生徒総会での挨拶

昨日、生徒総会が行われました。
そのときの挨拶を以下にまとめておきます。





今、NHKスペシャル
「シリーズ人体~神秘の巨大ネットワーク~」
という番組が放映されています。

この中で、人体のメカニズムに関する
最新の知見が紹介されているのですが、
実に面白いですね。

私が興味を引いたのは、各臓器が独立して、
それぞれの役割を担うのではなく、
臓器が互いにおしゃべりしあうこと、
つまり、ネットワークを形成して
互いに直接情報をやり取りしながら、
生命活動を維持しているという部分です。

私がこれまで人体について
抱いていたイメージは、
すべての臓器の司令塔として脳があり、
その命令に従属して
臓器が働くというものでした。

最新科学は、そんな常識を
覆したというわけですね。

私は、このような、脳からの指令を
上位下達で受け取るのではなく、
それぞれが互いに関連しあい、補完しあい、
全体として一つの調和を保つ
という人体のメカニズムは、
生化学に留まらず、
まさに組織論として学ぶべきものが
あるのではないかと感じました。

ここで、生徒会活動を考えましょう。

生徒会執行部を
生徒会活動の脳(ブレーン)と例えるなら、
部活動や、委員会や、クラス、
これらは臓器であり、
そこに所属する生徒は細胞です。

かつては、執行部のリーダーシップとは、
優れた企画を練り上げ、
それを末端まで伝えていくことができる
能力だったのかもしれません。

でも現在は、そうではなく、
互いにネットワークを築き情報を交換しながら、
あるいは、弱くなった部分を補完しあい
互いに影響を与えあいながら、
学校全体を活性化していくことが、
本来の生徒会活動の姿ではないかと思っています。

私は二十数年前、
大野高校という学校で
バスケットボールの顧問をしていました。

当時、私が体育館に足を踏み入れると
部員から「ご苦労様です」
という声をかけられました。

あるとき私が、「ご苦労様」という言葉には
違和感があるなあ、と呟いたら、
選手たちが一生懸命考えてくれて、
「お疲れ様です」という言葉に変わりました。

すると、その挨拶がバレー部など
他の部に伝わりました。

そうしているうちに、いろんな場にそれが転移し、
今では大野高校のすべての生徒が、
「お疲れ様」の挨拶を互いに交しあう
学校になったんですね。

つまり、バスケット部の
ちょっとした自発的な活動が、
学校の文化や習慣を変えることにまで
つながっていったわけです。
 
今朝、校門で男子ハンドボール部の生徒が
挨拶運動をしながら
道路の清掃を行っていました。
聞くと自分たちで考えたとのことです。

今日のお昼は、放送部が
アナウンス活動に取り組んでいましたね。

美術部のシャッターアートや、
家庭クラブを中心に生まれている
万葉植物園復興の動きなど、
今、皆さんの自発的な活動が
とても多く見られます。

これらが、個の活動から、
つながりを生み出し全体に波及していくような
ダイナミックなものに転じていけば、
学校力が増していくのではないかと思います。

今日の生徒総会が、
そういったことを促進する場になることを
願って挨拶とします。

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センター100日前集会② 目に入れた文字への思い

昨日行われた、センター100日前集会での
ダルマの目入れの様子を紹介します。

今年は、各クラスの代表6名が、
それぞれダルマの目に漢字1文字を書き入れ、
その思いを述べる形で進行しました。

6人が書いた漢字は

「今」「優」「為」「強」「貫」「空」です。

その思いをまとめると以下の通りです。

●「今」
センターをあと100日後に控えた今、
過去への後悔や未来の不安もある。
その過去と未来の分岐点である「今」、
あらためて「今の自分」を問い直し、
「今を大切に」したい。


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●「優」
2つの思いを込めた。
①「優」とは「すぐれる」という意味がある。
 努力を積み重ね優秀な成績を収めたい。
②「優」には「やさしさ」という意味があり、
 また「うれい」という字が隠れている。
 私はこれまで挫折を経験し、
 悔しい思いもしてきた。
 そんな時、顧問や担任の先生などの
 優しさに救われた。

 「憂い」を「優しさ」よってささえてくれる
 周りの方々への感謝の気持ちを表したく
 この字を選んだ。


●「為」
為すとは目的意識を持って行動すること。
「為せばなる、為さねばならぬ何事も」の精神で、
何を為すべきか考え、
そしてやればできるという思いをもち進んでいきたい。


●「強」
私は「強い人」になりたい。
模試の結果が思わしくないとき、
心が折れそうになる。
そんなとき、それに負けない「強い心」を持ちたい。
そして、高校入学時に思っていた
大学進学への「強い思い」を
失わずに生きていきたい。

人は人、自分は自分。
自分のやるべきことをひたすらやり続けていく。


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●「貫」
部活動で学んだ、思いを貫き通し、
最後までやり抜く気持ちを、
これからのセンター試験に向けての勉強にも
活かしていきたい。

できない理由を探すのではなく、
できる可能性を見つけ出す。
追い込みのこの時期こそ、だれよりも頑張る。


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●「空」
仏教用語の「空(くう)」を選んだ。
存在にはその実体となるべきものはなく、
万物は相互に作用し合って存在する。
そして日々の積み重ねこそが、私の存在だ。

そういう思いから、強い決意をもって
一日一日を大切に生きていく。



皆さんの、強い決意や感謝の気持ちを、
皆のものとして共有することで、
増幅させていこうという思いが伝わりました。

この様子を見守っていた
後輩たちにもきっと伝わったはずです。

最後に学年長から強い励ましのメッセージと
1・2学年からエールがおくられました。

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3年生の皆さん、あらためてこれからの日々を
充実させていってください。


 

センター100日前集会① 私の挨拶

今日はセンター100日前集会でした。
今年から、趣向を変えて、生徒会行事として、
生徒主導で行ってもらうことになりました。

ダルマの目入れ式の模様は後日紹介します。
とりあえず冒頭の私の挨拶を以下に記します。

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私が本校に勤務していた
10年ほど前のときもそうでしたが、
本校では、もうずうっとこの
センター100日前集会と
ダルマの目入れ式をやっています。

それだけではなく、センター試験の時には、
2年生の応援団幹部が、試験会場の
富士大学に向かうバスに向かって
エールを送ってくれます。

因みに昨年は深雪の中、
裸足でエールを送ってくれた幹部達の様子が
いまでも目に焼き付いています。

また、会場には、先生方が書いた、
生徒への愛に満ちた寄せ書きの
ボードも置かれていました。

わざわざ朝会場に駆けつけて、
書いてくれた先生もいました。
転勤した先生方からも
メッセージが来ていました。

このようなセンター試験に向けての儀式、
花高らしい風景ですね。

進学校といわれる学校で
このようなイベントを残している所は
少ないかもしれません。

そんな中、今回は、生徒主導の形式に
モデルチェンジするとのこと、
大変素晴らしいなあと感じています。

そういうわけで、これまでは、
それぞれの先生方から
一言激励の言葉を
述べていただいていたのですが、
今回は、職員を代表して
私から一言挨拶をいたします。

受験勉強は所詮個人的なもので、
すべては個人の努力に帰すことかもしれません。

だから、こんな風に集団行事として行うことは
意味がないという人がいるかもしれませんね。

でも、私はそこに少しだけこだわってみたいのです。

受験勉強は個人ごとではある。

でも、その個人が努力するための学習環境は
個人的な問題ではない。

なぜなら、クラスの学習する雰囲気、
切磋琢磨して頑張りあえる仲間の存在、
クラス担任や教科担任の激励や働きかけ、

これらが、個々の学習に
返ってくると思われるからです。

そして、それによって、
受験勉強が結果だけではなく、
そのプロセスにも価値が与えられ、
人間的成長を促すものに
なっていくのではないかと思います。

キレイごと、と捉える人もいるかもしれませんね。
でも、受験勉強であっても、
私やここにいる花高の先生方は
そこに教育的価値を求めていきたいのです。

いってみれば、私たち教師の商売の目標は、
皆さんを志望大学に送り込むことの前に、
学び続ける力、苦難に立ち向かい、
それを乗り越える力、

「君が憂いに我は泣き わが喜びに君は舞う」という、
他者への共感や支援しあえる
場をつくることなのだからです。

「練習はウソをつかない」という言葉があります。
それは、練習すればしただけの成果が出る
ということでもあるし、
練習したことしか本番に出せないという、
厳しい見方もできると思います。

それは、一面真実ですね。

「普段通りの力」が発揮できるためには、
「これまで何を見てきたか」
つまり、どんな練習を積んできたか
ということに依存するのでしょう。

でも、センター試験を「集団ごと」「みんなごと」
と捉えていく本校のような環境の中にいる君たちには、
もう一つの強さが備わっていくのではないか。

それは、「見守られている者の強さ」です。

見守られている者には、
「これまで何を見てきたか」という
過去の経験に加えて
「今何を見ているか」
という現在から未来に向かう強い思いが
存在しているはずだと私は思います。

そして、そんな受験を集団ごととして
皆で分かち合う空間の中で、
「普段以上のミラクルなパワー」が
生まれてくるのかもしれません。

私たち職員は、これまでも、今日も、
これからも皆さんを見守り、
パワーを送り続けます。

May the Force be with you.

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話しの中で使った紙板書。
上は「風の大地」の沖田プロの言葉です。
下はご存知「フォースとともにあれ」
というセリフ。


 

「黒橋の鉄人セミナーの感想文より」

来週、東北文化学園大学で開催される
「第51回クリエイティブサロン」
での講演資料を作っていました。

その中で「主体化」について考えたことを
フェイスブックにアップしました。

<以下フェイスブックの記事より>

教師は、キャッシーデビットソンや
マイケル・オズボーンの話を
判で押したように引き合いに出し、
社会のドラスティックな変化を語り、
だから生徒は変わらなければならないと唱えます。
そして、子どもを学校教育の内側、
つまり、教師の掌の上で変えようとします。

でも、私が思うのは、そもそも子どもは
主体的な存在だったのではないか
ということです。

それが教育という「社会化」のフィルタによって、
「主体な」自分がどんどん潜在化して
しまっているのではないかという気がするのです。

とすれば、教師は、生徒を変えようと、
過剰に足し算をするのではなく、
むしろそんな過剰な自分の鎧を脱ぐ、
引き算をすることが必要なのではないか。

つまり、子どもたちに「知識や技能」と
同様のやり方で「主体性」までも
叩き込もうとするのではなく、
そもそも既に持っている主体性を
「あるがままに」顕在化させるように、
教師のマインドや学校教育の在り様を
変えていくことが必要ではないかと思うのです。

ようするに変わるべきはこちら側だったのです。
そんなことを思いながら
「べきことのお風呂」の絵を描いてみました。


べきことのお風呂LT

実は、このことを考えだしたきっかけは、
以前ブログでも紹介した、
「黒橋の鉄人セミナー」でした。

その記事はこちら→

その時の記事の内容と
かぶる部分はありますが、
以下に「黒橋の鉄人セミナー」で感じたことを
再びまとめてみたいと思います。


8月7日に、花巻北高校で、
文系の3年生を対象に「黒橋の鉄人セミナー」
という課外講習を行いました。

3年生のこの時期の課外講習というと、
通常はセンター試験対策やら
大学受験に向けての演習になるのですが、
今年の進路指導課は、むしろこの時期だからこそ
学ぶ意義について見つめ直そう、
という視点に立ち大胆な企画を行いました。

その一つが、元岩手県教育長の相澤徹氏による
「社会・仕事と自立」という240分もの
ボリュームのあるキャリア教育に関する講義でした。

受講者である99人の生徒が相澤先生に
感想を書いて送ったところ、ほどなく、
相澤先生は全員にコメントを添えて返してくださいました。

生徒の感想がとても素晴らしく、
生徒の思いがよく伝わってきました。

図01LT

図02LT


以下、何人かの感想をあげておきます。



自分自身が一人の人間として
社会に順応していくためには
「自立」し、「人の幸せ」いついて
追求していかなければならないことがわかりました。
相澤先生はそれらの実現のためには
「知識」「経験」「感性」の構造化が必要である
とおっしゃっていました。
もちろんその意見は理にかなっており、
納得できる部分も多くあります。

ただ、僕自身感じたのは「経験」や「感性」は
獲得したものを生かすことはできると思うのですが、
「知識」は獲得したものをそのまま生かすことは
できないだろうということです。

「知識」を身につける最大の意義は、
生きるための知恵、を獲得するための
ヒントであるということではないでしょうか。

学校で教わっていることの「知識」が
そのまま生かせる社会の場は
ほとんどないと思います。

しかし、得た知識に加え、自分自身で感じ、
体験した「経験」「感性」を融合させることで
「知恵」をつくりだし、
社会に適応していくものだと思います。

今、高校3年生のこの時期は
どうしても結果主義、点数主義となり、
人生について見失う部分もある時期だと思います。

しかし、今日の講座を通じて、社会や仕事、
そして人生について深く考えるいい機会となりました。

僕自身一人の人間として根本を忘れることなく、
人生を全うしたいです。
今日は貴重な話ありがとうございました。





今日のお話を聞いて、自分がいかに物事に対して
受動的だったかを強く感じさせられました。
勉強などにおいても、先生から教わったことを
そのまま受け取っていて、
「どうやって」という一つの答えしか
求めていなかったと思いました。

そして、他人と違う考えを持つことを
恐れていたと気づきました。

これから大学に進学して知識、経験、感性を
培っていくことになると思いますが、
それらを総動員させて将来は地方公務員として
岩手の人々の幸せのために
働きたいと考えています。

そのために、今のうちから物事を主体的に考え、
自分の意見を持ち、人々が困っていたら
状況を変えてあげられるような
行動力を持ちたいと思いました。





高校3年生というこの時期に、
こういうテーマの講演を聞くことができたのは
私にとって素晴らしい経験の一つです。

私は大学に行くのか、もし行くとしたら
やりたいことなんてあるのかなあと
ずっと考えていました。

先生のおっしゃるように自分らしく学びたい
と思うのですが、少し油断をすると
立派な人の生き方を真似してしまう
嫌な癖があります。

「自分らしく学ぶ」というのはとても難しいです。
「東北食べる通信」のように、
自分には思いもつかない考え方が
まだまだ世界中にあって、
自分にもそれを経験できる可能性があるのに、
思考を停止して人の真似ばかりしては
いけないなと強く思いました。

もっと自分の人生を生きるためにも
「子どものような純粋な発想と行動」
を心がけたいです。





私は将来の具体的な目標はありませんが、
高橋さんのように社会のために行動を起こそうとは、
きっとしないと思います。

仕事は、あくまで自分と家族が
生活に困らないようにお金を稼ぐことが
一番の目的になると思います。

そんな私にも、イノベーションを意識して
職を選ぶことは必要でしょうか。
立派なことを成し遂げたいとは思いません。
学歴のために大学を出て、
身の丈に合う仕事をして、結婚して、
ご近所さんと仲良くして
つつましく暮らしたい私にも、
知識、経験、感性の構造化を図り、
自立する必要があるのでしょうか。

あまりはっきり答えが出ませんでした。
でも、だから今回のセミナーは
私には関係ないと捨ててしまえば
それこそ井の中の蛙です。

どうか、「社会・仕事・自立」について、
地域政策以外での応用の仕方を
教えていただきたいです。





私は花巻生まれ花巻育ちだ。
関東の大学を志望している。
高橋さんと同じく、ここでの将来に
希望を持てないからだ。

私たち若い人はみんな同じような考えの気がする。
これでは地方に未来はない。
都市を支えているのは地方だ。
地方を支えているのはその土地の農業だと思う。

国に一次産業を保護しろと言っても
行政はやることがたくさんあり限界がある。
やはりその土地の人々の
意識を変えていく必要がある。
それには教育の改革が必要だ。
華やかなものが良いとされる現代で、
皆それに便乗して
自分の考えを持っていない気がする。

一人一人が自分の頭で考え意見を持つことが、
地方、都市、国、世界を改善していく
唯一の方法だと思う。
そしてそれを教えるのが教育だ。
岩手県は教育に対しさらなる努力が
必要であると私は感じている。





昨年、前岩手県知事、増田さんの新書
(2人の男性が地方消滅について
討論している様子が書かれているもの)を読み、
地方と都市の関わりなどに興味を持ちました。

今日、先生がご紹介なさった「東北食べる通信」は、
生産者と消費者、言い換えれば
地方と大消費地を結ぶ一つのきっかけとして、
今後もっと注目されていくべきだと考えました。

岩手県の中にも誇ることのできる
一次産品がたくさんあります。
それらは県民の私たち以外には
思ったほど知られていないものです。

まずは、その一次産品を知ることから始め、
県民以外の人にもこの地方の良さを
味わってもらえば、岩手県民も、
より地元に誇りを持てるはずです。

この広い土地、岩手の、
そして東北の良さが広がることで町は活気づく。

そういった考え方を利用した取組みが
存在していたことに感激しました。





これらの感想を見た多くの人は、
「さすが花高生、能力が高いな」、と言いました。

でも私はそのとき、その能力を顕在化させたのは
授業の力だったのではないかと思ったのです。

なぜなら、その授業は、
元々持っている彼らの主体性を
引き出すようなスタイルだったからです。

相澤先生は、初めの30分間講義を行い、
次の30分は個人で質問を考えさせます。

その後、グループワークを行い、
それぞれの質問をグループ内で検討します。

その後は、先生が質問に答える形で
ディスカッションしていくという講座でした。

この「質問づくり」という活動によって、
彼らが最初から持っていた能力が
顕在化されたのではないかと私は思ったのです。

もし、単なる一方向の講義であったなら、
彼らはそういう能力を持ちながらも
それを顕在化させるチャンスもなく
終わってしまったのではないかと思うのです。

私はこの授業を見て2つの問いが浮かびました。

それは、

我々教師は、この授業のように、
生徒の能力をのびのび発揮する場を与えているだろうか。

そして、そういった彼らの活動の様子を、
我々はしっかり見ているだろうか。

というものです。
 

「ロータリークラブの卓話で期せずしてテンメイを語る」

今日は花巻ロータリークラブ第3062回例会があり、
私が卓話を担当することになっていました。

依頼されていることに今朝気づき、青ざめました。

取り急ぎ
「最近の花高のホットニュースから」
というタイトルを報告したものの、
話す内容がなかなか決まりませんでした。

そこで、今回は、写真のような
6つのトピックスを事前に作り、
サイコロトークの形式で
その中のいくつかについて
お話をすることにしました。
本当は5つしか思いつかなかったので
とりあえずダミーとして6の目には
テキトーな話題を入れてしまいました。

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サイコロを振ってもらったところ、
4と2と、そして何と6の目が出てしまいました。

では話した内容を
以下にかいつまんで説明いたします。

■4の目 万葉植物園復古の真の意味

本校には「万葉植物園」という庭園があります。
当初は、万葉集に因んだ植物が
それはたくさん植えられていた
素晴らしい庭園だったそうです。

しかし、その万葉植物園は数十年来放置され、
今では、草がぼうぼうと生い茂り、
池は泥沼状態になって、
ボウフラの住処になっています。

そんな中、今、3人の有志が中心となって
万葉植物園を復活させようとしています。

これまでも、生徒会などを中心に
万葉植物園復興の議論が行われてきました。

そんな彼らの強い思いにもかかわらず、
復興が前進しなかったのはなぜか。

時間の問題、資金の問題、マンパワーの問題・・
いろいろと考えているうちに、
私は、この万葉植物園の荒廃と復興の根底には、
教育の根幹に関わる大きな問題が
横たわっているのではないかと気づきました。

万葉植物園なんて、別に整備しなくても、
生徒の学力向上や進路実現や
部活動での成果が停滞するわけではありません。

むしろ、その整備に費やす時間とお金を、
部活や学力向上策のために充てる方が
いいだろうという人がいるかもしれません。

しかし私は敢えてこう考えます。
万葉植物園が忘れられ、放置され、
荒廃していった歴史は、
学校が学習の効率性を追い求めるために
無駄をそぎ落とし、文武両道の名のもとに
進学実績や部活動の成果に邁進してきたことの
象徴ではないだろうか。

すると、生徒からの万葉植物園復興の声に耳を傾け、
行動をともにできるかどうかは、
学校の見識、教育に対するスタンスが問われる、
いわば試金石なのではないか、
そして、万葉植物園復興プロジェクトのリーダー3人に、
私はこのような命題を
つきつけられているのかもしれないと痛感したのです。

そういうわけで、今私は、PTAや同窓会など
様々な場で万葉植物園復興を叫んでいます。

そして、今、自分たちができることを
必死で行っている、3人のリーダーたちを
支援する輪を作っていきたいと考えています。

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■2の目 シャッターアートに潜む花高生の思い

この夏、桜雲同窓生の永田さんという方から、
自宅のシャッターに宮沢賢治ゆかりの
アートデザインを、花北の生徒に
描いてもらえないかという依頼がありました。

永田さんの自宅は、
宮沢賢治の生家の向かいにあり、
まさに最高のロケーションです。

話がとんとん拍子にまとまり、
本校の美術部の生徒3人による
「花高生シャッターアートプロジェクト」
が立ち上がりました。

彼女たちは、7月下旬から創作活動を続け
8月上旬に見事に完成させました。

制作途中、彼女たちの前に、
多くの方が立ち止まります。

興味深く見入っていく人、声をかけてくれる人、
中には、アイスを振る舞ってくれる人などもおりました。

つまり、この活動は、
花北美術部の活動であるとともに、
地域活性化のトリガーでもあったのです。

だいぶ以前から、花巻市内のシャッター街の問題が
取りざたされているわけですが、
例えば街中のシャッターに
全国のアーティストを呼んで作品を描いてもらい、
シャッター街という負の遺産を逆に強みにした
アートフェスタをやるのはどうでしょう。

市内の高校生が町中のあちこちに
シャッターアートを描き、
それを探しながら花巻市の歴史や文化を学ぶ
ウォークラリーというアイデアもあります。 

花高シャッターアートは
そんな地域の夢と希望を背負っている
プロジェクトなのかもしれません。

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■6の目 天皇賞馬「テンメイ」から学んだこと

すみません。この話は、
花高のホットなニュースではなく、
私個人の話になります。

私の実家は、旧盛岡競馬場の近くでした。
もう30年以上前の話ですが、
私がその競馬場に行ったとき
とても驚いたことがありました。

何と、天皇賞馬である「テンメイ」が
私の目の前を走っていたのです。

私はその時、思わず叫んでしまいました。

「栄誉ある天皇賞馬として中央競馬を引退した
テンメイを、地方で走らせてよいのか!」

私は、テンメイの走る姿を目に焼き付けていました。
彼は淡々と走り、馬群に紛れ、
着外でゴールしました。

私はその様子を見て、少し考え方を変えました。

「たとえ着外になろうとも、テンメイは、
プライドを捨てて走る姿を見せることで、
地方の馬たちを育てているのではないか。
地方から羽ばたけ、そして中央で輝け
(今で言うと、メイセイオペラ)
というメッセージをおくっていたのではないか」

さて、話は変わりますが、
実は私は最近還暦を迎えました。
今年で定年退職です。

すると、いろんな方が、
退職後どうするのか私に尋ねます。

私は現在ノープランです。
年金が出るまで、晴耕雨読の、
足るを知る生活で糊口を凌ぐのが
目下の理想の姿です。

でも、やりたいことはあります。
それは、若い人たちに混ざって、
学びの輪に加わること。

そんなことを考えたとき、三十数年ぶりに
テンメイのことが思い出されたのです。

「そうか。なぜテンメイは走ったか。
それは、走ることが習性であり、
走ることが大好きだったからだ。
競走馬としての使命は他の馬に勝つこと。
でも、本当は他の馬たちと併走し、
人馬一体となって一瞬の風になることこそが
本望だったのではないか。」

私の人生を天皇賞馬のテンメイと
ダブらせるのはおこがましい話なわけですが、
勝手にテンメイにかこつけて
自分の思いを語ろうと思います。

私は昔取った杵柄を振りかざしながら
上からものを言うより、原点に戻って、
ひたすら学び続ける人でいたい。

その中で、社会や教育に見え隠れしている
理不尽に対し、仲間と友に
ささやかに声をあげ行動できる
存在になれれば幸せだ。

すまんテンメイ。天皇賞馬の君の名を、
私の人生を語る引き合いに出してしまって。