょう✨

双方“時の人”が居たのも
スゴイご縁だな〜と思います✨

この展示は四半世紀の時をかけて
行政間に留まらず、
柏葉さん達のスポーツ交流、
下町先生の学生やロータリーなど
教育、文化、商業交流にも
広がりを見せています✨
これからも血の通う交流が
100年先まで続きますように


翌日の岩手日日に、
この日の様子がとても大きく報道されていました。

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取材していただいた横島さん
ありがとうございました。

皆さん本当に本当にありがとうございました。

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「私の教育実践」

先日、フェイスブックで、
中学校の合唱コンクールのことを
書いている投稿を目にしました。

その中にあった
「合唱は、生活態度、人間関係が
全て出るんです」
という言葉になるほどと頷きました。

そして、私は今から30年程前、
ある冊子に書いた記事を思い出しました。


私は1988年から2年間、
岩手県高等学校教職員組合の
本部青年部長を務めていました。

当時、初任者研修実施のため
教特法が改訂され、当時の青年部は、
「教師が自らを主体的に磨こうとしなくなる」
ということで反対運動を行っていました。

一方、ただ反対を唱えるのではなく、
それに対置して青年部内で
教育実践集を作ろうと提起しました。

そこで、若い先生方に原稿執筆をお願いして
1989年2月に
「私の教育実践」という冊子を作りました。

私の教育実践LT


私もこの冊子に、
「あなたの教育実践」というタイトルで、
当時勤務していたM校での
合唱コンクールのことを書きました。

M校はいわゆる
「底辺校」とよばれていた学校で、
学力低迷、生徒指導上の問題も
噴出していました。
職員集団もバラバラで、
事なかれ主義が強く感じられました。

そのような中で、
合唱コンクールをきっかけに
学校を変えていこうと3人の若い教師が
取り組んできたことをまとめたものです。


部屋の中を探したら、
当時の冊子が見つかりました。

30年ぶりで読み返し、
当時のことを懐かしく思い出しました。

そして、当時の青年部長時代も、
管理職になったときも、
思いは変わっていないなということを
あらためて実感することができました。

若気の至り、汗顔の至りの文章ですが、
以下に、当時の文章を
記しておきたいと思います。





<前段省略>

Y先生は、若々しくて、美しくて、スマートで、
それでいて気さくで、
そして母の優しさを持った
それは素敵な先生です(ちょっとほめ過ぎ?)。

このY先生が、M校に赴任した時
「合唱コンクール」は
今にも死に絶えようとしていた。

かつてM校では、合唱コンクールや、
弁論大会が盛んだったが、様々な歴史の中で、
こういう行事が不活発になってしまっていた。

この理由として、中学校の輪切り進路指導とか、
生徒の多様化などを指摘する人もいるが、
それよりも、上からの指導に従順に従えばよい
という生徒を生み出す、
管理教育の弊害が原因だ
と言った方が真実だ、と思う。

合唱コンだ、さあやれ、声を出せ、
皆で一致協力するんだぞ、
などと「指導」しても生徒は動かない。
すると、ああなんと情けない生徒だ、
それならやめるべ、という雰囲気で、
先生方も疲れ、おざなりに生徒会行事が
見過ごされているように思う。

合唱コンクールは文化祭の中で
実施することになっている。
Y先生は合唱部と吹奏楽部の担当で、
それだけでも大変だったのに、
全クラスの指導を本当に情熱的に行った。

毎日の練習計画を作り、
全クラス全パートの譜をテープに録音して配ったり、
1年生と2年生の一部しか音楽の授業がないので、
自習時間を使い、全クラスを指導したり、
「合唱コンクールニュース」を作成し配布したり・・・
三面六臂の活躍だった。

そのY先生の指導に皆がついてきた
といえば何もいうことはないのだが、
残念ながらそう簡単にいかないのが人生である。

特に男子生徒の中には、
女子と一緒に合唱するなんて寒気がする、
しらける、などといいながら、
練習から逃げ出す者も多かった。

このような生徒たちを前にして、
どう対応していくか、難しい問題である。

いつも上から命令されなれていて、
下へ命令ばかりしている
「先生」という商売をしている我々にとって
「処方箋」はなかなか見つからない。

せいぜい「練習時間だから早く集まるように」
などと放送をかけたり、
練習をサボった者を後から叱りつけるぐらいか。

最近は、形式指導が横行し
(例えば服装指導の徹底
→保護者あて文書発送
→服装点検→悪い
→担任注意→3日以内に従わない
→保護者召喚
→それから5日以内に直さない
→生徒指導課長指導・・・)
それに慣れきっている我々にとって、
こういう場面にでくわしたときどう指導するか、
できるか、は大きな問題である。

ここでいいたいのは、最後まで頑張り、
クラスを盛り上げたのは、
若い教師たちだったということだ。

これは、Y先生のひた向きな姿勢に
打たれてついてきた、
というより、それにノッて自分たちも楽しんだ
といったほうがよいのかもしれない。

今の生徒たちを乗せるには、
教員の側が悲壮感の塊になって
「先生がこんなに一生懸命やっているのに
どうしてわからないんだ」
方式ではだめである。
こちらが眉間に皺を寄せていると、生徒も暗くなる。
ならばその逆も言えるのではないかと思う。

教員である私たち自身が楽しむ、
自分たちの幸福を追求しようとする、ということと、
子どもたちの幸福を願うということは矛盾しないことだ。

M校で一番若い、
教員になりたてのO先生は
そう言う意味で生徒を乗せるのがうまかった。
「最優秀賞をとったら皆に肉まんをおごる」
ということもあってか、
彼のクラスは見事最優秀賞に輝いた。

「クラスを優勝させるために『肉まん』という『物質』を
代償として与え、目的をすり替えた」

という非難は、ここでは当たらない。
合唱コンクールは「勝つために」ではなく
「心が一つになる」ということがテーマである。
つまり、クラスの一人ひとりが楽しい気持ちになり、
それを他人と共有する、これが目的である。

この達成のためならば
自腹を切るくらいなんでもないと思えるクラスを、
そして、そういったときにノッてくる生徒を
つくったことがもう彼のクラス経営の
勝利なのであった。

翌年のコンクールでは、
彼のクラスは黙っていてもよく取り組んだ。
そして、横綱相撲でV2を達成した。

O先生は自分のクラスの最終練習を見にいって

「あいつらすんげぇ~。俺は何もしていない。
あいつらやる!」

などと大声をあげて興奮しながら
職員室に駆け込んできた。

新人類でクールな彼が
感激して泣いているのである。
こういう経験はまさに教師冥利に尽きる。

Y先生が来て1年目、
先生の最大の努力にもかかわらず、
合唱コンクールは全体的に低迷した。

しかし、その中にあって、
O先生と私の青年部員
(M高校には青年部員はこの2人だけ)
のクラスは素晴らしいハーモニーを聞かせ、
生徒たちも大きな自信を持った。

その夜、2人の若い教師は痛飲し、
勝利の美酒に酔いしれたことはいうまでもない。

2年目、Y先生は「職員チーム」も
参加しようと提案した。

曲は前年度の私のクラスの自由曲「若い翼」になった。
朝会の後、昼休み、
分会会議の後など集まって練習した。
M校は女性が多いので混声2部などすぐできるのだ。

本番では職員が一つになった
素晴らしい演奏を披露できた。
生徒が喜んだ。
そして、ステージに立って生徒を見ながら、
私たち自身、何かを得たような気がしたのだった。

もちろん、若い先生方とそのクラスの活躍は
目をみはった。

Y先生のクラスは
いわゆる「つわもの」たちが多く集まっているのだが、
何と、その男たちが
ステージで本気で歌っているのである。

音程は狂っている。
しかし声を限りに歌っているのだ。
まさに「ブリキの勲章」であった。

この光景を見て私は涙がとまらなかった。


どうしようもない管理体制の中で、
Y先生は少しずつであるが風穴を開けてきた。
それは、自分自身の勲章のためではなく、
また母校の栄誉のためときばったものでもない。
「音楽」を通して、一人一人の子どもに
豊かな人間になって欲しいという
自然な働きかけであった。

私たちは今、「教育」とは何かを
もっと真剣に考える必要はないだろうか。
私たちが「良い」と考えることは、
実は他との比較、
あるいは数量化や序列化によって
「良い」となることが大半ではないか。

例えば、進路指導という名のもとに、
個人、学校間の競争に奔走し、
それが本質的な教育、
または自分の教師としての
生きがいと考えてはいないだろうか。

多様な生徒、非行などを前にして、
緊急避難的であるにせよ、
学校管理体制の中に身を寄せて、
そこに安住してはいないか。
生徒や家庭の状況のせいにして、
そこに逃げ込んではいまいか。

若い教師の「体当たり」実践は
いつも失敗がつきまとう。
だからここで私は、若い教師は
何事にも失敗を恐れずに
情熱を持ってやるべきだ、
などと安易に結論づけようというわけではない。

そんな話は「管制研」の中でも
説教的に聞かされることである。

誰かが何かをやる。
その時、これは私の分担ではないとか、
分掌が違うから、
などと無関心では学校を変えることはできない。

「この指とまれ」で盛り上げる、
我々がノル、生徒がノル、
それが協力と共同の教育実践だ。
活力のある学校づくりだ。

「若い者はまず見ていろ」
「まず学べ」「まず形から」
などという文句をいわれながら、
今、青年教職員が死んでいる。

そんな今こそが、
若い教師が立ち上がる時ではないだろうか。

(1989年2月)


ここで登場するO先生とは
私の高校の後輩でもある沖俊夫先生である。
彼はこの数年後、激務の中で倒れ、
若くして帰らぬ人になった。
真直ぐに、直向に、
一気に駆け抜けていった
彼の教員人生に敬意を表しつつ、
あらためて彼のご冥福を祈りたい。